12 / 20
第12話:『星降る夜のダンスパーティ。仮面の騎士様が、私に口づけを落としました』
しおりを挟む
フェルゼン辺境伯領の一年で最も特別な夜が訪れた。 『星祭り』。 それは、この地に伝わる古い伝承に由来する祝祭だ。 かつて、海で遭難した漁師たちが、空から降り注ぐ星の導きによって無事に帰還できたことを祝い、星に感謝を捧げたのが始まりだという。 この夜、領民たちはそれぞれの願いを込めた魔法のランタンを夜空に放つ。 そして、地上と天空の境界が曖昧になる幻想的な光の中で、愛を語らい、未来を祈るのだ。
日が沈み、群青色の帷(とばり)が下りると同時に、街中の明かりが一斉に消された。 代わって灯されたのは、無数の魔法灯と、揺らめく蝋燭の炎。 海面には月光が道を作り、空には今にも零れ落ちそうな満天の星々が輝いている。
「……綺麗」
私は自室の窓からその光景を見下ろし、感嘆の息を漏らした。 王都の夜会のような、人工的でギラギラした輝きではない。 もっと静かで、神聖で、それでいて温かい光の世界。
「エリザ様、そろそろお支度の時間ですよ」
部屋に入ってきたのは、祖母エレオノーラと、数人の専属メイドたちだった。 彼女たちの手には、今夜のために仕立てられた特別なドレスが抱えられている。
「さあ、エリザ。今夜のあなたは、この夜空の星々さえ霞むほどの美しさよ。覚悟なさい」
祖母は少女のように目を輝かせ、ドレスを広げた。
それは、息を呑むほど美しい『星空のドレス』だった。 生地は、夜の海を思わせる深いミッドナイトブルーのシルク。 その表面には、ダイヤモンドの粉末を織り込んだ特殊な糸で、無数の星座が刺繍されている。 動くたびにキラキラと繊細な光を放ち、まるで宇宙そのものを身に纏っているかのようだ。
「こ、これを私が……?」
「ええ。フェルゼン領の『姫君』にふさわしい装いよ。さあ、座って」
私は鏡台の前に座らされ、魔法のような手際で磨き上げられていった。 髪は緩やかに巻き上げられ、星を模した真珠のピンで留められる。 肌にはパールパウダーがはたかれ、月光の下で艶やかに光るように仕上げられた。 首元には、昨日の家族会議で父たちに見せつけたルビーではなく、より上品で神秘的なサファイアのチョーカーが飾られた。
「……完璧だわ」
支度を終えた私を見て、祖母が満足げに頷いた。
「鏡をご覧なさい、エリザ」
恐る恐る鏡を覗き込む。 そこに映っていたのは、私であって私ではない、どこかの国の王女のような女性だった。 王都で「地味だ」「華がない」と言われ続け、自分でもそう思い込んでいた私の姿は、どこにもない。
「自信をお持ちなさい。あなたは誰よりも美しいわ」
祖母が背中をポンと叩いてくれた。
「ありがとうございます、おばあ様。……行ってきます」
私は深呼吸をし、重厚な裾を翻して部屋を出た。 今夜、私は生まれ変わる。 過去の呪縛を解き放ち、新しい自分として、大切な人の元へ向かうのだ。
◇
待ち合わせ場所は、屋敷の庭園にある噴水広場だった。 水の流れる音が心地よく響く中、私は胸の高鳴りを抑えながら石畳を歩いた。
そこに、彼がいた。
月の光を浴びて佇む、一人の騎士。 レオンだ。
今日の彼は、いつものラフなシャツ姿ではなかった。 仕立ての良い漆黒の燕尾服に、銀糸の刺繍が入ったマントを羽織っている。 その腰には儀礼用の剣を佩き、凛とした立ち姿は、まさに物語から飛び出してきた王子のようだ。 そして、その顔には――目元を隠すように、銀色の仮面がつけられていた。
「……レオン?」
私が声をかけると、彼はゆっくりと振り返った。 仮面の奥にあるアメジストの瞳が、私を捉えて揺れた。
「……言葉が出ないな」
彼は私の元へ歩み寄り、芝居がかった動作で片膝をついた。
「今夜の星々が地上に降りてきたのかと思ったよ。……美しい、エリザ」
「貴方こそ。……その仮面は?」
「ああ、これは今夜の趣向だ。星祭りの夜は、誰もが身分を隠して一人の男女に戻る……というのが、この祭りの裏テーマらしいからね」
