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第19話:『王子妃教育? いえ、まずはハネムーンです。祖父母も「曾孫が見たい」と張り切っています』
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南国の楽園、フェルゼン辺境伯領でのハネムーンも、いよいよ最終日を迎えた。 あの巨大カニとの死闘(?)から一夜明け、私たちは驚くほど穏やかな朝を迎えていた。
窓から差し込む陽光が、白いシーツを黄金色に染めている。 隣には、まだ夢の中にいるレオンの寝顔があった。 普段のキリッとした王太子の顔ではなく、無防備で少年のような寝顔。 長い睫毛が影を落とし、整った鼻筋と薄い唇が、造形美の極致を見せつけている。
(……本当に、綺麗な顔)
私はそっと手を伸ばし、彼の頬を指先でなぞった。 これが私の夫。 国の次期国王であり、私の最愛の人。
「……んぅ……エリザ?」
指先の感触に気づいたのか、レオンがゆっくりと目を開けた。 アメジスト色の瞳が、とろんと私を見つめる。
「おはよう、レオン」
「……おはよう、我が妻よ」
彼は寝ぼけ眼のまま腕を伸ばし、私を抱き寄せた。 朝の体温が心地よく伝わってくる。
「まだ起きたくないな……。このままベッドの中で一日中過ごしたい」
「ダメよ。今日が最終日なんだから。おじい様たちに挨拶に行かないと」
「うーん……祖父殿か。また何か企んでいそうだな」
レオンは苦笑しながら身を起こした。 その予感は、悲しいかな的中することになる。 私たちの祖父母が、ただ手を振って見送ってくれるような「普通の」老人ではないことを、私たちは身にしみて知っていたからだ。
◇
ハネムーン・ヴィラを出て、私たちは馬車で本邸へと向かった。 道中、窓から見える景色を目に焼き付ける。 青い海、白い砂浜、色彩豊かな花々。 そして、すれ違う領民たちの笑顔。
「……帰りたくないなぁ」
つい、本音が漏れた。 王都に戻れば、待っているのは「王太子妃教育」という名の修行の日々だ。 マナー、歴史、語学、ダンス、外交儀礼……。 実務能力には自信があるけれど、王族としての振る舞いはまた別のスキルが必要になる。 あの堅苦しい王宮で、息が詰まるような生活が待っているかと思うと、少しだけ憂鬱になる。
「エリザ」
レオンが私の手を握った。
「そんなに不安そうな顔をするな。……教育係が厳しすぎたら、俺が権力で黙らせるから」
「ふふ、それはダメよ。……私、やるからには完璧な王太子妃になってみせるわ」
「君ならできるさ。……でも、息抜きは必要だ。辛くなったらすぐに言うんだぞ? 夜中にこっそり城を抜け出して、ラーメンを食べに行こう」
「ラーメン? そんなお店、王都にあったかしら?」
「最近、異国の料理人が屋台を出しているらしい。……庶民の味も知っておくのが、良き統治者の務めだからな」
彼は悪戯っぽくウインクした。 そんな彼の優しさに、胸のつかえが取れていく。 そうね。一人じゃない。レオンがいるなら、どんな厳しい教育も乗り越えられる気がする。
◇
本邸に到着すると、玄関ホールにはすでに祖父母が待ち構えていた。 祖父ギルバートはなぜか満面の笑みで、祖母エレオノーラも扇子で隠しきれないほど口角を上げている。
「おお、来たか! 愛しの新婚さんいらっしゃい!」
「おはようございます、お二人とも。……何かいいことでもありましたか?」
私が尋ねると、祖父は「よくぞ聞いてくれた!」とばかりに胸を張った。
「エリザよ。お前たちが王都へ帰る前に、どうしても見せておきたいものがあるのだ」
「見せたいもの?」
「うむ。ついてまいれ!」
またか。 嫌な予感がする。 以前、「秘密のコレクションルーム(私のアクスタ部屋)」を見せられた時の戦慄が蘇る。 レオンと顔を見合わせ、恐る恐る祖父母の後をついていった。
案内されたのは、屋敷の東棟。 日当たりが良く、庭園が一望できる一等地のエリアだ。 そこの突き当たりにある、パステルカラーで塗装された可愛らしい扉の前で、祖父は立ち止まった。
「ここだ。開けてみよ」
私がノブを回し、扉を開ける。
「えっ……?」
