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第三章 エヴァの置き土産
一肌も二肌も脱ぐ2
しおりを挟む「なっ、何をして」
慌てふためく気配を感じながら、エファリューは背にかかる髪を持ち上げた。
「よく見て」
ミモザの花が揺れて、黒い羽根が顔を覗かせた。蝙蝠の翼を思わせる、小さな翼だ。
「これは……刺青ですか? 確かに、エヴァの子の迷信にふさわしくはありますが、本物の羽根ではない」
「そうよ。だけど正真正銘の、エヴァの子の印──。魔人と呼ばれた魔法使いの一族の、長から子へ受け継がれる王位の証よ」
「……王位?」
「わたしは……エヴァの一人娘にして、魔王の羽根を受け継いだ王女エファリュー。貴方たちが忌む、魔人の生き残りなの」
「魔人……の、末裔……ということですか?」
精一杯、理解しようと努めて、アルクェスは問う。
彼の困惑を、エファリューは黒い翼で受け止めるが、振り向く勇気は萎んだままだ。指先はまだ震えているのに、言葉だけは滑らかに滑り出た。
「だから、エヴァの実の娘よ」
「はあ。ちょっと失礼……」
背後から、額に手を当てられた。
「熱はないようですが、正気を失っているとしか思えない」
「アル……貴方ねえ。わたしがここまでしてるっていうのに、それはないでしょ」
「しかし、クリスティアが建国されて何年になるとお思いですか」
「八百年よ」
「では、貴女は八百歳だと?」
「だからそうだって言ってるでしょ。レディに齢を尋ねるなんて、失礼しちゃうわ」
ひとには淑女らしくと言うくせに、と鼻で笑ってしまった。厳格で、神女に一筋すぎて、息苦しささえ覚えたはずの彼の隣が、こんな時にも軽口を叩けるくらい居心地が良くなっていたのだと思い知らされる。
そんな小競り合いもこれが最後と心得て、エファリューは実話で紡ぎ直した神話を語り聞かせた。
「……これまで、わたしたちの目を欺いてきたのですね」
「そうよ。知っていたら、身代わりなんて頼まなかったでしょう?」
「……どんなつもりで、祭壇に座っていたのですか。一心に、神女様を崇めるわたしたちは、貴女の目にはどう映っていたのですか。愚か者だと、嘲っていたのですか」
怒りを孕んだ声に、エファリューは静かに首を振った。
何の因果かと思いはしても、この国をどうこうしようと思ったことはない。初代はどうか知らないし、都合のいい神話には腹も立つが、エメラダを通して神女の苦労もわかってきたところだ。
今でこそ、呪いの出現で記憶と感情を揺さぶられているが、元々クリスティアへの憎しみはほとんど薄れていたものだ。怒りや憎しみより寧ろ、ぽっかり心に空いた寂しさを埋められずに生きてきたエファリューには、この身代わり生活がそれを満たしてくれるものになりつつあった。
「なかなか……悪くない景色だったわ。十分ぐうたらさせてもらったし。だけどもう、いられないわね。わたしはここを出ていくから、大変でもアルクェス様は、このひと月の間に本物のエメラダ姫か、別の身代わりを頑張って探してね」
「勝手なことを……。我儘で、怠惰で、責任を放棄し人任せ。まさしく堕落の象徴、エヴァの子の名にふさわしい」
窓の外に昇り始めた、青みがかった冴えた月。その光を宿したような冷たい声だ。
「貴女の話を聞いたところで、魔人……亡国の民に僅かながらも同情を覚えても、己の信じてきたものを手放してまで、心を傾けることはできません。ですが……」
不意に、冷えた肩をふわりと温もりに包まれた。エファリューの膝下まで、隠すように覆ってしまうそれは、アルクェスの上着だ。
「思い悩む教え子を、二度も見逃す愚か者になりたくはない」
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