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第19話 王子からの謝罪と求婚
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王城、謁見の間。 数日前までは傾いて床が滑り台のようになっていたこの場所も、私の物理的修復(リフォーム)によって、今では完全な水平を取り戻していた。 天井は高く、シャンデリアが煌びやかに輝き、そして何より目を引くのは、玉座の背後にそびえ立つ巨大な『柱』だ。 表面に『筋肉は裏切らない』『力こそパワー』といったありがたい家訓が黄金色に輝くその柱は、厳粛な空間に異様な圧迫感と、そこはかとないシュールさを醸し出している。
そんな謁見の間に、私は呼び出されていた。
「マッスル商会会長、エレオノーラ・ベルシュタイン嬢、入室!」
衛兵の声と共に、重厚な扉が開かれる。 私は、今日は戦闘服でもエプロンでもなく、久しぶりに令嬢らしいドレス(ただし、動きやすさを重視してスカートの中に隠し武器ポケットを縫い付けた特注品)を身に纏い、優雅に歩を進めた。
赤い絨毯の両脇には、貴族や大臣たちがずらりと並んでいる。 彼らの視線は、かつてのような侮蔑や嘲笑を含んだものではない。 畏怖、尊敬、そして「この機嫌を損ねたら国が滅ぶ(あるいは食料が買えなくなる)」という切実な恐怖に満ちていた。
「ごきげんよう、皆様」
私が軽く手を振ると、貴族たちがビクッと震え、一斉に深々と頭を下げた。 まるで風に靡く稲穂のようだ。 壮観である。
玉座の前まで進み、私はカーテシーをした。 そこに座っているのは、アルカディア国王、アルカディア三世陛下だ。 彼の顔色は以前より少し良くなっていた。 マッスル商会の『特製スタミナ弁当』を毎日食べているおかげだろう。
「面を上げよ、エレオノーラ」
「はっ」
私が顔を上げると、陛下は玉座から立ち上がり、ゆっくりと階段を降りてきた。 そして、私の目の前で立ち止まると――。
「……すまなかった!」
なんと、国王陛下がいきなり頭を下げたのだ。 それも、ただの会釈ではない。腰を九十度に折る、最敬礼だ。
「陛下!? な、何をなさいますか!」
周囲の貴族たちがどよめく。 一国の王が、臣下の娘に頭を下げるなど前代未聞だ。
「よいのだ。これは王として、そして親としてのケジメだ」
陛下は頭を下げたまま、絞り出すように言った。
「愚かな息子、ジェラルドの暴挙により、そなたには多大なる迷惑と屈辱を与えてしまった。さらに、そなたが救ってくれた王都の危機に際しても、王家は無力であった。……全ては余の不徳の致すところ。心より詫びる」
「……陛下」
私は少しだけ驚いた。 あの馬鹿王子の親にしては、随分と殊勝な心がけだ。 まあ、ここで謝っておかないと、借金の返済期限を延ばしてもらえないという計算もあるのかもしれないが。
「頭をお上げください、陛下。過ぎたことですわ。それに、慰謝料(一億枚)の請求書は既に受理していただきましたし」
「う、うむ……。その件については、国庫が潤い次第、誠意を持って返済させてもらう……」
陛下は顔を引きつらせながら顔を上げた。 そして、コホンと咳払いをする。
「さて、今日そなたを呼んだのは、謝罪のためだけではない。……ジェラルドのことだ」
「ジェラルド殿下ですか? 彼なら今頃、我が領地の鉱山で『おはようございます! 今日も元気に掘ります!』と叫んでいる時間かと思いますが」
「……うむ。報告は受けておる。なんでも、ツルハシの使い方が上達し、新人賞をもらったとか」
