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第二章 神女の憂鬱
教育係の愛が重い2
しおりを挟む「怖くはなかったですか? わたしは……恐ろしかったですよ。貴女に役目を押し付けておきながら、早々にこんな目に遭わせてしまうだなんて、己の不甲斐なさを呪います」
泣きそうな顔で、彼は祈りを捧げるように、エファリューの手ごと額に掲げた。
握られた手が全く動かない。エファリューくらい軽々と抱えられることといい、衛士たちの鍛錬についていけることといい、線の細さからは想像しえない力強さを彼は持っている。
エファリューが柄にもなく胸をどきどきさせていると、空色の瞳が赦しを乞うように見つめてきた。
「わたしは、幼少よりエメラダ様についていながら、そのお心を慮ることのできなかった愚かな人間です。エファリュー、貴女とは契約上の繋がりしかないとは言え、神にも明かせぬ秘密を抱え合った者同士……。恐怖も不安も、どうかわたしには包み隠さず話してくれたらと願っています」
(ああ、この坊やは……)
庭師の言葉を思い出し、エファリューは苦笑を滲ませる。エメラダを失ったことで、決して小さくはない傷を心に負ったのだと、震える手が語っていた。
エメラダの二の舞にはさせまいと、彼も変わろうとしているが、何をどうしたらいいか戸惑ってもいるようだ。
(なんて不器用なのかしら)
脅迫も厳しい躾も平気でするくせに、迷子のような顔で見つめてくるのは狡いと、口を尖らせながらも、大人ぶったエファリューは絆されてやることにした。
「と、とっても怖かった……!」
長い時の中で、もっとたくさん危険な目に遭ってきたエファリューにしたら、手を握られるくらい吸血虫に刺される程度のことだが、大仰に怖がってアルクェスの胸に飛び込んでみる。
それで少しでも彼の自尊心が満たされるのなら、「はしたない!」と叱られて引っ剥がされるのも覚悟の上だ。どうせ怒られるのだから、ここぞとばかりに美青年の匂いを堪能しておこうと、遠慮なく彼の胸に頬を擦り付けた。
しかし一向に叱られることはなく、それどころか、厳格な教育係はしなやかな手でミモザの髪や背をゆったり撫でたのだ。
別に怖い思いをしたわけでもないエファリューだったが、その手は驚くくらい優しくて、不思議に気持ちを穏やかにしてくれた。馬車の揺れと相まって、眠気を誘うような心地よささえ感じ、そっと目を閉じていたら静かな声が降り注いだ。
「先程の男には厳罰を処しますから、安心なさい」
穏やかだが、ぞっとするほど怒りを孕んだ声音だ。
「ま、まさか処刑……だなんて言わないわよね?」
これくらいのことで、と付け加えたら大変なことになりそうなので、ぐっと堪えた。
「ええ、まさかそんな血生臭いことはいたしませんよ。王都にて市中引き回しの上、かの者にとっての人生の汚点、見苦しい日記に至るまで……公開するにやぶさかではありませんが。帰城したら、早速調査を進めるので、ご期待ください」
美しい顔で微笑んでいるが、目が全く笑っていない。
エファリューは思う。偽神女の手を握っただけでこれだ。エメラダの駆け落ち相手の厩番は、この男に見つかったらそれこそ……始末されてしまうのではないだろうか。だから何も告げず出て行き、音沙汰もないのでは……と思わずにいられなかった。
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