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第8話:『彼との距離が縮まる夕暮れ。どうして騎士様(仮)は、こんなに私の扱いが上手なんでしょうか』
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リゾート開発顧問としての初仕事(宿不足の解消と予約システムの構築)を華麗に成功させた翌日。 私は、久方ぶりの「完全オフ」を迎えていた。
祖父からは「昨日はよくやった! 今日は褒美として、レオンを連れて城下町で遊んでくるといい。支払いはすべてこのブラックカード(領主家のツケ)でな!」と送り出された。 祖父本人は「昨日導入したシステムが面白くて仕方がない」らしく、観光協会の事務所に入り浸っている。 あの『氷の宰相』が、受付カウンターで「ほう、ここでチケットを切り取るのか!」と目を輝かせている姿を想像すると、少しおかしい。
「……というわけで、レオン。今日は私の『接待』に付き合ってもらうわよ」
屋敷の玄関ホールで、私は振り返って言った。
「ああ、喜んで。君のエスコートができるなんて光栄だよ」
そこに立っていたのは、今日も今日とて爽やかさが服を着て歩いているような美青年、レオンだった。 彼は祖父のクローゼットから発掘された、三十年前の流行だという麻のカジュアルシャツを着ていたが、不思議と古臭さを感じさせない。 むしろ、開襟具合が絶妙で、大人の色気を醸し出している。 ……素材(顔と体)が良いと、何を着ても様になるのね。ちょっと悔しい。
対する私は、祖母が見立ててくれた水色のサマードレス。 背中が少し大胆に空いたデザインで、王都なら「はしたない」と眉をひそめられそうだが、ここではこれが正装だ。 麦わら帽子を目深に被り、私は足取り軽く屋敷を出た。
「さあ、行きましょう! 今日は食べ歩きツアーよ!」
◇
フェルゼン辺境伯領の城下町は、王都のそれとは全く違っていた。 まず、道が広い。 そして、建物が低い。 王都のように空を遮るような高い石造りの建物はなく、白壁にオレンジ色の屋根をした可愛らしい家々が、海からの風を通すようにゆったりと並んでいる。
メインストリートには、観光客向けの土産物屋や飲食店が軒を連ね、あちこちから陽気な音楽と、美味しそうな匂いが漂っていた。
「へぇ……活気があるな」
レオンがキョロキョロと辺りを見回す。
「王都の下町も賑やかだが、ここは空気が違う。みんなが心から楽しそうだ」
「ええ。ここでは『楽しむこと』が一番の仕事みたいなものですから」
私たちは、市場(マルシェ)のエリアへと足を踏み入れた。 色とりどりのテントの下に、見たこともないような南国のフルーツや、珍しい細工物が並んでいる。
「あ、見てレオン! 『星の実(スターフルーツ)』よ! これ、王都だと一粒で銀貨一枚はするのに、ここではカゴ盛りで銅貨三枚だわ!」
「安いな! ……というか、その形、本当に星みたいだ」
「食べてみる? おじさん、これ二つください!」
私は手慣れた様子で店主に声をかけ、小銭を渡す。 ブラックカード(ツケ)があるとはいえ、屋台での少額決済は現金の方がスマートだ。こういう時のために、祖母からお小遣いも貰ってある。
渡された星の実を齧ると、シャリッという小気味よい音と共に、爽やかな酸味が口いっぱいに広がった。
「ん~! 酸っぱいけど美味しい!」
「どれ……おお、本当だ。水分補給にちょうどいいな」
レオンも隣でシャクシャクと食べている。 その横顔を見ながら、私はふと、あることに気がついた。
(……あれ? 私、自然に『買い食い』してる)
王都にいた頃、元婚約者のカイルと外出した時のことを思い出した。 『おいエリザ、屋台のものを立ち食いするなど、はしたない真似はやめろ』 『伯爵令嬢としての品位を疑われるぞ』 『マリアを見習え。彼女はいつもカフェで可愛らしくケーキを食べているぞ』
