「君を愛することはない」と言われたので、私も愛しません。次いきます。 〜婚約破棄はご褒美です!

放浪人

文字の大きさ
14 / 31

第十四話 黒幕、貴族院にいました(王太子の背後、派閥の親玉)

しおりを挟む
 翌朝の宰相府執務室は、いつになく殺伐とした空気に包まれていた。

 私のデスクと、アシュ様の執務机。  その間には、昨日ミレイユ様から託された「黒い手帳」が置かれている。  解析班による徹夜の作業の結果、そこに記されていた暗号はすべて解読され、おぞましい真実が白日の下に晒されていた。

 『洗脳術式による思考誘導実験記録』  『被験体:王太子レオンハルト』  『主導者:ヴァルガス公爵』

 ヴァルガス公爵。  貴族院の最長老であり、建国の功臣の末裔。  いつも穏やかな笑みを浮かべ、王太子の良き相談役として振る舞っていたあの好々爺が、裏では自分の傀儡を作るために、次期国王の脳を魔法でいじくり回していたのだ。

「……信じられませんわ」

 私は手帳をデスクに叩きつけた。

「殿下が愚かなのは元々の資質だと思っていましたけれど、まさか魔法で増幅されていたなんて。これじゃあ、殿下もある意味では被害者ではありませんか」

「被害者かつ加害者だ。洗脳されていたとしても、彼が君を傷つけた事実は消えない」

 アシュ様は書類に目を通したまま、冷淡に答える。

「問題はそこではない。このヴァルガス公爵をどう処理するかだ」

「決まっていますわ! 今すぐ騎士団を率いて公爵邸に踏み込み、この手帳を突きつけて逮捕するんです! 国家反逆罪と傷害罪、それに禁忌魔法使用罪のフルコースで!」

 私は鼻息荒く立ち上がった。  悪の親玉がわかったのだ。一刻も早く成敗して、ミレイユ様や殿下(ついでに)を解放してあげるのが筋というものだ。

 けれど。

「却下だ」

 アシュ様の一言が、私の熱意に冷水を浴びせた。

「は?」

「今すぐの逮捕は不可能だ。また、非効率だ」

 アシュ様はペンを置き、冷静な青い瞳で私を見据えた。

「相手は貴族院のトップだ。『不逮捕特権』を持っている。この手帳一冊だけでは証拠として弱すぎる。『これは捏造だ』『盗まれた日記だ』と言い逃れされれば、それを覆すのには数ヶ月かかる。その間に証拠隠滅され、トカゲの尻尾切りで終わるのがオチだ」

「で、ではどうするとおっしゃるんですか? 指をくわえて見ていろと?」

「外堀を埋める。公爵と癒着している下位貴族や商人たちから先に摘発し、公爵の資金源と手足を奪う。完全に逃げ場をなくしてから、確実に首を取る。……それが最も確実な手順だ」

 正論だ。  ぐうの音も出ないほど、論理的で正しい。  でも。

「……それには、どれくらいの時間がかかりますの?」

「最短で三ヶ月。長くて半年といったところか」

「半年!?」

 私は声を荒らげた。

「そんなに時間をかけていたら、ミレイユ様はずっと怯えたまま暮らすことになります! それに殿下の洗脳だって進行して、廃人になってしまうかもしれませんわ!」

「感情論を持ち込むな、リディア」

 アシュ様の声が低くなる。

「私は国全体の利益と、法秩序の維持を最優先している。一人の少女や、無能な王太子のために、拙速な捜査で巨悪を逃すリスクは犯せない」

 カチン、ときた。

 私はアシュ様の机に両手をつき、彼の顔を至近距離から睨みつけた。

「感情論ですって? ええ、そうですわよ! 私は人間ですから感情がありますの! 目の前で苦しんでいる人を『リスク』の一言で切り捨てるなんて、私にはできません!」

「私は切り捨てるとは言っていない。優先順位の話をしている」

「それが冷たいと言っているんです! この……合理的サイボーグ!」

「君こそ、短絡的だ。……この猪突猛進娘」

 バチバチバチ。  視線と視線がぶつかり合い、火花が散る音が聞こえそうだった。  周りの文官たちが「ひいいっ」と悲鳴を上げて机の下に隠れる気配がする。

 これが、私たち夫婦の初めての喧嘩だった。  原因は「浮気」でも「生活態度の不一致」でもなく、「行政手続きと正義の執行プロセスの相違」。  なんと可愛げのない夫婦喧嘩だろう。

