Loop✳Resonance

夜空奏音

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-重く消えない記憶(メモリア)-

Episode18 -8月5日-

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次の日の昼下がりの午後、私は冬姫の部屋で、楓くんの言っていた「何か」について分析していた。

青白いパソコンのディスプレイの光が、冬姫の瞳を無機質に照らしていた。

画面には、古い医学論文の断片と、オカルト的な伝承が並行して表示されている。彼女の指先がマウスホイールを回すたび、おぞましい「分析結果」が羅列されていく。

​1、視認条件
対象は、強い後悔、あるいは「時間の歪み」に対する感受性が高い者にのみ発現する。

​2、身体的拒絶反応
感染が深化すると、対象は生存維持に必要な摂取(食事)を「異物」として認識し、激しく吐き戻す。これは、肉体が霊的な変容を遂げようとする際の防衛本能である。

​3、精神的変容
最も親しい人間を「敵」あるいは「不純物」として排除しようとする傾向が見られる。これは記憶の汚染、あるいは魂の置き換えによる副作用である可能性が高い。

​冬姫「……なるほどね」

​冬姫は低く、独り言を漏らした。彼女が画面から視線を外すと、そこには私が送ったばかりの、悲痛なメッセージが表示されている。

『双葉の様子がおかしい。戻してしまった。どうすればいいかわからない』

​冬姫は、そのメッセージを見つめながら、口角をわずかに釣り上げた。彼女が分析しているのは、単なる現象ではない。

その現象が、私の妹──双葉を、どうやって「壊していくか」という崩壊のプロセスだった。

そして下に行くと、感染した時の主な症状が出てきた。

『蝶に感染した場合、軽症であれば頭痛、腹痛程度で済む。重症の場合、嘔吐、息苦しさ、倦怠感が出てしまう』

この症状の特徴が、全て双葉に当てはまっていた。昨日の嘔吐がまさにそのものだった。

​冬姫は、画面をさらに下へとスクロールさせた。そこには、SNSの掲示板をまとめたような、出所不明の「噂」が羅列されている。

​『──これはウイルスだ。青い蝶は、感染を広げる媒介者に過ぎない』

『特効薬はない。感染した女性の多くは、数日以内に原因不明の衰弱死、あるいは失踪を遂げている』

​冬姫「ウイルス、ね……。みんな、目に見えない恐怖に名前をつけたがっているだけ。でも、これを見て」

​冬姫が画面の隅にある、古びた神社の写真をクリックする。そこには、ネット上の「ウイルス説」とは正反対の、土着的な伝承が記されていた。 

​冬姫「この街──昔からある巫女の言い伝えがあるの。病で亡くなった恋人を追って、自ら命を絶った少女。彼女の未練が蝶になって、今も神社周辺を彷徨い続けているんだって。……ねぇ蒼葉。双葉ちゃんが、お父さんの死の真相を知らないまま、お父さんの後を追おうとしているのだとしたら……」

​蒼葉「……やめて、冬姫」

​私は彼女の言葉を遮った。心臓が嫌な音を立てている。ウイルスだろうと言い伝えだろうと、どうでもいい。ただ、双葉がこの「崩壊のリスト」通りに壊れていくのを見ていられなかった。

​蒼葉「……双葉の様子、見てくる。少しは落ち着いたかもしれないから」 

冬姫​「そう。……気をつけてね、蒼葉。今の彼女にとって、あなたの『愛』は、彼女の変容を邪魔する不純物でしかないんだから」

​冬姫の警告を背中で聞きながら、私は彼女の部屋を飛び出した。 

-✳-

​再び訪れた、我が家の玄関。お昼過ぎの明るい陽射しが廊下に差し込んでいるのに、二階へと続く階段だけが、ひどく暗く沈んで見える。

​一段、一段、重い足を運ぶ。手すりを握る指先が、冬姫の部屋で見た「分析結果」を思い出して震えた。

​蒼葉(大丈夫。双葉は双葉だ。私が、あの子を繋ぎ止めなきゃ)