「ええ。意外と才能があったみたいで。ミレーヌさんも食堂のおばちゃんとして人気者ですわ」
陛下は複雑そうな顔をした。 王位継承者が鉱夫として才能を開花させている現実は、親として喜ぶべきか悲しむべきか微妙なところだろう。
「だがな、エレオノーラよ。やはり、一国の王子がいつまでも人質……もとい、契約社員のままでは、対外的な体裁が悪いのだ」
「あら、では借金を一括返済していただけますの?」
「そ、それは無理だ! ない袖は振れぬ!」
陛下は慌てて手を振った。
「そこでだ。……余は考えた。借金をチャラにし、かつジェラルドを王都に連れ戻し、さらに我が国とマッスル商会の絆を強固にする、一石三鳥の妙案を」
「ほう? 伺いましょうか」
嫌な予感がする。 私の背中の「厄介事センサー」がビンビン反応している。
陛下はパチンと指を鳴らした。
「入れ! ジェラルド!」
ギィィィィィ……
謁見の間の脇にある小扉が開いた。 そこから現れた人物を見て、私は思わず「ぶっ」と吹き出しそうになった。
そこにいたのは、確かにジェラルド王子だった。 だが、私の知っている彼とは、シルエットがまるで違っていた。
かつては細身でヒョロヒョロとしていた身体は、一回り……いや、二回りほど大きくなっていた。 来ている服は王族の正装だが、パツパツだ。 胸板は厚く、腕は太く、そして肌は健康的な小麦色に焼けている。 鉱山での強制労働……もとい、筋肉トレーニングの成果が、遺憾なく発揮されていた。
「……父上、及びしましたか」
ジェラルドの声も、以前のような甲高いヒステリックなものではなく、腹の底から出る野太い低音に変わっていた。
「ジェラルド殿下? 随分と……逞しくなられましたわね」
私が声をかけると、彼はビクッと震え、私を見た。 その目には、以前のような傲慢さはなく、代わりに「現場監督(エレオノーラ)への畏怖」が刻まれていた。
「あ、ああ……エレオノーラ……会長。お久しぶりです……」
彼は条件反射的に直立不動になり、敬礼しそうになるのを必死に堪えていた。 完全に調教されている。ボブたちの教育は完璧だったようだ。
「ジェラルドよ。余の考えた妙案を実行する時だ。さあ、申してみよ」
陛下が促す。 ジェラルドはゴクリと唾を飲み込み、私の前に進み出た。 そして、ドスンと膝をついた。 土下座だ。 見事なフォームの土下座だ。
「エレオノーラ! すまなかった! 私が愚かだった! 君の偉大さ、そして筋肉の尊さを、鉱山の底で身をもって知った!」
彼は床に額をこすりつけながら叫んだ。
「君がいなければ、私は何もできない無能な男だ! 君が築き上げた商会、君が守ってくれた国、そして君の……その圧倒的なフィジカル! 全てが愛おしい!」
……ん? 雲行きが怪しくなってきた。
ジェラルドは顔を上げ、私の手を取ろうとした(私がサッと避けたので空を掴んだ)。
「だから、頼む! 婚約破棄を撤回させてくれ! もう一度、私と婚約してくれ! そして王妃となり、この国を……いや、マッスル商会の資産ごと、私を支えてくれ!」
シーン……。
謁見の間が静まり返った。 貴族たちは口をあんぐりと開けている。
要約するとこうだ。 「君の金と権力が欲しいから、ヨリを戻そう。そうすれば僕の借金もチャラになるし、君は王妃になれるし、ウィンウィンだよね?」 相変わらずのクズっぷりである。 筋肉はついたが、中身までは鍛えられなかったようだ。 いや、ある意味、その図太さは成長したと言えるかもしれない。
「……本気でおっしゃっていますの?」
私は冷ややかな声で尋ねた。 温度にして氷点下二十度くらいだ。
「も、もちろんだ! 父上も認めてくださっている!」
ジェラルドが陛下を見る。 陛下は「うむ」と頷いた。