彼は悪戯っぽく口角を上げた。
「それに、素顔のままだと、君に見惚れて理性なき男になってしまいそうだから、これで視界を制限しているんだ」
「ふふ、お上手ね」
「本心だよ」
彼は立ち上がり、白い手袋をした手を差し出した。
「参りましょうか、我が姫君。今夜のエスコートは、この『名もなき騎士』にお任せを」
「ええ、お願いするわ」
私は彼の手を取り、その温もりに安堵した。 仮面をつけていても、その手の大きさも、優しさも、私の知っているレオンそのものだ。
私たちは腕を組み、賑わう街へと繰り出した。
◇
街は、光と音の洪水だった。 通りという通りにランタンが飾られ、仮装した人々が踊り歩いている。 屋台からは香ばしい串焼きや、甘い焼き菓子の匂いが漂い、吟遊詩人の奏でるリュートの音色が風に乗って聞こえてくる。
「すごい人出ね!」
「ああ。みんな楽しそうだ」
私たちは人波を縫うように歩いた。 普段なら人混みは苦手だけれど、レオンがしっかりと肩を抱いて守ってくれるおかげで、不安は全く感じない。
「あ、あれを食べよう」
レオンが指差したのは、星の形をしたクッキーに、色とりどりのアイシングをしたお菓子だった。 『願い星のクッキー』と呼ばれ、これを二人で半分こして食べると、永遠に結ばれるというジンクスがあるらしい。 ……ベタだけど、今の私にはそのベタさが嬉しい。
「半分こ、ね」
パキリ。 クッキーを割り、互いの口に運び合う。 甘い砂糖の味が広がり、自然と笑顔がこぼれる。
「……甘いな」
「そうね」
「君との時間は、もっと甘いけど」
「……もう! そういう台詞、どこで覚えてくるの?」
私が照れて彼を小突くと、レオンは楽しそうに笑った。 実家の家族たちのことで荒んでいた心が、彼と一緒にいると嘘のように洗われていく。
やがて、祭りのメインイベントである『ランタン上げ』の時間が近づいてきた。 私たちは広場へ移動し、一つだけランタンを購入した。 薄い紙で作られたそのランタンに、願い事を書いて空に飛ばすのだ。
「何を書く?」
レオンにペンを渡され、私は少し考えた。 『実家が滅びますように』? いや、そんな呪いのような願いを、この神聖な夜に捧げるのは野暮だ。彼らのことなど、私の願いの片隅にも置きたくない。
『もっと美味しいものが食べられますように』? それもいいけど、少し食い意地が張りすぎている。
私は筆を走らせた。 そして、少し恥ずかしそうにレオンに見せた。
『今の幸せが、ずっと続きますように』
シンプルすぎるかもしれない。 でも、これが今の私の偽らざる本心だった。
「……いい願いだ」
レオンは優しく微笑み、その横に自分の願いを書き添えた。
『彼女の願いが、全て叶いますように』
「っ……レオン」
「俺の願いは、君が幸せであることだけだからな」
彼は真面目な顔で言った。 胸が熱くなる。 この人は、どこまで私を大切にしてくれるのだろう。
「さあ、飛ばそう」
二人でランタンの底を持ち、中に火を灯す。 ふわりと、熱を含んだランタンが浮かび上がろうとする。 「せーの!」
手を離すと、私たちのランタンはゆっくりと夜空へ舞い上がった。 周囲でも一斉に何千ものランタンが放たれ、夜空はオレンジ色の光の海となった。 星とランタンが混じり合い、どちらが空でどちらが地かわからないほどの幻想的な光景。
「綺麗……」
私は空を見上げたまま、涙が溢れそうになるのを堪えた。 美しい。 世界はこんなにも美しかったんだ。
レオンがそっと、私の手を握った。 強く、確かな力で。 私も握り返す。 言葉はいらなかった。 ただ、繋いだ手の温もりだけが、真実だった。
◇
ランタン上げが終わると、広場の中央でダンスパーティが始まった。 楽団がワルツを奏で始め、仮面をつけた紳士淑女たちが踊り出す。 そこはもう、身分も年齢も関係ない。 ただ音楽に身を委ね、この瞬間を楽しむための舞踏会だ。
「踊っていただけますか、マイ・レディ?」
レオンが恭しくお辞儀をした。
「……喜んで」
私はスカートの裾をつまみ、カーテシーを返した。
