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本編 第一部
50. 不穏
しおりを挟むレイブン領での滞在が終わり、とうとう出立の日となった。
眠い目をこすりながら、僕は玄関ホールへと下りてきた。ネルヴィスがくれた浮遊術の魔導具のおかげで、誰の手も借りずに三階から一気に移動できるようになってありがたい。
ふわっとあくびをすると、玄関ホールで待っていたシオンがあいさつする。
「ディル様、おはようございます」
「お、おはようございます……」
僕はシオンにあいさつを返したが、パッと視線を外した。
前の世界のシオンを思い出したらキスをすると、目の前のシオンに言われたのを思い出して、どうしても身構えてしまう。
(どっちもシオンなのに、嫉妬されるって不思議……)
だが、前の世界についてシオンに話すわけにもいかないので、僕はどうしていいかと混乱している。
「ディル様、そんなに意識しないでください。困らせるつもりはなかったんですが」
「いえ、僕も悪いので……。ええと、昨日は星を見せてくれてありがとうございました。良い思い出になりましたよ」
最終日の昨夜は、シオンの希望で、この城の物見塔から一緒に星を見た。ネルヴィスやタルボも一緒にいたから、特に何もされていないのだが、僕はシオンとの距離感が気になってしかたがない。
「喜んでいただけて良かった」
僕がそろりと視線を上げると、シオンがふわりと優しく微笑んでいるところだった。
(笑顔がまぶしい……!)
本当に、綺麗な人だ。
「私の知らない間に、彼と何かあったんですか?」
「わっ。ネル、重いです!」
僕とシオンの会話に割って入ったネルヴィスは、僕を後ろから抱きしめて、肩に顎を乗せる。
「なんでもありません」
「ふーん、そうですか。まあいいです。次は私の領地ですよ。早く出発しましょう」
面白くないという声音でつぶやくネルヴィス。
「どいてください」
「どうしましょうかねえ」
早く移動したいと言いながら、ネルヴィスはのらりくらりとかわして動こうとしない。たぶん、僕とシオンの間に何があったのか聞き出すまで動く気がないのだろう。僕はタルボを探す。
「タルボ」
荷物の采配からちょうど戻ってきたタルボは、片眉をはね上げる。
「はい、ディル様。おやおや、大型犬に乗っかられている子猫みたいな有様ですね。ふふ。ハウスと言って、帰っていただけるといいんですけど」
タルボは失礼なジョークを言いながら、手際よく僕からネルヴィスを引きはがした。タルボはにこりと笑う。
「しつけの悪い犬は嫌われますよ、フェルナンド卿」
「確かに、番犬のしつけは良さそうですねえ、タルボ殿」
どちらも社交辞令の笑みを浮かべているが、お互いに当てこすりをする。場の空気はブリザードだ。
下手に口を挟めない空気ができてしまい、僕がおろおろしていると、マリアンが侍女とともに部屋から出てきた。
「ディル様、レイブン領での滞在、楽しんでいただけましたか?」
自然と空気が変わったので、僕はほっとして、マリアンに会釈をする。
「マリアン様、とても楽しい一週間でした。お世話になりました」
「こちらこそ、助けていただいて感謝いたします。あなた様の旅路が平穏でありますように!」
祈りを捧げ、マリアンはお辞儀をした。
「どうか道中もお気をつけて、お帰りくださいませ」
「ええ、マリアン様にも、幸運が舞い込みますように」
「使徒様に祝福していただいて、とても光栄ですわ。シオン、しっかりとお守りするのですよ」
マリアンがシオンに発破をかけ、シオンは大きく頷く。
「もちろんです、母上。しかし、私の助けなど、少しのもの。これほど頼りになる神官兵が大勢いらっしゃるのですから、ディル様も安心でしょう」
「ええ、頼もしい方ばかりです」