​自分に言い聞かせ、私は双葉の部屋のドアの前に立った。

返事はない。深呼吸をして、ゆっくりとドアノブを回す。

​蒼葉「双葉……? お昼、少しだけでも食べられそうかな?」

​ドアを開けた瞬間。

カーテンを閉め切った薄暗い部屋の中で、双葉はベッドの上に座っていた。

昨日よりもずっと、その肩は小さく、透き通るほどに白く見える。

​そして、彼女の視線の先──窓際の空気の中に。一羽の青い蝶が、ゆらりと、双葉の指先に止まろうとしていた。

双葉「お姉ちゃん……」

​双葉が、ゆっくりとこちらを振り向く。その瞳は、昨日私を拒絶した時の鋭い光ではなく、どこか遠く……「ここではない場所」を見つめるような、虚ろな輝きを宿していた。

​双葉「お父さんが、言ってたよ。……川の向こうで、待ってるって」

蒼葉「えっ……」

私は、その言葉を聞いた瞬間、言葉を失った。もう、双葉の身体と精神には限界が来ているということが伝わってくる。

蒼葉「ねぇ…双葉。一体どうしちゃったの…?お姉ちゃん…心配…だなぁ……?」

私は、無理に笑顔を作ろうとした。でも、何度笑顔を作ろうとしても、先程の双葉の言葉がずっと頭から離れなかった。

そして、私の目から、一筋の涙が流れた。その涙は、双葉が死んでほしくない、冬姫が言っていた巫女の少女のような目には、遭わないでほしいという思いで、流れた涙だった。

でも、双葉は私の姿を見て、何とも思っていなかった。ただ、冷たい目でこちらを見つめているだけだった。

私のお腹を刺激してくることは無かったが、双葉の瞳に不思議な光があった。

淡い、蝶の形をした光。

蒼葉「…双葉…目、どうしたの…?」

私は、恐る恐る聞いてみたが、双葉は何も答えなかった。

そして、私は静かに双葉の部屋を去った。

-✳-

自室に戻り、私は吸い殻のように力なくベッドへ倒れ込んだ。

閉じた瞼の裏に、双葉のあの虚ろな瞳が焼き付いて離れない。

​蒼葉「……分析結果、お父さんの死、そして、双葉の病気」

​私は、冬姫の部屋で見たあの無機質なテキストを、頭の中で必死に並べ替えた。

​冬姫が言った『分析結果』は、あまりにも残酷に双葉の現状を言い当てている。

激しい嘔吐。最愛の人間への拒絶。そして、瞳に宿る異様な光。

もしあれがネットで噂される『ウイルス』だというのなら、双葉の体は今この瞬間も、目に見えない何かに食い荒らされていることになる。

でも、それだけじゃない。双葉が「お父さんが待っている」と言ったのは、単なるウイルスの幻覚なのだろうか。

​お父さんの死の真相を、あの子はまだ知らない…はず……。

警察は事故だと言った。でも、あの雨の夜、お父さんが川の近くで何をしていたのか、本当のところは誰も教えてくれない。

もし、双葉の今の状態が、冬姫の言っていた「巫女の未練」なのだとしたら。

お父さんは、その呪いに引きずり込まれて死んだのではないか。

そして今度は、双葉がその『未練』の形をなぞるように、お父さんのいる川へと誘われてる……。

​蒼葉「きっと精神疾患なんかじゃない。……そんな言葉で片付けられるものじゃない」

​最初は、お父さんを失ったショックで双葉の心が壊れてしまったのだと思っていた。

時間を巻き戻せば、お父さんが死なない未来を選べば、全部元通りになるのだと信じていた。

けれど、現実は違う。

お父さんの死という『現実の傷』に、蝶という『異界の毒』が入り込み、双葉を内側から腐らせているんだ。

冬姫は「愛は不純物」だと言った。

私が双葉を想えば想うほど、双葉は苦しみ、私を拒絶する。

蒼葉(それでも……)

私は、震える手でスマホを握りしめた。画面には、かつて笑い合っていた頃の私と双葉、そしてお父さんの写真が待ち受けとして映っている。 

蒼葉(たとえこれが、巫女が作り出した泡のような地獄だとしても……私は、あきらめない) 

冬姫の分析が正しいなら、双葉の次のステップは「失踪」だ。お父さんが待つという、あの川へ向かってしまう。

阻止しなきゃいけない。

私は、お父さんの死の本当の理由を、そしてこの街に隠された「蝶」の正体を、自分自身で暴かなければならないと強く確信した。

-✳-

(双葉視点に移る)

お姉ちゃんが部屋を出ていく音がした。パタン、と乾いた音が響き、廊下の気配が遠ざかっていく。

​泣いていた。

お姉ちゃんは、また私のために泣いていた。

​かわいそうに。

あんなに顔をぐちゃぐちゃにして、必死に私を繋ぎ止めようとして。

でも、ごめんなさい、お姉ちゃん。今の私には、あなたの涙は、ただの「うるさいノイズ」にしか聞こえないの。

​双葉「ふふ……」

​私は、自分の指先に止まった青い光を見つめた。それは蝶の形をしていたけれど、生き物のような温かさは微塵もなかった。

冬姫ちゃんが言っていた「ウイルス」なんて、きっと嘘。だってお姉ちゃん、これ、すごく気持ちいいんだよ。

お腹の中をかき回されていたドロドロとした不快感も、お父さんがいない寂しさも、この蝶が羽ばたくたびに、少しずつ吸い取ってくれる。

私の身体が、ゆっくりと透き通っていくのがわかる。不純な「人間」の部分が消えて、ただの「想い」に作り替えられていく感覚。

​『──双葉』

​また、聞こえた。お姉ちゃんの呼ぶ声よりも、ずっと深く、ずっと懐かしいような気がする声。

​双葉「お父さん……私会いに行くからね」

​私はベッドからふらりと立ち上がり、窓の外を見つめた。

お昼の明るい景色が、ぐにゃりと歪んでいく。

生ぬるい風が吹き込み、私の視界には、現実の街並みとは違う「もう一つの景色」が重なって見えた。

​深い霧に包まれた川の土手。そこに、誰かが立っている。

お姉ちゃんは、私が病気だと思っている。

お姉ちゃんは、私をこの「泡沫郷」に閉じ込めておきたいんだね。

でもね、あっちの方がずっと綺麗なの。

お父さんの死の真相なんて、もうどうでもいい。

ただ、あの川を渡れば、全部終わる。

私は、窓枠に手をかけた。瞳の奥で、淡い蝶の光が激しく明滅する。私の心はもう、あの巫女の少女と同じ。

愛する人に会うためなら、この偽物の体なんて、いくらでも壊れてしまえばいい。

​双葉「待ってて、お父さん」

​部屋の中に、かすかな、けれど無数の羽音が満ちる。

お姉ちゃん、さようなら。 

次に会うときは、私はもう、あなたの妹じゃないかもしれないけれど。
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