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第11話:『実家への送金停止のお知らせ。「えっ、あの支援金って祖父母からだったの!?」今さら気づいても遅いです』
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フェルゼン辺境伯邸、第一応接間。 重厚なオーク材の扉が開かれ、真紅のドレスを纏った私――エリザが姿を現した瞬間、室内の時間は凍りついたようだった。
私の隣には、黄金の髪とアメジストの瞳を持つ、神話の英雄のような青年レオン。 対するソファには、薄汚れ、サイズの合わない古着を着せられた、かつての家族たち。
その対比はあまりにも残酷で、そして滑稽だった。
「……え、エリザ? 本当に、エリザなの?」
最初に口を開いたのは、義妹のマリアだった。 彼女は信じられないものを見る目で、私を凝視している。 無理もない。 王都にいた頃の私は、彼女を引き立てるための地味な引き立て役であり、常に彼女の後ろで頭を下げていた「負け犬」だったのだから。
今の私は、祖母が選んでくれた最高級のシルクドレスを着ている。 デコルテを大胆に見せたデザインは、今の私の自信を表しているかのようだ。首元には大粒のルビーが輝き、それはマリアが一生かかっても手に入れられない国宝級の品だった。
「ごきげんよう、マリア。……あら、随分と個性的なファッションね。布が足りていないのかしら?」
私は扇子で口元を隠し、クスクスと笑った。 マリアが着ているのは、十年前の流行遅れのワンピースだ。しかもサイズが合っておらず、袖がパツパツになっている。
「なっ……! なによそれ! お姉様のくせに! どうしてそんなにキラキラしてるのよ!」
マリアが顔を真っ赤にして叫んだ。
「追放されたんでしょう!? 不幸になってなきゃおかしいじゃない! 泣いて『許してください』って縋ってくるはずでしょう!?」
「おやおや。どうして私が謝る必要があるの? 私は今、人生で一番幸せなのよ?」
私はレオンにエスコートされ、優雅にソファへと腰を下ろした。 その所作一つとっても、マリアの幼児のような癇癪とは品格が違う。
「……エリザ」
低い声が響いた。 父、フェルゼン伯爵だ。 彼は私のドレスや宝石を、値踏みするようにジロジロと眺めていた。その目つきは、娘を見る父親のものではなく、獲物を見つけたハイエナのそれだった。
「貴様……親父(ギルバート卿)に取り入って、随分と良い身分になったようだな」
「取り入るも何も、私はおじい様の可愛い孫娘ですもの。当然の待遇ですわ」
「ふん! 生意気な口を利くな!」
父はダンッとテーブルを叩いた。
「勘違いするなよ、エリザ。貴様がどんなに着飾ろうと、フェルゼン家の家長はこの私だ! 貴様の生殺与奪の権は私が握っているのだぞ!」
父は立ち上がり、威圧するように私を見下ろした。 かつてなら、この怒鳴り声を聞いただけで私は萎縮し、震えていただろう。 けれど今の私には、彼の虚勢が透けて見える。 怯えるどころか、「必死だなぁ」という感想しか湧いてこない。
「それで? わざわざここまで来て、何を仰りたいのですか?」
私が冷淡に問い返すと、父はニヤリと歪んだ笑みを浮かべた。
「要件は三つだ」
父は指を三本立てた。
「一つ。今すぐ屋敷の金庫の鍵と、隠し財産の場所を教えろ。貴様がロックをかけたせいで、我々は一文無しだ」
「二つ。この領地で貴様が享受している『贅沢』を、我々にもよこせ。新しい服、豪華な食事、そして屋敷の部屋だ。……とりあえず、今貴様がつけているそのルビーの首飾りをマリアに渡せ」
「三つ。……王都へ戻れ。書類仕事が溜まっている。カイル君も困っているようだぞ」
隣でカイルがビクリと肩を震わせ、縋るような目で私を見た。
「そ、そうだよエリザ……。君がいないと、僕は……僕たちはダメなんだ。戻ってきてくれ。そうすれば、今までのことは水に流して、また側室……いや、愛人として置いてやってもいい」
「は?」
私は思わず素っ頓狂な声を出してしまった。 愛人? この男、今なんと言った? 婚約破棄しておいて、さらに「愛人として」戻れと?