「エレオノーラよ。ジェラルドは確かに愚かだが、王家の血筋だ。そなたが王妃となれば、マッスル商会は『王室御用達』となり、さらに箔がつく。そなたの実家の地位も盤石となる。悪い話ではあるまい?」
なるほど。 王家としては、私を取り込むことで、失った権威と財政を一気に回復したいわけだ。 実に政治的な、そして虫のいい話である。
私はため息をついた。 深くて長い、呆れ果てたため息だ。
「陛下、そして殿下。……一つ、勘違いなさっていませんか?」
「勘違い?」
「ええ。私が欲しいのは、『王妃』という肩書きでも、『王家の権威』でもありませんわ」
私は一歩前に出た。 ヒールの音が、カツンと響く。
「私が求めているのは、美味しいご飯を食べて、好きなだけ寝て、たまに魔獣を狩って運動する……そんな『自由なスローライフ』ですの」
私はジェラルドを見下ろした。
「王妃? 冗談じゃありませんわ。毎日窮屈なドレスを着て、つまらない公務に追われ、顔色の悪い貴族たちの相手をするなんて……刑務所の方がマシですわよ」
「なっ……! 刑務所の方がマシだと!?」
ジェラルドが絶句する。
「それに、殿下。貴方、鉱山で働いて少しはマシな顔つきになりましたけれど……まだまだですわ」
私は彼の上腕二頭筋をツンと指先で突いた。
「筋肉の付き方が甘い。あと、心の脂肪が落ちていません。そんな半端な男に、私の人生を預けるつもりはありませんことよ」
「そ、そんな……! 筋肉が足りないと言うのか!?」
「ええ。出直してらっしゃい。あと百年くらい」
私はニッコリと引導を渡した。 ジェラルドはガックリと項垂れた。
「ま、待ってくれエレオノーラ! ならば条件を変えよう!」
陛下が焦って食い下がる。
「公務は免除しよう! 好きなだけ畑を耕していい! 王城の庭を畑にしてもいい! だから、どうか……!」
王家も必死だ。 ここで私を逃せば、借金地獄が待っているのだから。
しかし、その時。
「――そこまでだ」
凛とした声が、謁見の間に響き渡った。 入り口の方ではない。 貴族たちの列の中から、一人の男が進み出てきた。
燃えるような赤髪。 精悍な顔立ち。 アルカディアの正装とは異なる、ドラグノフ帝国の軍服を完璧に着こなしたその姿。 ジークフリート殿下だ。
「ジ、ジークフリート皇太子殿下……!?」
国王陛下が驚く。 彼は来賓として招かれていたが、今の今まで静観していたのだ。
ジークフリート殿下は、私の隣に並ぶと、ジェラルド殿下を見下ろした。
「ジェラルド王子。……男として、あまりにも見苦しいぞ」
「な、なんだと……!?」
「一度捨てた女に、その女が成功したからといって縋り付く。しかも、借金返済のために利用しようとするなど……武人の風上にも置けん」
殿下の言葉は鋭く、そして正論だった。 ジェラルドは顔を真っ赤にして反論しようとしたが、殿下の発する覇気に押されて言葉が出ない。
「それに、アルカディア国王陛下。貴国の提案は、エレオノーラ嬢の才能を飼い殺しにするものだ」
ジークフリート殿下は陛下に向き直り、堂々と言い放った。
「彼女は王妃という枠に収まる器ではない。彼女はもっと広い世界で、自由に羽ばたくべきだ」
「そ、それは……他国の皇太子が口を出すことでは……」
「いいや、口を出させてもらう」
殿下は不敵に笑い、私の肩を抱き寄せた。
「なぜなら、彼女は我がドラグノフ帝国が貰い受けるからだ!」
「「「はぁぁぁぁぁぁッ!?」」」
謁見の間が、本日最大の大絶叫に包まれた。 私も驚いて殿下を見た。
「ちょ、殿下? 何をおっしゃっていますの?」
「マッスル商会の『特別顧問』としてだけではないぞ」