そう言われて、私はいつも唇を噛み、食べたいものを我慢して、上品なレストランで味のしない料理を食べていた。 「品位」という名の鎖に繋がれていたのだ。
でも、今は違う。 レオンは、私が口の端に果汁をつけて笑っても、眉をひそめたりしない。 それどころか、自分のハンカチを取り出して、
「ついてるよ」
と、優しく拭ってくれるのだ。
「っ……あ、ありがとう」
「どういたしまして。……君が美味しそうに食べる姿を見ると、俺まで嬉しくなるよ」
彼はニコリと笑った。 その笑顔があまりにも眩しくて、私は帽子を深く被り直して顔を隠した。 ……心臓に悪いわ、この人。
その後も私たちは、市場を巡った。 焼き鳥のような串焼きを食べたり、ココナッツジュースを飲んだり。 「次はあそこの店に行きましょう。あそこは雑貨の品揃えが良いと評判なの。その次は、向こうの路地裏にある隠れ家的なパン屋さんへ。あそこのクロワッサンは焼き上がり時間が決まっているから、今のうちに並ばないと……」
私はつい癖で、効率的なルートを考え、早口でまくし立ててしまった。 ハッとして口をつぐむ。
(しまった……)
また、やってしまった。 カイルによく言われた言葉が蘇る。
『君といると息が詰まる』 『いちいち指図するな。男の俺がリードするんだ』 『可愛げがない女だ』
男の人は、自分の後ろをついてくる大人しい女性が好きなのだ。 先回りして段取りを決めたり、知識をひけらかしたりする女は嫌われる。 「……ごめんなさい。私、また仕切りたがって……。レオンが行きたいところがあるわよね? 私の言うことなんて気にしないで……」
私はシュンとして、足を止めた。 すると、レオンはキョトンとした顔をして、それから優しく私の肩に手を置いた。
「何を謝る必要があるんだ?」
「え? だって、うるさかったでしょう? あそこに行けとか、ここが良いとか……」
「まさか! すごく助かるよ」
彼は本心から言っているようだった。
「俺はここの地理に詳しくないし、どこが良い店かもわからない。君が案内してくれるおかげで、最高のコースを楽しめているんだ。君の情報収集能力と、段取りの良さは素晴らしいよ」
「……え?」
「それに、君が『ここに行きたい!』って目を輝かせているのを見るのが好きなんだ。だから、もっと仕切ってくれ。俺は君の選ぶ道なら、目隠しをしてでもついていくよ」
「…………ッ!」
予想外の言葉に、私は言葉を失った。 素晴らしい? 好き? ついていく?
カイルに否定され続けてきた私の「長所(と自分では思っていたけれど短所だと言われてきた部分)」を、彼は手放しで肯定してくれた。
「……貴方って、本当にお人好しね」
「そうかな? 俺はただ、事実を言っただけだよ」
レオンはさらりと言ってのける。 その真っ直ぐな瞳に、嘘の色はない。
(ずるいなぁ……)
胸の奥が、じんわりと熱くなる。 この人といると、自分が「自分のままでいいんだ」と思える。 それは、どんな宝石やドレスをもらうよりも、ずっと嬉しいことだった。
◇
市場を抜けた私たちは、海沿いにある「ガラス工房」へとやってきた。 ここでは、この地方特有の『海色ガラス』を使った工芸品作りが体験できるのだ。
「せっかくだから、記念に何か作りましょうよ」
「ガラス細工か……。やったことはないが、面白そうだな」
私たちは職人さんに教わりながら、小さなグラスを作ることにした。 熱したガラスを竿に巻き取り、息を吹き込んで膨らませる。
「ふーっ……ふーっ……」
私は慎重に息を吹き込んだ。 幼い頃、祖父に連れられて一度だけやったことがある。コツは掴んでいるつもりだ。 ガラスが綺麗な球体に膨らんでいく。
「よし、いい感じ!」
一方、レオンは。
「ふんっ! ……あ」
彼が息を吹き込むと、ガラスはいびつな形にひしゃげてしまった。 「……難しいな、これ」