そこは、広々とした子供部屋(ナーサリールーム)だった。 壁紙は空の絵が描かれ、雲のようなふわふわの絨毯が敷かれている。 部屋の隅々まで、最高級の木材で作られた木馬や、柔らかなぬいぐるみが所狭しと並べられていた。
そして中央には、純白のベビーベッドが三つ、並んでいる。
「こ、これは……?」
「見ての通りだ! 曾孫(ひまご)部屋だ!」
祖父が高らかに宣言した。
「わしとエレオノーラで厳選した、最高品質の育児グッズを揃えておいたぞ! オムツは肌触りの良い特注のシルク! 哺乳瓶は割れない強化ガラス製! ガラガラは魔石入りで、振ると知能指数が上がる音が出る!」
「知能指数が上がるガラガラ……?」
「うむ! 王族となる曾孫だ、英才教育は赤子のうちから始めねばならん!」
祖父の鼻息が荒い。 祖母もうっとりとした表情でベビーベッドを撫でている。
「エリザ、レオン殿下。……私たちはね、もう準備万端なのよ」
「準備って……私たち、まだ結婚したばかりですよ?」
「あら、光陰矢の如しと言うでしょう? 十ヶ月なんてあっという間よ。……ふふ、どんな子が生まれるかしら。レオン殿下に似た金髪の男の子? それともエリザに似た賢い女の子? ……ああ、考えるだけで心臓が止まりそうだわ」
気が早い。早すぎる。 まだ妊娠の兆候すらないのに、部屋まで作ってしまうとは。 しかもベッドが三つあるのはどういうことだ。三つ子想定なのか、それとも年子で三人産めというプレッシャーなのか。
「あ、あの……おじい様、おばあ様。お気持ちは嬉しいですが、私たちは王都に住むんですよ? ここで子育ては……」
私が最もな指摘をすると、祖父はニヤリと笑った。
「ふっふっふ、そこも抜かりはない」
「はい?」
「貴様らが忙しいのはわかっておる。王太子妃教育だの、公務だの、面倒な仕事が山積みだろう。……だからこそ!」
祖父はビシッと私を指差した。
「子供が生まれたら、わしたちが預かる!」
「はぁ!?」
「王都の空気は悪い! 教育にも良くない! この大自然と、わしたちの溢れんばかりの愛情の中で育てた方が、子供のためになると思わんか!? 週末だけ会いに来ればいい!」
「い、いやいやいや!」
私は慌てて否定した。 確かに環境は最高だけれど、この溺愛モンスター(祖父母)に預けたら、子供がどんなワガママボディと性格に育つか想像がつかない。 「じいじが国を買ってやるぞ!」とか言い出しそうで怖いのだ。
「お気持ちはありがたいですが、子供は自分たちで育てます! ……というか、まだ子供はいません!」
私がきっぱり断ると、祖父はあからさまにしょんぼりとした。 犬なら耳と尻尾が垂れ下がっているのが見えるレベルだ。
「むぅ……そうか。……曾孫を抱くのが、わしの余生の唯一の楽しみだったのだが……」
「そ、そんなに落ち込まないでください……」
罪悪感が刺激される。 この人たちは、本当に私のことが大好きで、私の子供に会えるのを心待ちにしているだけなのだ。 その純粋な愛を無下にするのは心が痛む。
困り果てていると、隣にいたレオンが助け舟を出してくれた。
「閣下、奥様。……ご提案があります」
「む? なんだ、レオン」
レオンは穏やかな笑みを浮かべ、懐から一枚の図面のようなものを取り出した。
「実は、王宮の魔導研究機関に極秘で開発させていたものがあるんです」
「なんだこれは? 魔法陣か?」
「はい。『長距離転移ゲート』の設計図です」
「なっ……!?」
私も驚いてレオンを見た。 転移ゲート? そんなもの、物語の中でしか聞いたことがない。 場所と場所を一瞬で繋ぐ魔法なんて、伝説級の大魔導師でもなければ不可能だと言われているはずだ。
「王都と、このフェルゼン領を繋ぐゲートを設置しようと考えています」
レオンはサラリと言った。
「これがあれば、馬車で数日かかる距離を一瞬で移動できます。……つまり、エリザが公務の合間に実家(ここ)に帰ることも、閣下たちが王都の曾孫に会いに来ることも、日常的に可能になるんです」
「おおおっ!!」
祖父が目を輝かせ、図面に食いついた。
「す、素晴らしい! これさえあれば、毎日朝食だけ一緒に食べることも可能なのか!?」
「理論上は可能です。……ただ、設置と維持には莫大な魔力と、国家予算レベルの費用がかかりますが……」