「……カイル様。貴方の頭の中は、随分とお花畑なようですわね」
私が呆れて言うと、カイルは必死に言い募った。
「だって、君は僕のことが好きだろう? 僕のためにあんなに尽くしてくれていたじゃないか! 君の幸せは、僕の役に立つことだろう?」
ああ、ダメだ。 会話が成立しない。 この人たちは、「私が彼らに尽くすのが当然」という前提で生きている。 奴隷が反乱を起こすなど、想像もしていないのだ。
「お断りします」
私はきっぱりと言った。
「え?」
「全部、お断りです。金庫の鍵? 知りません。贅沢? 貴方たちには関係ありません。王都へ戻る? 死んでも御免です」
私は扇子をパチリと閉じた。
「お帰りください。ここは私の楽園です。貴方たちのような『ゴミ』を置いておく場所はありません」
シン……と、部屋が静まり返った。 数秒の後、父の顔がトマトのように赤く膨張した。
「き、き、貴様ぁぁぁぁぁ!!」
父が絶叫した。
「親に向かってなんだその口の利き方は! ゴミだと!? 誰のおかげで今まで飯が食えていたと思っているんだ! この恩知らずが!」
「恩知らず?」
私は冷たく笑った。
「それはこちらの台詞ですわ、お父様。……誰のおかげで、伯爵家が破産せずに済んでいたと思っているのですか?」
「な、なんだと……?」
「私が必死に働いて稼いだお金と、私が管理していた帳簿のおかげでしょう。それを『親の恩』だなんて、笑わせないでください」
「黙れ黙れ黙れ! 生意気だ! 教育してやる!」
父が逆上し、手を振り上げた。 私を打とうと、一歩踏み出したその時だった。
ヒュッ!
風を切る音と共に、父の目の前に銀色の閃光が走った。 「――そこまでだ」
底冷えするような声。 父の鼻先数センチのところに、レオンが抜いた剣の切っ先が突きつけられていた。
「ひっ!?」
父は腰を抜かし、その場に尻餅をついた。 レオンは、普段の爽やかな笑顔を完全に消し去り、修羅のような形相で父を見下ろしていた。
「彼女に指一本でも触れてみろ。……その腕、二度と使い物にならなくしてやる」
「な、なんなんだ貴様は! ただの護衛風情が、伯爵である私に剣を向けるなど……!」
「護衛ではない」
レオンは静かに言った。
「俺は彼女の『理解者』であり、彼女が選んだ『パートナー』だ。……貴様のような男が、父親面をするな。虫酸が走る」
その圧倒的な威圧感に、父だけでなく、カイルも震え上がった。 剣の腕も、纏うオーラも、明らかに「ただ者」ではないことが本能でわかるのだろう。
その時。 扉の外から、もう一つの「雷」が落ちた。
「騒々しいぞ!!」
ドォォォォォン!!
空気が振動した。 入り口に立っていたのは、怒髪天を衝く勢いの祖父、ギルバート辺境伯と、氷の微笑を浮かべた祖母エレオノーラだった。
「ち、父上……?」
父が震える声で呼ぶ。 祖父はドスドスと部屋に入ってくると、父を一瞥もしないまま、私の方へと歩み寄った。
「エリザ、怖くなかったか? 怪我はないか?」
「はい、おじい様。レオンが守ってくれましたから」
「そうか、でかしたレオン。……さて」
祖父はくるりと向き直り、床に座り込んだ父たちを見下ろした。 その目は、ゴミを見る目そのものだった。
「久しぶりだな、愚息よ。相変わらず、脳みそは空っぽのようだな」
「ち、父上! 聞いてください! エリザが、エリザが我々を侮辱して……!」
父はすがりつくように弁明を始めたが、祖父は一喝した。
「黙れ!」
ビリビリと窓ガラスが震える。
「貴様らの戯言など聞く耳持たん。……今日は、貴様らに『現実』を教えてやるために来た」
祖父は懐から一枚の書類を取り出した。 それは、銀行の通帳のようなものだった。
「おい、愚息。貴様、毎月のように豪遊し、新しい事業に手を出しては失敗し、それでもなぜか金が尽きないことを不思議に思ったことはないか?」
「え……? そ、それは、我が家の領地経営が順調だったから……」
「馬鹿め! フェルゼン伯爵家の領地収入など、貴様の浪費の十分の一にも満たんわ!」
祖父は書類を父の顔に投げつけた。
