平行線

ライ子

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第二章

マスター

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その年も暮れ、毎年恒例となった常連客との初詣に参加していた吉行は、マスターに、声をかけられた。
「麗ちゃんは?」
「体が冷えるんで、家にいます。」
「そうか。」
「僕達、妊活してるんです。」
「にんかつ?」
「簡単に言うと、子作りですね。」
「そりゃ、楽しみだな。産まれたら俺にとっては、孫みたいなもんだからな。」
マスターは、いつになく機嫌が良かった。他のスタッフや、常連客から、少し離れて歩いた。
「なぁ、吉行。俺は、そろそろ隠居するぞ。」
「え⁈店、辞めちゃうんですか?」
吉行は、驚いてマスターを見た。
「俺も年だしな。あちこちガタがきてな。」
「いやいや。まだ若いですよ。それに、まだマスターには、教わることがたくさんあります。」
「70も過ぎたんだ。もう、のんびりしてもいいだろう。」
「でも…。」
マスターは、神社の石垣に腰を下ろすと、吉行にタバコをすすめた。
「僕、今、禁煙していて…。」
「おぅ、そうか。俺だけ悪いな。」
と、言ってタバコに火をつけた。マスターが吸っているタバコの銘柄は、偶然にも、吉行の父親が吸っていたものと同じだった。懐かしい匂いがした。
「店、継がないか?」
「僕ですか⁈」
吉行は、思いもよらないマスターの発言に、一瞬、戸惑った。
「俺は、バツイチで、身寄りもないし、吉行だったら、あの店を任せられる。」
「そんな…。」
「懐かしいな。もう、10年ぐらい前になるか、お前が初めて店に来たのは。」
マスターは、懐かしそうに笑った。
「明らかに、挙動不審で、ウイスキーを一気飲みして…。」
「やめてください。恥ずかしい。」
「あんまり男前な顔してるから、俺は最初、若手の俳優かと思ったんだぞ。」
「そんなことないです。僕は、初めて会った時から、マスターがすごくカッコイイと思ってました。それは、今も変わりません。」
吉行は、マスターと初めて会った日のことを思い出した。あの頃から、少しは成長したのだろうか。
「あのままのバーの雰囲気で、続けてもいいし、いずれ、麗ちゃんとダイニングバーにしてもいい。好きにしたらいいんだ。」
「マスター。僕には、荷が重過ぎます。」
「俺は、吉行が、あの店を継いでくれたら、ありがたい。」
マスターは、2本目のタバコに火をつけた。暗闇に消えていく煙を見ながら、しばらく黙っていた。
「2号店も、全部お前にくれてやる。」
マスターの意思は堅そうだった。
「吉行。お前は、自分が思っているより、ずいぶん出来るヤツだぞ。スタッフとはうまくやってるし、どんな客相手でも、十分な接客が出来てる。飲み込みも早いし、細かいところもよく気付く。」
吉行は、マスターに褒められて、素直に嬉しかった。
「そんな…。なんか、恥ずかしいです。」
吉行は、自分が手術をして、性別を変えたことをマスターに言っていなかった。以前、マスターの一人娘が、性同一性障害だったことや、自殺したことを聞いてから、言おうとは何度も思ったが、言い出せなかった。
「まぁ、返事は、今すぐじゃなくてもいいから、よく考えて、麗ちゃんとも相談して、決めてくれ。もちろん、いい返事を期待してるぞ。」
「はい。」
マスターは、立ち上がり、境内の屋台の方へ歩いて行った。
「ちょっと冷えたな。熱燗でも飲むか?」
「はい。」
吉行とマスターは、熱燗を買って、再び石垣の所に戻って腰を下ろした。吉行は、マスターに全て話しておこうと思った。それで、もし店にいられなくなっても構わないと思った。これだけ自分のことを買ってくれている人に、隠し事をしているような気がしてならなかったのだ。熱燗を飲み終わる頃、吉行はマスターに言った。
「マスター。僕、マスターに言ってなかったことがあるんです。」
「ん?何だ?」
「あの…。実は…。僕、性同一性障害で、性別変更しました。」
マスターは、一瞬、驚いたような顔をしたがすぐに、
「そうか。」
と、静かにつぶやいた。
「すみません。今まで、ずっと言えなくて…。」
「そうだろうな。吉行には、俺の娘の話を聞かせたからな。言い出せないよな。」
「すみません。」
吉行は、マスターの顔が見れなかった。手元の熱燗の入っていたコップを見つめていた。しばらく沈黙が続いたが、マスターが話し出した。
「まぁ、そんなこと、今の俺には、たいした問題じゃない。話してくれて、ありがとな。」
「マスター。僕…。」
「そろそろ帰るか。麗ちゃん、待ってるだろ?」
「マスター。僕のこと、怒ってないんですか?」
「何で?」
「ずっと、本当のことを黙ってて…。」
「俺は、男の吉行しか知らないから、本当とか…ないぞ。別に、言いたくないことは言わなくてもいいと思うし、誰にだって、言いたくないことのひとつやふたつあるさ。」
吉行は、マスターと別れ、店の関係者に挨拶をして、家に帰った。

「おかえり。」
「ただいま。寝ててくれてよかったのに。大丈夫?」
「うん。大丈夫よ。病気じゃないもん。寒かったでしょ?お風呂、熱めにしたわよ。」
「ありがとう。」
吉行は、風呂の中で、さっきマスターに言われたことを考えていた。マスターの店は大好きだし、バーテンダーとしての仕事も楽しい。でも、その店を継ぐ自信がない。何人もスタッフを雇っていて、その人達の生活もある。失敗はできない。
すっかり長湯をして、体が火照ってる吉行に、冷たい水を渡しながら、
「何かあった?」
と、麗が聞いてきた。麗は、勘が鋭い。と言うより、相手のことをよく見ているのだろう。
「あぁ。マスターがさ、俺に、店を継い
で欲しいって。」
「そう。それで、何て答えたの?」
「まだ返事はしてないよ。麗とも相談してって。」
「吉行は、どうしたいの?」
「俺は、マスターの店が好きだし、継ぎたい気持ちはあるけど、自信がないよ…。マスターが大切にしてきた店をぐちゃぐちゃにしないか…。」
「私も手伝うわよ。それに、お店のみんなだって、お客さんだって、あそこに集まるメンバーは、みんなあの場所が好きなんだから、きっと力になってくれるわよ。吉行ひとりで抱え込まなくても、大丈夫よ。」
そう言われて、吉行は、麗を抱きしめた。
「さっき、マスターに、俺が性別変更したこと言った。」
「そっか。」
「マスター、大した問題じゃないって言ってくれて…話してくれてありがとうって…。」
「よかったわね。」
「やっと、言えた。」
今度は、麗が吉行をぎゅっと抱きしめた。
「今度、きちんとマスターに、返事しに行こう。」
「そうだな。」
「吉行なら、絶対に大丈夫だから。きっと今以上に、素敵なお店にできる。私が保証する。」
麗は、形の綺麗な大きな瞳で、じっと吉行を見つめた。
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