「金ならある!!」
祖父が即答した。
「いくらでも出そう! わしのへそくりを全部吐き出しても構わん! ……なんなら、山を一つ売るか?」
「いえ、そこまでは……」
レオンは苦笑しながら続けた。
「王家としても、このリゾート地との連携強化は国益に繋がります。観光客の誘致や、海産物の流通革命にもなりますから、予算は国からも出させます。……半分は閣下のポケットマネーでお願いしたいですが」
「安いものだ! 曾孫に会えるなら、全額負担でもいいくらいだ!」
祖父の機嫌は一瞬で最高潮に達した。
「よし、契約成立だ! すぐに工事に取り掛かれ! わしの土魔法で基礎工事くらいなら手伝ってやる!」
「気が早いです、閣下。まずは調査から……」
レオンが祖父を宥めている横で、私は呆然としていた。 転移ゲート。 私の里帰りのために、国のインフラを変えてしまうなんて。 この夫も大概、規格外だ。
「……ありがとう、レオン」
私が小声でお礼を言うと、レオンは私だけに聞こえる声で囁いた。
「君のためでもあるけど、俺のためでもあるんだ」
「え?」
「君が『カニが食べたい』って泣き出した時に、すぐに連れてこられるようにね」
「……もう!」
私は彼の腕をつねったけれど、顔がニヤけるのは止められなかった。
◇
午後。 いよいよ出発の時が来た。 屋敷の玄関前には、お土産(主にカニの缶詰、南国フルーツ、干物など)でパンパンに膨れ上がった馬車が待機している。
「エリザ、達者でな」 「無理しちゃダメよ。ご飯はしっかり食べるのよ」
祖父母が代わる代わる私を抱きしめる。 別れは寂しいけれど、さっきの「転移ゲート計画」のおかげで、悲壮感はない。 「またすぐに会える」という希望が、私たちを笑顔にしてくれる。
「はい、おじい様、おばあ様。……お二人も、どうかお元気で。転移ゲートができるまで、長生きしてくださいね」
「当たり前だ! 曾孫の顔を見るまでは死なん! いや、曾孫が成人するまでは死なん!」
「曾孫の結婚式までは生きるつもりよ」
妖怪じみた生命力を宣言する二人。 頼もしい限りだ。
「レオン殿下、エリザを頼んだぞ」
「はい。必ず幸せにします」
レオンと祖父が男同士の握手を交わす。 その力強い握手には、言葉以上の信頼が込められていた。
私たちは馬車に乗り込んだ。 御者が鞭を振るい、車輪が回り出す。
「行ってらっしゃーい!!」
祖父母だけでなく、屋敷の使用人たち、そして集まってきた領民たちが一斉に手を振る。 遠ざかる白い屋敷。 青い海。 私の大切な、大切な場所。
「……さようなら、私の楽園」
私は窓から身を乗り出し、小さくなるまで手を振り続けた。 涙は流さなかった。 だって、これは「さようなら」ではなく、「行ってきます」なのだから。
◇
馬車が街道を走り、リゾート地が見えなくなると、私はシートに深く座り直した。 隣にはレオンがいる。 彼の手が、優しく私の肩を抱いた。
「……寂しいか?」
「ううん。少しだけ」
私は彼の胸に頭を預けた。
「でも、楽しみでもあるの」
「楽しみ?」
「ええ。王都に戻って、貴方と一緒に新しい国を作っていくこと。……私たちが経験したような理不尽な思いをする人がいない、みんなが笑って暮らせる国にしたいわ」
私の言葉に、レオンは驚いたように目を見開き、そして愛おしそうに微笑んだ。
「……君は本当に、最高の王妃になるよ」
「もちろんよ。誰の妻だと思っているの?」
「はは、違いない」
私たちは笑い合った。 未来への希望が、車内に満ちていた。
これから待っているのは、甘いだけの日々ではないかもしれない。 困難もあるだろう。 壁にぶつかることもあるだろう。 でも、私たちなら大丈夫。 最強の祖父母(バックアップ)と、便利な転移ゲート(予定)、そして何より、揺るぎない愛があるのだから。
「さあ、帰ろう。俺たちの家へ」
「ええ、帰りましょう」
馬車は夕日に向かって走り続ける。 その先にある王都では、すでに私の「王太子妃教育」のカリキュラムが山のように積まれているらしいけれど……まあ、カニパワーを充電した今の私なら、楽勝でこなしてみせるわ。
だって、私は――世界一幸せな「元・追放令嬢」なのだから!