彼の手が私の腰に添えられ、私の手は彼の肩へ。 ステップを踏み出す。
王都の夜会で踊ったことは何度もある。 でも、それは「義務」だった。 カイルとのダンスは、いつも彼が私の足を踏まないかヒヤヒヤし、彼のリードが下手なのを私が必死にカバーするだけの作業だった。 周囲の視線を気にし、完璧な笑顔を張り付け、心の中では「早く終わればいいのに」と思っていた。
けれど、レオンとのダンスは違った。
彼のリードは完璧だった。 力強く、それでいて強引さはない。 まるで私の次の動きを予知しているかのように、スムーズに身体を導いてくれる。 私が右へ行こうとすれば彼も右へ。回ろうとすれば絶妙なタイミングで支えてくれる。
「……すごい」
私は驚いて彼を見上げた。
「貴方、ダンスもこんなに上手だったの?」
「騎士たるもの、剣術だけでなく舞踏も嗜みだからね。……それに、パートナーが最高だからさ」
仮面の奥の瞳が笑っている。 私たちはまるで一つの生き物になったかのように、フロアを滑るように踊った。 回転するたびに、私のドレスの星々が煌めき、まるで銀河の中を漂っているような浮遊感に包まれる。
周囲の人々が道を開け、私たちを見つめているのがわかった。 でも、今は視線なんて気にならない。 世界には私とレオン、二人しかいないような感覚。
音楽が盛り上がり、クライマックスへと向かう。 激しいステップ。 呼吸が合う。 心臓の鼓動が重なる。
ジャンッ!
曲が終わり、レオンが私を抱き止める形でポーズを決めた。 広場中から割れんばかりの拍手が湧き起こる。
「はぁ……はぁ……楽しかった」
私は息を弾ませながら言った。
「ああ。俺もだ。……もう少し、静かなところへ行こうか」
レオンは私の耳元で囁き、私を人混みから連れ出した。
◇
私たちは広場を離れ、海に面した静かなテラスへとやってきた。 ここからは、遠くに見える祭りの明かりと、海面に映る月影が見渡せる。 波の音だけが静かに響く、二人だけの空間。
夜風が火照った頬を冷やしてくれる。 レオンは手すりに寄りかかり、仮面を外した。 月明かりに照らされた素顔は、今まで見たどの瞬間よりも美しく、そして切実な表情をしていた。
「……エリザ」
「はい」
「俺は、ずっと探していたんだ」
彼は静かに語り始めた。
「王宮という鳥籠の中で、偽りの笑顔に囲まれ、誰も信じられずにいた。……俺が必要とされているのは『第二王子』という肩書きだけで、俺自身を見てくれる人間なんていないと思っていた」
彼はアメジストの瞳で私を射抜いた。
「でも、君は違った。君は俺が王子だと知らずに助けてくれた。俺の作った歪なグラスを大事だと言ってくれた。俺の弱さも、情けなさも、全て受け入れてくれた」
彼は一歩、私に近づいた。
「君が実家で味わった孤独と、俺が王宮で感じていた孤独は、どこか似ていたのかもしれない。……だからこそ、俺たちは出会うべくして出会ったんだと思う」
「レオン……」
「俺は、君の強さに惹かれた。そして、その強さの下に隠された脆さを、守りたいと思った」
彼は私の手を取り、その甲に口づけ、そして視線を上げた。
「エリザ・フェルゼン。……俺は、君を愛している」
ストレートな言葉。 飾らない、魂からの告白。
私の胸が、張り裂けそうなほど高鳴った。 カイルに言われた、薄っぺらい「愛してる」とは重みが違う。 この言葉には、彼の人生と、覚悟が乗っている。
「……私で、いいの?」
私は震える声で尋ねた。
「私は可愛げもないし、仕事人間だし、実家はあんなだし……」
「君がいい。いや、君じゃなきゃダメだ」
彼は即答した。
「君の『可愛げのなさ』も、仕事熱心なところも、全部ひっくるめて愛おしいんだ。……俺の人生に、君という光を灯してくれないか?」
涙が溢れた。 今夜、何度泣けば気が済むのだろう。 でも、これは悲しみの涙ではない。 溢れすぎて受け止めきれないほどの、幸福の涙だ。
「……はい」
私は精一杯の笑顔で頷いた。
「私でよければ……貴方の光になります。……私も、レオンが好き。大好きよ」