殿下は私を見つめ、真剣な眼差しで言った。
「エレオノーラ嬢。貴女を、我が帝国の『主席戦術教官』兼『宮廷料理長』……そして、ゆくゆくは私の『パートナー』として迎えたい」
「パートナーって……あの、その……」
私が珍しくしどろもどろになっていると、殿下はニカッと笑った。
「もちろん、貴女の望むスローライフは全面的に保証する。畑が欲しいなら、帝国の領土の半分を耕してもいい。魔獣狩りに行きたいなら、私がいつでもお供する。……どうだ? 王都の狭い城より、帝国の広大な大地の方が、貴女には似合っていると思うが?」
……なんてことだ。 この男、私のツボを完璧に押さえてきやがった。 「領土の半分を耕していい」なんてプロポーズ、聞いたことがない。 でも、私にとっては「愛してる」と言われるより百倍魅力的だ。
「く、くそぉぉぉ! ジークフリート! 貴様、横取りする気か!」
ジェラルドが立ち上がり、悔し紛れに叫ぶ。
「横取り? 落とし物を拾っただけだ。……もっとも、この宝石は重すぎて、貴様には支えきれんよ」
ジークフリート殿下は、ジェラルドを鼻で笑った。
「さあ、諦めろ。そして鉱山へ帰るんだな。貴様には、ツルハシがお似合いだ」
「う、うわぁぁぁぁん! 父上ぇぇぇ!」
ジェラルドは泣き出した。 しかし、陛下も首を横に振った。
「……勝負あったな。ジークフリート殿下の言う通りだ。余も、目が覚めたよ」
陛下は疲れたように玉座に座り直した。
「ジェラルドよ。……マッスル商会への出向期間を延長する。借金を完済するまで、王都の土を踏むことは許さん」
「そんなぁぁぁぁ!」
「衛兵! 連れて行け!」
ガシッ!
控えていたボブたち(衛兵のふりをして混じっていた)が、ジェラルドの両脇を抱えた。
「さあ、殿下! 現場が待ってますぜ!」 「今日は夜勤ッスよ! 遅刻したら減給ッス!」
「いやだぁぁ! もう穴は掘りたくないぃぃぃ!」
ジェラルドの悲鳴が遠ざかっていく。 二度目のドナドナである。 これにて、王子の求婚騒動は完全決着した。
◇
静けさを取り戻した謁見の間。 私はため息をつき、隣のジークフリート殿下を見た。
「……殿下。随分と大胆なことをおっしゃいましたわね」
「本心だとも。……まあ、すぐに返事をくれとは言わない」
殿下は私の手をそっと離した。
「今はまだ、貴女の商会と、この国の復興が最優先だろう。私は待つよ。……貴女が、私の隣で剣を振るう……じゃなかった、共に歩んでくれる日が来るのをね」
「ふふっ。剣を振るう方が楽しそうですわよ?」
「違いない」
私たちは笑い合った。 王妃という籠の鳥になるより、この人と世界中を旅して、美味しいものを食べて、たまに魔獣を殴り飛ばす人生の方が、遥かに楽しそうだ。 ……まあ、まだ「はい」とは言わないけれど。 焦らすのも、乙女の特権というものだ。
「陛下」
私は玉座に向き直った。
「今回の件、水に流しますわ。その代わり……」
「わかっておる。マッスル商会への営業許可証の永久更新と、関税の撤廃だな?」
「話が早くて助かりますわ。それと、ジェラルド殿下の給料は、私が直接管理させていただきますので」
「……うむ。好きにせよ」
陛下は遠い目をした。 息子が一生、私の商会で働き続ける未来が見えたのだろう。
こうして、私は王城を後にした。 隣には、楽しそうに鼻歌を歌うジークフリート殿下。 空は青く、風は心地よい。
「さあ、帰りましょうか。今日は畑のトマトが収穫頃ですわ」
「トマトか。今夜はカプレーゼだな」
「ワインも開けましょうか」
私のスローライフは、少し賑やかになりすぎたけれど、まあ、これはこれで悪くない。 だって、美味しいご飯と、楽しい仲間(と筋肉)があれば、人生はバラ色なのだから。