「見ろ! これが過去十年間の『支援金』の記録だ!」
父は慌てて書類を拾い上げた。 そこに記されていたのは、毎月定額で振り込まれている巨額の資金。 そして、その振込元は――。
『ギルバート・フォン・フェルゼン』
「な、なんだこれは……? 父上が、金を……?」
「そうだ。貴様が無能すぎて家を潰しそうだから、わしが『エリザの養育費』という名目で、裏から資金援助をしてやっていたのだ!」
祖父が怒りを露わにする。
「エリザが苦労しないように。エリザがひもじい思いをしないように。その一心で送っていた金だ! それを貴様らは、エリザには一銭も使わず、自分たちの贅沢のために使い込みおって!」
「そ、そんな……まさか……」
継母のカテリーナが顔面蒼白になっている。 彼女が買い漁っていた宝石も、マリアのドレスも、全ては「エリザのための金」を横領して買っていたものだったのだ。
「知らなかった……私は、てっきり伯爵家の稼ぎだと……」
「知らなかったで済むか!」
祖父はさらに、分厚いファイルをテーブルに叩きつけた。
「エリザから受け取った『実家の闇リスト』と照らし合わせた結果、貴様らの横領額は国家予算並みだということが判明した」
祖父は冷酷に宣告した。
「よって、本日をもって支援金は打ち切る」
「えっ……!?」
「さらに、過去に送った支援金のうち、『エリザのために使われなかった分』……つまりほぼ全額の、即時一括返済を求める!」
「い、一括返済!? そ、そんな大金、払えるわけがないでしょう!?」
父が悲鳴を上げた。 金額を見れば、億単位の借金だ。 今の伯爵家に払えるはずがない。
「払えぬなら、差し押さえだ」
祖母が涼しい顔で口を挟んだ。
「王都の屋敷、家財道具、貴方たちが着ている服に至るまで、全て没収よ。……ああ、マリアさんが欲しがっていたこのルビーの首飾り? これ一つで、あなたたちの屋敷が三軒買えるわね」
「そ、そんな……嫌よ! 私は公爵夫人になるのよ!?」
マリアが泣き叫ぶ。 しかし、祖父は容赦なかった。
「泣いても無駄だ。これは決定事項だ。……もし文句があるなら、法廷で争うか? わしは元宰相だぞ? 国の法律は、わしが作ったようなものだ」
詰んだ。 誰の目にも明らかだった。 権力、財力、そして正義。全てにおいて、彼らに勝ち目はなかった。
父はガタガタと震え、そして最後の望みを託すように、私を見た。
「エ、エリザ……! お前からも言ってくれ! 父上が破産したら、お前の実家もなくなるんだぞ!?」
「実家?」
私は首を傾げた。
「私の実家はここですが?」
「なっ……」
「勘当された身ですから、フェルゼン伯爵家とは何の関係もございません。……ああ、でも『元・実家』が没落するニュースくらいは、新聞で読んであげますわ」
私はニッコリと、止めの一撃を放った。
「さようなら、お父様。……借金返済、頑張ってくださいね?」
「う、うわぁぁぁぁぁぁ!!」
父は絶望の叫び声を上げ、その場に崩れ落ちた。 継母は気絶し、マリアは床を叩いて喚き散らす。 カイルは……壁の隅で体育座りをして、ブツブツと何かを呟いていた。 「書類……書けない……僕の人生……」
地獄絵図だ。 でも、不思議と心は痛まなかった。 彼らが私にしてきたことの報いが、ようやく巡ってきただけなのだから。
「……衛兵!」
祖父が手を叩いた。 屈強な衛兵たちが数名入ってくる。
「この者たちをゲストハウスへ放り込んでおけ! 逃げ出さぬよう、厳重に監視しろ! 明日、強制送還の手続きをとる!」
「はっ!」
衛兵たちに引きずられていく家族たち。 「離せ! 私は伯爵だぞ!」「嫌ぁぁ! ドレス返してぇぇ!」という断末魔のような叫び声が、廊下の向こうへと遠ざかっていった。
◇
静寂が戻った応接間。 祖父は大きく息を吐き、肩の力を抜いた。
「……ふん。汚いものを見せてすまなかったな、エリザ」
「いいえ。……スッキリしました」
私は本心から言った。 これで、本当に終わったのだ。 私を縛り付けていた過去の鎖は、粉々に砕け散った。
