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惑う/嗅覚の研究
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しおりを挟むさらに香りを求めるように、イードは桜色の髪に顔を埋める。腕には自然と力が入って、フェリチェから逃げ場を奪うように、腰から抱き寄せた。
「繁殖期だから、この匂いがするのかな?」
「今日、初めて大人になったフェリチェが知るものか……。も、もういい加減、離してくれ。頼む、さっきからお前が喋るたび……」
「俺が話すと、何?」
「ひっ……!」
イードの腕の中で、縮こまった体がさらに強張って、淡く柔らかな被毛がぶわりと広がる。大きな耳の先は跳ねるように震えて、イードの頬をくすぐった。
「どうしたの?」
「ふわゎっ……み、耳元で喋るなっ……」
「ああ……」
すっかり理解した様子のイードから、どこか悪戯な笑みが零れた。
彼は離れるどころか、わざわざフェリチェの耳に顔を寄せて口を開く。
「……チェリは、耳がいいんだった?」
「だ、黙れ! おかしな言い方をするな! フェリチェはそんなんじゃ……」
「じゃあ、視覚を奪われて敏感なところに触れられるのは、どんな感じ?」
「ひっ、や……」
フェリチェの耳の内側に生えた、蒲公英《タンポポ》の綿毛のように、ぽわぽわと密集した毛ごと、イードは指の腹で耳介を撫でた。
「だ……だめ、だ、イードっ……や、やめ……」
「教えて、どんな感じ?」
「しっ、知らないっ……」
「脈が速くなって、体温も上がってるね。心なしか、香りも強くなった?」
「ひゎあっ! こっ、こねくるな! 助平、変態っ」
フェリチェは一生懸命、拳で対抗してみるが、しっかり腰を抱かれているせいで距離が近く、たいして威力は出なかった。
膝から崩れてしまいそうなのに、それすら許されず、奪われた視界の中で耳をまさぐる手は止まらない。
「香りは発汗と関係している? それなら興奮状態が作用して……」
「だっ、誰が興奮しているとっ……!? こんなことで……だ、断じてっ、欲情などするものか!」
「そうは言ってないけどなあ……でも、そうか。分かりやすいね。──チェリは欲情してるのか」
くすくすと耳元に触れた吐息で、また一つ身を震わせたフェリチェから、甘い香りが漂う。
「君は本当に興味深いな」
「イード、どうした。今日は、ちょっと変だぞ……。な、なあ……もう実験も終わったろう? そろそろ、本当に離してくれ……」
「俺はまだまだ、チェリのことを知り足りないよ?」
顔が見えないせいで、声に込められた真摯さがフェリチェの胸を豪速で狙い打つ。危うくときめきかけるも、相手はイードだぞと冷静なフェリチェに頭の片隅で叱咤された。
そうして一旦は我に返ったものの、耳元でイードが口を開くたびに、フェリチェの理性は腰から砕かれた。
「もっと知りたいんだ」
「も、もうフェリチェにだって秘密はないぞっ。イードを満足させられることなんて何も……」
「耳、目、口、爪、鼻……。あと調べてないのは──……尻尾?」
「ふえっ!?」
やけに危険な気配を感じ取ったフェリチェは、股の間に挟み込んで、尾を守った。しかし相手はイード……。探究心と知識欲で生きている男を前に、その程度の抵抗、まったく何の効果もない。
「わざとそうしてる?」
「な、何が……だ?」
「いいよ。どうせ全部見させてもらうつもりだから。さあ、チェリ。脚、どけようか」
いつものイードの香りに包まれているはずなのに、なぜだか急に、嗅いだことのないオスの匂いをフェリチェは感じた。
膝で強引に割って入られ、いよいよ本格的に純潔が危機に曝されていると悟ったフェリチェは度を失う。思わず、アンシア語まで飛び出すほどだ。
『お願い、もうおやめになって。イードさんは好きですけれど、これ以上は好意だけで許すわけにはいきませんの。愛がなくては……』
『──愛してるよ』
耳元で囁かれた流暢なアンシア語に、フェリチェの頬は鴇色に染まる。甘やかな香りが、また一層深まった。
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