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第16話:『祖父、ブチギレる。「わしの孫を侮辱した罪、万死に値する」……おじい様、物理攻撃はやめてください』
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時計の針を、ほんの少しだけ巻き戻そう。 それは、王宮の大広間で、第二王子レオンハルトによる「断罪劇」がクライマックスを迎えた直後のことだった。
「――この者たちを捕らえよ! 国家予算横領、および王族への不敬罪だ!」
レオンの高らかな宣言により、会場に控えていた近衛兵たちが一斉に動き出した。 騎士団長夫妻は腰を抜かし、その息子カイルは「嘘だ、嘘だ」と現実逃避の言葉を繰り返している。
周囲の貴族たちは、あまりの急展開と、レオンの圧倒的な覇気に呑まれ、息を殺してその光景を見守っていた。 正義は執行された。 悪は裁かれた。 誰もがそう思い、この劇の幕引きを予感した、その瞬間だった。
ドゴォォォォォォォォン!!!
会場の巨大な扉が、まるで巨人の拳で殴られたかのように悲鳴を上げ、内側へと大きく歪んだ。 いや、実際に何かがぶつかったような衝撃音が、広間全体を揺らしたのだ。
「な、なんだ!?」 「襲撃か!?」
貴族たちが悲鳴を上げ、近衛兵たちが慌てて槍を構える。 しかし、レオンだけは「やれやれ」といった顔で剣を収め、私――エリザは、扇子で顔を覆って天を仰いだ。
(……来ちゃった)
土煙が舞う入り口から、カツーン、カツーンという、底冷えするような足音が響いてくる。 その足音に合わせて、会場の温度が一度、また一度と下がっていくような錯覚すら覚える。 現れたのは、一人の老紳士だった。 背筋を剣のように伸ばし、漆黒の礼服を完璧に着こなした、白髪の老人。 その手には、年代物のステッキが握られている。 そしてその背後には、氷の微笑を浮かべた美しい老婦人が控えている。
「ギ、ギルバート辺境伯……!?」
誰かが震える声でその名を呼んだ。 かつて『氷の宰相』と呼ばれ、国王陛下ですら頭が上がらないと言われる伝説の政治家。 そして、私の最愛にして最強の祖父、ギルバート・フォン・フェルゼンその人である。
祖父は会場の中央まで進み出ると、立ち止まった。 その鋭い眼光が、会場を一周する。 たったそれだけで、数千人の貴族たちが蛇に睨まれた蛙のように硬直した。
「……騒がしいのう」
祖父が低く呟いた。 その声は決して大きくないのに、会場の隅々まで染み渡るような重圧感を持っていた。
「王宮の夜会ともあろうものが、まるで猿の宴会のように騒がしい。……品位というものが地に落ちたか?」
祖父の視線が、床にへたり込んでいる騎士団長一家に向けられた瞬間。 空気が、ビリリと音を立てて凍りついた。
「ひっ……!」
騎士団長が、短い悲鳴を上げて後ずさる。 無理もない。彼は若かりし頃、祖父の部下として扱かれていた時期があるのだ。彼にとって祖父は、上司以上の「絶対的な恐怖の対象」なのだろう。
「き、閣下……! お、お久しぶりでございま……」
「黙れ」
祖父の一言で、騎士団長の言葉は物理的に封じられた。 祖父はステッキで床をコツンと叩いた。
「貴様が騎士団長に就任した時、わしは何と言ったか覚えているか? 『その剣は国と民を守るために振るえ。私利私欲のために使うな』と教えたはずだが……どうやら、わしの教育が行き届かなかったようだな」
「あ、あわわ……申し訳ございません、申し訳ございません……!」
「謝罪などいらん。……貴様が横領した金、その総額はすでに算出済みだ。貴様の私財を全て没収しても足りん額だぞ? どう落とし前をつけるつもりだ?」
祖父が一歩踏み出すたびに、騎士団長は震え上がり、ついに泡を吹いて気絶した。 脆い。あまりにも脆すぎる。
「ふん、軟弱者が。……さて」
祖父の視線が、次はカイルに移った。 カイルは恐怖で涙目になりながら、必死に私の後ろ(レオンの後ろ)に隠れようとしている。 なんて情けない男なのだろう。
「そこの小僧」
「ひいっ! ぼ、僕は関係ありません! 僕はただ、父上に言われて……!」
「関係ない、だと?」
祖父のこめかみに、青筋がピキリと浮かんだ。 周囲の空気が振動し始める。これはまずい。おじい様の「魔力(キレゲージ)」が臨界点に近い。
「わしは聞いたぞ。先ほど、貴様がエリザに対して放った言葉をな」
祖父は会場の外で待機していたはずだが、どうやら聴覚強化の魔法を使っていたらしい。 「『愛人として置いてやってもいい』……だったか?」
「そ、それは……言葉のアヤで……!」
「ほう、言葉のアヤか。……わしの目に入れても痛くない、至高の宝石である孫娘に対して、『愛人』などという言葉を吐いたことが、アヤで済むと思っているのか?」
ゴゴゴゴゴ……!