剣の腕は超一流、カニの殻剥きも達人級の彼だが、どうやら繊細な力加減が必要なガラス細工は苦手らしい。 眉間に皺を寄せて、ドロドロのガラスと格闘している姿は、なんだか大きな子供みたいで可愛い。
「力みすぎよ、レオン。もっと優しく、恋人にキスするみたいに……あ」
言いかけて、私は自分で赤面した。 何を口走っているんだ私は。
レオンも驚いたように私を見て、それからニヤリと笑った。
「なるほど。恋人に、か……。なら、練習相手が必要だな」
「ば、馬鹿なこと言ってないで! ほら、貸して!」
私は彼の後ろに回り込み、彼の手の上から自分の手を重ねて竿を握った。
「いい? 竿はこうやって回すの。息はゆっくり、長く……」
背中越しに、彼の体温が伝わってくる。 広い背中。 硬い腕の筋肉。 耳元で聞こえる彼の吐息。
(……ち、近い)
教えるために近づいたのに、逆に私がドキドキしてどうする。 心臓の音が彼に聞こえてしまわないか心配になるほどだ。
「……エリザ」
彼が低く囁いた。
「ん? 何?」
「君の手、小さいな」
彼は私の手を、そっと握り直した。 大きく、ゴツゴツとした男の人の手。 その手に包み込まれると、私の手なんて子供の手のように見える。
「……毎日ペンを持って帳簿をつけてた手だから、ペンだこもあるし、可愛くないでしょ」
「いいや。働き者の、綺麗な手だ」
彼は竿を回しながら、しみじみと言った。
「この手で、君は家族を支え、領地を救ったんだな。……尊敬するよ」
不意打ちだった。 まただ。またこの人は、私のコンプレックスをさらりと溶かしていく。
「……作業に集中して」
私は彼の背中に額を押し付け、声を震わせないようにするのが精一杯だった。
結局、出来上がったグラスは、私が作った綺麗な形のものと、レオンが作った少し歪んだ(味があるとも言う)ものの二つ。 私たちはそれを交換し合うことにした。
「俺が作った歪なグラスだけど、君に使ってもらえるなら本望だ」
「ふふ、大事にするわ。貴方も、割らないでね」
私たちは出来たてのグラス(まだ熱いので箱に入れてもらった)を手に、工房を後にした。
◇
日が傾き、空が茜色に染まり始めた頃。 私たちは、海が見渡せる丘の上のベンチに座っていた。 眼下には、黄金色に輝く海と、家路を急ぐ人々の姿。 風が心地よく吹き抜け、遊び疲れた身体を優しく撫でていく。
「……楽しかった」
私はポツリと言った。 本当だ。こんなに心から楽しんだ一日は、生まれて初めてかもしれない。
「ああ。俺もだ。人生で一番の休日だった」
レオンは隣で、眩しそうに海を見つめている。 そして、静かに口を開いた。
「エリザ。……聞いてもいいか?」
「何を?」
「君の元婚約者のことだ」
私は少し身を強張らせた。 楽しい時間に、あの男の話などしたくない。 けれど、レオンの真剣な横顔を見ていると、嘘をついたり誤魔化したりする気にはなれなかった。
「……カイルのことね」
「ああ。彼は、君のことを『可愛げがない』と言ったそうだな」
「ええ。そうよ」
私は膝の上で手を組んだ。
「私は、マリアみたいに可愛く甘えられない。男の人を立てるよりも、問題を解決することを優先してしまう。彼の書類のミスを指摘したり、効率的なやり方を提案したり……。彼にとっては、目障りな女だったんでしょうね」
「『女は馬鹿なほうが可愛い』なんて言う人もいるし。私は、そういう風にはなれなかった」
自嘲気味に笑う私に、レオンは静かに首を振った。
「それは違う」
彼は強い口調で否定した。
「それは、彼自身の自信のなさが原因だ。君が優秀すぎて、自分の無能さが浮き彫りになるのが怖かっただけだ。だから『可愛げ』なんて曖昧な言葉で君を枠にはめ込み、自分より下に見ようとした」
レオンは私の手を取り、真っ直ぐに私の目を見た。 その瞳は、夕日よりも熱く燃えていた。
