「何の取り柄もない姉より、妹をよこせ」と婚約破棄されましたが、妹を守るためなら私は「国一番の淑女」にでも這い上がってみせます

放浪人

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第8話:王女の無理難題

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「……来ますよ、台風が」

執務室の窓際で、クラウス様が重いため息をついた。

その言葉が終わるか終わらないかのうちに、屋敷全体が揺れるような衝撃音が響いた。 ドォォン!! という音は、正面玄関の扉が勢いよく開け放たれた音だ。

続いて、廊下をカツカツカツカツ! と、ヒステリックなリズムで刻む足音が近づいてくる。

「クラウス! クラウスはいずこじゃー!!」

甲高い、しかし鈴を転がすような美声が、屋敷の静寂を引き裂いた。

私は紅茶のカップをソーサーに置き、姿勢を正した。 ついに来た。 『影の書庫』の要注意人物リスト、最上位ランク。 この国の第一王女、エリザベート・フォン・ルークス。 通称、『赤の暴風』。

バンッ!!

執務室の扉が、ノックもなしに蹴破られた。 そこには、燃えるような真紅のドレスを纏い、同じく真紅の髪を逆立てた、絶世の美女が仁王立ちしていた。

「やっと見つけたぞ、この冷血漢!」

王女殿下は、扇子でビシッとクラウス様を指差した。

「出迎えもないとは何事じゃ! 相変わらず愛想のない男よのう!」

「……これはこれは、エリザベート殿下。事前の連絡もなく、このようなむさ苦しい男の部屋へお越しになるとは。相変わらずの行動力、感服いたします」

クラウス様は表情一つ変えず、椅子に座ったまま慇懃無礼に頭を下げた。

「嫌味か! ええい、よいわ。そちの減らず口には慣れておる」

殿下はズカズカと部屋に入り込み、勝手にソファへ腰を下ろした。 後ろには、青ざめた顔の護衛騎士や侍女たちが、おろおろと控えている。

「下がりなさい。王女殿下とお話しするのに、ギャラリーは不要です」

私が使用人たちに目配せすると、彼らは「助かった」という顔をして、逃げるように扉を閉めた。

部屋に残されたのは、クラウス様、王女殿下、そして私。

殿下は、部屋の隅に控える私をチラリと一瞥した。

「ふん。見かけぬ顔じゃな。そちが噂の『新しいお気に入り』か?」

「お初にお目にかかります、殿下。秘書官代理のアリアと申します」

私は流れるような動作でカーテシーを行った。 セバスチャン仕込みの、完璧な角度で。

「ほう。礼儀作法は悪くない。だが……地味じゃな」

殿下はふん、と鼻を鳴らした。

「まあよい。わらわは今日、アリアとやらに用があって来たわけではない。クラウス、そちに頼みがあるのじゃ」

「お断りします」

「まだ何も言うておらん!」

「どうせろくな案件ではないでしょう。珍しい動物が欲しいとか、気に入らない貴族の屋敷を燃やしてくれとか」

「失礼な! わらわはそこまで野蛮ではないわ!」

殿下は顔を真っ赤にして叫んだ。 そして、少しだけ言い淀み、モジモジと扇子をいじり始めた。

「……実はな。その、困ったことになってしもうたのじゃ」

あの傍若無人な王女が、しおらしくなっている。 これは、逆に警戒すべき兆候だ。

「……何です?」

クラウス様も警戒レベルを上げたようだ。

「……明日じゃ。明日の夜、隣国のセオドア第二王子が、お忍びでこの国に来る」

「セオドア王子? 『賢人王子』と名高い、あの?」

「そうじゃ。……実はな、わらわとセオドア王子は、幼い頃に一度会ったきりでな。その時はわらわが泥団子をぶつけて泣かせてしもうたのじゃが……」

泥団子。 王女の武勇伝がまた一つ、私の脳内データベースに追加された。

「先日、向こうから『久しぶりに会って、旧交を温めたい』と手紙が来たのじゃ。しかも、『僕は君の知的な一面が見たい。二人きりで、文学や芸術について語り合おう』とな!」

「はあ。それで?」

「……分かるじゃろう!? わらわは、勉強が嫌いじゃ!」

殿下は開き直ったように叫んだ。

「文学? 哲学? そんなもの、睡眠導入剤にしか聞こえんわ! だが、断れば『ガサツな王女』という汚名は拭えんし、何より……その、セオドア王子は、肖像画を見る限り、かなりの美男子で……」