祖父の背後に、具現化した殺気が黒いオーラとなって立ち昇る。 シャンデリアが揺れ、窓ガラスにヒビが入る。 貴族たちが「きゃあああ!」「逃げろ!」とパニックになりかけたが、祖母が涼しい顔で「皆様、お静かに。ただの家族会議ですわ」と微笑んだため、誰も動けなくなった。
「貴様のような男は、生きているだけで酸素の無駄だ。……エリザを傷つけ、侮辱し、その心を蔑ろにした罪。万死に値する!」
祖父がステッキを振り上げた。 その先端に、真っ赤な魔法陣が展開される。 あ、あれは。 上級火魔法『紅蓮の鉄槌』の詠唱省略版!? 室内でぶっ放したら、王宮の半分が吹き飛ぶわよ!?
「死ねぇぇぇッ!! 灰になれぇぇぇッ!!」
「い、嫌だぁぁぁ! 助けてくれぇぇぇ!」
カイルが絶叫し、失禁した。 レオンもさすがに「閣下! それはマズい!」と止めに入ろうとするが、祖父の殺気に押されて近づけない。
私はため息をつき、扇子を閉じた。 そして、スタスタと祖父の元へ歩み寄った。
「おじい様」
「ええい、止めるなエリザ! この害虫を駆除せねば、わしの気が済まんのだ! こやつは貴様を泣かせたのだぞ!?」
「ええ、知っています。でも、おじい様」
私は祖父の振り上げた腕に、そっと手を添えた。
「ここで彼を灰にしてしまったら、掃除が大変ではありませんか?」
「……む?」
「それに、一瞬で楽にしてあげるなんて、生温いと思いますわ。……彼には、もっと長く、苦しい『現実』を味わってもらわなければ」
私がニッコリと微笑むと、祖父は「はっ」として魔法陣を霧散させた。
「……そうだな。エリザの言う通りだ。怒りに任せて殺してしまっては、こやつの罪を償わせることにならん」
祖父はステッキを下ろし、愛おしそうに私の頭を撫でた。
「さすがはわしの孫だ。慈悲深く、そして賢い。……よし、物理攻撃は中止だ」
会場中が、一斉に安堵のため息を漏らした。 カイルは腰が抜けて動けなくなっている。
「その代わり!」
祖父は冷酷な笑みを浮かべて、カイルを見下ろした。
「貴様には、フェルゼン領の『北の鉱山』での強制労働を命じる。期間は……そうだな、貴様が死ぬまでだ」
「こ、鉱山……?」
「うむ。あそこは魔石が採れる貴重な場所だが、環境が少々過酷でな。魔獣も出るし、落盤も多い。……貴様のその細腕で、どこまで耐えられるか見ものだな」
「そ、そんな……僕は騎士だぞ! 剣を持つ手でつるはしを握れというのか!?」
「剣? 貴様はもう除名されたと言っただろう。今の貴様はただの罪人だ。……感謝しろよ? 衣食住は(最低限)保証してやるのだからな」
祖父の宣告は、死刑宣告よりも重かった。 一生、暗い地下で労働し続ける未来。 プライドの高いカイルにとって、それは地獄以上の苦しみだろう。
「連れて行け」
祖父が顎をしゃくると、待機していた衛兵たちが、ゴミを拾うようにカイルと騎士団長を引きずっていった。
「嫌だぁぁ! エリザ! エリザぁぁぁ!」
カイルの絶叫が遠ざかっていく。 私は一度も振り返らなかった。 彼への感情は、もう「無」しかない。同情も、憎しみさえも、枯れ果てていた。
◇
騒動が収束した後。 私たちは王宮の控え室で、事後の祝杯(お茶)を挙げていた。
「やれやれ。久しぶりに大声を出して喉が渇いたわい」
祖父は上機嫌で紅茶を飲んでいる。 さっきまでの修羅のような姿はどこへやら、今はただの好々爺に戻っていた。
「おじい様、やりすぎです。陛下も苦笑いされていましたよ」
私が苦言を呈すると、祖父は「ふん」と鼻を鳴らした。
「陛下も昔、わしに散々絞られた仲だからな。何も言えんよ」
恐るべし、元宰相。