「俺は、そうは思わない。自分の頭で考え、行動し、周りの人々を幸せにする力を持っている君は……誰よりも美しい」
「……レオン」
「俺は王族……いや、ある立場の人間として、多くの女性を見てきた。着飾って、媚びを売って、中身のない会話をする女性たちを。……正直、うんざりしていたんだ」
彼は少し苦笑いをして、そして愛おしそうに私の手を見つめた。
「でも、君は違う。泥にまみれても輝きを失わないダイヤモンドのようだ。……俺は、君のその知性が好きだ。強さが好きだ。そして時折見せる、不器用な優しさが大好きだ」
「…………」
涙が溢れた。 止められなかった。 ずっと、ずっと言われたかった言葉。 否定され続けてきた私自身を、まるごと肯定してくれる言葉。
「……貴方って、本当に……口が上手いんだから」
「本心だよ」
レオンは私の涙を指先で拭い、そしてそっと、私の額に口づけを落とした。 触れるか触れないかのような、羽のようなキス。
「……!」
全身に電流が走ったように痺れた。 時間は止まり、波の音だけが鼓膜を叩く。
「エリザ。……俺が、君の『可愛げ』を一番知っている男になりたい。……ダメかな?」
そんな風に見つめられて、断れるわけがない。 私は顔を真っ赤にして、小さく頷いた。
「……殻剥き係としての昇進を、検討してあげなくもないわ」
「ははっ、それは光栄だ。精進するよ」
レオンは嬉しそうに笑い、私の肩を抱き寄せた。 私は抵抗せず、彼の肩に頭を預けた。 彼の匂い。海の匂いと、微かな石鹸の香り。 とても安心する。
ああ、神様。 追放してくれて、ありがとう。 もしあのまま王都にいたら、私は一生、この幸せを知ることはなかったでしょう。 私は今、世界で一番幸せな「追放令嬢」です。
◇
レオン視点
彼女の寝息のような穏やかな呼吸を肩に感じながら、俺は海を見つめていた。 心の中には、確固たる決意が芽生えていた。
(……決まりだ)
最初は、ただの興味だった。 命の恩人への感謝と、面白い女性だという好奇心。 だが、今日一日、彼女と過ごして確信した。
彼女こそが、俺が求めていた伴侶だ。 王妃として、ただニコニコと座っているだけの飾り人形はいらない。 俺と共に国を憂い、知恵を絞り、時には俺の尻を叩いてくれるようなパートナー。 それができるのは、世界中で彼女、エリザ・フェルゼンだけだ。
彼女を捨てた元婚約者と実家に、心から感謝状を送りつけたい気分だ。 おかげで俺は、この宝石を見つけることができたのだから。
「……必ず、君を幸せにする」
俺は風に乗せて、誰にも聞こえない声で誓った。 王都に戻れば、面倒な手続きや、彼女の身分回復、そしてあの愚かな元婚約者たちへの制裁が待っている。 だが、今の俺には何の不安もない。 隣に彼女がいてくれるなら、どんな困難も乗り越えられる気がした。
さて、まずは祖父殿(ギルバート卿)への挨拶か。 あの方を説得するのが一番の難関かもしれないな……。
俺は苦笑いしながら、愛しい人の肩をもう少し強く抱き寄せた。
◇
二人が甘い時間を過ごしていた、その頃。 リゾート地へ向かう街道を、一台のボロボロの馬車が走っていた。
ガタガタガタ……!
「おい! もっと早く走らんか!」 「無理です旦那様! 馬が限界です!」
乗っているのは、フェルゼン伯爵とその家族。 彼らは強行軍で王都を出発したが、資金不足のため粗末な馬車しか手配できず、すでに疲労困憊の状態だった。
「くそっ、エリザめ……! 待っていろよ!」 「私の肌が乾燥しちゃうわ!」 「お尻が痛い~!」
怨嗟の声を撒き散らしながら、彼らは刻一刻と、エリザたちのいる楽園へと近づいていた。 自分たちが向かっている先が、楽園ではなく「処刑場(社会的)」だとも知らずに。
そして次回、ついに彼らが到着する。 一方その頃、王都ではマリアの元婚約者(カイル)とマリアの間に決定的な亀裂が!?
