捨てた側が後悔する頃、私は甘やかされてます ~断罪イベント? 祝杯です。冷徹公爵が最速で囲い込みに来ました~

放浪人

文字の大きさ
2 / 31

第二話 冷徹公爵、求婚が早すぎる

しおりを挟む
「……あ、あの、クロード様? 甘やかす、とは……?」

私の腰に回された腕は、細身の見た目からは想像もつかないほど力強く、それでいて壊れ物を扱うように慎重だった。 至近距離にあるクロード様の顔は、相変わらず彫刻のように整っており、表情筋が死滅しているのではないかと疑うほど動かない。

「言葉通りの意味だ。君はこれまで、過剰な労働と理不尽な精神的負荷に耐えてきた。これからはその対価として、相応の安息と幸福が提供されるべきだ」

淡々と、まるで予算会議の報告書でも読み上げるかのような口調。 しかし、その内容はあまりにも甘美で、私の脳みそはショート寸前だった。

「ちょ、ちょっと待ってくれクロード!」

思考停止していたリオネル殿下が、ようやく再起動したらしい。 彼は慌てた様子で、私とクロード様の間に割って入ろうとした――が、クロード様の一瞥を受けただけで、見えない壁に阻まれたように足を止めた。 さすが筆頭宮廷魔術師でもある公爵様。無詠唱の結界だろうか。

「何だ、殿下。私は今、非常に重要な商談……いや、求婚を行っているのだが」

「きゅ、求婚だと!? 正気か! その女はたった今、私が捨てたばかりの『傷物』だぞ! 王太子に婚約破棄された女など、どの家も貰い手がつくはずがない!」

リオネル殿下は顔を歪め、私を指さして嘲笑うように言った。

「見ろ、その可愛げのない顔を。男を立てることも知らず、常に仕事のことばかり。色気もなければ愛嬌もない。そんな女を公爵家の夫人に? 物好きなことだな!」

その言葉に、胸がチクリと痛む……ことはなかった。 むしろ「はいはい、いつものやつですね」と聞き流せるレベルだ。 私は十二年間、この罵倒をBGM代わりに書類を捌いてきたのだから。

けれど、私の隣に立つ氷の公爵は違った。

「……殿下。眼科医の手配が必要ですか?」

「なに?」

「君には、彼女の何が見えていたんだ」

クロード様の声の温度が、氷点下まで下がった気がした。 彼は私の方を見ることなく、冷ややかな視線をリオネル殿下に固定したまま言い放つ。

「彼女が処理していた公務の量は、殿下の約三倍。しかもその全てにおいて、ミスはゼロ。他国の来賓との調整、予算の最適化、さらには殿下が起こした不祥事の隠蔽工作まで、彼女は完璧に遂行してきた。これを『可愛げがない』と言うのなら、殿下が求めているのは婚約者ではなく、ただの愛玩人形だろう」

会場が静まり返る。 誰もが薄々感づいていたけれど、口に出せなかった事実。 それを宰相補佐という立場の人間が、公衆の面前で王太子に叩きつけたのだ。

「そ、それは……だが、女としての魅力が……」

「魅力? ありますよ」

クロード様は即答した。

「逆境においても折れない強さ。感情に流されず、最適解を選び取る知性。そして何より――」

彼はふと視線を私に戻すと、空いている方の手で私の髪を一房すくい上げ、口元に寄せた。

「自由になった瞬間の、あの晴れやかな笑顔。……あれを見て、心が動かない男がいるとは思えない」

ドクン、と。 不覚にも心臓が大きな音を立てた。 そんなふうに見られていたなんて。 ただ「やったー!」と喜んでいただけなのに。

「……というわけで、レティシア嬢。改めて提案させてほしい」

クロード様は真剣な眼差しで私を見つめた。 まるで国家プロジェクトのプレゼンテーションを行うかのように、流暢に言葉を紡ぎ出す。

「私と結婚してくれ。契約内容は以下の通りだ」

彼は指を一本ずつ立てて説明を始めた。

「第一に、君の衣食住は最高水準のものを保証する。屋敷の使用人は君の命令を最優先とし、食事は君の好みを完全に把握した専属シェフを用意した」

「は、はい」

「第二に、面倒な社交や公務は私が全て引き受ける。君は好きな時に起き、好きな本を読み、好きなことだけをして過ごせばいい。もちろん、働きたくなったら領地の経営に口を出しても構わないが、義務ではない」

「……えっ?」

「第三に、君を傷つけるあらゆる要因――物理的な攻撃から精神的なストレス、不快な雑音に至るまで――は、私が全力を挙げて排除する。君が眉をひそめるような事態は、私の管理能力不足とみなしてくれ」

「……」

あまりの好条件に、私は口をパクパクと開閉させることしかできなかった。 それは、私が十二年間夢見てきた「理想の隠居生活」そのものではないか。 いや、それ以上の「王侯貴族のような極楽生活」が提示されている。