そんな謁見の間に、私は呼び出されていた。
「マッスル商会会長、エレオノーラ・ベルシュタイン嬢、入室!」
衛兵の声と共に、重厚な扉が開かれる。 私は、今日は戦闘服でもエプロンでもなく、久しぶりに令嬢らしいドレス(ただし、動きやすさを重視してスカートの中に隠し武器ポケットを縫い付けた特注品)を身に纏い、優雅に歩を進めた。
赤い絨毯の両脇には、貴族や大臣たちがずらりと並んでいる。 彼らの視線は、かつてのような侮蔑や嘲笑を含んだものではない。 畏怖、尊敬、そして「この機嫌を損ねたら国が滅ぶ(あるいは食料が買えなくなる)」という切実な恐怖に満ちていた。
「ごきげんよう、皆様」
私が軽く手を振ると、貴族たちがビクッと震え、一斉に深々と頭を下げた。 まるで風に靡く稲穂のようだ。 壮観である。
玉座の前まで進み、私はカーテシーをした。 そこに座っているのは、アルカディア国王、アルカディア三世陛下だ。 彼の顔色は以前より少し良くなっていた。 マッスル商会の『特製スタミナ弁当』を毎日食べているおかげだろう。
「面を上げよ、エレオノーラ」
「はっ」
私が顔を上げると、陛下は玉座から立ち上がり、ゆっくりと階段を降りてきた。 そして、私の目の前で立ち止まると――。
「……すまなかった!」
なんと、国王陛下がいきなり頭を下げたのだ。 それも、ただの会釈ではない。腰を九十度に折る、最敬礼だ。
「陛下!? な、何をなさいますか!」
周囲の貴族たちがどよめく。 一国の王が、臣下の娘に頭を下げるなど前代未聞だ。
「よいのだ。これは王として、そして親としてのケジメだ」
陛下は頭を下げたまま、絞り出すように言った。
「愚かな息子、ジェラルドの暴挙により、そなたには多大なる迷惑と屈辱を与えてしまった。さらに、そなたが救ってくれた王都の危機に際しても、王家は無力であった。……全ては余の不徳の致すところ。心より詫びる」
「……陛下」
私は少しだけ驚いた。 あの馬鹿王子の親にしては、随分と殊勝な心がけだ。 まあ、ここで謝っておかないと、借金の返済期限を延ばしてもらえないという計算もあるのかもしれないが。
「頭をお上げください、陛下。過ぎたことですわ。それに、慰謝料(一億枚)の請求書は既に受理していただきましたし」
「う、うむ……。その件については、国庫が潤い次第、誠意を持って返済させてもらう……」
陛下は顔を引きつらせながら顔を上げた。 そして、コホンと咳払いをする。
「さて、今日そなたを呼んだのは、謝罪のためだけではない。……ジェラルドのことだ」
「ジェラルド殿下ですか? 彼なら今頃、我が領地の鉱山で『おはようございます! 今日も元気に掘ります!』と叫んでいる時間かと思いますが」
「……うむ。報告は受けておる。なんでも、ツルハシの使い方が上達し、新人賞をもらったとか」
「ええ。意外と才能があったみたいで。ミレーヌさんも食堂のおばちゃんとして人気者ですわ」
陛下は複雑そうな顔をした。 王位継承者が鉱夫として才能を開花させている現実は、親として喜ぶべきか悲しむべきか微妙なところだろう。
「だがな、エレオノーラよ。やはり、一国の王子がいつまでも人質……もとい、契約社員のままでは、対外的な体裁が悪いのだ」
「あら、では借金を一括返済していただけますの?」
「そ、それは無理だ! ない袖は振れぬ!」
陛下は慌てて手を振った。
「そこでだ。……余は考えた。借金をチャラにし、かつジェラルドを王都に連れ戻し、さらに我が国とマッスル商会の絆を強固にする、一石三鳥の妙案を」
「ほう? 伺いましょうか」