「それにしても、レオンハルト殿下」
祖父が急に真面目な顔になり、レオンに向き直った。 レオンは背筋を伸ばし、祖父と対峙した。
「はい、閣下」
「今回の件、見事だった。貴様の采配と、エリザを守ろうとする気概……合格点を与えよう」
「ありがとうございます」
「だがな」
祖父の目が、再び鋭く光った。
「これで終わりではないぞ。これからが始まりだ。……エリザは王族に嫁ぐことになる。苦労も多いだろう。敵も多いだろう」
「……はい」
「もし、エリザが涙を流すようなことがあれば……その時はわしが、今度こそ本気で王都ごと焼き払うからな。覚悟しておけ」
それは脅しではなく、事実上の予言だった。 レオンはしかし、怯むことなく真っ直ぐに祖父を見返した。
「肝に銘じます。……ですが、その心配はありません」
レオンは私の手を握り、強く言った。
「私が、彼女を泣かせません。彼女の流す涙は、嬉し涙だけにすると誓います」
「……ほう」
祖父はしばらくレオンを睨みつけていたが、やがてフッと口元を緩めた。
「……若いな。まあ、その意気や良し」
「あなた、素直じゃないわねぇ。本当は『いい婿が見つかってよかった』と思っているくせに」
祖母が茶化すと、祖父は「う、うるさい!」と顔を赤くした。 なんて平和な光景なのだろう。 さっきまでの断罪劇が嘘のようだ。
「エリザ」
レオンが私を見た。
「これで、障害はなくなった。……これからは、俺たちで新しい物語を作っていこう」
「ええ、レオン」
私は彼に微笑み返した。 王都での戦いは終わった。 でも、私たちの人生はここからが本番だ。
◇
数日後。 王都の警備隊留置所から、数台の護送馬車が出発した。 一台には、フェルゼン伯爵(元)、カテリーナ、マリア。 もう一台には、元騎士団長夫妻とカイル。
彼らの行き先は、それぞれ違う。 伯爵は北の鉱山(カイルと同じ)。 カテリーナとマリアは、遠方の修道院(という名の更生施設)。 騎士団長は国境警備隊への左遷(実質的な追放)。
「嫌だぁぁ! 私は公爵夫人になるはずだったのにぃぃ!」 マリアの叫び声が、王都の空に虚しく響いたという。
一方、王都の新聞は連日、私とレオンの話題で持ちきりだった。 『奇跡の令嬢、第二王子と婚約!』 『フェルゼン辺境伯の孫娘、国の救世主に!?』
そんな喧騒をよそに、私たちは王宮のテラスで、二人きりの時間を過ごしていた。
「ねえ、レオン」
「ん?」
「私、一つだけ心残りがあるの」
「なんだい? 言ってみてくれ。どんな願いでも叶えるよ」
私は少し悪戯っぽく笑った。
「……リゾートの『カニ』、食べ足りなかったなぁって」
レオンは目を丸くし、それから大声で笑った。
「ははは! そこか! 君らしいな」
「だって、本当に美味しかったんですもの」
「わかった。じゃあ、結婚式のハネムーンは、またあのリゾートに行こう。今度は誰にも邪魔されず、心ゆくまでカニを食べよう」
「約束よ?」
「ああ、約束だ」
私たちは指切りをした。 子供のような約束だけれど、今の私にとっては、どんな宝石よりも輝いて見える未来の約束だ。
「――この者たちを捕らえよ! 国家予算横領、および王族への不敬罪だ!」
レオンの高らかな宣言により、会場に控えていた近衛兵たちが一斉に動き出した。 騎士団長夫妻は腰を抜かし、その息子カイルは「嘘だ、嘘だ」と現実逃避の言葉を繰り返している。
周囲の貴族たちは、あまりの急展開と、レオンの圧倒的な覇気に呑まれ、息を殺してその光景を見守っていた。 正義は執行された。 悪は裁かれた。 誰もがそう思い、この劇の幕引きを予感した、その瞬間だった。
ドゴォォォォォォォォン!!!