「エリザ……!」
レオンは感極まったように私を引き寄せ、強く抱きしめた。 彼の鼓動が、私の胸に直接伝わってくる。 痛いくらいの強さ。 でも、それが心地いい。
彼はゆっくりと私の顔を覗き込み、そして顔を近づけてきた。 私は静かに目を閉じた。
唇に触れたのは、甘いクッキーの味と、そして熱い想い。 波の音も、遠くの音楽も、全てが遠のいていく。 世界には今、私たち二人だけ。
長く、そして優しい口づけ。 星々が見守る中、私たちは永遠の愛を誓い合った。
「……王都へ戻ろう」
唇を離した後、レオンは決意に満ちた声で言った。
「え?」
「俺たちの未来のために、片付けなければならないことがある。……君の名誉を回復し、あの愚かな家族たちに正当な裁きを下すために」
「……そうね」
私は頷いた。 この楽園に逃げているだけでは、本当の幸せは掴めない。 過去と決着をつけ、堂々と胸を張って生きるために。 そして、彼の隣にふさわしい女性になるために。
「行きましょう、レオン。……地獄(王都)へ。そして、最後の大掃除をしてやりましょう」
「ああ。俺がついてる。……絶対に、君を一人にはしない」
星空の下、私たちは新たな戦いへの決意を固めた。 手を取り合い、見つめ合うその瞳には、もはや一片の迷いもなかった。
◇
一方その頃。 フェルゼン伯爵たちが幽閉されているゲストハウス。
「うう……腹減った……」 「なんで私たちだけこんな目に……」 「あのキラキラした光は何なのよ……私、パーティに行きたい……」
窓の隙間から、遠くの祭りの灯りを見つめる四人の影。 彼らはまだ知らなかった。 明日、王都から「本物の」断罪の使者がやってくることを。 そして、エリザとレオンによる、徹底的な「倍返し」が始まることを。
星祭りの夜は更けていく。 ある者には最高の祝福を、ある者には破滅への序章を告げながら。
――次回、『王都からの使者、到着。父と義妹がボロボロの馬車で現れたようですが、門前払いしていいですか?』。 ……おっと、タイトルが少し違いますね。王都から来るのは父たちではありません(もういます)。 次回は『王都への凱旋決意。そして、父と義妹の最後の悪あがきが、あまりにもお粗末すぎて失笑レベルでした』。 いよいよ物語はクライマックスへ向けて加速します!
日が沈み、群青色の帷(とばり)が下りると同時に、街中の明かりが一斉に消された。 代わって灯されたのは、無数の魔法灯と、揺らめく蝋燭の炎。 海面には月光が道を作り、空には今にも零れ落ちそうな満天の星々が輝いている。
「……綺麗」
私は自室の窓からその光景を見下ろし、感嘆の息を漏らした。 王都の夜会のような、人工的でギラギラした輝きではない。 もっと静かで、神聖で、それでいて温かい光の世界。
「エリザ様、そろそろお支度の時間ですよ」
部屋に入ってきたのは、祖母エレオノーラと、数人の専属メイドたちだった。 彼女たちの手には、今夜のために仕立てられた特別なドレスが抱えられている。
「さあ、エリザ。今夜のあなたは、この夜空の星々さえ霞むほどの美しさよ。覚悟なさい」
祖母は少女のように目を輝かせ、ドレスを広げた。
それは、息を呑むほど美しい『星空のドレス』だった。 生地は、夜の海を思わせる深いミッドナイトブルーのシルク。 その表面には、ダイヤモンドの粉末を織り込んだ特殊な糸で、無数の星座が刺繍されている。 動くたびにキラキラと繊細な光を放ち、まるで宇宙そのものを身に纏っているかのようだ。
「こ、これを私が……?」
「ええ。フェルゼン領の『姫君』にふさわしい装いよ。さあ、座って」
私は鏡台の前に座らされ、魔法のような手際で磨き上げられていった。 髪は緩やかに巻き上げられ、星を模した真珠のピンで留められる。 肌にはパールパウダーがはたかれ、月光の下で艶やかに光るように仕上げられた。 首元には、昨日の家族会議で父たちに見せつけたルビーではなく、より上品で神秘的なサファイアのチョーカーが飾られた。
「……完璧だわ」