しかし。 あまりにも話がうますぎる。 私は実務派の悪役令嬢だ。タダより高いものはないと知っている。

「……あの、クロード様。条件は破格ですが、肝心なことが抜けています」

「何だ? 予算なら心配ない。私の個人資産は国家予算の二割に相当する」

「お金の話ではありません! ……その、結婚となれば、必要なものがあるでしょう?」

私は少し顔を赤らめながら、けれど努めて冷静に問いかけた。

「私たち、ほとんど会話もしたことがありませんよね? そこには……『愛』はあるのですか?」

そう。 これは契約結婚の提案なのだろうか、それとも求愛なのだろうか。 彼の態度は熱烈だが、語っている内容はあまりにも事務的だ。

私の問いに、クロード様はきょとんとした顔をした。 そして、わずかに首を傾げる。

「愛、か。……現時点では、私が君に対し『極めて高い関心と好意』を抱いていることは事実だ。君を見ていると、胸の奥が妙に騒がしくなる。これが恋なのかどうかは、まだ解析中だが」

解析中。 恋愛感情を解析する人を初めて見た。

「だが、愛はこれから育てればいい。違うか? 少なくとも私は、君を誰よりも大切にすると誓える。君が望むなら、毎日愛の言葉を囁くし、贈り物は日替わりで用意しよう。君が私の隣で笑っていてくれるなら、手段は問わない」

その言葉は、不器用だけれど、驚くほど真っ直ぐだった。 リオネル殿下のように「愛している」と口先だけで言いながら、行動が伴わない人とは正反対だ。 「好き」という言葉はなくても、この人は私を全力で守ろうとしてくれている。

(……悪くない、かも)

正直、恋だの愛だのはもう懲り懲りだと思っていた。 でも、こんなふうに「君が必要だ」「大切にする」と具体的に提示されると、疲弊した心に染み渡るものがある。

それに何より。 今ここで彼の手を取らなければ、私は「傷物の元婚約者」として、実家の公爵家でも肩身の狭い思いをすることになるだろう。 それなら、このハイスペックで変人……いや、誠実そうな公爵様に賭けてみるのも、一つの「最適解」ではないだろうか。

私は深呼吸をして、彼の瞳を見つめ返した。

「……クロード様。貴方のご提案、非常に魅力的です。ですが、私は可愛げのない女ですよ? 甘やかされても、気の利いたお礼の一つも言えないかもしれません」

「構わない。君が快適そうにしている姿を見ることが、私にとっての報酬だ」

「……本当に、物好きな方ですね」

私は小さく笑って、差し出されたままの彼の手を、そっと握り返した。

「分かりました。その契約……お受けいたします」

その瞬間。 クロード様の鉄仮面が、ふわりと緩んだ。 初めて見る、彼の微かな笑み。 それは、見てはいけない秘宝を見てしまったかのような、破壊力抜群の美しさだった。

「――成立だ」

彼は私の手を強く握り締めると、今度こそ私を横抱きに抱え上げた。 いわゆる、お姫様抱っこだ。

「きゃっ!?」

「では行こう、我が婚約者殿。夜風は体に毒だ」

「ちょ、歩けます! 下ろしてください!」

「却下する。これも『甘やかし』の一環だ」

クロード様は私の抗議など意に介さず、スタスタと出口へ向かって歩き出した。

呆気に取られていた周囲の貴族たちが、ようやく事態を飲み込み、どよめき始める。 そして、完全に蚊帳の外に置かれていたリオネル殿下が、焦燥に駆られたように叫んだ。

「ま、待て! 待てと言うに! レティシア、本気なのか!? その男は『氷の公爵』だぞ! 血も涙もない冷血漢だ! 私のもとを離れて、そんな男のところに行けば……後悔することになるぞ!」

クロード様が足を止める。 振り返りもせず、背中越しに冷ややかな声を投げかけた。

「後悔? ……するのは殿下の方だ」

「なっ……」

「失ってから気づいても遅い。彼女はもう、私のものだ」

言い捨てると、クロード様は扉を蹴り開けた(行儀が悪いけれど、両手が塞がっているから仕方ない)。 夜の冷たい空気が流れ込んでくる。 けれど、彼の腕の中は驚くほど温かかった。

背後で「レティシア! 戻ってこい!」という王太子の情けない叫び声が聞こえたけれど、私はもう振り返らなかった。

だって、私には待っているのだ。 安眠まくらと、美味しい紅茶と、読みかけの小説が。 そして、「甘やかす」と宣言してくれた、この不思議な新しい婚約者が。

馬車に乗り込む直前、私はクロード様の胸元に顔を埋めながら、小さく呟いた。

「……覚悟しておいてくださいね。私、甘やかされることには慣れていませんから、手がかかりますよ?」

クロード様は、満足げに鼻を鳴らした。

「望むところだ。私の情報収集能力と実行力を甘く見ないでもらいたい」

こうして。 私の波乱万丈な婚約破棄イベントは、予想外のハッピースピード婚(仮)へと変貌を遂げたのだった。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