窓から差し込む陽光が、白いシーツを黄金色に染めている。 隣には、まだ夢の中にいるレオンの寝顔があった。 普段のキリッとした王太子の顔ではなく、無防備で少年のような寝顔。 長い睫毛が影を落とし、整った鼻筋と薄い唇が、造形美の極致を見せつけている。
(……本当に、綺麗な顔)
私はそっと手を伸ばし、彼の頬を指先でなぞった。 これが私の夫。 国の次期国王であり、私の最愛の人。
「……んぅ……エリザ?」
指先の感触に気づいたのか、レオンがゆっくりと目を開けた。 アメジスト色の瞳が、とろんと私を見つめる。
「おはよう、レオン」
「……おはよう、我が妻よ」
彼は寝ぼけ眼のまま腕を伸ばし、私を抱き寄せた。 朝の体温が心地よく伝わってくる。
「まだ起きたくないな……。このままベッドの中で一日中過ごしたい」
「ダメよ。今日が最終日なんだから。おじい様たちに挨拶に行かないと」
「うーん……祖父殿か。また何か企んでいそうだな」
レオンは苦笑しながら身を起こした。 その予感は、悲しいかな的中することになる。 私たちの祖父母が、ただ手を振って見送ってくれるような「普通の」老人ではないことを、私たちは身にしみて知っていたからだ。
◇
ハネムーン・ヴィラを出て、私たちは馬車で本邸へと向かった。 道中、窓から見える景色を目に焼き付ける。 青い海、白い砂浜、色彩豊かな花々。 そして、すれ違う領民たちの笑顔。
「……帰りたくないなぁ」
つい、本音が漏れた。 王都に戻れば、待っているのは「王太子妃教育」という名の修行の日々だ。 マナー、歴史、語学、ダンス、外交儀礼……。 実務能力には自信があるけれど、王族としての振る舞いはまた別のスキルが必要になる。 あの堅苦しい王宮で、息が詰まるような生活が待っているかと思うと、少しだけ憂鬱になる。
「エリザ」
レオンが私の手を握った。
「そんなに不安そうな顔をするな。……教育係が厳しすぎたら、俺が権力で黙らせるから」
「ふふ、それはダメよ。……私、やるからには完璧な王太子妃になってみせるわ」
「君ならできるさ。……でも、息抜きは必要だ。辛くなったらすぐに言うんだぞ? 夜中にこっそり城を抜け出して、ラーメンを食べに行こう」
「ラーメン? そんなお店、王都にあったかしら?」
「最近、異国の料理人が屋台を出しているらしい。……庶民の味も知っておくのが、良き統治者の務めだからな」
彼は悪戯っぽくウインクした。 そんな彼の優しさに、胸のつかえが取れていく。 そうね。一人じゃない。レオンがいるなら、どんな厳しい教育も乗り越えられる気がする。
◇
本邸に到着すると、玄関ホールにはすでに祖父母が待ち構えていた。 祖父ギルバートはなぜか満面の笑みで、祖母エレオノーラも扇子で隠しきれないほど口角を上げている。
「おお、来たか! 愛しの新婚さんいらっしゃい!」
「おはようございます、お二人とも。……何かいいことでもありましたか?」
私が尋ねると、祖父は「よくぞ聞いてくれた!」とばかりに胸を張った。
「エリザよ。お前たちが王都へ帰る前に、どうしても見せておきたいものがあるのだ」
「見せたいもの?」
「うむ。ついてまいれ!」
またか。 嫌な予感がする。 以前、「秘密のコレクションルーム(私のアクスタ部屋)」を見せられた時の戦慄が蘇る。 レオンと顔を見合わせ、恐る恐る祖父母の後をついていった。
案内されたのは、屋敷の東棟。 日当たりが良く、庭園が一望できる一等地のエリアだ。 そこの突き当たりにある、パステルカラーで塗装された可愛らしい扉の前で、祖父は立ち止まった。
「ここだ。開けてみよ」
私がノブを回し、扉を開ける。
「えっ……?」
そこは、広々とした子供部屋(ナーサリールーム)だった。 壁紙は空の絵が描かれ、雲のようなふわふわの絨毯が敷かれている。 部屋の隅々まで、最高級の木材で作られた木馬や、柔らかなぬいぐるみが所狭しと並べられていた。
そして中央には、純白のベビーベッドが三つ、並んでいる。
「こ、これは……?」
「見ての通りだ! 曾孫(ひまご)部屋だ!」
祖父が高らかに宣言した。