支度を終えた私を見て、祖母が満足げに頷いた。
「鏡をご覧なさい、エリザ」
恐る恐る鏡を覗き込む。 そこに映っていたのは、私であって私ではない、どこかの国の王女のような女性だった。 王都で「地味だ」「華がない」と言われ続け、自分でもそう思い込んでいた私の姿は、どこにもない。
「自信をお持ちなさい。あなたは誰よりも美しいわ」
祖母が背中をポンと叩いてくれた。
「ありがとうございます、おばあ様。……行ってきます」
私は深呼吸をし、重厚な裾を翻して部屋を出た。 今夜、私は生まれ変わる。 過去の呪縛を解き放ち、新しい自分として、大切な人の元へ向かうのだ。
◇
待ち合わせ場所は、屋敷の庭園にある噴水広場だった。 水の流れる音が心地よく響く中、私は胸の高鳴りを抑えながら石畳を歩いた。
そこに、彼がいた。
月の光を浴びて佇む、一人の騎士。 レオンだ。
今日の彼は、いつものラフなシャツ姿ではなかった。 仕立ての良い漆黒の燕尾服に、銀糸の刺繍が入ったマントを羽織っている。 その腰には儀礼用の剣を佩き、凛とした立ち姿は、まさに物語から飛び出してきた王子のようだ。 そして、その顔には――目元を隠すように、銀色の仮面がつけられていた。
「……レオン?」
私が声をかけると、彼はゆっくりと振り返った。 仮面の奥にあるアメジストの瞳が、私を捉えて揺れた。
「……言葉が出ないな」
彼は私の元へ歩み寄り、芝居がかった動作で片膝をついた。
「今夜の星々が地上に降りてきたのかと思ったよ。……美しい、エリザ」
「貴方こそ。……その仮面は?」
「ああ、これは今夜の趣向だ。星祭りの夜は、誰もが身分を隠して一人の男女に戻る……というのが、この祭りの裏テーマらしいからね」
彼は悪戯っぽく口角を上げた。
「それに、素顔のままだと、君に見惚れて理性なき男になってしまいそうだから、これで視界を制限しているんだ」
「ふふ、お上手ね」
「本心だよ」
彼は立ち上がり、白い手袋をした手を差し出した。
「参りましょうか、我が姫君。今夜のエスコートは、この『名もなき騎士』にお任せを」
「ええ、お願いするわ」
私は彼の手を取り、その温もりに安堵した。 仮面をつけていても、その手の大きさも、優しさも、私の知っているレオンそのものだ。
私たちは腕を組み、賑わう街へと繰り出した。
◇
街は、光と音の洪水だった。 通りという通りにランタンが飾られ、仮装した人々が踊り歩いている。 屋台からは香ばしい串焼きや、甘い焼き菓子の匂いが漂い、吟遊詩人の奏でるリュートの音色が風に乗って聞こえてくる。
「すごい人出ね!」
「ああ。みんな楽しそうだ」
私たちは人波を縫うように歩いた。 普段なら人混みは苦手だけれど、レオンがしっかりと肩を抱いて守ってくれるおかげで、不安は全く感じない。
「あ、あれを食べよう」
レオンが指差したのは、星の形をしたクッキーに、色とりどりのアイシングをしたお菓子だった。 『願い星のクッキー』と呼ばれ、これを二人で半分こして食べると、永遠に結ばれるというジンクスがあるらしい。 ……ベタだけど、今の私にはそのベタさが嬉しい。
「半分こ、ね」
パキリ。 クッキーを割り、互いの口に運び合う。 甘い砂糖の味が広がり、自然と笑顔がこぼれる。
「……甘いな」
「そうね」
「君との時間は、もっと甘いけど」
「……もう! そういう台詞、どこで覚えてくるの?」
私が照れて彼を小突くと、レオンは楽しそうに笑った。 実家の家族たちのことで荒んでいた心が、彼と一緒にいると嘘のように洗われていく。
やがて、祭りのメインイベントである『ランタン上げ』の時間が近づいてきた。 私たちは広場へ移動し、一つだけランタンを購入した。 薄い紙で作られたそのランタンに、願い事を書いて空に飛ばすのだ。
「何を書く?」
レオンにペンを渡され、私は少し考えた。 『実家が滅びますように』? いや、そんな呪いのような願いを、この神聖な夜に捧げるのは野暮だ。彼らのことなど、私の願いの片隅にも置きたくない。
『もっと美味しいものが食べられますように』? それもいいけど、少し食い意地が張りすぎている。