婚約破棄されましたが、帝国皇女なので元婚約者は投獄します

けんゆう
ファンタジー
「お前のような下級貴族の養女など、もう不要だ!」 婚約者として五年間尽くしたフィリップに、冷たく告げられたソフィア。 他の貴族たちからも嘲笑と罵倒を浴び、社交界から追放されかける。 だが、彼らは知らなかった――。 ソフィアは、ただの下級貴族の養女ではない。 そんな彼女の元に届いたのは、隣国からお兄様が、貿易利権を手土産にやってくる知らせ。 「フィリップ様、あなたが何を捨てたのかーー思い知らせて差し上げますわ!」 逆襲を決意し、華麗に着飾ってパーティーに乗り込んだソフィア。 「妹を侮辱しただと? 極刑にすべきはお前たちだ!」 ブチギレるお兄様。 貴族たちは青ざめ、王国は崩壊寸前!? 「ざまぁ」どころか 国家存亡の危機 に!? 果たしてソフィアはお兄様の暴走を止め、自由な未来を手に入れられるか? 「私の未来は、私が決めます!」 皇女の誇りをかけた逆転劇、ここに開幕!

さようなら婚約者

あんど もあ
ファンタジー
アンジュは、五年間虐げられた婚約者から婚約破棄を告げられる。翌日、カバン一つを持って五年住んだ婚約者の家を去るアンジュ。一方、婚約者は…。

真実の愛に祝福を

あんど もあ
ファンタジー
王太子が公爵令嬢と婚約破棄をした。その後、真実の愛の相手の男爵令嬢とめでたく婚約できたのだが、その先は……。

お姫様は死に、魔女様は目覚めた

悠十
恋愛
 とある大国に、小さいけれど豊かな国の姫君が側妃として嫁いだ。  しかし、離宮に案内されるも、離宮には侍女も衛兵も居ない。ベルを鳴らしても、人を呼んでも誰も来ず、姫君は長旅の疲れから眠り込んでしまう。  そして、深夜、姫君は目覚め、体の不調を感じた。そのまま気を失い、三度目覚め、三度気を失い、そして…… 「あ、あれ? えっ、なんで私、前の体に戻ってるわけ?」  姫君だった少女は、前世の魔女の体に魂が戻ってきていた。 「えっ、まさか、あのまま死んだ⁉」  魔女は慌てて遠見の水晶を覗き込む。自分の――姫君の体は、嫁いだ大国はいったいどうなっているのか知るために……

地味な私では退屈だったのでしょう? 最強聖騎士団長の溺愛妃になったので、元婚約者はどうぞお好きに

有賀冬馬
恋愛
「君と一緒にいると退屈だ」――そう言って、婚約者の伯爵令息カイル様は、私を捨てた。 選んだのは、華やかで社交的な公爵令嬢。 地味で無口な私には、誰も見向きもしない……そう思っていたのに。 失意のまま辺境へ向かった私が出会ったのは、偶然にも国中の騎士の頂点に立つ、最強の聖騎士団長でした。 「君は、僕にとってかけがえのない存在だ」 彼の優しさに触れ、私の世界は色づき始める。 そして、私は彼の正妃として王都へ……

幼馴染みの婚約者が「学生時代は愛する恋人と過ごさせてくれ」と言ってきたので、秒で婚約解消を宣言した令嬢の前世が、社畜のおっさんだった件。

灯乃
ファンタジー
子爵家の総領娘である令嬢の前に、巨乳美少女と腕を組んだ婚約者がやってきた。 曰く、「学生時代くらいは、心から愛する恋人と自由に過ごしたい。それくらい、黙って許容しろ」と。 婚約者を甘やかし過ぎていたことに気付いた彼女は、その場で婚約解消を宣言する。 前半はたぶん普通の令嬢もの、後半はおっさんコメディーです。

【完結】死に戻り8度目の伯爵令嬢は今度こそ破談を成功させたい!

雲井咲穂(くもいさほ)
恋愛
アンテリーゼ・フォン・マトヴァイユ伯爵令嬢は婚約式当日、婚約者の逢引を目撃し、動揺して婚約式の会場である螺旋階段から足を滑らせて後頭部を強打し不慮の死を遂げてしまう。 しかし、目が覚めると確かに死んだはずなのに婚約式の一週間前に時間が戻っている。混乱する中必死で記憶を蘇らせると、自分がこれまでに前回分含めて合計7回も婚約者と不貞相手が原因で死んでは生き返りを繰り返している事実を思い出す。 婚約者との結婚が「死」に直結することを知ったアンテリーゼは、今度は自分から婚約を破棄し自分を裏切った婚約者に社会的制裁を喰らわせ、婚約式というタイムリミットが迫る中、「死」を回避するために奔走する。 ーーーーーーーーー 2024/01/13 ランキング→恋愛95位 ありがとうございました! なろうでも掲載20万PVありがとうございましたっ!

婚約破棄された翌日、兄が王太子を廃嫡させました

由香
ファンタジー
婚約破棄の場で「悪役令嬢」と断罪された伯爵令嬢エミリア。 彼女は何も言わずにその場を去った。 ――それが、王太子の終わりだった。 翌日、王国を揺るがす不正が次々と暴かれる。 裏で糸を引いていたのは、エミリアの兄。 王国最強の権力者であり、妹至上主義の男だった。 「妹を泣かせた代償は、すべて払ってもらう」 ざまぁは、静かに、そして確実に進んでいく。

処理中です...