なるほど。 要するに、初恋の相手(?)にかっこいいところを見せたいが、中身が伴っていないのでどうにかしろ、ということか。

「クラウス! そちは博識じゃろう? 明日の会談に同席し、わらわの代わりに王子と高尚な会話をせよ! わらわは横で『左様でございますわね』と微笑んでおくから!」

「……却下だ」

クラウス様は即答した。

「なぜじゃ!?」

「私はベビーシッターではありません。それに、王子が望んでいるのは『二人きり』での会話でしょう。私が同席しては意味がありません」

「そこをなんとかせい! 権力でなんとかせい! できないなら、そちの領地を没収してやる!」

「出ましたね、伝家の宝刀『理不尽な脅迫』。……お帰りください」

クラウス様が冷たくあしらう。 殿下の目に涙が溜まり始めた。 まずい。 ここで王女に泣かれ、癇癪を起こされたら、屋敷が物理的に破壊されるかもしれない。

私は音もなく一歩前に進み出た。

「……失礼ながら、殿下。ご提案がございます」

「なんじゃ、地味女。部外者は黙っておれ」

殿下が涙目のまま私を睨む。 迫力はあるが、どこか捨てられた子猫のようだ。

「クラウス閣下が同席すれば、王子は『監視されている』と感じ、興醒めしてしまうでしょう。それでは恋の芽も摘まれてしまいます」

「む……そ、それは困る」

「そこで、私が代案をご用意いたします」

「代案?」

「はい。殿下ご自身が、一晩で『知的な淑女』に見えるようになる魔法です」

殿下が目を丸くした。 クラウス様も、「おい、何を言う気だ」という顔で私を見ている。

「……魔法だと? そんな都合の良い魔法があるものか」

「ございます。……ただし、私の指導は少々スパルタですが、耐えられますか?」

私は不敵に微笑んだ。 これはチャンスだ。 王女に恩を売っておけば、今後の最強の盾になる。 そして何より、このわがままなお姫様を教育するのは、なんだか楽しそうだ。

「……ふん。わらわを誰だと思っておる。この国の王女ぞ? 地味女の指導など、片手間でこなしてやるわ!」

「言質、いただきました」

私はニヤリと笑った。

「では閣下。明日の夜まで、殿下をお借りします。……執務室の隣の応接間を貸切にしてもよろしいですね?」

「……好きにしろ。ただし、屋敷を壊すなよ」

クラウス様は「やれやれ」と肩をすくめ、仕事に戻った。 内心、厄介事を私に押し付けられて安堵しているのが丸わかりだ。 あとで追加ボーナスを請求しよう。

          ◇

「さて、殿下。まずは現状分析です」

応接間にて。 私はホワイトボード(に似た黒板)の前に立ち、チョークを持った。 殿下はソファでふんぞり返り、お菓子を食べている。

「セオドア王子からの手紙には、『文学や芸術について語りたい』とありましたが、具体的にどのような話題を好むか、情報はありますか?」

「知らん。手紙には『最近読んだ詩集について』とか書いてあったが、タイトルなぞ忘れたわ」

「……前途多難ですね」

私はため息をつきつつ、記憶の引き出しを開けた。 『影の書庫』のデータ。 セオドア王子。 趣味は読書、天体観測。性格は温厚だが、理屈っぽい一面あり。 特に好んでいるのは、古典詩人『ワーズワース』の作品。

「殿下。付け焼き刃の知識で知ったかぶりをするのは、最悪の手です。賢い相手にはすぐに見抜かれます」

「では、どうすればよいのじゃ! やはりクラウスを……」

「いいえ。分からないことは『分からない』と言う。それが知性です。ただし、ただの無知ではなく、『興味はあるが、まだ触れていない』という姿勢を見せるのです」

私は黒板に三つのキーワードを書いた。

『教えてくださいませ』

『初めて知りました』

『まあ、素敵』

「……なんじゃこれは。馬鹿にしておるのか?」

「いいえ、これが『聞き上手』の極意、名付けて『魔法のさしすせそ』作戦です」

私は説明を続けた。

「男性、特に知識をひけらかしたいタイプの男性は、自分の話を楽しそうに聞いてくれる女性に弱いです。殿下が無理に難しい言葉を使う必要はありません。王子の話を、目を輝かせて聞き、適切なタイミングで相槌を打ち、自尊心を満たしてあげる。これだけで『知的な会話が成立した』と錯覚させることができます」