私は筆を走らせた。 そして、少し恥ずかしそうにレオンに見せた。
『今の幸せが、ずっと続きますように』
シンプルすぎるかもしれない。 でも、これが今の私の偽らざる本心だった。
「……いい願いだ」
レオンは優しく微笑み、その横に自分の願いを書き添えた。
『彼女の願いが、全て叶いますように』
「っ……レオン」
「俺の願いは、君が幸せであることだけだからな」
彼は真面目な顔で言った。 胸が熱くなる。 この人は、どこまで私を大切にしてくれるのだろう。
「さあ、飛ばそう」
二人でランタンの底を持ち、中に火を灯す。 ふわりと、熱を含んだランタンが浮かび上がろうとする。 「せーの!」
手を離すと、私たちのランタンはゆっくりと夜空へ舞い上がった。 周囲でも一斉に何千ものランタンが放たれ、夜空はオレンジ色の光の海となった。 星とランタンが混じり合い、どちらが空でどちらが地かわからないほどの幻想的な光景。
「綺麗……」
私は空を見上げたまま、涙が溢れそうになるのを堪えた。 美しい。 世界はこんなにも美しかったんだ。
レオンがそっと、私の手を握った。 強く、確かな力で。 私も握り返す。 言葉はいらなかった。 ただ、繋いだ手の温もりだけが、真実だった。
◇
ランタン上げが終わると、広場の中央でダンスパーティが始まった。 楽団がワルツを奏で始め、仮面をつけた紳士淑女たちが踊り出す。 そこはもう、身分も年齢も関係ない。 ただ音楽に身を委ね、この瞬間を楽しむための舞踏会だ。
「踊っていただけますか、マイ・レディ?」
レオンが恭しくお辞儀をした。
「……喜んで」
私はスカートの裾をつまみ、カーテシーを返した。
彼の手が私の腰に添えられ、私の手は彼の肩へ。 ステップを踏み出す。
王都の夜会で踊ったことは何度もある。 でも、それは「義務」だった。 カイルとのダンスは、いつも彼が私の足を踏まないかヒヤヒヤし、彼のリードが下手なのを私が必死にカバーするだけの作業だった。 周囲の視線を気にし、完璧な笑顔を張り付け、心の中では「早く終わればいいのに」と思っていた。
けれど、レオンとのダンスは違った。
彼のリードは完璧だった。 力強く、それでいて強引さはない。 まるで私の次の動きを予知しているかのように、スムーズに身体を導いてくれる。 私が右へ行こうとすれば彼も右へ。回ろうとすれば絶妙なタイミングで支えてくれる。
「……すごい」
私は驚いて彼を見上げた。
「貴方、ダンスもこんなに上手だったの?」
「騎士たるもの、剣術だけでなく舞踏も嗜みだからね。……それに、パートナーが最高だからさ」
仮面の奥の瞳が笑っている。 私たちはまるで一つの生き物になったかのように、フロアを滑るように踊った。 回転するたびに、私のドレスの星々が煌めき、まるで銀河の中を漂っているような浮遊感に包まれる。
周囲の人々が道を開け、私たちを見つめているのがわかった。 でも、今は視線なんて気にならない。 世界には私とレオン、二人しかいないような感覚。
音楽が盛り上がり、クライマックスへと向かう。 激しいステップ。 呼吸が合う。 心臓の鼓動が重なる。
ジャンッ!
曲が終わり、レオンが私を抱き止める形でポーズを決めた。 広場中から割れんばかりの拍手が湧き起こる。
「はぁ……はぁ……楽しかった」
私は息を弾ませながら言った。
「ああ。俺もだ。……もう少し、静かなところへ行こうか」
レオンは私の耳元で囁き、私を人混みから連れ出した。
◇
私たちは広場を離れ、海に面した静かなテラスへとやってきた。 ここからは、遠くに見える祭りの明かりと、海面に映る月影が見渡せる。 波の音だけが静かに響く、二人だけの空間。
夜風が火照った頬を冷やしてくれる。 レオンは手すりに寄りかかり、仮面を外した。 月明かりに照らされた素顔は、今まで見たどの瞬間よりも美しく、そして切実な表情をしていた。
「……エリザ」
「はい」
「俺は、ずっと探していたんだ」
彼は静かに語り始めた。