会場の巨大な扉が、まるで巨人の拳で殴られたかのように悲鳴を上げ、内側へと大きく歪んだ。 いや、実際に何かがぶつかったような衝撃音が、広間全体を揺らしたのだ。
「な、なんだ!?」 「襲撃か!?」
貴族たちが悲鳴を上げ、近衛兵たちが慌てて槍を構える。 しかし、レオンだけは「やれやれ」といった顔で剣を収め、私――エリザは、扇子で顔を覆って天を仰いだ。
(……来ちゃった)
土煙が舞う入り口から、カツーン、カツーンという、底冷えするような足音が響いてくる。 その足音に合わせて、会場の温度が一度、また一度と下がっていくような錯覚すら覚える。 現れたのは、一人の老紳士だった。 背筋を剣のように伸ばし、漆黒の礼服を完璧に着こなした、白髪の老人。 その手には、年代物のステッキが握られている。 そしてその背後には、氷の微笑を浮かべた美しい老婦人が控えている。
「ギ、ギルバート辺境伯……!?」
誰かが震える声でその名を呼んだ。 かつて『氷の宰相』と呼ばれ、国王陛下ですら頭が上がらないと言われる伝説の政治家。 そして、私の最愛にして最強の祖父、ギルバート・フォン・フェルゼンその人である。
祖父は会場の中央まで進み出ると、立ち止まった。 その鋭い眼光が、会場を一周する。 たったそれだけで、数千人の貴族たちが蛇に睨まれた蛙のように硬直した。
「……騒がしいのう」
祖父が低く呟いた。 その声は決して大きくないのに、会場の隅々まで染み渡るような重圧感を持っていた。
「王宮の夜会ともあろうものが、まるで猿の宴会のように騒がしい。……品位というものが地に落ちたか?」
祖父の視線が、床にへたり込んでいる騎士団長一家に向けられた瞬間。 空気が、ビリリと音を立てて凍りついた。
「ひっ……!」
騎士団長が、短い悲鳴を上げて後ずさる。 無理もない。彼は若かりし頃、祖父の部下として扱かれていた時期があるのだ。彼にとって祖父は、上司以上の「絶対的な恐怖の対象」なのだろう。
「き、閣下……! お、お久しぶりでございま……」
「黙れ」
祖父の一言で、騎士団長の言葉は物理的に封じられた。 祖父はステッキで床をコツンと叩いた。
「貴様が騎士団長に就任した時、わしは何と言ったか覚えているか? 『その剣は国と民を守るために振るえ。私利私欲のために使うな』と教えたはずだが……どうやら、わしの教育が行き届かなかったようだな」
「あ、あわわ……申し訳ございません、申し訳ございません……!」
「謝罪などいらん。……貴様が横領した金、その総額はすでに算出済みだ。貴様の私財を全て没収しても足りん額だぞ? どう落とし前をつけるつもりだ?」
祖父が一歩踏み出すたびに、騎士団長は震え上がり、ついに泡を吹いて気絶した。 脆い。あまりにも脆すぎる。
「ふん、軟弱者が。……さて」
祖父の視線が、次はカイルに移った。 カイルは恐怖で涙目になりながら、必死に私の後ろ(レオンの後ろ)に隠れようとしている。 なんて情けない男なのだろう。
「そこの小僧」
「ひいっ! ぼ、僕は関係ありません! 僕はただ、父上に言われて……!」
「関係ない、だと?」
祖父のこめかみに、青筋がピキリと浮かんだ。 周囲の空気が振動し始める。これはまずい。おじい様の「魔力(キレゲージ)」が臨界点に近い。
「わしは聞いたぞ。先ほど、貴様がエリザに対して放った言葉をな」
祖父は会場の外で待機していたはずだが、どうやら聴覚強化の魔法を使っていたらしい。 「『愛人として置いてやってもいい』……だったか?」
「そ、それは……言葉のアヤで……!」
「ほう、言葉のアヤか。……わしの目に入れても痛くない、至高の宝石である孫娘に対して、『愛人』などという言葉を吐いたことが、アヤで済むと思っているのか?」
ゴゴゴゴゴ……!