――次回、『一方その頃、元婚約者と義妹。泥沼の愛憎劇がスタートしておりました』。 お楽しみに!
祖父からは「昨日はよくやった! 今日は褒美として、レオンを連れて城下町で遊んでくるといい。支払いはすべてこのブラックカード(領主家のツケ)でな!」と送り出された。 祖父本人は「昨日導入したシステムが面白くて仕方がない」らしく、観光協会の事務所に入り浸っている。 あの『氷の宰相』が、受付カウンターで「ほう、ここでチケットを切り取るのか!」と目を輝かせている姿を想像すると、少しおかしい。
「……というわけで、レオン。今日は私の『接待』に付き合ってもらうわよ」
屋敷の玄関ホールで、私は振り返って言った。
「ああ、喜んで。君のエスコートができるなんて光栄だよ」
そこに立っていたのは、今日も今日とて爽やかさが服を着て歩いているような美青年、レオンだった。 彼は祖父のクローゼットから発掘された、三十年前の流行だという麻のカジュアルシャツを着ていたが、不思議と古臭さを感じさせない。 むしろ、開襟具合が絶妙で、大人の色気を醸し出している。 ……素材(顔と体)が良いと、何を着ても様になるのね。ちょっと悔しい。
対する私は、祖母が見立ててくれた水色のサマードレス。 背中が少し大胆に空いたデザインで、王都なら「はしたない」と眉をひそめられそうだが、ここではこれが正装だ。 麦わら帽子を目深に被り、私は足取り軽く屋敷を出た。
「さあ、行きましょう! 今日は食べ歩きツアーよ!」
◇
フェルゼン辺境伯領の城下町は、王都のそれとは全く違っていた。 まず、道が広い。 そして、建物が低い。 王都のように空を遮るような高い石造りの建物はなく、白壁にオレンジ色の屋根をした可愛らしい家々が、海からの風を通すようにゆったりと並んでいる。
メインストリートには、観光客向けの土産物屋や飲食店が軒を連ね、あちこちから陽気な音楽と、美味しそうな匂いが漂っていた。
「へぇ……活気があるな」
レオンがキョロキョロと辺りを見回す。
「王都の下町も賑やかだが、ここは空気が違う。みんなが心から楽しそうだ」
「ええ。ここでは『楽しむこと』が一番の仕事みたいなものですから」
私たちは、市場(マルシェ)のエリアへと足を踏み入れた。 色とりどりのテントの下に、見たこともないような南国のフルーツや、珍しい細工物が並んでいる。
「あ、見てレオン! 『星の実(スターフルーツ)』よ! これ、王都だと一粒で銀貨一枚はするのに、ここではカゴ盛りで銅貨三枚だわ!」
「安いな! ……というか、その形、本当に星みたいだ」
「食べてみる? おじさん、これ二つください!」
私は手慣れた様子で店主に声をかけ、小銭を渡す。 ブラックカード(ツケ)があるとはいえ、屋台での少額決済は現金の方がスマートだ。こういう時のために、祖母からお小遣いも貰ってある。
渡された星の実を齧ると、シャリッという小気味よい音と共に、爽やかな酸味が口いっぱいに広がった。
「ん~! 酸っぱいけど美味しい!」
「どれ……おお、本当だ。水分補給にちょうどいいな」
レオンも隣でシャクシャクと食べている。 その横顔を見ながら、私はふと、あることに気がついた。
(……あれ? 私、自然に『買い食い』してる)
王都にいた頃、元婚約者のカイルと外出した時のことを思い出した。 『おいエリザ、屋台のものを立ち食いするなど、はしたない真似はやめろ』 『伯爵令嬢としての品位を疑われるぞ』 『マリアを見習え。彼女はいつもカフェで可愛らしくケーキを食べているぞ』
そう言われて、私はいつも唇を噛み、食べたいものを我慢して、上品なレストランで味のしない料理を食べていた。 「品位」という名の鎖に繋がれていたのだ。
でも、今は違う。 レオンは、私が口の端に果汁をつけて笑っても、眉をひそめたりしない。 それどころか、自分のハンカチを取り出して、