「よく頑張ったわね、エリザ」
祖母が私を抱きしめてくれる。 レオンも、優しく私の背中に手を添えてくれた。
「君は強かった。……最高の『ざまぁ』だったよ」
「ふふ、ありがとう」
私たちは顔を見合わせ、笑った。 そこには、血の繋がりを超えた、本当の家族の絆があった。
「さて!」
祖父がパンと手を叩き、空気を変えた。
「暗い話はこれで終わりだ! エリザ、明日は何の日か知っているか?」
「明日? ……いえ」
「明日は、この領地で年に一度の『星祭り』だ! 夜空いっぱいにランタンを飛ばし、星に願いを捧げる、ロマンチックな祭りなのだ!」
「まあ、素敵!」
「もちろん、夜にはダンスパーティもあるぞ。……レオン、貴様、エリザのエスコートは任せていいんだろうな?」
祖父がギロリとレオンを睨む。 レオンは背筋を伸ばし、自信たっぷりに答えた。
「もちろんです。彼女を世界一の幸せ者にしてご覧に入れます」
「ふん、口だけは達者だな。……まあいい、期待しているぞ」
こうして、泥沼の家族会議は幕を閉じ、物語は新たなステージへと進む。 星降る夜。 ドレスアップした私と、仮面をつけた彼。 恋が加速しないわけがない。
「楽しみね、レオン」
「ああ。……君に見せたいものがあるんだ」
彼の意味深な言葉に胸を高鳴らせながら、私は窓の外を見上げた。 夕闇が迫る空に、一番星が輝き始めていた。
一方、ゲストハウスに幽閉された家族たちは。 「お腹すいた……」「ここから出せ!」と暴れていたが、支給された食事が「最高級の海鮮丼(ただし昨日の残り物)」だったため、泣きながら完食したという。 プライドよりも食欲。どこまでも人間臭い人たちである。
――次回、『星降る夜のダンスパーティ。仮面の騎士様が、私に口づけを落としました』。 糖度高めのロマンス回です。ニヤニヤ注意報発令!
私の隣には、黄金の髪とアメジストの瞳を持つ、神話の英雄のような青年レオン。 対するソファには、薄汚れ、サイズの合わない古着を着せられた、かつての家族たち。
その対比はあまりにも残酷で、そして滑稽だった。
「……え、エリザ? 本当に、エリザなの?」
最初に口を開いたのは、義妹のマリアだった。 彼女は信じられないものを見る目で、私を凝視している。 無理もない。 王都にいた頃の私は、彼女を引き立てるための地味な引き立て役であり、常に彼女の後ろで頭を下げていた「負け犬」だったのだから。
今の私は、祖母が選んでくれた最高級のシルクドレスを着ている。 デコルテを大胆に見せたデザインは、今の私の自信を表しているかのようだ。首元には大粒のルビーが輝き、それはマリアが一生かかっても手に入れられない国宝級の品だった。
「ごきげんよう、マリア。……あら、随分と個性的なファッションね。布が足りていないのかしら?」
私は扇子で口元を隠し、クスクスと笑った。 マリアが着ているのは、十年前の流行遅れのワンピースだ。しかもサイズが合っておらず、袖がパツパツになっている。
「なっ……! なによそれ! お姉様のくせに! どうしてそんなにキラキラしてるのよ!」
マリアが顔を真っ赤にして叫んだ。
「追放されたんでしょう!? 不幸になってなきゃおかしいじゃない! 泣いて『許してください』って縋ってくるはずでしょう!?」
「おやおや。どうして私が謝る必要があるの? 私は今、人生で一番幸せなのよ?」
私はレオンにエスコートされ、優雅にソファへと腰を下ろした。 その所作一つとっても、マリアの幼児のような癇癪とは品格が違う。
「……エリザ」
低い声が響いた。 父、フェルゼン伯爵だ。 彼は私のドレスや宝石を、値踏みするようにジロジロと眺めていた。その目つきは、娘を見る父親のものではなく、獲物を見つけたハイエナのそれだった。
「貴様……親父(ギルバート卿)に取り入って、随分と良い身分になったようだな」
「取り入るも何も、私はおじい様の可愛い孫娘ですもの。当然の待遇ですわ」
「ふん! 生意気な口を利くな!」
父はダンッとテーブルを叩いた。
