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第11話 再会の鐘
大聖堂に隣接する、救恤院の本部。
尖塔から正午を告げる重々しい鐘の音が、鉛色の空に響き渡っていた。
今日は朝から冷たい雨が降っており、石造りの回廊には、湿った羊毛の匂いと古い石の冷気が満ちている。
エリシアは、祝布の監修を引き受ける手続きのため、クララの手を引いて回廊を歩いていた。
あの署名を見たとき、確かに恐怖はあった。けれど、辺境の領民たちの顔を思い出すと、見捨てることなどできなかった。
あくまで救恤院を通したギルドの仕事。あの男と直接関わるわけではない。そう自分に言い聞かせ、心を落ち着かせていた。
「ママ、ここ、つめたいね」
クララが、石畳を踏む自分の足音を不思議そうに聞きながら呟いた。
「そうね。用事が済んだら、すぐに帰りましょうね」
エリシアがクララに向かって微笑みかけ、角を曲がろうとしたその時だった。
コツン、コツン。
硬い革靴の音が、回廊の奥から近づいてくる。
その規則正しく、一切の迷いがない足音の響きに、エリシアの体が勝手に硬直した。
角の向こうから姿を現したのは、数人の従者を連れた背の高い男。
銀色の髪。氷のように冷たい、感情の読めない青い瞳。
辺境の軍服を身に纏った、ロルフだった。
エリシアの呼吸が完全に止まる。
五年前、大聖堂の裁判所で切り捨てられたあの日の記憶が、鮮烈なフラッシュバックとなって脳裏を埋め尽くした。
逃げなければ。そう頭が叫んでいるのに、足が石畳に縫い付けられたように動かない。
すれ違いざま、ロルフの視線がふとエリシアに止まった。
彼は足を止め、僅かに目を細める。
「……エリシア、殿か」
ひどく平坦で、硬い声。
その声を聞いた瞬間、エリシアの全身の毛穴が粟立った。
そしてロルフの視線は、エリシアの手を強く握りしめている小さな少女――クララへと移動した。
ロルフの青い瞳が、僅かに見開かれる。
クララの髪の色はエリシアと同じだが、その顔立ち、特に氷のように透き通った青い瞳は、目の前に立つ男と瓜二つだった。
誰の目から見ても、血の繋がりは明らかだ。
沈黙が、冷たい回廊に重くのしかかる。
クララは、自分を見下ろす背の高い男の顔をじっと見つめ返し、不思議そうに小さな唇を動かした。
「ぱ……」
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尖塔から正午を告げる重々しい鐘の音が、鉛色の空に響き渡っていた。
今日は朝から冷たい雨が降っており、石造りの回廊には、湿った羊毛の匂いと古い石の冷気が満ちている。
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「ママ、ここ、つめたいね」
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誰の目から見ても、血の繋がりは明らかだ。
沈黙が、冷たい回廊に重くのしかかる。
クララは、自分を見下ろす背の高い男の顔をじっと見つめ返し、不思議そうに小さな唇を動かした。
「ぱ……」
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