捨てた側が後悔する頃、私は甘やかされてます ~断罪イベント? 祝杯です。冷徹公爵が最速で囲い込みに来ました~

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第三話 悪役令嬢、荷造りが秒速

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王城を後にした漆黒の馬車は、石畳を滑るように走り、私の実家であるヴァルモン公爵邸へと向かっていた。

車内には、心地よい静寂が流れている。 向かいの席には、この国の宰相補佐であり、私の新しい婚約者(仮)となったクロード様が優雅に足を組んで座っていた。 窓の外を流れる夜景を眺めているその横顔は、ため息が出るほど整っているけれど、やはりどこか冷ややかな空気を纏っている。

「……あの、クロード様」

「なんだ」

「本当に、私の実家までついて来られるおつもりですか? 荷物をまとめるだけですし、すぐ終わりますけれど」

私が恐る恐る尋ねると、クロード様は視線をこちらに向けた。

「当然だ。君を一人にすれば、実家の人間が何を言うか分からない。それに、君の『荷造り』の手際にも興味がある」

「興味、ですか?」

「ああ。断罪から祝杯までのあの速度だ。荷造りもさぞ効率的だろうと予測している」

試されているのだろうか。 私は小さく苦笑した。 残念ながら、私の荷造りスキルは「効率的」なんて生易しいものではない。 なにせ、いつか来るこの日(婚約破棄)のために、水面下で着々と準備を進めてきたのだから。

          ◇

ヴァルモン公爵邸に到着すると、屋敷の中はすでに就寝時間を過ぎて静まり返っていた。 突然の帰宅、しかも「氷の公爵」連れという異常事態に、出迎えた執事が目を白黒させている。 父や母への説明は後回しだ。まずは自分の部屋へ行き、必要なものを回収しなければならない。

「私の部屋はこちらです。……少し散らかっているかもしれませんが」

私はクロード様を案内し、自室の扉を開けた。

そこには、すでに「戦支度」を終えた空間が広がっていた。

部屋の中央には、旅行用のトランクが三つ、整然と並んでいる。 本棚は空っぽで、クローゼットの中身も最小限。 まるで、夜逃げの前日のような光景だ。

「……これは」

クロード様が目を丸くする。 私の後ろに控えていた侍女のエマが、すかさず補足説明に入った。

「お嬢様は、いつかリオネル殿下に愛想を尽かされる日を予測し、三ヶ月前から少しずつ私物を整理しておられました。このトランクには、当面の生活必需品と、厳選された愛読書が詰め込まれています」

「三ヶ月前から?」

「はい。『いつ破棄されてもいいように、身軽にしておくのが大人のマナーよ』と仰って」

エマの言葉に、クロード様が口元を手で覆った。 肩が小刻みに震えている。 ……もしかして、笑われているのだろうか。

「素晴らしい……。君は本当に、期待を裏切らないな」

「褒め言葉として受け取っておきます。さあエマ、残りの小物を片付けてしまいましょう」

私はてきぱきと指示を出した。 残っているのは、机の引き出しの中身と、飾り棚に置かれたいくつかの装飾品だけだ。

エマが手際よく動き回る中、私は机の最下段にある大きな引き出しを開けた。 そこには、リオネル殿下から贈られた「思い出の品々」が詰め込まれていた。 誕生日にもらった宝石箱(私の趣味ではない派手なピンク色)。 記念日に贈られた詩集(殿下の自作ポエム入り)。 そして、山のような手紙の束。

私は部屋の隅に用意していた、頑丈そうな木箱を指差した。

「エマ、この引き出しの中身、全部あの箱に入れて」

「かしこまりました。……ええと、分類は?」

「不要。全部まとめて放り込んで」

私の即答に、エマが一瞬だけ動きを止めた。

「お嬢様、この手紙の束……封が切られていないものが大半ですが?」

「ああ、それは殿下からの謝罪文や言い訳の手紙ね。読むと精神衛生上よろしくないから、届いた瞬間に引き出しに封印していたの」

「……読まずに?」

「ええ。どうせ『僕を理解してくれ』とか『君が悪い』とか書いてあるだけだもの。読む時間がもったいないでしょう?」

私は冷ややかに言い放ち、宝石箱や詩集も次々と木箱へ投げ入れていった。 ガラクタを処分するような手際だった。 最後に、重厚な蓋を閉め、その上から魔力で厳重な封印を施す。

「よし、完了。名付けて『後悔箱』よ」

「後悔箱?」

クロード様が興味深そうに尋ねてくる。

「はい。いつか殿下が『あの頃はよかった』なんて泣きついてきた時に、これを突き返して差し上げるための箱です。『貴方との思い出は、これだけ大切に(封印して)保管しておりました』と言って」