「ついてるよ」
と、優しく拭ってくれるのだ。
「っ……あ、ありがとう」
「どういたしまして。……君が美味しそうに食べる姿を見ると、俺まで嬉しくなるよ」
彼はニコリと笑った。 その笑顔があまりにも眩しくて、私は帽子を深く被り直して顔を隠した。 ……心臓に悪いわ、この人。
その後も私たちは、市場を巡った。 焼き鳥のような串焼きを食べたり、ココナッツジュースを飲んだり。 「次はあそこの店に行きましょう。あそこは雑貨の品揃えが良いと評判なの。その次は、向こうの路地裏にある隠れ家的なパン屋さんへ。あそこのクロワッサンは焼き上がり時間が決まっているから、今のうちに並ばないと……」
私はつい癖で、効率的なルートを考え、早口でまくし立ててしまった。 ハッとして口をつぐむ。
(しまった……)
また、やってしまった。 カイルによく言われた言葉が蘇る。
『君といると息が詰まる』 『いちいち指図するな。男の俺がリードするんだ』 『可愛げがない女だ』
男の人は、自分の後ろをついてくる大人しい女性が好きなのだ。 先回りして段取りを決めたり、知識をひけらかしたりする女は嫌われる。 「……ごめんなさい。私、また仕切りたがって……。レオンが行きたいところがあるわよね? 私の言うことなんて気にしないで……」
私はシュンとして、足を止めた。 すると、レオンはキョトンとした顔をして、それから優しく私の肩に手を置いた。
「何を謝る必要があるんだ?」
「え? だって、うるさかったでしょう? あそこに行けとか、ここが良いとか……」
「まさか! すごく助かるよ」
彼は本心から言っているようだった。
「俺はここの地理に詳しくないし、どこが良い店かもわからない。君が案内してくれるおかげで、最高のコースを楽しめているんだ。君の情報収集能力と、段取りの良さは素晴らしいよ」
「……え?」
「それに、君が『ここに行きたい!』って目を輝かせているのを見るのが好きなんだ。だから、もっと仕切ってくれ。俺は君の選ぶ道なら、目隠しをしてでもついていくよ」
「…………ッ!」
予想外の言葉に、私は言葉を失った。 素晴らしい? 好き? ついていく?
カイルに否定され続けてきた私の「長所(と自分では思っていたけれど短所だと言われてきた部分)」を、彼は手放しで肯定してくれた。
「……貴方って、本当にお人好しね」
「そうかな? 俺はただ、事実を言っただけだよ」
レオンはさらりと言ってのける。 その真っ直ぐな瞳に、嘘の色はない。
(ずるいなぁ……)
胸の奥が、じんわりと熱くなる。 この人といると、自分が「自分のままでいいんだ」と思える。 それは、どんな宝石やドレスをもらうよりも、ずっと嬉しいことだった。
◇
市場を抜けた私たちは、海沿いにある「ガラス工房」へとやってきた。 ここでは、この地方特有の『海色ガラス』を使った工芸品作りが体験できるのだ。
「せっかくだから、記念に何か作りましょうよ」
「ガラス細工か……。やったことはないが、面白そうだな」
私たちは職人さんに教わりながら、小さなグラスを作ることにした。 熱したガラスを竿に巻き取り、息を吹き込んで膨らませる。
「ふーっ……ふーっ……」
私は慎重に息を吹き込んだ。 幼い頃、祖父に連れられて一度だけやったことがある。コツは掴んでいるつもりだ。 ガラスが綺麗な球体に膨らんでいく。
「よし、いい感じ!」
一方、レオンは。
「ふんっ! ……あ」
彼が息を吹き込むと、ガラスはいびつな形にひしゃげてしまった。 「……難しいな、これ」
剣の腕は超一流、カニの殻剥きも達人級の彼だが、どうやら繊細な力加減が必要なガラス細工は苦手らしい。 眉間に皺を寄せて、ドロドロのガラスと格闘している姿は、なんだか大きな子供みたいで可愛い。
「力みすぎよ、レオン。もっと優しく、恋人にキスするみたいに……あ」