「勘違いするなよ、エリザ。貴様がどんなに着飾ろうと、フェルゼン家の家長はこの私だ! 貴様の生殺与奪の権は私が握っているのだぞ!」
父は立ち上がり、威圧するように私を見下ろした。 かつてなら、この怒鳴り声を聞いただけで私は萎縮し、震えていただろう。 けれど今の私には、彼の虚勢が透けて見える。 怯えるどころか、「必死だなぁ」という感想しか湧いてこない。
「それで? わざわざここまで来て、何を仰りたいのですか?」
私が冷淡に問い返すと、父はニヤリと歪んだ笑みを浮かべた。
「要件は三つだ」
父は指を三本立てた。
「一つ。今すぐ屋敷の金庫の鍵と、隠し財産の場所を教えろ。貴様がロックをかけたせいで、我々は一文無しだ」
「二つ。この領地で貴様が享受している『贅沢』を、我々にもよこせ。新しい服、豪華な食事、そして屋敷の部屋だ。……とりあえず、今貴様がつけているそのルビーの首飾りをマリアに渡せ」
「三つ。……王都へ戻れ。書類仕事が溜まっている。カイル君も困っているようだぞ」
隣でカイルがビクリと肩を震わせ、縋るような目で私を見た。
「そ、そうだよエリザ……。君がいないと、僕は……僕たちはダメなんだ。戻ってきてくれ。そうすれば、今までのことは水に流して、また側室……いや、愛人として置いてやってもいい」
「は?」
私は思わず素っ頓狂な声を出してしまった。 愛人? この男、今なんと言った? 婚約破棄しておいて、さらに「愛人として」戻れと?
「……カイル様。貴方の頭の中は、随分とお花畑なようですわね」
私が呆れて言うと、カイルは必死に言い募った。
「だって、君は僕のことが好きだろう? 僕のためにあんなに尽くしてくれていたじゃないか! 君の幸せは、僕の役に立つことだろう?」
ああ、ダメだ。 会話が成立しない。 この人たちは、「私が彼らに尽くすのが当然」という前提で生きている。 奴隷が反乱を起こすなど、想像もしていないのだ。
「お断りします」
私はきっぱりと言った。
「え?」
「全部、お断りです。金庫の鍵? 知りません。贅沢? 貴方たちには関係ありません。王都へ戻る? 死んでも御免です」
私は扇子をパチリと閉じた。
「お帰りください。ここは私の楽園です。貴方たちのような『ゴミ』を置いておく場所はありません」
シン……と、部屋が静まり返った。 数秒の後、父の顔がトマトのように赤く膨張した。
「き、き、貴様ぁぁぁぁぁ!!」
父が絶叫した。
「親に向かってなんだその口の利き方は! ゴミだと!? 誰のおかげで今まで飯が食えていたと思っているんだ! この恩知らずが!」
「恩知らず?」
私は冷たく笑った。
「それはこちらの台詞ですわ、お父様。……誰のおかげで、伯爵家が破産せずに済んでいたと思っているのですか?」
「な、なんだと……?」
「私が必死に働いて稼いだお金と、私が管理していた帳簿のおかげでしょう。それを『親の恩』だなんて、笑わせないでください」
「黙れ黙れ黙れ! 生意気だ! 教育してやる!」
父が逆上し、手を振り上げた。 私を打とうと、一歩踏み出したその時だった。
ヒュッ!
風を切る音と共に、父の目の前に銀色の閃光が走った。 「――そこまでだ」
底冷えするような声。 父の鼻先数センチのところに、レオンが抜いた剣の切っ先が突きつけられていた。
「ひっ!?」
父は腰を抜かし、その場に尻餅をついた。 レオンは、普段の爽やかな笑顔を完全に消し去り、修羅のような形相で父を見下ろしていた。
「彼女に指一本でも触れてみろ。……その腕、二度と使い物にならなくしてやる」
「な、なんなんだ貴様は! ただの護衛風情が、伯爵である私に剣を向けるなど……!」
「護衛ではない」
レオンは静かに言った。
「俺は彼女の『理解者』であり、彼女が選んだ『パートナー』だ。……貴様のような男が、父親面をするな。虫酸が走る」
その圧倒的な威圧感に、父だけでなく、カイルも震え上がった。 剣の腕も、纏うオーラも、明らかに「ただ者」ではないことが本能でわかるのだろう。
その時。 扉の外から、もう一つの「雷」が落ちた。
「騒々しいぞ!!」
ドォォォォォン!!