「……なるほど。中身を見ることもなく、そのまま返品するわけか」

「返品不可と書いた札を貼っておけば完璧ですね」

私が悪戯っぽく微笑むと、クロード様は声を上げて笑った。 低く、艶のある笑い声だ。

「君は……本当に面白い。かつての恋人への未練など、欠片もないのだな」

「未練なんて、あるわけがありません。私にとってあの婚約は、ただの『業務』でしたから」

私は立ち上がり、埃を払うように手を叩いた。 部屋の中はこれですっかり空っぽだ。 私という人間がここにいた痕跡を、きれいさっぱり消し去ったような爽快感があった。

「さあ、これで準備は完了です。エマ、荷物の搬出をお願い。お父様たちへの書き置きは、机の上に置いてあるわ」

「はい、お嬢様。……本当に、お発ちになるのですね」

エマが少し寂しそうな顔をする。 私は彼女の手を握り締めた。

「エマも一緒に来てくれるでしょう? クロード様の屋敷には、優秀な侍女が必要不可欠だもの」

「もちろんです! お嬢様がいる場所が、私の職場ですから」

エマが力強く頷く。 これで憂いはない。

「では、行こうか。私の屋敷の者が、すでに馬車への積み込み準備を終えているはずだ」

クロード様が扉を開けてエスコートしてくれた。 廊下に出ると、実家の使用人たちが遠巻きにこちらを見ているのが分かったけれど、私は胸を張って歩いた。

「悪役令嬢」として追放される惨めな姿ではない。 新しい雇い主(婚約者)と共に、より良い職場環境へと転職するキャリアウーマンの姿だ。 そう自分に言い聞かせると、足取りが羽のように軽くなった。

          ◇

再び馬車に揺られること三十分。 私たちは、王都の一等地に構えられたアルヴァレス公爵邸に到着した。

門をくぐると、そこには広大な庭園と、美術館のように洗練された石造りの屋敷が広がっていた。 深夜だというのに、玄関ホールには明かりが灯り、多くの使用人たちが整列して出迎えてくれた。

「お帰りなさいませ、旦那様。そして、ようこそお越しくださいました、レティシア様」

初老の家令が深々と頭を下げる。 その動作の洗練された美しさに、この家の質の高さが窺えた。

「ありがとう、セバス。部屋の準備は?」

「万端に整えております。旦那様のご指示通り、完璧に」

「ご苦労」

クロード様は私に向き直ると、どこか誇らしげな表情で言った。

「さあ、案内しよう。今日からここが、君の城だ」

私たちは大階段を上がり、二階の奥にある一室へと向かった。 重厚な扉の前で、クロード様が足を止める。

「開けてみてくれ」

促されるまま、私はノブに手をかけた。 ガチャリ、という音と共に、扉がゆっくりと開く。

その瞬間。 私は言葉を失った。

「……え?」

そこにあったのは、ただの豪華な客間ではなかった。

壁紙は、私の瞳の色と同じ落ち着いたペールブルー。 窓辺には、読書に最適そうな座り心地の良さそうな一人掛けのソファ。 そして壁一面に備え付けられた本棚には、私がまだ読んでいない新作の恋愛小説や、絶版になって諦めていた希少な魔道書が、ぎっしりと並べられていたのだ。

さらに、部屋の隅にあるサイドテーブルには、私が愛飲している紅茶の銘柄の缶が、何種類も積み上げられている。

「こ、これは……」

「君の好みを調査し、再現させた。ベッドの硬さも、君が実家で使っていたものより少し柔らかめに設定してある。安眠にはそのほうが効果的だからな」

クロード様が私の背後から、淡々と、しかし優しさを滲ませた声で告げた。

「君がここで、何にも縛られず、心からくつろげるように。……気に入ってくれただろうか」

気に入る? そんなレベルではない。 これは、私が夢の中で描いていた「理想の自室」そのものだ。

「……どうして、私の好みをここまで……」

「言っただろう。私は君に関することは、全て把握していると」

彼は事もなげに言うけれど、これだけの準備を整えるのに、どれほどの手間と時間をかけたのだろうか。 まだ私が婚約破棄されるかどうかも分からなかったはずなのに。

「……クロード様」

私は振り返り、彼の顔を見上げた。 その瞳は、私の反応を待って、少しだけ不安そうに揺れていた。 その人間らしい表情に、私の胸がじんわりと温かくなる。

「……最高です。これ以上の幸せはありません」

私が素直な感想を伝えると、クロード様はようやく安心したように、ふっと表情を緩ませた。

「それはよかった。……では、今日はもう遅い。ゆっくり休むといい」

「はい。ありがとうございます、クロード様」

「おやすみ、レティシア」

彼が部屋を出て行き、扉が閉まる。 後に残された私は、夢のような部屋の中心で、大きく息を吸い込んだ。

ふかふかの絨毯。 新書のインクの匂い。 そして、微かに香るクロード様の残り香。

「……私、本当に自由になったのね」

ソファに身を投げ出し、天井を見上げる。 これからは、あの「後悔箱」を開けるような日は二度と来ない。 そう確信できるほど、今の私は満たされていた。

けれど、私はまだ知らなかったのだ。 この屋敷での「甘やかし」が、こんな序の口では終わらないということを。 翌朝から始まるクロード様の過剰なまでの溺愛に、私の理性が悲鳴を上げることになるなんて、この時の私はまだ想像もしていなかった。
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