祖父の背後に、具現化した殺気が黒いオーラとなって立ち昇る。 シャンデリアが揺れ、窓ガラスにヒビが入る。 貴族たちが「きゃあああ!」「逃げろ!」とパニックになりかけたが、祖母が涼しい顔で「皆様、お静かに。ただの家族会議ですわ」と微笑んだため、誰も動けなくなった。
「貴様のような男は、生きているだけで酸素の無駄だ。……エリザを傷つけ、侮辱し、その心を蔑ろにした罪。万死に値する!」
祖父がステッキを振り上げた。 その先端に、真っ赤な魔法陣が展開される。 あ、あれは。 上級火魔法『紅蓮の鉄槌』の詠唱省略版!? 室内でぶっ放したら、王宮の半分が吹き飛ぶわよ!?
「死ねぇぇぇッ!! 灰になれぇぇぇッ!!」
「い、嫌だぁぁぁ! 助けてくれぇぇぇ!」
カイルが絶叫し、失禁した。 レオンもさすがに「閣下! それはマズい!」と止めに入ろうとするが、祖父の殺気に押されて近づけない。
私はため息をつき、扇子を閉じた。 そして、スタスタと祖父の元へ歩み寄った。
「おじい様」
「ええい、止めるなエリザ! この害虫を駆除せねば、わしの気が済まんのだ! こやつは貴様を泣かせたのだぞ!?」
「ええ、知っています。でも、おじい様」
私は祖父の振り上げた腕に、そっと手を添えた。
「ここで彼を灰にしてしまったら、掃除が大変ではありませんか?」
「……む?」
「それに、一瞬で楽にしてあげるなんて、生温いと思いますわ。……彼には、もっと長く、苦しい『現実』を味わってもらわなければ」
私がニッコリと微笑むと、祖父は「はっ」として魔法陣を霧散させた。
「……そうだな。エリザの言う通りだ。怒りに任せて殺してしまっては、こやつの罪を償わせることにならん」
祖父はステッキを下ろし、愛おしそうに私の頭を撫でた。
「さすがはわしの孫だ。慈悲深く、そして賢い。……よし、物理攻撃は中止だ」
会場中が、一斉に安堵のため息を漏らした。 カイルは腰が抜けて動けなくなっている。
「その代わり!」
祖父は冷酷な笑みを浮かべて、カイルを見下ろした。
「貴様には、フェルゼン領の『北の鉱山』での強制労働を命じる。期間は……そうだな、貴様が死ぬまでだ」
「こ、鉱山……?」
「うむ。あそこは魔石が採れる貴重な場所だが、環境が少々過酷でな。魔獣も出るし、落盤も多い。……貴様のその細腕で、どこまで耐えられるか見ものだな」
「そ、そんな……僕は騎士だぞ! 剣を持つ手でつるはしを握れというのか!?」
「剣? 貴様はもう除名されたと言っただろう。今の貴様はただの罪人だ。……感謝しろよ? 衣食住は(最低限)保証してやるのだからな」
祖父の宣告は、死刑宣告よりも重かった。 一生、暗い地下で労働し続ける未来。 プライドの高いカイルにとって、それは地獄以上の苦しみだろう。
「連れて行け」
祖父が顎をしゃくると、待機していた衛兵たちが、ゴミを拾うようにカイルと騎士団長を引きずっていった。
「嫌だぁぁ! エリザ! エリザぁぁぁ!」
カイルの絶叫が遠ざかっていく。 私は一度も振り返らなかった。 彼への感情は、もう「無」しかない。同情も、憎しみさえも、枯れ果てていた。
◇
騒動が収束した後。 私たちは王宮の控え室で、事後の祝杯(お茶)を挙げていた。
「やれやれ。久しぶりに大声を出して喉が渇いたわい」
祖父は上機嫌で紅茶を飲んでいる。 さっきまでの修羅のような姿はどこへやら、今はただの好々爺に戻っていた。