「わしとエレオノーラで厳選した、最高品質の育児グッズを揃えておいたぞ! オムツは肌触りの良い特注のシルク! 哺乳瓶は割れない強化ガラス製! ガラガラは魔石入りで、振ると知能指数が上がる音が出る!」
「知能指数が上がるガラガラ……?」
「うむ! 王族となる曾孫だ、英才教育は赤子のうちから始めねばならん!」
祖父の鼻息が荒い。 祖母もうっとりとした表情でベビーベッドを撫でている。
「エリザ、レオン殿下。……私たちはね、もう準備万端なのよ」
「準備って……私たち、まだ結婚したばかりですよ?」
「あら、光陰矢の如しと言うでしょう? 十ヶ月なんてあっという間よ。……ふふ、どんな子が生まれるかしら。レオン殿下に似た金髪の男の子? それともエリザに似た賢い女の子? ……ああ、考えるだけで心臓が止まりそうだわ」
気が早い。早すぎる。 まだ妊娠の兆候すらないのに、部屋まで作ってしまうとは。 しかもベッドが三つあるのはどういうことだ。三つ子想定なのか、それとも年子で三人産めというプレッシャーなのか。
「あ、あの……おじい様、おばあ様。お気持ちは嬉しいですが、私たちは王都に住むんですよ? ここで子育ては……」
私が最もな指摘をすると、祖父はニヤリと笑った。
「ふっふっふ、そこも抜かりはない」
「はい?」
「貴様らが忙しいのはわかっておる。王太子妃教育だの、公務だの、面倒な仕事が山積みだろう。……だからこそ!」
祖父はビシッと私を指差した。
「子供が生まれたら、わしたちが預かる!」
「はぁ!?」
「王都の空気は悪い! 教育にも良くない! この大自然と、わしたちの溢れんばかりの愛情の中で育てた方が、子供のためになると思わんか!? 週末だけ会いに来ればいい!」
「い、いやいやいや!」
私は慌てて否定した。 確かに環境は最高だけれど、この溺愛モンスター(祖父母)に預けたら、子供がどんなワガママボディと性格に育つか想像がつかない。 「じいじが国を買ってやるぞ!」とか言い出しそうで怖いのだ。
「お気持ちはありがたいですが、子供は自分たちで育てます! ……というか、まだ子供はいません!」
私がきっぱり断ると、祖父はあからさまにしょんぼりとした。 犬なら耳と尻尾が垂れ下がっているのが見えるレベルだ。
「むぅ……そうか。……曾孫を抱くのが、わしの余生の唯一の楽しみだったのだが……」
「そ、そんなに落ち込まないでください……」
罪悪感が刺激される。 この人たちは、本当に私のことが大好きで、私の子供に会えるのを心待ちにしているだけなのだ。 その純粋な愛を無下にするのは心が痛む。
困り果てていると、隣にいたレオンが助け舟を出してくれた。
「閣下、奥様。……ご提案があります」
「む? なんだ、レオン」
レオンは穏やかな笑みを浮かべ、懐から一枚の図面のようなものを取り出した。
「実は、王宮の魔導研究機関に極秘で開発させていたものがあるんです」
「なんだこれは? 魔法陣か?」
「はい。『長距離転移ゲート』の設計図です」
「なっ……!?」
私も驚いてレオンを見た。 転移ゲート? そんなもの、物語の中でしか聞いたことがない。 場所と場所を一瞬で繋ぐ魔法なんて、伝説級の大魔導師でもなければ不可能だと言われているはずだ。
「王都と、このフェルゼン領を繋ぐゲートを設置しようと考えています」
レオンはサラリと言った。
「これがあれば、馬車で数日かかる距離を一瞬で移動できます。……つまり、エリザが公務の合間に実家(ここ)に帰ることも、閣下たちが王都の曾孫に会いに来ることも、日常的に可能になるんです」
「おおおっ!!」
祖父が目を輝かせ、図面に食いついた。
「す、素晴らしい! これさえあれば、毎日朝食だけ一緒に食べることも可能なのか!?」
「理論上は可能です。……ただ、設置と維持には莫大な魔力と、国家予算レベルの費用がかかりますが……」
「金ならある!!」
祖父が即答した。
「いくらでも出そう! わしのへそくりを全部吐き出しても構わん! ……なんなら、山を一つ売るか?」
「いえ、そこまでは……」
レオンは苦笑しながら続けた。
