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第2話 女衛士
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獲物を探すのに疲れたトンボがススキの先に止まった。針のような日射を少しでも避け、しかし自分の縄張りを誇示するために逆立ちで草の先に止まる様はいささか滑稽でもある。
そんな虫の努力を知りもせず、無神経な人間がススキの茂みに走り込んでくる。驚いたトンボが矢のごとく飛びたった。
茂みに入ってきたのは、十を過ぎたか過ぎないかといった年頃の少年である。手には少年の腰くらいの長さの、大雑把に形を整えた木の枝。麻の貫頭衣にはだしの、元気が汗と共に噴出しそうな男児であった。
勢い余って転びそうになるのをなんとかこらえ、振り向きざま横薙ぎに枝を振るう。
かん、と軽い音をたてて上に弾かれた。少年の対面にはいくらか年上の少女。程よく日に焼けた肌と、意志の鋭さを感じさせる眼。つややかな黒髪を頭の後ろで団子にまとめている。少年と同じゆったりとしたワンピースで、流石に草履は履いているものの、激しい運動についていけるようには見えない。
しかし不格好な木剣を操る構えは実に堂に入ったものである。がむしゃらに振り回しているだけとはいえ、それだけにかなりの速度が乗った枝の切先を片手で的確に逸らしていく。その間中、彼女の持つ枝の先は紐で結わえ付けてあるかのように少年の喉元を指していた。
息切れした少年の剣線が泳ぎ、柄を握る手が緩む。その隙を突かぬはずもなく、少女の手首が返るとあっけなく棒は飛んで行った。
「ははは!私の勝ちだな!これで百と、何十勝だったかな。力任せにしてもやりようがあるぞ、スクナ」
海風のように涼やかに快活に笑う少女。口調こそ乱暴にも聞こえるが、それさえ魅力にねじ込んでしまえる底抜けの明るさがあった。少年スクナは紅潮した頬を隠すように、顔ごと真っ赤にして言い返す。
「う、うるせえ!あと何年かしたら百とちょいくらいすぐに追い抜いてやらあ!」
「その何年の内に私の勝ちが千を超えなければいいがな。この調子だと次の次の収穫の頃には届きそうだぞ」
「へん、そんな先のこと考える前に嫁入りのことでも考えればいいだろ。嫁き遅れのヤヒロのくせして」
ヤヒロ、と呼ばれた少女は朗らかな笑みを維持したままアメンボのようなすり足でスクナとの距離を詰め、口の中に親指を入れて頬を思い切り引っ張る。軽い少年の身体といえど、つま先立ちになる勢いである。
「んーむ、減らず口も腕と同じく要領というものを分かっていないようだな。引っ張ればまともになるか?ん?んん?」
「いひゃいひゃい!へなへほの!」
だいたい十代の前半の内に伴侶を見つけることが一般的であるオオヤシマにおいて、数えで17のヤヒロは確かに嫁き後れに入ってしまう。怖いものなしの女衛士にとって唯一の弱点であった。そして弱点をつついてくる敵に容赦する心の持ち合わせはない。無慈悲に頬を引っ張り倒す。気丈に睨むスクナだが、生理的な涙目は隠せない。
恐るべき言論統制的制裁行為によって少年の思想が矯正されようとしたとき、救世主が現れた。
「ヤヒロ、なにをしている」
呆れたような声がヤヒロの背の向こうからかかる。途端にスクナの口腔を固定していた指が離れ、たまらず尻もちをつく。
「ホオリ様」
「様は止めろといつも言っているだろう。ガキの時分に取っ組み合った奴にそう呼ばれると首の後ろがかゆくなるのだ」
「衛士として村長の跡継ぎに非礼な言葉使いはできぬと、こっちも何度も申し上げました。子供の頃は忘れる分別くらいあるでしょう」
にべもないヤヒロの回答にううむ、とうなり、しばらく黙り込む。美々しい青年であった。きりりとしているがどこか子供らしさの残るヤヒロに比べ、思春期を抜けきったしなやかさの中に確かな芯を持った相貌である。ヤヒロたちと違い、長着を羽織って藍色の帯で前を留めている。髪は後ろでひとまとめにして紐で結んでいた。
「ま、その話はあとでまたするとして、イナバいちの剣の達者ともあろうものが男とはいえ子供をいじめるのはよろしくないと思うぞ?」
「何事にも限度というものがございます。それを超えれば子供とて罰を免れません」
「子供こどもってガキあつかいすんな!」
「そういっているうちはまだまだ子供だと記紀にも書いてあるんだぞ。まったく女には女の苦労というものがあるのだ」
「お前のはただ乱暴で貰い手がいないだけだろ」
ヤヒロがじろりとホオリを睨む。
「聞いていたんですか」
「お前がそんなしょうもないことをする時はだいたい嫁入りのことだと、知らんものがこの村にいると思うか?」
今度はヤヒロがうなって黙り込む番であった。
かぁん、と耳の奥底まで貫く金属の音が響いた。同時に、三人ともが反応の差はあれども同じ方向に首を回す。音は遥か山の方、国司の館からやってきていた。
「スクナ。家に戻っていろ」
「おう」
ヤヒロが有無を言わさぬ声音で告げると、スクナも不承不承ながら従う。これから訪れるのは冗談が通じる輩ではない。
「朝廷ですか」
「ああ、先の昇龍の失敗について、だろうな」