言いかけて、私は自分で赤面した。 何を口走っているんだ私は。
レオンも驚いたように私を見て、それからニヤリと笑った。
「なるほど。恋人に、か……。なら、練習相手が必要だな」
「ば、馬鹿なこと言ってないで! ほら、貸して!」
私は彼の後ろに回り込み、彼の手の上から自分の手を重ねて竿を握った。
「いい? 竿はこうやって回すの。息はゆっくり、長く……」
背中越しに、彼の体温が伝わってくる。 広い背中。 硬い腕の筋肉。 耳元で聞こえる彼の吐息。
(……ち、近い)
教えるために近づいたのに、逆に私がドキドキしてどうする。 心臓の音が彼に聞こえてしまわないか心配になるほどだ。
「……エリザ」
彼が低く囁いた。
「ん? 何?」
「君の手、小さいな」
彼は私の手を、そっと握り直した。 大きく、ゴツゴツとした男の人の手。 その手に包み込まれると、私の手なんて子供の手のように見える。
「……毎日ペンを持って帳簿をつけてた手だから、ペンだこもあるし、可愛くないでしょ」
「いいや。働き者の、綺麗な手だ」
彼は竿を回しながら、しみじみと言った。
「この手で、君は家族を支え、領地を救ったんだな。……尊敬するよ」
不意打ちだった。 まただ。またこの人は、私のコンプレックスをさらりと溶かしていく。
「……作業に集中して」
私は彼の背中に額を押し付け、声を震わせないようにするのが精一杯だった。
結局、出来上がったグラスは、私が作った綺麗な形のものと、レオンが作った少し歪んだ(味があるとも言う)ものの二つ。 私たちはそれを交換し合うことにした。
「俺が作った歪なグラスだけど、君に使ってもらえるなら本望だ」
「ふふ、大事にするわ。貴方も、割らないでね」
私たちは出来たてのグラス(まだ熱いので箱に入れてもらった)を手に、工房を後にした。
◇
日が傾き、空が茜色に染まり始めた頃。 私たちは、海が見渡せる丘の上のベンチに座っていた。 眼下には、黄金色に輝く海と、家路を急ぐ人々の姿。 風が心地よく吹き抜け、遊び疲れた身体を優しく撫でていく。
「……楽しかった」
私はポツリと言った。 本当だ。こんなに心から楽しんだ一日は、生まれて初めてかもしれない。
「ああ。俺もだ。人生で一番の休日だった」
レオンは隣で、眩しそうに海を見つめている。 そして、静かに口を開いた。
「エリザ。……聞いてもいいか?」
「何を?」
「君の元婚約者のことだ」
私は少し身を強張らせた。 楽しい時間に、あの男の話などしたくない。 けれど、レオンの真剣な横顔を見ていると、嘘をついたり誤魔化したりする気にはなれなかった。
「……カイルのことね」
「ああ。彼は、君のことを『可愛げがない』と言ったそうだな」
「ええ。そうよ」
私は膝の上で手を組んだ。
「私は、マリアみたいに可愛く甘えられない。男の人を立てるよりも、問題を解決することを優先してしまう。彼の書類のミスを指摘したり、効率的なやり方を提案したり……。彼にとっては、目障りな女だったんでしょうね」
「『女は馬鹿なほうが可愛い』なんて言う人もいるし。私は、そういう風にはなれなかった」
自嘲気味に笑う私に、レオンは静かに首を振った。
「それは違う」
彼は強い口調で否定した。
「それは、彼自身の自信のなさが原因だ。君が優秀すぎて、自分の無能さが浮き彫りになるのが怖かっただけだ。だから『可愛げ』なんて曖昧な言葉で君を枠にはめ込み、自分より下に見ようとした」
レオンは私の手を取り、真っ直ぐに私の目を見た。 その瞳は、夕日よりも熱く燃えていた。
「俺は、そうは思わない。自分の頭で考え、行動し、周りの人々を幸せにする力を持っている君は……誰よりも美しい」
「……レオン」
「俺は王族……いや、ある立場の人間として、多くの女性を見てきた。着飾って、媚びを売って、中身のない会話をする女性たちを。……正直、うんざりしていたんだ」
