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外出禁止だ/イードの日記帳
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しおりを挟む食後の果物まで剥いてもらって、フェリチェの頬は艶々と満足げに輝く。
イードは本棚の前で、獣人に関する研究書をめくってはしまってを繰り返していた。
「……フェネットの被毛が変色するなんて記述は、どこにもないなぁ」
「そうだろうな。発情期のフェネットは巣に籠もり、番以外に姿を晒さないものだ」
年に数回のその期間にしか繁殖できないため、子を望む夫婦にはたいへん大切な数日間となる。逆に番のいない、フェリチェのように独り身のフェネットの女は、望まぬ妊娠を避けるために巣篭もりの必要があった。
「フェネットの生殖機能は、猫に近い……と。被毛以外に、体に変化は?」
「特にないな。……ああ、いや。ちょっと、おかしな感じはする。むず痒いというか、うずうずして落ち着かない……ううぅむ、だめだ!」
意識した途端に、そのむずむずは顕著になって、フェリチェはぶるりと身を震わせた。居ても立っても居られなくなり、片付けもそこそこに部屋へと駆け込む。
「大丈夫?」
「ああ、心配いらない。一人でどうとでもできる。ちょっと変な声が洩れたり騒がしくするかもしれないが、気にしないでくれ」
「気にしないで……って」
閉ざされた扉を見やり、イードは何とも言えずそわそわとした気持ちを誤魔化すように、頬をかいた。
「俺がいたらチェリこそ気になるんじゃないのかな。冒険者ギルドに頼まれていた毒草手引きも納めにいかなくちゃいけないし……ちょっと出かけてくるか」
朝食を片し終えると、イードはそっと家を出た。
※ ※ ※
発情期の獣……と聞いて、ごく一般的に人族が思い浮かべる印象として──。
性的魅力を最大限に見せつけるために毛艶を良くしたり、種特有の求愛行動を取ったりなどが挙げられる。中には艶めかしい声で鳴いたり、肢体をくねらせ、見るからに「辛抱たまりません。好きにしてください」状態の個体もいたりするため、イードが多大なる誤解をしても致し方ないことだ。
だが幸いにして、フェリチェの初めての変調に、そのような兆候は見られない。体が疼いて仕方がないのは、被毛の変化によるむず痒さであって、性的に興奮しているといった類のものではない。
「ふぬぬぬぬ……ダメだダメだダメだ! 痒い、くすぐったい! ううううぅぅ!」
毛穴を柔らかいものでほじくり返されるようなむず痒さに襲われて、フェリチェは髪を掻きむしる。イードが出かけてから小一時間、寝台で七転八倒していた。
「限界だ。一息に楽にしてくれ……」
腹を括った戦士のように勇ましい顔で情けないことを呟くフェリチェに、むずむずは容赦なく猛攻を仕掛ける。
「うにゃあああ!」
たまらず身をよじると、勢い余って寝台から転げ落ちた。床に叩きつけられた体に沁みる、じんじんとした痛みで、フェリチェはほんのわずかとは言え、むず痒さを忘れた。
「うむ、これはいい。気が紛れるぞ。ルタに習った体術の受け身の感覚に似ていたな。よし、しばらくぶりにやってみるか!」
そう言うや、フェリチェは狭い部屋をどたんばたんと転げ回った。
「おお、いい感じだ! 体が楽だぞ!」
フェリチェはその気になって暴れ回るが、決して体を激しく動かしたから楽になった……というわけではない。たまたま、肉体が変化に慣れる瞬間が、落下のタイミングと重なっただけだ。
転がり回るうちに、それ自体が楽しくなってきたフェリチェは、当初の目的を忘れてでんぐり返りに夢中になった。
部屋の狭さもすっかり失念し、前転から伸び上がって大きな反動をつけた跳躍は、勢いを緩めないまま本棚に抱き止められた。
「うおっ……わわ、わ」
本棚はフェリチェが転ばないように逞しい体で支えてくれたが、自らに収められた蔵書の一部を犠牲に払った。
床に投げ出された本はいくつかページが折れてしまって、見るからに痛々しい。
「ああ、すまない」
どれもイードの大切な書物だ。フェリチェは一ページずつ折り目を撫で、優しく埃を払って本棚へと戻す。
何気なく拾い上げた何冊目かの書物から、ひらりとページの断片が抜け落ちた。実際には綴じ込んであった紙が落ちたものだが、破損してしまったと思ったフェリチェの手は慌ててそれを追いかけた。
摘んだ紙切れは、古い新聞の切り抜きだった。
『オーウェンの悲劇!
ヒルダガルデ渡航中に失踪したヴェイルード王太子に続き、ルェディ第二王子が病死!
王太子の捜索が急がれる』
挟まれていた本に戻そうとして、フェリチェはぎくりとした。手にしていたのは、イードが日記帳と言っていたものだったからだ。
抜け落ちた記事を差し込むためにページをめくるも、どのページも同様にオーウェン王家に関する新聞の切り抜き記事や、走り書きばかりだ。
『続報。ルェディ王子死亡の裏に、ヴェイルード派の影!? 毒殺か──。
オーウェン王国は、第一王子の捜索を断念。王位継承権を第三王子エディールに譲渡することを暫定的に決定する模様──……』
「これが、イードの日記……?」
そばに置くには重いが、捨てるには惜しい。そう語ったものが彼の「昔」なのだとしたら……。
フェリチェは日記帳を閉じて、天井を仰いだ。
「イードは……何者だ?」
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