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第四章 過去を抱いて、未来を掴む
いま一度、契約を
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…………
「──いい加減、泣き止みなさいよ」
「泣いて、など、いませんっ」
「隣にいるのがわたしでは、そんなにご不満?」
「そういう問題ではありません」
ゆったり空を行くフューリの背で、アルクェスは項垂れる。眼下に見えるは靄に煙る山々、ファン・ネルはもう見えない。
「わたしは神官失格です。いずれ冥府に堕ち、エヴァの裁きを受けるでしょう」
「あら、じゃあその時はお父様によろしくね」
エファリューはあっけらかんと言い放ち、下手な慰めはしない。
「……それはそうと、エファリュー。二杯目の器に、本当に薬を盛っていましたね?」
「あら、バレた?」
あわよくば油断し切ったところをやり返してやれたのに、とエファリューは残念そうだ。
「エメラダ様と話されていたことも、半ば本気だったのでしょう? 姿を消して、どこへ行こうとしていたのですか」
「さあ、どこへでも?」
「まったくもって懲りないひとだ。すぐに一人で暴走する……。わたしはそんなに信用がありませんか」
「……あら? あらあらあら? アル、もしかして怒ってるぅ?」
振り返れば、殊更にむっとした顔が見下ろしていた。
「……昼寝はよろしいので?」
「へ?」
「今度はおんぶをご所望でしたか」
「ええ?」
「抱っこを付けても、わたしでは貴女を引き留めるだけの理由にはなれませんか」
「ふへっ……へっ、へぇ~?」
驚いたような、気が抜けたような、おかしな声を洩らして、不機嫌な従者を覗き見る。少しして、エファリューの口許ににやけた笑みが零れた。
「……ふふ、そうよね。ご褒美のために頑張ったんだもの、どこにも行きやしないわ。それに、寂しがりのアル先生を放っていけるほど、わたしも冷たい女じゃないのよねぇ」
「誰が寂しがりですか。貴女には言われたくありません」
「うふふっ! ねぇ、アル。わたしがもうどこにも行かないように、行かなくてもいいように──。魅力的なお誘いをちょうだい」
怪訝な顔の教育係に、エファリューは耳打ちする。
「……それを、今更わたしに言え、と?」
エファリューがこくこくと頷き、期待の眼差しを一心に注ぐと、アルクェスは観念して口を開いた。
「……ただただ其処にいてくれるだけでいい。気が向いた時に、ちょっと微笑んでくれる程度で。だからどうか、お願いいたします。これから一生、貴女を……か、囲う許しを……ください」
出会った時は、互いに猫を被っていたから言えたことだ。今更口にし直すのは、妙に照れ臭かった。言わせた方もまた、聞いた後で返す言葉に迷って無言だ。
呪いにかけられたように、互いに固まって言葉も出ない。
やがて東の空に顔を出した朝陽に照らされ、エファリューの瞳に灯が燃えた。
赤みを差した頬に意外なまでの純心を覗かせて、魔女ははにかみ、朝焼けに煌めく唇で告げることは──。
「喜んで──貴方の姫になってあげる」
髪の結び目が解け、豊かなミモザが陽光を弾く。朝陽に霞む姿は、湖を駆ける女の面影を宿し、息を飲むほどの美しさをアルクェスに見せつけた。
不覚にも神女の姿と見紛うて、祈りを捧げたい気持ちに駆られ、彼は改めて思った。──間違いなく、冥府に堕ちる……いや、堕とされるのだと。
エヴァに魅入られたのではない。エヴァの子に、魅入られたのだから。
これは呪いだ──。
だが不思議と、不快ではない。
欠伸を零しながら、無邪気にもたれかかってくる魔女を腕に抱いて、アルクェスは困った顔で微笑んだ。
第四章 終.
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閑話を挟んで完結となります
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