「……錯覚?」

「はい。相手に『この女性は、僕の高尚な話を理解してくれている!』と思わせれば勝ちです。実際は右から左へ聞き流していても構いません」

殿下はポカンと口を開け、それから少し顔を輝かせた。

「なるほど……それなら、わらわにもできそうじゃ!」

「ですが、ただ相槌を打つだけでは駄目です。所作が伴わなければ、ただの媚びに見えます」

私は黒板を叩いた。

「ここからは実技です。私が王子役をやります。殿下は、私を魅了してください」

「よし、やってやるわ!」

          ◇

一時間後。

「ちがーう!!」

私の怒号が響いた。

「な、なんじゃアリア! いきなり大声を出すな!」

「殿下! 今の相槌はなんですか! 『へー、すごいですねー』? 心がこもっていません! 目が死んでいます! あくびを噛み殺すな!」

「だって、そちの話がつまらんのじゃ! 『古代王朝の壺の変遷』など、どうでもよいではないか!」

「どうでもいい話を、世界で一番面白い話のように聞くのが『淑女』です! 女優になりきってください! 今の殿下は、ただの退屈そうな子供です!」

「むきーッ! 無礼者! 不敬罪で処刑してやる!」

「処刑するなら、王子にフラれてからにしてください! さあ、もう一度! 背筋を伸ばして! 扇子の角度は四十五度!」

私たちは激しい攻防を繰り広げた。 殿下はわがままだが、根性はあった。 負けず嫌いな性格が良い方向に作用し、「私を見返してやる」という一心で食らいついてくる。

深夜二時。 殿下の目が、変わってきた。

「……なるほど、この部分の釉薬(ゆうやく)の色使いが、時代の変化を表しているのですね。……初めて知りましたわ。とても興味深いです」

殿下が、ゆっくりと瞬きをして、私を見つめる。 その瞳には、作られたものではあるが、確かな「尊敬」と「好奇心」の色が宿っている。 声のトーンも、いつものキャンキャンした声ではなく、落ち着いたアルトに落としている。

「……完璧です、殿下」

私は思わず拍手をした。

「本当か!? やったー!」

殿下はガッツポーズをして飛び跳ねた。 一瞬でいつもの子供に戻ったが、スイッチの切り替えができるようになったのは大きな進歩だ。

「これなら、セオドア王子もイチコロでしょう」

「ふふん、当然じゃ! わらわの美貌に、知性が加われば無敵じゃからな!」

殿下は扇子を高らかに笑った。

「さて、最後の仕上げです」

「まだあるのか?」

「はい。見た目です。……殿下、その真紅のドレスは素敵ですが、明日の夜会には攻撃的すぎます」

「ええ? これはわらわの勝負服なんじゃが……」

「『知的な夜会』には、もっと落ち着いた色が必要です。……私の見立てで、一着ご用意させていただきます。よろしいですね?」

「……むぅ。地味女のセンスなど信用できんが、ここまで来たら毒を食らわば皿までじゃ。任せる!」

          ◇

翌日の夜。 公爵邸の裏庭にあるガゼボ(西洋風あずまや)。 そこが、秘密の会談場所に選ばれた。

月明かりの下、セオドア王子が待っていた。 銀髪に眼鏡をかけた、線の細い美青年だ。

そこへ、準備を整えたエリザベート殿下が現れた。

いつもの派手な赤ではなく、淡い月光色のドレス。 髪は緩く編み込み、飾らない清楚な雰囲気を演出している。 化粧も薄く、彼女本来の素材の良さを引き立てるナチュラルメイクだ。