鐘の音が強まる。青銅が打ち鳴らされ、山々を木霊するさまは、荘厳でありながら、どこか沈痛な色を帯びていた。国司の頭越しに朝廷の使者が訪れる。その目的は、昇龍の催促を下すことをおいて他にない。それは村から一人、必ず誰かが消えることと同義であった。
そんな虫の努力を知りもせず、無神経な人間がススキの茂みに走り込んでくる。驚いたトンボが矢のごとく飛びたった。
茂みに入ってきたのは、十を過ぎたか過ぎないかといった年頃の少年である。手には少年の腰くらいの長さの、大雑把に形を整えた木の枝。麻の貫頭衣にはだしの、元気が汗と共に噴出しそうな男児であった。
勢い余って転びそうになるのをなんとかこらえ、振り向きざま横薙ぎに枝を振るう。
かん、と軽い音をたてて上に弾かれた。少年の対面にはいくらか年上の少女。程よく日に焼けた肌と、意志の鋭さを感じさせる眼。つややかな黒髪を頭の後ろで団子にまとめている。少年と同じゆったりとしたワンピースで、流石に草履は履いているものの、激しい運動についていけるようには見えない。
しかし不格好な木剣を操る構えは実に堂に入ったものである。がむしゃらに振り回しているだけとはいえ、それだけにかなりの速度が乗った枝の切先を片手で的確に逸らしていく。その間中、彼女の持つ枝の先は紐で結わえ付けてあるかのように少年の喉元を指していた。
息切れした少年の剣線が泳ぎ、柄を握る手が緩む。その隙を突かぬはずもなく、少女の手首が返るとあっけなく棒は飛んで行った。
「ははは!私の勝ちだな!これで百と、何十勝だったかな。力任せにしてもやりようがあるぞ、スクナ」
海風のように涼やかに快活に笑う少女。口調こそ乱暴にも聞こえるが、それさえ魅力にねじ込んでしまえる底抜けの明るさがあった。少年スクナは紅潮した頬を隠すように、顔ごと真っ赤にして言い返す。
「う、うるせえ!あと何年かしたら百とちょいくらいすぐに追い抜いてやらあ!」
「その何年の内に私の勝ちが千を超えなければいいがな。この調子だと次の次の収穫の頃には届きそうだぞ」
「へん、そんな先のこと考える前に嫁入りのことでも考えればいいだろ。嫁き遅れのヤヒロのくせして」
ヤヒロ、と呼ばれた少女は朗らかな笑みを維持したままアメンボのようなすり足でスクナとの距離を詰め、口の中に親指を入れて頬を思い切り引っ張る。軽い少年の身体といえど、つま先立ちになる勢いである。
「んーむ、減らず口も腕と同じく要領というものを分かっていないようだな。引っ張ればまともになるか?ん?んん?」
「いひゃいひゃい!へなへほの!」
だいたい十代の前半の内に伴侶を見つけることが一般的であるオオヤシマにおいて、数えで17のヤヒロは確かに嫁き後れに入ってしまう。怖いものなしの女衛士にとって唯一の弱点であった。そして弱点をつついてくる敵に容赦する心の持ち合わせはない。無慈悲に頬を引っ張り倒す。気丈に睨むスクナだが、生理的な涙目は隠せない。
恐るべき言論統制的制裁行為によって少年の思想が矯正されようとしたとき、救世主が現れた。
「ヤヒロ、なにをしている」
呆れたような声がヤヒロの背の向こうからかかる。途端にスクナの口腔を固定していた指が離れ、たまらず尻もちをつく。
「ホオリ様」
「様は止めろといつも言っているだろう。ガキの時分に取っ組み合った奴にそう呼ばれると首の後ろがかゆくなるのだ」
「衛士として村長の跡継ぎに非礼な言葉使いはできぬと、こっちも何度も申し上げました。子供の頃は忘れる分別くらいあるでしょう」
にべもないヤヒロの回答にううむ、とうなり、しばらく黙り込む。美々しい青年であった。きりりとしているがどこか子供らしさの残るヤヒロに比べ、思春期を抜けきったしなやかさの中に確かな芯を持った相貌である。ヤヒロたちと違い、長着を羽織って藍色の帯で前を留めている。髪は後ろでひとまとめにして紐で結んでいた。
「ま、その話はあとでまたするとして、イナバいちの剣の達者ともあろうものが男とはいえ子供をいじめるのはよろしくないと思うぞ?」
「何事にも限度というものがございます。それを超えれば子供とて罰を免れません」
「子供こどもってガキあつかいすんな!」
「そういっているうちはまだまだ子供だと記紀にも書いてあるんだぞ。まったく女には女の苦労というものがあるのだ」
「お前のはただ乱暴で貰い手がいないだけだろ」
ヤヒロがじろりとホオリを睨む。
「聞いていたんですか」
「お前がそんなしょうもないことをする時はだいたい嫁入りのことだと、知らんものがこの村にいると思うか?」
今度はヤヒロがうなって黙り込む番であった。
かぁん、と耳の奥底まで貫く金属の音が響いた。同時に、三人ともが反応の差はあれども同じ方向に首を回す。音は遥か山の方、国司の館からやってきていた。
「スクナ。家に戻っていろ」
「おう」
ヤヒロが有無を言わさぬ声音で告げると、スクナも不承不承ながら従う。これから訪れるのは冗談が通じる輩ではない。
「朝廷ですか」
「ああ、先の昇龍の失敗について、だろうな」
鐘の音が強まる。青銅が打ち鳴らされ、山々を木霊するさまは、荘厳でありながら、どこか沈痛な色を帯びていた。国司の頭越しに朝廷の使者が訪れる。その目的は、昇龍の催促を下すことをおいて他にない。それは村から一人、必ず誰かが消えることと同義であった。
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