彼は少し苦笑いをして、そして愛おしそうに私の手を見つめた。
「でも、君は違う。泥にまみれても輝きを失わないダイヤモンドのようだ。……俺は、君のその知性が好きだ。強さが好きだ。そして時折見せる、不器用な優しさが大好きだ」
「…………」
涙が溢れた。 止められなかった。 ずっと、ずっと言われたかった言葉。 否定され続けてきた私自身を、まるごと肯定してくれる言葉。
「……貴方って、本当に……口が上手いんだから」
「本心だよ」
レオンは私の涙を指先で拭い、そしてそっと、私の額に口づけを落とした。 触れるか触れないかのような、羽のようなキス。
「……!」
全身に電流が走ったように痺れた。 時間は止まり、波の音だけが鼓膜を叩く。
「エリザ。……俺が、君の『可愛げ』を一番知っている男になりたい。……ダメかな?」
そんな風に見つめられて、断れるわけがない。 私は顔を真っ赤にして、小さく頷いた。
「……殻剥き係としての昇進を、検討してあげなくもないわ」
「ははっ、それは光栄だ。精進するよ」
レオンは嬉しそうに笑い、私の肩を抱き寄せた。 私は抵抗せず、彼の肩に頭を預けた。 彼の匂い。海の匂いと、微かな石鹸の香り。 とても安心する。
ああ、神様。 追放してくれて、ありがとう。 もしあのまま王都にいたら、私は一生、この幸せを知ることはなかったでしょう。 私は今、世界で一番幸せな「追放令嬢」です。
◇
レオン視点
彼女の寝息のような穏やかな呼吸を肩に感じながら、俺は海を見つめていた。 心の中には、確固たる決意が芽生えていた。
(……決まりだ)
最初は、ただの興味だった。 命の恩人への感謝と、面白い女性だという好奇心。 だが、今日一日、彼女と過ごして確信した。
彼女こそが、俺が求めていた伴侶だ。 王妃として、ただニコニコと座っているだけの飾り人形はいらない。 俺と共に国を憂い、知恵を絞り、時には俺の尻を叩いてくれるようなパートナー。 それができるのは、世界中で彼女、エリザ・フェルゼンだけだ。
彼女を捨てた元婚約者と実家に、心から感謝状を送りつけたい気分だ。 おかげで俺は、この宝石を見つけることができたのだから。
「……必ず、君を幸せにする」
俺は風に乗せて、誰にも聞こえない声で誓った。 王都に戻れば、面倒な手続きや、彼女の身分回復、そしてあの愚かな元婚約者たちへの制裁が待っている。 だが、今の俺には何の不安もない。 隣に彼女がいてくれるなら、どんな困難も乗り越えられる気がした。
さて、まずは祖父殿(ギルバート卿)への挨拶か。 あの方を説得するのが一番の難関かもしれないな……。
俺は苦笑いしながら、愛しい人の肩をもう少し強く抱き寄せた。
◇
二人が甘い時間を過ごしていた、その頃。 リゾート地へ向かう街道を、一台のボロボロの馬車が走っていた。
ガタガタガタ……!
「おい! もっと早く走らんか!」 「無理です旦那様! 馬が限界です!」
乗っているのは、フェルゼン伯爵とその家族。 彼らは強行軍で王都を出発したが、資金不足のため粗末な馬車しか手配できず、すでに疲労困憊の状態だった。
「くそっ、エリザめ……! 待っていろよ!」 「私の肌が乾燥しちゃうわ!」 「お尻が痛い~!」
怨嗟の声を撒き散らしながら、彼らは刻一刻と、エリザたちのいる楽園へと近づいていた。 自分たちが向かっている先が、楽園ではなく「処刑場(社会的)」だとも知らずに。
そして次回、ついに彼らが到着する。 一方その頃、王都ではマリアの元婚約者(カイル)とマリアの間に決定的な亀裂が!?
――次回、『一方その頃、元婚約者と義妹。泥沼の愛憎劇がスタートしておりました』。 お楽しみに!
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