 しかも、最悪なことに私たちは『嘘がつけない』。   「あなたのそういう、数字しか見ていないところが大嫌いです!」

「君のそういう、後先考えずに突っ走る無鉄砲さは見ていて胃が痛くなる!」

 本音が鋭利なナイフとなって飛び交う。  お互いに一歩も引かない。   「もういいです! アシュ様が動かないなら、私一人でやります! 私の社交人脈を使って、公爵の悪評を流して外堀を埋めてやりますわ!」

「待て。勝手な真似は許さん。君は私の管理下にある」

「管理? 私はあなたの道具ではありません! ……ふんっ!」

 私は踵を返し、執務室を飛び出した。  背後でアシュ様が「リディア!」と呼ぶ声が聞こえたけれど、無視だ。  頭を冷やす必要がある。私も、あの石頭の宰相様も。

 ◇

 私は王宮の庭園にあるベンチで、一人憤慨していた。  目の前の池に小石を投げ込む。

「合理的、合理的って……。人の心がわからないの?」

 ポチャン、と波紋が広がる。  わかっている。アシュ様の言っていることが正しいことは。  公爵のような大物を狩るには、慎重すぎるほどの準備が必要だ。私が焦って動けば、逆に返り討ちに遭う可能性が高い。

 でも、あの手帳を見たときの衝撃。  人の心を弄ぶ悪意に対する怒り。  それを「半年待て」と言われて、はいそうですかと頷けるほど、私は物分かりの良い大人じゃない。

「……はぁ。私、なんであんなに怒っちゃったんだろ」

 冷静になると、自己嫌悪が押し寄せてくる。  アシュ様は私を守ろうとしてくれているのに。「管理下にある」という言葉も、不器用な彼なりの「危険な目に遭わせたくない」という本音の裏返しだったはずだ。  『嘘がつけない』からこそ、言葉の端々にある感情(愛おしさや心配)も、ちゃんと伝わってきていたのに。

「……隣、いいか」

 不意に、頭上から声が降ってきた。  見上げると、少し息を切らせたアシュ様が立っていた。  いつもの完璧な宰相服が、少しだけ乱れている。走って追いかけてきてくれたのだろうか。

「……どうぞ。ここは公共の場所ですから」

 私がそっけなく答えると、彼は無言で隣に座った。  しばらくの間、沈黙が流れる。  聞こえるのは風の音と、鳥のさえずりだけ。

「……すまなかった」

 先に口を開いたのは、アシュ様の方だった。

「言いすぎた。君の行動力と正義感は、君の最大の長所だ。それを否定するつもりはなかった」

 素直な謝罪。  『嘘がつけない』彼が謝るということは、心底そう思っているということだ。

「……私の方こそ、ごめんなさい。アシュ様の計画が一番確実だとわかっているのに、感情的になってしまって」

 私も俯いて謝った。  すると、アシュ様の手が伸びてきて、私の手をぎこちなく握った。

「リディア。私は怖いんだ」

「え?」

 アシュ様が私を見る。  その青い瞳が、不安げに揺れていた。

「君が一人で突っ走って、私の手の届かない場所で傷つくことが。……計算できないリスク(君の安否)が、私にとって最大の恐怖だ」

 ドクン。  心臓が大きな音を立てた。  何それ。  そんなの、愛の告白と何が違うの?

「君は、私にとってただの契約者ではない。……君のいない世界は、色彩を失ったモノクロ映画のように退屈で、耐え難い」

 彼は私の手を両手で包み込み、真剣な眼差しで告げた。

「君が必要だ、リディア。感情論としてではなく、私の人生を構成する不可欠な要素(パーツ)として」

 ずるい。  本当にずるい。  こんな理屈っぽい言い方なのに、どんな甘い言葉よりも胸に響くなんて。

「……わかりました」

 私はため息交じりに、でも隠しきれない笑みを浮かべて答えた。

「仲直りしましょう。ただし、条件があります」

「なんだ? 慰謝料の増額か?」

「違います。捜査のスピードアップです。半年なんて待てません。せめて一ヶ月……いいえ、二週間で公爵を追い詰めるプランを立ててください。私手伝いますから」

 アシュ様は目を丸くし、それからフッと吹き出した。

「二週間か。……無茶な要求だ。だが、君となら不可能ではない気がする」

 彼は立ち上がり、私に手を差し伸べた。

「いいだろう。契約更新だ。最強の効率厨(私)と、最速の行動派(君)で、貴族院の狸親父を特急で地獄へ送ろう」

「ええ、喜んで!」

 私は彼の手を取り、力強く握り返した。

 雨降って地固まる。  夫婦喧嘩を経て、私たちの結束はより強固なものになった。  さあ、ヴァルガス公爵。  覚悟なさい。  宰相府の全力と、悪役令嬢の全速力が、あなたに向かったわよ!
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

