辺境伯は才女を隠さない

放浪人

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56話「娘ではなく道具」

セレナが顔を覆って震えていたその時。
背後の扉が、音もなく静かに開いた。

「……セレナ」

低く、深く響く声。
振り返ると、そこにはオスカーが立っていた。
彼の視線は、セレナの足元に落ちたアルヴェイン公爵家の紋章が入った封筒と、彼女の手の中でくしゃくしゃになった便箋を正確に捉えていた。

「閣下……申し訳ありません、お見苦しいところを」

セレナは慌てて目元を拭い、姿勢を正そうとした。
だが、足の震えが止まらず、よろめいて机の角に肩をぶつけてしまう。

オスカーは足早に歩み寄り、崩れ落ちそうになる彼女の腕を強く、だが痛くないように支えた。

「強がるな」

「私は……大丈夫です。ただ、お父様からの手紙を読んで、少し……」

「『家のために、大人しく罪を認めろ』とでも書いてあったか」

オスカーの言葉に、セレナは息を呑んだ。
彼は公爵の手紙を読んだわけではない。だが、中央の貴族の冷酷な論理と、セレナが抱える根源的な傷を、痛いほど理解していたのだ。

「……はい」

セレナはうつむき、絞り出すような声で告白した。

「お父様にとって、私は娘ではなく、家を維持するための道具でした。役に立つ間だけは『よくやっている、それで十分だ』と褒められ、不都合になれば『家のために切り捨てる』と追放されました。そして今、私が再び使える道具になりそうだと分かれば、呼び戻そうとする」

セレナの言葉は、まるで自分自身の傷口に塩を塗り込むように痛ましかった。

「私は……ただ、認めてほしかっただけなのに。私が私であるからではなく、役に立つから生かされているのだと……頭では分かっていたのに、どうしても、期待を捨てきれなかった……!」

感情の堤防が決壊し、セレナの目から大粒の涙がポロポロとこぼれ落ちた。
王宮の理不尽な断罪にも、極寒の北辺の生活にも決して泣かなかった彼女が、初めて他人の前で完全に感情を崩し、声を上げて泣いていた。

オスカーは何も言わなかった。
安易な慰めの言葉も、理屈による励ましも口にしない。
彼はただ、セレナの震える身体を自身の広い胸に引き寄せ、その背中を大きく温かい手でしっかりと包み込んだ。

獣の毛皮の匂いと、薪の燃えるような微かな熱。
その絶対的な安心感の中で、セレナはオスカーの胸に顔を押し当て、子供のように泣き続けた。

「……泣け」

オスカーが、彼女の銀色の髪を不器用に撫でながら、低く囁くように言った。

「誰かの道具でいるための仮面など、ここでは必要ない。お前はお前だ。役に立とうが立つまいが、俺はお前という人間を絶対に手放さない」

その言葉が、セレナの胸の奥底に刺さっていた氷の棘を、静かに溶かしていく。

ずっと、自分が消えてしまいそうで怖かった。
でも、彼は隠さない。彼は目を逸らさない。
どんなに惨めで、見苦しくて、感情に振り回される弱い自分であっても、彼はすべてを受け止め、その腕の中に留めてくれる。

「オスカー様……っ」

セレナは初めて、彼の名前を震える声で呼んだ。
彼の手の温もりにすがりつくように、彼の背中に腕を回す。

執務室の中には、セレナのしゃくり上げる声と、暖炉の火が爆ぜる音だけが響いていた。
すべての鎧を脱ぎ捨て、最も深い傷を晒け出した夜。
この涙の後に残るのは、過去への未練ではなく、彼と共に前を向いて戦うための、純粋で強靭な覚悟だけだ。

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