「おじい様、やりすぎです。陛下も苦笑いされていましたよ」
私が苦言を呈すると、祖父は「ふん」と鼻を鳴らした。
「陛下も昔、わしに散々絞られた仲だからな。何も言えんよ」
恐るべし、元宰相。
「それにしても、レオンハルト殿下」
祖父が急に真面目な顔になり、レオンに向き直った。 レオンは背筋を伸ばし、祖父と対峙した。
「はい、閣下」
「今回の件、見事だった。貴様の采配と、エリザを守ろうとする気概……合格点を与えよう」
「ありがとうございます」
「だがな」
祖父の目が、再び鋭く光った。
「これで終わりではないぞ。これからが始まりだ。……エリザは王族に嫁ぐことになる。苦労も多いだろう。敵も多いだろう」
「……はい」
「もし、エリザが涙を流すようなことがあれば……その時はわしが、今度こそ本気で王都ごと焼き払うからな。覚悟しておけ」
それは脅しではなく、事実上の予言だった。 レオンはしかし、怯むことなく真っ直ぐに祖父を見返した。
「肝に銘じます。……ですが、その心配はありません」
レオンは私の手を握り、強く言った。
「私が、彼女を泣かせません。彼女の流す涙は、嬉し涙だけにすると誓います」
「……ほう」
祖父はしばらくレオンを睨みつけていたが、やがてフッと口元を緩めた。
「……若いな。まあ、その意気や良し」
「あなた、素直じゃないわねぇ。本当は『いい婿が見つかってよかった』と思っているくせに」
祖母が茶化すと、祖父は「う、うるさい!」と顔を赤くした。 なんて平和な光景なのだろう。 さっきまでの断罪劇が嘘のようだ。
「エリザ」
レオンが私を見た。
「これで、障害はなくなった。……これからは、俺たちで新しい物語を作っていこう」
「ええ、レオン」
私は彼に微笑み返した。 王都での戦いは終わった。 でも、私たちの人生はここからが本番だ。
◇
数日後。 王都の警備隊留置所から、数台の護送馬車が出発した。 一台には、フェルゼン伯爵(元)、カテリーナ、マリア。 もう一台には、元騎士団長夫妻とカイル。
彼らの行き先は、それぞれ違う。 伯爵は北の鉱山(カイルと同じ)。 カテリーナとマリアは、遠方の修道院(という名の更生施設)。 騎士団長は国境警備隊への左遷(実質的な追放)。
「嫌だぁぁ! 私は公爵夫人になるはずだったのにぃぃ!」 マリアの叫び声が、王都の空に虚しく響いたという。
一方、王都の新聞は連日、私とレオンの話題で持ちきりだった。 『奇跡の令嬢、第二王子と婚約!』 『フェルゼン辺境伯の孫娘、国の救世主に!?』
そんな喧騒をよそに、私たちは王宮のテラスで、二人きりの時間を過ごしていた。
「ねえ、レオン」
「ん?」
「私、一つだけ心残りがあるの」
「なんだい? 言ってみてくれ。どんな願いでも叶えるよ」
私は少し悪戯っぽく笑った。
「……リゾートの『カニ』、食べ足りなかったなぁって」
レオンは目を丸くし、それから大声で笑った。
「ははは! そこか! 君らしいな」
「だって、本当に美味しかったんですもの」
「わかった。じゃあ、結婚式のハネムーンは、またあのリゾートに行こう。今度は誰にも邪魔されず、心ゆくまでカニを食べよう」
「約束よ?」
「ああ、約束だ」
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