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第二章 神女の憂鬱

幕間①サラは従順

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「エファリューさんが、死にそうだから部屋に来いと言っています」

 サラは、書庫から戻ってくるなり主人にそう告げた。
 一瞬だけ手元から視線を上げたアルクェスだが、すぐに書面に向き直る。地図を片手に、エメラダの消息の手がかりを探しているのだ。とりあえず放置して良さそうな事案に、いちいち付き合っている暇はない。

「……まったく。心配したというのに、貴女を顎で使うほどには元気ではないですか。朝になったら行きましょう。サラも今夜はもう下がっ……て?」

 不意に影が手元を覆ったと思ったら、いきなりサラに抱きつかれた。
 何事か──、突然のことにアルクェスは椅子の上で硬直する。
 なぜサラに抱きつかれ、いつもの数倍濃く塗られた口紅を頬や首筋に押しつけられているのか……意味が分からなさすぎた。

 サラは元々、アルクェスの従兄弟に金で購われ、惨い扱いを受けていた娘だ。飽きた途端に捨てられ、魂が抜けた人形のようだった彼女を、から守るために引き取ったというのに。なぜ自分から、こんな真似を始めたのか、アルクェスは困惑しながらも懸命に思考を手繰り寄せた。

 以前に比べたら少しは人間らしくなったものだが、それでもサラはあれこれ考えることを放棄し、従順に命令に従うことで、他人に判断を委ねているところがある。命じられた以上のことは考えないので、やってほしいことはつぶさに伝えないと、しばしば齟齬が生じる。──エファリューを素っ裸で寝かせていた時然りだ。

 だからもサラの意志ではなく、誰かにそうしろと言われてしているに違いないのだというところまでは、答えを紡ぎ合わせられた。
 いつもなら、はしたないと口走るところだが、不思議なほどそうは思わなくて、アルクェスはただ悲しい思いでサラを見つめた。

「サラ、おやめなさい」

 命令に命令を上書きすれば、自らのブラウスのボタンを外そうとしていたサラの手が、ぴたりと止まった。
 次の指示を待つかのごとく、無表情でアルクェスを見守るサラは、繰り手を無くした人形のようだ。

「こんなことをさせたのはエヴァですね? これはきつく叱ってやらねば気が済みません。そうでしょう?」

 サラは首を傾げる。本当に何も気にしていない様子だ。それがアルクェスはますます悲しい。

「サラ、ここには貴女を痛めつける愚か者はいません。拒むことを恐れないでください。嫌なことははっきり嫌だと言ってよいのです。第一、貴女の主人は彼女ではない。このわたしでしょう」

 滲んで崩れてしまったサラの口許を指先で掬って、整えてやる。それにもサラは身動ぎ一つしない。

「サラ、貴女はもっと自分の意志を持ちなさい。これはわたしからの願い命令です。特に彼女……エヴァには、はっきりと主張なさい。付け上がらせるだけですよ。こんなこと、本当は嫌だったでしょう?」

 傾げた首を起こし、ゆっくりとだがサラはその首を左右に振った。

「ご主人様のお相手なら、嫌じゃありません」
「なっ……何を言って……」

 動揺を耳の端まで露わにして、アルクェスは席を立つ。

「そうですか、わかりましたよ。それも彼女に言わされているんですね? 踊らされたようで癪ですが、もう堪忍できません! エヴァと話をしてきます!」

 いつもは扉は静かに開閉しろ、廊下は走るなと口喧しく注意する側の彼が、全てのタブーを犯して、エメラダの居室へと猛進していった。

 残されたサラは、再びぼんやりと首を傾げる。
 自分の意志を言葉にしてみても、きちんと伝わるとは限らない。それなら黙々と従属していた方が、傷つかないで済むと彼女が思っていることなど、主人は知らない。
 サラは深く、思考を閉じるのだった。





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