「王家としても、このリゾート地との連携強化は国益に繋がります。観光客の誘致や、海産物の流通革命にもなりますから、予算は国からも出させます。……半分は閣下のポケットマネーでお願いしたいですが」
「安いものだ! 曾孫に会えるなら、全額負担でもいいくらいだ!」
祖父の機嫌は一瞬で最高潮に達した。
「よし、契約成立だ! すぐに工事に取り掛かれ! わしの土魔法で基礎工事くらいなら手伝ってやる!」
「気が早いです、閣下。まずは調査から……」
レオンが祖父を宥めている横で、私は呆然としていた。 転移ゲート。 私の里帰りのために、国のインフラを変えてしまうなんて。 この夫も大概、規格外だ。
「……ありがとう、レオン」
私が小声でお礼を言うと、レオンは私だけに聞こえる声で囁いた。
「君のためでもあるけど、俺のためでもあるんだ」
「え?」
「君が『カニが食べたい』って泣き出した時に、すぐに連れてこられるようにね」
「……もう!」
私は彼の腕をつねったけれど、顔がニヤけるのは止められなかった。
◇
午後。 いよいよ出発の時が来た。 屋敷の玄関前には、お土産(主にカニの缶詰、南国フルーツ、干物など)でパンパンに膨れ上がった馬車が待機している。
「エリザ、達者でな」 「無理しちゃダメよ。ご飯はしっかり食べるのよ」
祖父母が代わる代わる私を抱きしめる。 別れは寂しいけれど、さっきの「転移ゲート計画」のおかげで、悲壮感はない。 「またすぐに会える」という希望が、私たちを笑顔にしてくれる。
「はい、おじい様、おばあ様。……お二人も、どうかお元気で。転移ゲートができるまで、長生きしてくださいね」
「当たり前だ! 曾孫の顔を見るまでは死なん! いや、曾孫が成人するまでは死なん!」
「曾孫の結婚式までは生きるつもりよ」
妖怪じみた生命力を宣言する二人。 頼もしい限りだ。
「レオン殿下、エリザを頼んだぞ」
「はい。必ず幸せにします」
レオンと祖父が男同士の握手を交わす。 その力強い握手には、言葉以上の信頼が込められていた。
私たちは馬車に乗り込んだ。 御者が鞭を振るい、車輪が回り出す。
「行ってらっしゃーい!!」
祖父母だけでなく、屋敷の使用人たち、そして集まってきた領民たちが一斉に手を振る。 遠ざかる白い屋敷。 青い海。 私の大切な、大切な場所。
「……さようなら、私の楽園」
私は窓から身を乗り出し、小さくなるまで手を振り続けた。 涙は流さなかった。 だって、これは「さようなら」ではなく、「行ってきます」なのだから。
◇
馬車が街道を走り、リゾート地が見えなくなると、私はシートに深く座り直した。 隣にはレオンがいる。 彼の手が、優しく私の肩を抱いた。
「……寂しいか?」
「ううん。少しだけ」
私は彼の胸に頭を預けた。
「でも、楽しみでもあるの」
「楽しみ?」
「ええ。王都に戻って、貴方と一緒に新しい国を作っていくこと。……私たちが経験したような理不尽な思いをする人がいない、みんなが笑って暮らせる国にしたいわ」
私の言葉に、レオンは驚いたように目を見開き、そして愛おしそうに微笑んだ。
「……君は本当に、最高の王妃になるよ」
「もちろんよ。誰の妻だと思っているの?」
「はは、違いない」
私たちは笑い合った。 未来への希望が、車内に満ちていた。
これから待っているのは、甘いだけの日々ではないかもしれない。 困難もあるだろう。 壁にぶつかることもあるだろう。 でも、私たちなら大丈夫。 最強の祖父母(バックアップ)と、便利な転移ゲート(予定)、そして何より、揺るぎない愛があるのだから。
「さあ、帰ろう。俺たちの家へ」
「ええ、帰りましょう」
馬車は夕日に向かって走り続ける。 その先にある王都では、すでに私の「王太子妃教育」のカリキュラムが山のように積まれているらしいけれど……まあ、カニパワーを充電した今の私なら、楽勝でこなしてみせるわ。
だって、私は――世界一幸せな「元・追放令嬢」なのだから!
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