空気が振動した。 入り口に立っていたのは、怒髪天を衝く勢いの祖父、ギルバート辺境伯と、氷の微笑を浮かべた祖母エレオノーラだった。
「ち、父上……?」
父が震える声で呼ぶ。 祖父はドスドスと部屋に入ってくると、父を一瞥もしないまま、私の方へと歩み寄った。
「エリザ、怖くなかったか? 怪我はないか?」
「はい、おじい様。レオンが守ってくれましたから」
「そうか、でかしたレオン。……さて」
祖父はくるりと向き直り、床に座り込んだ父たちを見下ろした。 その目は、ゴミを見る目そのものだった。
「久しぶりだな、愚息よ。相変わらず、脳みそは空っぽのようだな」
「ち、父上! 聞いてください! エリザが、エリザが我々を侮辱して……!」
父はすがりつくように弁明を始めたが、祖父は一喝した。
「黙れ!」
ビリビリと窓ガラスが震える。
「貴様らの戯言など聞く耳持たん。……今日は、貴様らに『現実』を教えてやるために来た」
祖父は懐から一枚の書類を取り出した。 それは、銀行の通帳のようなものだった。
「おい、愚息。貴様、毎月のように豪遊し、新しい事業に手を出しては失敗し、それでもなぜか金が尽きないことを不思議に思ったことはないか?」
「え……? そ、それは、我が家の領地経営が順調だったから……」
「馬鹿め! フェルゼン伯爵家の領地収入など、貴様の浪費の十分の一にも満たんわ!」
祖父は書類を父の顔に投げつけた。
「見ろ! これが過去十年間の『支援金』の記録だ!」
父は慌てて書類を拾い上げた。 そこに記されていたのは、毎月定額で振り込まれている巨額の資金。 そして、その振込元は――。
『ギルバート・フォン・フェルゼン』
「な、なんだこれは……? 父上が、金を……?」
「そうだ。貴様が無能すぎて家を潰しそうだから、わしが『エリザの養育費』という名目で、裏から資金援助をしてやっていたのだ!」
祖父が怒りを露わにする。
「エリザが苦労しないように。エリザがひもじい思いをしないように。その一心で送っていた金だ! それを貴様らは、エリザには一銭も使わず、自分たちの贅沢のために使い込みおって!」
「そ、そんな……まさか……」
継母のカテリーナが顔面蒼白になっている。 彼女が買い漁っていた宝石も、マリアのドレスも、全ては「エリザのための金」を横領して買っていたものだったのだ。
「知らなかった……私は、てっきり伯爵家の稼ぎだと……」
「知らなかったで済むか!」
祖父はさらに、分厚いファイルをテーブルに叩きつけた。
「エリザから受け取った『実家の闇リスト』と照らし合わせた結果、貴様らの横領額は国家予算並みだということが判明した」
祖父は冷酷に宣告した。
「よって、本日をもって支援金は打ち切る」
「えっ……!?」
「さらに、過去に送った支援金のうち、『エリザのために使われなかった分』……つまりほぼ全額の、即時一括返済を求める!」
「い、一括返済!? そ、そんな大金、払えるわけがないでしょう!?」
父が悲鳴を上げた。 金額を見れば、億単位の借金だ。 今の伯爵家に払えるはずがない。
「払えぬなら、差し押さえだ」
祖母が涼しい顔で口を挟んだ。
「王都の屋敷、家財道具、貴方たちが着ている服に至るまで、全て没収よ。……ああ、マリアさんが欲しがっていたこのルビーの首飾り? これ一つで、あなたたちの屋敷が三軒買えるわね」
「そ、そんな……嫌よ! 私は公爵夫人になるのよ!?」
マリアが泣き叫ぶ。 しかし、祖父は容赦なかった。
「泣いても無駄だ。これは決定事項だ。……もし文句があるなら、法廷で争うか? わしは元宰相だぞ? 国の法律は、わしが作ったようなものだ」
詰んだ。 誰の目にも明らかだった。 権力、財力、そして正義。全てにおいて、彼らに勝ち目はなかった。