嫌な予感がする。 私の背中の「厄介事センサー」がビンビン反応している。
陛下はパチンと指を鳴らした。
「入れ! ジェラルド!」
ギィィィィィ……
謁見の間の脇にある小扉が開いた。 そこから現れた人物を見て、私は思わず「ぶっ」と吹き出しそうになった。
そこにいたのは、確かにジェラルド王子だった。 だが、私の知っている彼とは、シルエットがまるで違っていた。
かつては細身でヒョロヒョロとしていた身体は、一回り……いや、二回りほど大きくなっていた。 来ている服は王族の正装だが、パツパツだ。 胸板は厚く、腕は太く、そして肌は健康的な小麦色に焼けている。 鉱山での強制労働……もとい、筋肉トレーニングの成果が、遺憾なく発揮されていた。
「……父上、及びしましたか」
ジェラルドの声も、以前のような甲高いヒステリックなものではなく、腹の底から出る野太い低音に変わっていた。
「ジェラルド殿下? 随分と……逞しくなられましたわね」
私が声をかけると、彼はビクッと震え、私を見た。 その目には、以前のような傲慢さはなく、代わりに「現場監督(エレオノーラ)への畏怖」が刻まれていた。
「あ、ああ……エレオノーラ……会長。お久しぶりです……」
彼は条件反射的に直立不動になり、敬礼しそうになるのを必死に堪えていた。 完全に調教されている。ボブたちの教育は完璧だったようだ。
「ジェラルドよ。余の考えた妙案を実行する時だ。さあ、申してみよ」
陛下が促す。 ジェラルドはゴクリと唾を飲み込み、私の前に進み出た。 そして、ドスンと膝をついた。 土下座だ。 見事なフォームの土下座だ。
「エレオノーラ! すまなかった! 私が愚かだった! 君の偉大さ、そして筋肉の尊さを、鉱山の底で身をもって知った!」
彼は床に額をこすりつけながら叫んだ。
「君がいなければ、私は何もできない無能な男だ! 君が築き上げた商会、君が守ってくれた国、そして君の……その圧倒的なフィジカル! 全てが愛おしい!」
……ん? 雲行きが怪しくなってきた。
ジェラルドは顔を上げ、私の手を取ろうとした(私がサッと避けたので空を掴んだ)。
「だから、頼む! 婚約破棄を撤回させてくれ! もう一度、私と婚約してくれ! そして王妃となり、この国を……いや、マッスル商会の資産ごと、私を支えてくれ!」
シーン……。
謁見の間が静まり返った。 貴族たちは口をあんぐりと開けている。
要約するとこうだ。 「君の金と権力が欲しいから、ヨリを戻そう。そうすれば僕の借金もチャラになるし、君は王妃になれるし、ウィンウィンだよね?」 相変わらずのクズっぷりである。 筋肉はついたが、中身までは鍛えられなかったようだ。 いや、ある意味、その図太さは成長したと言えるかもしれない。
「……本気でおっしゃっていますの?」
私は冷ややかな声で尋ねた。 温度にして氷点下二十度くらいだ。
「も、もちろんだ! 父上も認めてくださっている!」
ジェラルドが陛下を見る。 陛下は「うむ」と頷いた。
「エレオノーラよ。ジェラルドは確かに愚かだが、王家の血筋だ。そなたが王妃となれば、マッスル商会は『王室御用達』となり、さらに箔がつく。そなたの実家の地位も盤石となる。悪い話ではあるまい?」
なるほど。 王家としては、私を取り込むことで、失った権威と財政を一気に回復したいわけだ。 実に政治的な、そして虫のいい話である。
私はため息をついた。 深くて長い、呆れ果てたため息だ。
「陛下、そして殿下。……一つ、勘違いなさっていませんか?」
「勘違い?」
「ええ。私が欲しいのは、『王妃』という肩書きでも、『王家の権威』でもありませんわ」
私は一歩前に出た。 ヒールの音が、カツンと響く。