「王宮という鳥籠の中で、偽りの笑顔に囲まれ、誰も信じられずにいた。……俺が必要とされているのは『第二王子』という肩書きだけで、俺自身を見てくれる人間なんていないと思っていた」
彼はアメジストの瞳で私を射抜いた。
「でも、君は違った。君は俺が王子だと知らずに助けてくれた。俺の作った歪なグラスを大事だと言ってくれた。俺の弱さも、情けなさも、全て受け入れてくれた」
彼は一歩、私に近づいた。
「君が実家で味わった孤独と、俺が王宮で感じていた孤独は、どこか似ていたのかもしれない。……だからこそ、俺たちは出会うべくして出会ったんだと思う」
「レオン……」
「俺は、君の強さに惹かれた。そして、その強さの下に隠された脆さを、守りたいと思った」
彼は私の手を取り、その甲に口づけ、そして視線を上げた。
「エリザ・フェルゼン。……俺は、君を愛している」
ストレートな言葉。 飾らない、魂からの告白。
私の胸が、張り裂けそうなほど高鳴った。 カイルに言われた、薄っぺらい「愛してる」とは重みが違う。 この言葉には、彼の人生と、覚悟が乗っている。
「……私で、いいの?」
私は震える声で尋ねた。
「私は可愛げもないし、仕事人間だし、実家はあんなだし……」
「君がいい。いや、君じゃなきゃダメだ」
彼は即答した。
「君の『可愛げのなさ』も、仕事熱心なところも、全部ひっくるめて愛おしいんだ。……俺の人生に、君という光を灯してくれないか?」
涙が溢れた。 今夜、何度泣けば気が済むのだろう。 でも、これは悲しみの涙ではない。 溢れすぎて受け止めきれないほどの、幸福の涙だ。
「……はい」
私は精一杯の笑顔で頷いた。
「私でよければ……貴方の光になります。……私も、レオンが好き。大好きよ」
「エリザ……!」
レオンは感極まったように私を引き寄せ、強く抱きしめた。 彼の鼓動が、私の胸に直接伝わってくる。 痛いくらいの強さ。 でも、それが心地いい。
彼はゆっくりと私の顔を覗き込み、そして顔を近づけてきた。 私は静かに目を閉じた。
唇に触れたのは、甘いクッキーの味と、そして熱い想い。 波の音も、遠くの音楽も、全てが遠のいていく。 世界には今、私たち二人だけ。
長く、そして優しい口づけ。 星々が見守る中、私たちは永遠の愛を誓い合った。
「……王都へ戻ろう」
唇を離した後、レオンは決意に満ちた声で言った。
「え?」
「俺たちの未来のために、片付けなければならないことがある。……君の名誉を回復し、あの愚かな家族たちに正当な裁きを下すために」
「……そうね」
私は頷いた。 この楽園に逃げているだけでは、本当の幸せは掴めない。 過去と決着をつけ、堂々と胸を張って生きるために。 そして、彼の隣にふさわしい女性になるために。
「行きましょう、レオン。……地獄(王都)へ。そして、最後の大掃除をしてやりましょう」
「ああ。俺がついてる。……絶対に、君を一人にはしない」
星空の下、私たちは新たな戦いへの決意を固めた。 手を取り合い、見つめ合うその瞳には、もはや一片の迷いもなかった。
◇
一方その頃。 フェルゼン伯爵たちが幽閉されているゲストハウス。
「うう……腹減った……」 「なんで私たちだけこんな目に……」 「あのキラキラした光は何なのよ……私、パーティに行きたい……」
窓の隙間から、遠くの祭りの灯りを見つめる四人の影。 彼らはまだ知らなかった。 明日、王都から「本物の」断罪の使者がやってくることを。 そして、エリザとレオンによる、徹底的な「倍返し」が始まることを。
星祭りの夜は更けていく。 ある者には最高の祝福を、ある者には破滅への序章を告げながら。
――次回、『王都からの使者、到着。父と義妹がボロボロの馬車で現れたようですが、門前払いしていいですか?』。 ……おっと、タイトルが少し違いますね。王都から来るのは父たちではありません(もういます)。 次回は『王都への凱旋決意。そして、父と義妹の最後の悪あがきが、あまりにもお粗末すぎて失笑レベルでした』。 いよいよ物語はクライマックスへ向けて加速します!