「……こんばんは、セオドア様」

殿下が、静かに微笑んでカーテシーをした。 その動作は、まるで月下の妖精のように優雅だった。

王子が息を呑んだのが分かった。

「……エリザベート、王女? 本当に?」

「ええ。お久しぶりですわ。……昔、泥団子をぶつけた野蛮な娘のままかと思って、がっかりされました?」

殿下は悪戯っぽく小首を傾げた。 このセリフも、私が台本に書いたものだ。 『あえて過去の失敗を自分からネタにし、ギャップを見せる』作戦。

「い、いいえ! とんでもない! まるで女神のようだ……」

王子の顔が赤くなる。 つかみはOKだ。

私は茂みの陰から、クラウス様と共にその様子を見守っていた。

「……化けたな」

クラウス様が感心したように呟く。

「中身はあの『赤の暴風』のままですが、皮一枚被れば淑女に見えるものです」

「お前の『皮剥ぎ』ならぬ『皮被せ』の技術は大したもんだ。詐欺師の才能があるぞ」

「褒め言葉として受け取っておきます」

二人の会話が始まった。 王子はさっそく、最近読んだ哲学書の話を始めた。 難解な用語が飛び交う。

殿下は、教えた通りに頷き、微笑み、時折「ほう……それはつまり、こういうことでしょうか?」と(私が教えたフレーズで)返す。

王子はどんどん饒舌になっていく。 自分の話をこんなに熱心に聞いてくれる美少女に、完全に舞い上がっているようだ。

一時間後。 会談は最高の雰囲気で終了した。

「エリザベート。君がこれほど聡明で、聞き上手な女性になっていたとは……僕は感動したよ」

王子が殿下の手を取る。

「今度、僕の国へ遊びに来てくれないか? もっと君と話がしたい」

「……ええ。喜んで」

殿下は頬を染めて頷いた。 今度の赤面は、演技ではなさそうだ。

          ◇

王子が帰った後、殿下はガゼボでへたり込んでいた。

「……つ、疲れたぁぁぁ……」

「お疲れ様でした、殿下。大勝利でしたね」

私が冷たいレモネードを持っていくと、殿下は一気に飲み干した。

「うむ! 王子のあのデレデレした顔、見たか? わらわの完全勝利じゃ!」

「ええ。これで同盟関係も安泰でしょう」

「ふふん。……礼を言うぞ、アリア」

殿下が、不意に私を見て言った。 その顔は、いつもの高慢なものではなく、年相応の少女の照れ笑いだった。

「そちの言う『聞き上手』も、悪くはないな。王子の話、半分くらいはちんぷんかんぷんだったが……彼が楽しそうにしているのを見るのは、悪くなかった」

「……それは、殿下が彼に恋をしているからですよ」

「なっ!? ち、ちがうわ! これは外交戦略じゃ! 勘違いするな!」

殿下は真っ赤になって否定した。 可愛いところがある。

「アリア。そち、気に入ったぞ」

殿下は立ち上がり、私に指を突きつけた。

「わらわの専属侍女になれ。王宮に来れば、給金は今の三倍出してやるぞ」

ヘッドハンティングだ。 光栄な話だが。

「謹んで辞退いたします」

私は即答した。

「な、なぜじゃ!?」

「私は、ここが気に入っておりますので。……それに、扱いの難しい猛獣使いは、一人で手一杯です」

私はチラリと、茂みの陰に隠れているクラウス様の方を見た。

「猛獣……? クラウスのことか? あやつは猛獣というより、氷の塊じゃろう」

殿下は呆れたように笑った。

「まあよい。無理強いはせん。……その代わり、また困ったことがあったら相談に乗れ。これは王女命令じゃ」

「はい。別料金になりますが、いつでもどうぞ」

「がめつい奴じゃ! ……だがあっぱれだ」

殿下は上機嫌で、迎えの馬車へと去っていった。 嵐が去った後の庭園に、静寂が戻る。

「……断るとはな」

クラウス様が茂みから出てきた。

「王宮に行けば、安泰な生活が約束されていただろうに」

「安泰な生活なんて、退屈で死んでしまいます」

私はクラウス様に向き直った。

「それに、私は閣下と契約しております。まだ借金も返しきっておりませんし、私の『野望』も道半ばです」

「野望?」

「はい。『国一番の淑女』になること。……そのためには、王宮の温室よりも、ここの地獄の方が育ちが良いようですから」

私が言うと、クラウス様は珍しく声を上げて笑った。 その笑顔は、月光よりも眩しく、私の胸を高鳴らせた。

「いいだろう。地獄の底まで付き合ってやる。……次はもっと過酷だぞ、アリア」

「望むところです、閣下」

私たちは月明かりの下、共犯者の笑みを交わした。

こうして、王女殿下という強力な(そして手のかかる)コネクションを手に入れた私。 だが、運命は休ませてはくれない。

数日後。 街へ買い出しに出た私は、信じられない噂を耳にすることになる。

『元婚約者、カミロ・バンデラス。裏社会の組織と手を組み、公爵家への復讐を計画中』

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