「私が求めているのは、美味しいご飯を食べて、好きなだけ寝て、たまに魔獣を狩って運動する……そんな『自由なスローライフ』ですの」
私はジェラルドを見下ろした。
「王妃? 冗談じゃありませんわ。毎日窮屈なドレスを着て、つまらない公務に追われ、顔色の悪い貴族たちの相手をするなんて……刑務所の方がマシですわよ」
「なっ……! 刑務所の方がマシだと!?」
ジェラルドが絶句する。
「それに、殿下。貴方、鉱山で働いて少しはマシな顔つきになりましたけれど……まだまだですわ」
私は彼の上腕二頭筋をツンと指先で突いた。
「筋肉の付き方が甘い。あと、心の脂肪が落ちていません。そんな半端な男に、私の人生を預けるつもりはありませんことよ」
「そ、そんな……! 筋肉が足りないと言うのか!?」
「ええ。出直してらっしゃい。あと百年くらい」
私はニッコリと引導を渡した。 ジェラルドはガックリと項垂れた。
「ま、待ってくれエレオノーラ! ならば条件を変えよう!」
陛下が焦って食い下がる。
「公務は免除しよう! 好きなだけ畑を耕していい! 王城の庭を畑にしてもいい! だから、どうか……!」
王家も必死だ。 ここで私を逃せば、借金地獄が待っているのだから。
しかし、その時。
「――そこまでだ」
凛とした声が、謁見の間に響き渡った。 入り口の方ではない。 貴族たちの列の中から、一人の男が進み出てきた。
燃えるような赤髪。 精悍な顔立ち。 アルカディアの正装とは異なる、ドラグノフ帝国の軍服を完璧に着こなしたその姿。 ジークフリート殿下だ。
「ジ、ジークフリート皇太子殿下……!?」
国王陛下が驚く。 彼は来賓として招かれていたが、今の今まで静観していたのだ。
ジークフリート殿下は、私の隣に並ぶと、ジェラルド殿下を見下ろした。
「ジェラルド王子。……男として、あまりにも見苦しいぞ」
「な、なんだと……!?」
「一度捨てた女に、その女が成功したからといって縋り付く。しかも、借金返済のために利用しようとするなど……武人の風上にも置けん」
殿下の言葉は鋭く、そして正論だった。 ジェラルドは顔を真っ赤にして反論しようとしたが、殿下の発する覇気に押されて言葉が出ない。
「それに、アルカディア国王陛下。貴国の提案は、エレオノーラ嬢の才能を飼い殺しにするものだ」
ジークフリート殿下は陛下に向き直り、堂々と言い放った。
「彼女は王妃という枠に収まる器ではない。彼女はもっと広い世界で、自由に羽ばたくべきだ」
「そ、それは……他国の皇太子が口を出すことでは……」
「いいや、口を出させてもらう」
殿下は不敵に笑い、私の肩を抱き寄せた。
「なぜなら、彼女は我がドラグノフ帝国が貰い受けるからだ!」
「「「はぁぁぁぁぁぁッ!?」」」
謁見の間が、本日最大の大絶叫に包まれた。 私も驚いて殿下を見た。
「ちょ、殿下? 何をおっしゃっていますの?」
「マッスル商会の『特別顧問』としてだけではないぞ」
殿下は私を見つめ、真剣な眼差しで言った。
「エレオノーラ嬢。貴女を、我が帝国の『主席戦術教官』兼『宮廷料理長』……そして、ゆくゆくは私の『パートナー』として迎えたい」
「パートナーって……あの、その……」
私が珍しくしどろもどろになっていると、殿下はニカッと笑った。
「もちろん、貴女の望むスローライフは全面的に保証する。畑が欲しいなら、帝国の領土の半分を耕してもいい。魔獣狩りに行きたいなら、私がいつでもお供する。……どうだ? 王都の狭い城より、帝国の広大な大地の方が、貴女には似合っていると思うが?」
……なんてことだ。 この男、私のツボを完璧に押さえてきやがった。 「領土の半分を耕していい」なんてプロポーズ、聞いたことがない。 でも、私にとっては「愛してる」と言われるより百倍魅力的だ。
