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第二章 神女の憂鬱
初めてのお仕事2
しおりを挟む祭壇を横切り奥の間へ進むと、神官らの詰め所と思しき一室に、高年の男性神官が待っていた。彼はエファリューを迎えるや、恭しく跪拝した。
法衣の格式の高さ、頭に被った宝冠から、彼が大僧主オットーであると、エファリューは判じた。
アルクェスの教えをざっくりまとめると、神殿において神女が頭を下げるべきは、祭壇のみと言われている。たとえオットーが、クリスティアにただ一人しかいない最高位の神官であろうと、エメラダは堂々としていていいそうだ。
オットーが儀礼的な挨拶を述べている間、エファリューは彼の頭を見下ろして、宝冠に飾られた宝石の数を数えていた。
(一個くらいぽろっと落ちないかしら。そしたら換金して……)
などと、考えていると、挨拶を終えたオットーが顔を上げた。エファリューと目が合うや、彼は柔和な顔の皺を深くして、じっと見つめてきた。
それからアルクェスに詰め寄り、何事か問い詰めているので、まさか偽者だとバレてしまったのではないかと、エファリューは気が気でない。
しかし心配はいらなかった。次にオットーと向かい合った時、彼は穏やかに微笑みかけてきた。
「失礼いたしました。幾分か血色が悪く見えたものですから、まだご体調が優れぬところを鞭打って参られたのではないかと、少々アルクェスに確認していたのです。身共が、せっつくような真似をしたばかりに、ご無理をさせてしまったのなら、まことに申し訳ございませぬ」
エファリューは、教育係と何度も練習を重ねたやり方で、声を転がす。
「オットー。心配をかけましたね。貴方が此方にいてくれるおかげで、安心して静養に専念することができました」
エメラダの声は、小鳥が囀るように軽やかで、ゆったりと温かな陽だまりを思わせる。とても可愛らしい声だが、日頃のエファリューを知るファン・ネルの住民が聞いたら鳥肌間違いなしだろう。
しかし背後のアルクェスはエメラダを想い、涙をこらえて、エファリューの声を噛み締めている。彼がそうなるくらい、練習の成果は出たということだ。──と、なったら当然、オットーも簡単に騙すことができた。
大僧主はにっこり笑んで、「本日もお願いいたします」と恭しく頭を下げ、祭壇へと神女を送り出した。
祭壇の裏、桟敷のように一段高くなった場に神女の座はあった。笠木や肘掛け、座枠など細部に至るまで、繊細な透かし彫りの花が咲く意匠を凝らした椅子だ。くすみ、所々剥がれた金張りが歴史の長さを物語っている。
(これに比べたら、エヴァの玉座なんて、石を穿っただけの簡素なものだったわ。まぁ、石は石でも金剛石ですけど?)
顔も知らぬ初代神女に、意味のないマウントを取って、深い緑のベルベットの座面に腰を下ろした。神女の怒りに触れ上天の雷が下るのではないかと、わずかに身を固くしたがそんなことはなく、硬さと軟らかさのバランスが取れた座り心地のいい椅子にすっかり魅了された。
ゆったり息をつくと、頭にアルクェスの叱咤がとんできた。
『姿勢を正して前を見なさい。祭壇を開きますよ』
はっとして言われた通りにすると、目の前の錦の帷が開かれ、祭壇に祈りを捧げる信者たちを見渡せるようになった。礼拝する側から見たら、エファリューは祭壇に飾られた像のようだ。
静かだった礼拝堂が俄かに沸いた。しかしすぐに祭壇に近い者から跪拝を取って、歓声の波は引く。少しして神官らが息を合わせたかのように錫杖を鳴らすと、彼らは起き直り改めて列を作った。
喜色を浮かべた顔に、神女への信心が見て取れる。彼らはエファリューに祈りを捧げ、時に願いや苦悩を呟いていった。
初めのうち、エファリューはただぎこちなく彼らを見下ろしていた。耳飾りのせいで、さぞアルクェスがああしろこうしろとうるさいのではと覚悟していたが、居住まいを正して上品にしていれば、それだけで神女の体裁は取り繕えているようで、案外静かなものだった。
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