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髪切り屋のオス/爪の研究
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しおりを挟む「深爪するには理由があると思うけれど、それは爪を研ぐのが下手ってこと? それとも爪を噛む癖があるとか」
「フェリチェの爪は、脆いんだ。どうしてだか、すぐに割れてしまう。せっかく伸ばしても、ちょっとぶつけたり引っかけると、ダメなんだ」
イードは少し考えた後で、棚からいくつか小瓶を用意すると、フェリチェの警戒を煽らないよう努めて平坦な調子で語りかけた。
「俺に見せてくれれば、原因と改善法がわかるかもしれないよ」
「し、しかし……本当にみっともないんだ」
「それは主観だね。観察でわかるのは爪の長さ、形状の客観的事実で、その延長に俺の主観は入れないよ。嫌なら無理にとは言わない。フェリチェが決めて」
しばらく悩んで、フェリチェはまず一つグローブを外した。指先を隠すように手を握り込んで、恐る恐る突き出す。
「フェリチェは、イードの知識と正直なところを信頼してる……。よ、よろしく頼む……」
「うん、ありがとう。見させてもらうね」
イードの手が、頑なに握られた指の一本一本を開かせるように、指を付け根から撫でさすった。くすぐったいような、揉みほぐされるようなふわふわした感覚に、まず人差し指が跳ね上がった。
指先を見つめ、イードは淡々と問いかける。
「フェネットの爪は伸縮する? たとえば猫のように、こうして……」
イードはフェリチェの指先を摘んで、ぎゅっと力を加えた。猫ならば鋭い爪が顔を見せるが、フェリチェの指先にそういった変化は見られない。
「猫とは違う。フェネットは、戦う姿勢を見せる時に、ちょっとだけ根本から爪を伸ばして威嚇することはできる。……だがフェリチェは、もとの爪が短すぎるから、それもできないんだ」
フェリチェの爪は深爪と言う通り丸っこく、指の頭が丸見えになるほど短かった。
あまり艶がなく、どこか青白く映る爪を見て、イードは確信を持って告げた。
「なるほど。フェリチェの爪には、栄養が足りていないんだね」
フェリチェは泣き腫らした目をぱちくりさせて、首を傾げる。
「栄養なら、いつもたっぷり摂っているぞ。飯を作ってくれているイードが、一番知っているだろう?」
「もりもり食べてくれるおかげで、作り甲斐もあるよ。でもそうじゃなくてね」
イードは用意していた小瓶から、とろみのついた液体を指に掬って、フェリチェの爪に塗り込んだ。
「何だ、これは」
「チャルミの油だよ。保湿効果がある」
フェリチェの故郷にもチャルミの木はいたるところに生えていた。削った根は鉛筆のように利用することができ、実用性がある他、大きな実は油分が多くコクがあって食べ応えがあり、フェネットの好物でもある。
「フェリチェの手は、指先全体が乾燥しているね。それにグローブをしていたわりに、耳と違って手はうんと冷たい。舌を観察した時にも思ったけれど、フェリチェは体が冷えやすい体質なんじゃないかな」
体内の水分代謝が悪く、浮腫んだ舌に見られる歯形が残っていたとイードは言う。爪の根本を覆う皮膚に念入りにチャルミオイルを塗って、指先を優しく揉みながら、彼は一つ一つ噛んで含めるように教え聞かせた。
「爪が造られるのは、この根っこの部分。ここまで栄養を運ぶのは、フェリチェの体を巡っている血液で、体が冷えると血の巡りは悪くなる。排出しきれない水分も、冷えの原因だからね」
「じゃあ……体を温めて、保湿というのをしたら、フェリチェの爪は強くなるか?」
「一つの可能性としては、ね」
フェリチェの瞳が、安堵と期待に背中を押されて光を取り戻した。
「フェリチェはな、この手がずっと恥ずかしかったんだ」
もう片方の手もイードに揉みほぐされながら、フェリチェはずっと秘めてきた悩みを打ち明けた。
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