「く、くそぉぉぉ! ジークフリート! 貴様、横取りする気か!」
ジェラルドが立ち上がり、悔し紛れに叫ぶ。
「横取り? 落とし物を拾っただけだ。……もっとも、この宝石は重すぎて、貴様には支えきれんよ」
ジークフリート殿下は、ジェラルドを鼻で笑った。
「さあ、諦めろ。そして鉱山へ帰るんだな。貴様には、ツルハシがお似合いだ」
「う、うわぁぁぁぁん! 父上ぇぇぇ!」
ジェラルドは泣き出した。 しかし、陛下も首を横に振った。
「……勝負あったな。ジークフリート殿下の言う通りだ。余も、目が覚めたよ」
陛下は疲れたように玉座に座り直した。
「ジェラルドよ。……マッスル商会への出向期間を延長する。借金を完済するまで、王都の土を踏むことは許さん」
「そんなぁぁぁぁ!」
「衛兵! 連れて行け!」
ガシッ!
控えていたボブたち(衛兵のふりをして混じっていた)が、ジェラルドの両脇を抱えた。
「さあ、殿下! 現場が待ってますぜ!」 「今日は夜勤ッスよ! 遅刻したら減給ッス!」
「いやだぁぁ! もう穴は掘りたくないぃぃぃ!」
ジェラルドの悲鳴が遠ざかっていく。 二度目のドナドナである。 これにて、王子の求婚騒動は完全決着した。
◇
静けさを取り戻した謁見の間。 私はため息をつき、隣のジークフリート殿下を見た。
「……殿下。随分と大胆なことをおっしゃいましたわね」
「本心だとも。……まあ、すぐに返事をくれとは言わない」
殿下は私の手をそっと離した。
「今はまだ、貴女の商会と、この国の復興が最優先だろう。私は待つよ。……貴女が、私の隣で剣を振るう……じゃなかった、共に歩んでくれる日が来るのをね」
「ふふっ。剣を振るう方が楽しそうですわよ?」
「違いない」
私たちは笑い合った。 王妃という籠の鳥になるより、この人と世界中を旅して、美味しいものを食べて、たまに魔獣を殴り飛ばす人生の方が、遥かに楽しそうだ。 ……まあ、まだ「はい」とは言わないけれど。 焦らすのも、乙女の特権というものだ。
「陛下」
私は玉座に向き直った。
「今回の件、水に流しますわ。その代わり……」
「わかっておる。マッスル商会への営業許可証の永久更新と、関税の撤廃だな?」
「話が早くて助かりますわ。それと、ジェラルド殿下の給料は、私が直接管理させていただきますので」
「……うむ。好きにせよ」
陛下は遠い目をした。 息子が一生、私の商会で働き続ける未来が見えたのだろう。
こうして、私は王城を後にした。 隣には、楽しそうに鼻歌を歌うジークフリート殿下。 空は青く、風は心地よい。
「さあ、帰りましょうか。今日は畑のトマトが収穫頃ですわ」
「トマトか。今夜はカプレーゼだな」
「ワインも開けましょうか」
私のスローライフは、少し賑やかになりすぎたけれど、まあ、これはこれで悪くない。 だって、美味しいご飯と、楽しい仲間(と筋肉)があれば、人生はバラ色なのだから。
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「一人で食べるのは味気ないわ。手当てのお礼に一緒に食べてくれると嬉しいんだけど」
二人の奇妙な共同生活が始まる。ギルが獲ってくる肉を食べ、共に笑い、カタリーナは本来の瑞々しい美しさを取り戻していく。しかしカタリーナは知らなかった。彼が王位継承争いから身を隠していた最強の第三王子であることを――。
※ふんわり設定です。
※他サイトにも掲載中です。
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