父はガタガタと震え、そして最後の望みを託すように、私を見た。
「エ、エリザ……! お前からも言ってくれ! 父上が破産したら、お前の実家もなくなるんだぞ!?」
「実家?」
私は首を傾げた。
「私の実家はここですが?」
「なっ……」
「勘当された身ですから、フェルゼン伯爵家とは何の関係もございません。……ああ、でも『元・実家』が没落するニュースくらいは、新聞で読んであげますわ」
私はニッコリと、止めの一撃を放った。
「さようなら、お父様。……借金返済、頑張ってくださいね?」
「う、うわぁぁぁぁぁぁ!!」
父は絶望の叫び声を上げ、その場に崩れ落ちた。 継母は気絶し、マリアは床を叩いて喚き散らす。 カイルは……壁の隅で体育座りをして、ブツブツと何かを呟いていた。 「書類……書けない……僕の人生……」
地獄絵図だ。 でも、不思議と心は痛まなかった。 彼らが私にしてきたことの報いが、ようやく巡ってきただけなのだから。
「……衛兵!」
祖父が手を叩いた。 屈強な衛兵たちが数名入ってくる。
「この者たちをゲストハウスへ放り込んでおけ! 逃げ出さぬよう、厳重に監視しろ! 明日、強制送還の手続きをとる!」
「はっ!」
衛兵たちに引きずられていく家族たち。 「離せ! 私は伯爵だぞ!」「嫌ぁぁ! ドレス返してぇぇ!」という断末魔のような叫び声が、廊下の向こうへと遠ざかっていった。
◇
静寂が戻った応接間。 祖父は大きく息を吐き、肩の力を抜いた。
「……ふん。汚いものを見せてすまなかったな、エリザ」
「いいえ。……スッキリしました」
私は本心から言った。 これで、本当に終わったのだ。 私を縛り付けていた過去の鎖は、粉々に砕け散った。
「よく頑張ったわね、エリザ」
祖母が私を抱きしめてくれる。 レオンも、優しく私の背中に手を添えてくれた。
「君は強かった。……最高の『ざまぁ』だったよ」
「ふふ、ありがとう」
私たちは顔を見合わせ、笑った。 そこには、血の繋がりを超えた、本当の家族の絆があった。
「さて!」
祖父がパンと手を叩き、空気を変えた。
「暗い話はこれで終わりだ! エリザ、明日は何の日か知っているか?」
「明日? ……いえ」
「明日は、この領地で年に一度の『星祭り』だ! 夜空いっぱいにランタンを飛ばし、星に願いを捧げる、ロマンチックな祭りなのだ!」
「まあ、素敵!」
「もちろん、夜にはダンスパーティもあるぞ。……レオン、貴様、エリザのエスコートは任せていいんだろうな?」
祖父がギロリとレオンを睨む。 レオンは背筋を伸ばし、自信たっぷりに答えた。
「もちろんです。彼女を世界一の幸せ者にしてご覧に入れます」
「ふん、口だけは達者だな。……まあいい、期待しているぞ」
こうして、泥沼の家族会議は幕を閉じ、物語は新たなステージへと進む。 星降る夜。 ドレスアップした私と、仮面をつけた彼。 恋が加速しないわけがない。
「楽しみね、レオン」
「ああ。……君に見せたいものがあるんだ」
彼の意味深な言葉に胸を高鳴らせながら、私は窓の外を見上げた。 夕闇が迫る空に、一番星が輝き始めていた。
一方、ゲストハウスに幽閉された家族たちは。 「お腹すいた……」「ここから出せ!」と暴れていたが、支給された食事が「最高級の海鮮丼(ただし昨日の残り物)」だったため、泣きながら完食したという。 プライドよりも食欲。どこまでも人間臭い人たちである。
――次回、『星降る夜のダンスパーティ。仮面の騎士様が、私に口づけを落としました』。 糖度高めのロマンス回です。ニヤニヤ注意報発令!
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