293
あなたにおすすめの小説
婚約辞退いたします。だってこの国、沈みますもの
鍛高譚
恋愛
「婚約はお断りいたします――この国は近い将来、崩壊しますので」
そう言い放ったのは、社交界でも目立たない子爵令嬢、マリン・アクアリウム。
ある日、とある舞踏会に突如現れた王太子ガイア殿下。
誰もが驚く中、なんと彼はマリンに婚約を申し出る。
周囲は騒然。「子爵令嬢が王太子妃!?」「断る理由などないはず!」
――だが、彼女は断った。「この国は、もうすぐ滅びます」――と。
そんな不吉な言葉を口にしたことで、彼女は“狂言癖のある嘘つき令嬢”と噂され、
家族にさえ見放され、ついには国外追放の身に。
だが、彼女の予言は本物だった――
数年後、王国に未曾有の大災厄が迫る。
国土が崩れ、海に沈む都市。人々が絶望する中、思い出されるのは、
あの舞踏会でただひとり“滅び”を告げた少女の名。
「彼女なら、この国を救えるかもしれない……」
皮肉にも“追放令嬢”マリンは、再び王都に呼び戻され、
滅びゆく国で最後の希望として担ぎ上げられる。
信じてもらえなかった過去。
それでも人々の命を守ろうと奔走するマリン。
そして、王子ガイアが差し伸べた、あの日と変わらぬ手。
――たとえ国が滅んでも、あなたとともに歩んでいきたい。
蔑まされた没落貴族家の悪役令嬢ですが、この舞台の主役は私がやらせていただきます!
あぷりこっと
恋愛
「君の嫉妬深さにはもう辟易しているんだ」
婚約者のハイベルクにそう告げられた瞬間、レーウは確信した。
――計画通り。
何も知らない侯爵令嬢ランダ。王国最強と謳われた騎士団長ハイベルク。彼がその双剣を振るう相手を間違えた時、破滅のカウントダウンは始まった。
世間がレーウを嫉妬に狂った没落家の伯爵令嬢と蔑んでいる間、彼女は自警団と共に貴族院の秘密を暴き敵の逃げ場を奪い続けていた。
格安警備会社へのすり替え、配電盤の掌握、そして夜視の魔導具。
感情を切り捨て毒となった令嬢が公爵邸舞踏会を、社会的抹殺の舞台へと変える。
「不運と踊る?……いいえ。私に踊らされていたのだと、地獄で気づきなさい!!」
※ヒロインの活躍が凛々しいので応援してください♪
「お前を愛することはない」と言われたお飾りの妻ですが、何か?
あんど もあ
ファンタジー
「お前を愛することはない!」「そんな事を言うために女性の寝室に押し入ったのですか? もう寝るつもりで化粧を落として髪をほどいて寝着に着替えてるのに! 最っ低!」
仕事大好き女が「お飾りの妻最高!」と恋愛感情無しで結婚したらこうなるよね、というお話。
あなたの幸せを祈ってる
あんど もあ
ファンタジー
ルイーゼは、双子の妹ローゼリアが病弱に生まれたために、「お前は丈夫だから」と15年間あらゆる事を我慢させられて来た。……のだが、本人は我慢させられていると言う自覚が全く無い。とうとう我慢のしすぎで命の危機となってしまい、意図せぬざまぁを招くのだった。
ドアマットだと自覚してないドアマット令嬢のお話。
追放令嬢のスローライフ。辺境で美食レストランを開いたら、元婚約者が「戻ってきてくれ」と泣きついてきましたが、寡黙な騎士様と幸せなのでお断り!
緋村ルナ
ファンタジー
「リナ・アーシェット公爵令嬢!貴様との婚約を破棄し、辺境への追放を命じる!」
聖女をいじめたという濡れ衣を着せられ、全てを奪われた悪役令嬢リナ。しかし、絶望の淵で彼女は思い出す。――自分が日本のOLで、家庭菜園をこよなく愛していた前世の記憶を!
『悪役令嬢?上等じゃない!これからは大地を耕し、自分の手で幸せを掴んでみせるわ!』
痩せた土地を蘇らせ、極上のオーガニック野菜で人々の胃袋を掴み、やがては小さなレストランから国をも動かす伝説を築いていく。
これは、失うことから始まった、一人の女性の美味しくて最高に爽快な逆転成り上がり物語。元婚約者が土下座しに来た頃には、もう手遅れです!
追放したんでしょ?楽しく暮らしてるのでほっといて
だましだまし
ファンタジー
私たちの未来の王子妃を影なり日向なりと支える為に存在している。
敬愛する侯爵令嬢ディボラ様の為に切磋琢磨し、鼓舞し合い、己を磨いてきた。
決して追放に備えていた訳では無いのよ?
婚約破棄が聞こえません
あんど もあ
ファンタジー
私は、真実の愛に目覚めた王子に王立学園の卒業パーティーで婚約破棄を宣言されたらしいです。
私には聞こえないのですが。
王子が目の前にいる? どこに?
どうやら私には王子が見えなくなったみたいです。
※「承石灰」は架空の物質です。実在の消石灰は目に入ると危険ですのでマネしないでね!
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる