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『はじまりの町』ベイレフェルト

08.賢者の石

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 陽射しの暖かさと吹きおろす風の涼しさが心地良い外と違って、地下へ続く階段をおりるたびに肌をつたう冷たい風は、むしろ寒くもあった。
 手を伸ばした先も見えないほど暗くなっていく視界のなかで、ナツメが杖代わりに持ったミゲルの木の棒が石の階段にぶつかる音だけが幾重にも反響する。

 そんな暗闇に明かりを灯したのは、ナツメが木の棒を持つほうとは逆の手のなかにつくりだした、人の頭ほどの火球。

「工房にこんなところが、なんか隠れ家って感じだな」

 ナツメの手もとから離れ、まるでふたりを案内するように浮遊する火球が自ら先行する。
 それを不思議そうに眺めながら、ミゲルが口をひらいた。

「私が勝手につくっただけよ。クロマツたちはまだ存在を知らない」
「大丈夫かよ、こんなの勝手につくって」

 一時的に師匠だったとはいえ、ここはクロマツとイヌマキの工房。
 当然の話だが、勝手に地下室なんてつくっていいはずがない。

「そうまでして守らなきゃならないものが、私にはあるのよ」

 長い階段が終わると同時に、ナツメのつくった火球はその場で飛散した。
 なにも、消えてしまったワケではない。
 飛散し、いくつにもわかれた小さな火の玉は壁に備えられた松明のうえにちょこんと乗り、いくつもの灯りで広間を照らしだした。

「もしかして、これがお前の守らなきゃならないもの」

 そう口から言葉をこぼしたミゲルの視線のさきで暗闇から突如姿を現したのは、人の丈ほどあろうかという大きなクリスタル。
 向こう側が透けて見えるほど透明度の高いクリスタルの中心には、メラメラと燃えたぎるような鶏の卵ほどの赤い石が埋めこまれていた。

「錬金術士を名乗ってはいるけど、私は精霊術とあとひとつ魔法を扱うことができる」

 そういいながら、自身より少し背の高いクリスタルへ歩み寄るナツメ。
 ミゲルを威嚇した雷も、こうして地下室を照らす火も、すべては彼女の精霊術によるものだろう。

「それが私たちの一族に継承されてきた、結晶術」
「結晶術?」

 ナツメの口から説明を受けた三代魔法に含まれないそれをミゲルが知るはずもなく、腕を組んで首を傾げた。

「クリスタルを人の手で生みだす技術、古くから主に封印なんかをするために使われてきた技術よ」

 白く細長い指さきがクリスタルに触れると、まるで水面のように全体へ波紋が広がる。
 ナツメの手は爪のさきからゆっくりとクリスタルのなかへと呑みこまれ、なかに埋まっていた燃えるような石を強く握った。

「隣国で手に入れたこれをクルペンハウエルまで持ち帰るのが、私の使命」
「なんかの卵か?」

 石を握った途端にクリスタルはその大きな姿をキラキラ輝く光の粉へと変貌させ、消滅していく。
 残ったのは、ナツメの手に握られた石だけ。

 丁度鶏の卵のような大きさと形のそれは、ミゲルのいうようになんらかの卵と告げられても違和感などない。
 しかし、ナツメはゆっくりと首を横に振って否定した。

「完全性魔力鉱石、通称【賢者の石】。魔力鉱石は一割から二割を魔力で構成され、クリスタルは多くても八割程度。だけどコレはその全てを魔力で構成された、どうやって物質化してるかもわからない代物よ」

 鉱石というが、賢者の石はナツメの手のなかでゆっくりではあるものの、確かに脈打っている。
 鉱石というより、卵というより、それはまさに生き物。

「その力はあらゆる魔法を数十倍にも膨らませるというし、無から有をつくりだすこともできる。万物の根元にして万物の頂点」
「うんうん」

 ナツメの口からでてくる小難しい言葉の連続にミゲルは首を何度も頷かせ、「なるほど、わからん」と思考を止めてしまった。

「それでいいのよ。これは存在するだけでヤバいモノなんだから、相手がバカでもない限りは説明なんてしたりしないわ」
「おい待て、今ものすごくバカにされてるのはわかるぞ」

 バカにされてご立腹の様子のミゲルをケラケラとおかしそうに笑い、ずっと杖代わりに使っていた木の棒を彼のほうへ投げる。

「これは返すわ」
「おう、やっと俺のもとに帰ってきたか樫の木の棒レーヴァテイン

 ゆるやかな放物線を描き、ようやく手のなかへ帰ってきた木の棒にミゲルはどこか満足そうに微笑んだ。

「今朝から思ってたけど、なによそのヘンテコな名前」
「かっこいいだろ? なんか、とにかく強い剣の名前だ」

 ミゲルがあまりにも嬉しそうに笑うものだから、ナツメの表情も心も綻ばずにはいられない。

「ナツメよ、名前いってなかったでしょ?」
「そういや聞いてなかったな」

 そういってナツメが自ら差しだした手を、ミゲルの手が硬く握った。

「私と賢者の石をクルペンハウエルまで護衛するのがあんたの役目、よろしく頼むわよ」
「報酬は?」
「ごめん、聞こえなかった」

 ふたりの声は、地下室のなかで幾重にも響き渡っている。
 当然、さっきまで普通に会話していた声が急に聞こえなくなるなんて、あり得ない。

「いやだから、そういうのって報酬をもらってやるもんだろ?」
「図々しいわよ」
「どっちがだよ!」

 地下室で何度も響くミゲルの怒号がうるさかったのだろう、ナツメは嫌悪に顔を歪めながら耳を塞ぐ。

「話聞いてなかったの? 私はお金がないから自分で護衛をつくろうとしたワケで、それをあんたが壊した」
「あれは合意のうえだったろ!」
「理由はどうあれ、あんたがゴーレムを壊したことにはかわりないでしょ。それに……」

 胸の奥の方からジリジリと怒りが込みあげてくるのを感じ、ナツメは大きく息を吸いこんだ。

「散々、私の体をまさぐっといて! それがもうチャラになったなんて、思ってんじゃないでしょうねっ!」

 今度は感情任せに吐きだしたナツメの怒号が、何度も地下の壁に反響する。

「まだそんなこといってんのかよ! 執念深いにもほどがあるっての!」
「気絶した美少女の胸を揉んどいて、よくいうわ!」
「美少女なんてどこにいんだよ!」
「ここに純血エルフの美少女がいるでしょーが!」

 地下室に大声を響かせて喧嘩するふたりの耳には、互いの声しか聞こえない。
 だから、気づけなかったのだろう。

「お楽しみのところ悪いが、賢者の石を渡してもらおうか。赤髪の錬金術士殿」

 開けっ放しの本棚の扉から、四人の男たちが階段を降りてきたことに……。
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