妻からの手紙~18年の後悔を添えて~

Mio
ファンタジー
妻から手紙が来た。 妻が死んで18年目の今日。 息子の誕生日。 「お誕生日おめでとう、ルカ!愛してるわ。エミリア・シェラード」 息子は…17年前に死んだ。 手紙はもう一通あった。 俺はその手紙を読んで、一生分の後悔をした。 ------------------------------

愛していました。待っていました。でもさようなら。

彩柚月
ファンタジー
魔の森を挟んだ先の大きい街に出稼ぎに行った夫。待てども待てども帰らない夫を探しに妻は魔の森に脚を踏み入れた。 やっと辿り着いた先で見たあなたは、幸せそうでした。

【完結】捨て去られた王妃は王宮で働く

ここ
ファンタジー
たしかに私は王妃になった。 5歳の頃に婚約が決まり、逃げようがなかった。完全なる政略結婚。 夫である国王陛下は、ハーレムで浮かれている。政務は王妃が行っていいらしい。私は仕事は得意だ。家臣たちが追いつけないほど、理解が早く、正確らしい。家臣たちは、王妃がいないと困るようになった。何とかしなければ…

【完結】あなたに知られたくなかった

ここ
ファンタジー
セレナの幸せな生活はあっという間に消え去った。新しい継母と異母妹によって。 5歳まで令嬢として生きてきたセレナは6歳の今は、小さな手足で必死に下女見習いをしている。もう自分が令嬢だということは忘れていた。 そんなセレナに起きた奇跡とは?

【完結】英雄様、婚約破棄なさるなら我々もこれにて失礼いたします。

ファンタジー
「婚約者であるニーナと誓いの破棄を望みます。あの女は何もせずのうのうと暮らしていた役立たずだ」 実力主義者のホリックは魔王討伐戦を終結させた褒美として国王に直談判する。どうやら戦争中も優雅に暮らしていたニーナを嫌っており、しかも戦地で出会った聖女との結婚を望んでいた。英雄となった自分に酔いしれる彼の元に、それまで苦楽を共にした仲間たちが寄ってきて…… 「「「ならば我々も失礼させてもらいましょう」」」 信頼していた部下たちは唐突にホリックの元を去っていった。 微ざまぁあり。

無能なので辞めさせていただきます!

サカキ カリイ
ファンタジー
ブラック商業ギルドにて、休みなく働き詰めだった自分。 マウントとる新人が入って来て、馬鹿にされだした。 えっ上司まで新人に同調してこちらに辞めろだって? 残業は無能の証拠、職務に時間が長くかかる分、 無駄に残業代払わせてるからお前を辞めさせたいって? はいはいわかりました。 辞めますよ。 退職後、困ったんですかね?さあ、知りませんねえ。 自分無能なんで、なんにもわかりませんから。 カクヨム、なろうにも同内容のものを時差投稿しております。

ちゃんと忠告をしましたよ?

柚木ゆず
ファンタジー
 ある日の、放課後のことでした。王立リザエンドワール学院に籍を置く私フィーナは、生徒会長を務められているジュリアルス侯爵令嬢アゼット様に呼び出されました。 「生徒会の仲間である貴方様に、婚約祝いをお渡したくてこうしておりますの」  アゼット様はそのように仰られていますが、そちらは嘘ですよね? 私は最愛の方に護っていただいているので、貴方様に悪意があると気付けるのですよ。  アゼット様。まだ間に合います。  今なら、引き返せますよ? ※現在体調の影響により、感想欄を一時的に閉じさせていただいております。

【完結】精霊に選ばれなかった私は…

まりぃべる
ファンタジー
ここダロックフェイ国では、5歳になると精霊の森へ行く。精霊に選んでもらえれば、将来有望だ。 しかし、キャロル=マフェソン辺境伯爵令嬢は、精霊に選んでもらえなかった。 選ばれた者は、王立学院で将来国の為になるべく通う。 選ばれなかった者は、教会の学校で一般教養を学ぶ。 貴族なら、より高い地位を狙うのがステータスであるが…? ☆世界観は、緩いですのでそこのところご理解のうえ、お読み下さるとありがたいです。

処理中です...