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ブラックリストのオス/記憶の研究
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しおりを挟むやがてその音が、はっきりとした呻き声に変わるとともに、毛布の下でフェリチェの体が大きく跳ねた。
フェネットのしなやかな筋肉と、強靭な膝のバネで、フェリチェは覆い被さるイードを押し返す。
突然のことに、なんの構えもなかったイードは、寝台から転げ落ちた。
「いったた……なに、どうかした?」
「き、貴様っ……いま、くちっ……口にっ……!」
ひどく狼狽えて、フェリチェはうまく言葉を紡げない。何とか意味の伝わる形に整えるが、どもってしまった。
「なぜ、口にしたっ……」
「えっ? だってキス、だから?」
「フェ、フェリチェがされたのは、おでこだ!」
「ええぇ……?」
そう言われてイードは、数回瞬きする間に、再び一日を振り返った。フェリチェが披露宴から帰ってきて、キスされたとわめき……、やたらと打ちつけていたのは……。
「……ああ、おでこだ」
それなら、フェリチェに色魔呼ばわりされた男の軽率な振る舞いのノリも、わからないでもないイードだ。
おまけに、フェリチェが想定の数段上を行く純情な娘ということも再確認できたので、額くらいで……とは言わない。
「でも、今日の君の口ぶりじゃあ、どう考えたって口にされたものだと思うけど」
「あ、あんな恥知らずなオスと、口と口でキスだと? そんなことになっていたなら、フェリチェは舌を噛んで去ぬ!」
「そう。……じゃあ俺は?」
「……う、む?」
ずいと身を寄せて、イードは小首を傾げて問うた。
「俺となら、いいの?」
「い……、い……いいわけあるか! どうしてくれるっ……。返せ、フェリチェの初めて!」
「返せって言われてもなあ。とりあえず、もう一度したら、返したことになるかな?」
「なるか、馬鹿者!」
フェリチェは一分の隙も見せぬよう毛布をすっぽり被り、さながら甲羅に籠る亀のようだ。
「最低だ! フェリチェの記憶は、上書きどころか、新たに唇を奪われた記憶にすり替わってしまったではないか!」
「じゃあ、どうする? 一応おでこにもしておく?」
「何でそうなる!」
亀は甲羅から、不信の目だけ覗かせてぼそぼそと語る。
「……イードがフェリチェのことを、どう思っていようと……。お前のようなオス……大切な図鑑に載せてなどやるものか。お前は……変だ。一緒にいると、フェリチェも変になる……。きっと、フェリチェには毒なんだ」
ああ、そう──と。いつもの素っ気ない相槌を打つイードだが、言葉のわりに声音は穏やかで、どこか嬉しそうでもあった。
「でもドクイモって、美味いよね。チェリも好きになっただろう? 研究してみないと分からないことって、たくさんあるよね」
「……だっ、黙れっ。覗くなっ。あっち行けぇ!」
「ここ、俺の部屋なんだけど」
「……うっ。そ、そうだった。すまない……、フェリチェが出て行くっ。出て行くから、ついてくるなよ!」
律儀なことに毛布をきちんと整えて、フェリチェは扉に向かった。その背に、ひたすらのんびりとした声が掛かる。
「眠れそう?」
「……──っ、眠れると思うか? 明日の仕事に影響が出たら、貴様のせいだからな!」
入ってきた時と同様にけたたましく扉を鳴かせ、フェリチェは自室へ駆け戻った。
布団に潜り込んで、ぎゅっと目を瞑るが、案の定眠気などやってこようはずもない。
ほんのちょっと触れただけの唇の感触が蘇っては悶絶する……を、幾度となく繰り返すのは昼間と同じなのに、どういうわけか今度は背筋ではなく胸がざわついた。
(……違う、違う。イードさんなんて……ちっとも、なんとも……)
真実の愛は、もっと甘美で情緒的であるべきなのだ。なのに、イードときたら……情緒も順序もあったものではなくて、フェリチェはいつも、うっとりするどころかびっくりさせられてばかりだ。
(そ、そうです。この胸の昂りは戸惑い……。恋慕などではありませんのよ!)
厚みの増した花婿図鑑を抱いて、フェリチェは自分に言い聞かせる。
結局、一睡もできぬまま朝を迎えたのだが、夜中にフェリチェの頭突きの音が響くことは一度もなかった。
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翌朝、市場で偶然ギュンターに会った際、フェリチェはぽろりと愚痴をこぼしたそうな。
それがこちらです↓
「イードに寝かせてもらえなかった。身がもたないかもしれん。フェリチェは初めてで、経験が足りないんだ」
(アンシア語訳:イードさんのことを考えていたら、眠れませんでした。寝不足で、仕事に身が入りません。こんなことは初めてで、戸惑っています)
時々とてつもない誤解を生むポンコツ人族語。
ギュンターは今日も大丈夫じゃないのです。
さて、次のエピソードでは……ハッピーエンドの手前まで行きますよ~ ଘ(੭*ˊᵕˋ)੭* ੈ♡‧₊˚
その前に一旦閑話を挟みます。
のんびりとお付き合いいただけましたら嬉しいです♡
応援ありがとうございます!
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