僕が肯定すると、タルボがにこにこして返す。
「そうでしょう、そうでしょう! 皆、使徒様のために励んでおいでですよ。では、そろそろ出発いたしましょうか」
僕はもう一度、マリアンに会釈をして、レイブン家の城を出た。
「良い所でしたね」
のどかな田舎町での一週間は、僕にはとても居心地の良いものだった。
「時期が良いですからね。厳寒期にどうかは分かりませんよ。もしレイブン卿と結婚されるなら、前もって冬場での滞在もしてから決めたほうがいいでしょう。いくら好きでも、気候に体が合わないことがあります」
タルボが慎重にさとすので、僕は苦笑を返す。
「フェルナンド領に行ってからでないと、結論は出しませんよ」
「ええ、分かっておりますとも。しかし、温室育ちのカナリアに、雪国は合わないかもしれませんから」
「タルボは過保護ですね」
「オメガは生まれつき弱いのですから、やりすぎくらいでちょうどいいんです」
前の世界で我慢するように育てられた僕は、タルボの過保護さくらいでちょうどいいかもしれない。気を付けないと、無意識にがんばろうとしてしまう。
「この景色ともお別れですね」
遠くに黒い森が見える光景を、窓から眺める。
数日ですっかり見慣れた。
結局、魔獣というものを一度も見なかったが、シオンの話だと、牛のような巨体を持つ獰猛な獣ばかりらしい。それを、前もってしかけておいた罠や、魔法や武器でしとめていくのだそうだ。
狼の魔獣の剥製を見せてもらったが、彼の言う通り、それは大きなものだった。
王家がレイブン領を取り上げるのをためらうはずだ。あんな猛獣、人間が立ち向かうには恐ろしすぎる。
(さて、と。フェルナンド領は、商業都市でしたっけ。正反対ですよねえ)
どんな所かと考えながら、僕が〈黒い森〉から目を離した時だった。
遠くでドーンと爆発音が響いた。
「え!?」
びっくりして、窓に飛びつく。
「嘘。〈黒い森〉に煙が上がってる!」
「なんですって!?」
タルボも窓から外を見た。爆音と煙は立て続けに起きる。
僕の胸が、不吉な予感にざわついた。
「タルボ、なんだか良くない気がします。城に戻りましょう」
僕が声をかけると、馬に乗ったシオンが黒い森の方角に出た。横顔が鋭いものになり、城のほうを凝視する。
城の物見の塔から、赤い煙が上がった。それを確認するや、シオンは懐から取り出した笛を吹く。
ピーッという甲高い音とともに、護衛で付き添っていた北方騎士団が森の側に飛び出した。
「〈黒い森〉で異常発生! 動ける者は私に続け、事態を確認する!」
シオンは北方騎士団の仲間達に声をかけ、こちらを振り返った。
「護衛隊隊長殿、すぐさま近場の塔に行かれるか、町まで全力で避難してください。魔獣は魔法を使いません。何かが起きているようです」
「レイブン卿、城に戻るべきですか?」
すかさず護衛隊隊長が判断をあおぐ。シオンは首を振る。
「城のほうが森に近いので、ここから戻っては逆効果です。森から遠ざかってください」
出発してからそれなりに経っているので、城の影は遠い。
「分かりました。皆、駆け足、用意!」
護衛隊隊長の大きな声が響く。
僕は思わず窓を開けていた。
「シオン……!」
名前を呼んで、そしてどうしたいのか分からなくて黙り込む。これから危険地帯に赴くというのに、シオンは優しく笑って言った。
「ディル様、城に到着された日に教えましたね? 避難してください。命の安全を最優先に!」
「でも、あなたは……」
「これが我が一族の使命ですから、大丈夫ですよ。さあ、行ってください!」
シオンは窓を外から閉め、神官兵に号令をかける。
緊迫した空気の中、僕のいる一団は動き始めた。
「塔ではとても入りきらないので、町を目指します。手荒な運転になります。鍵をかけて、放り出されないようにしてください!」
護衛隊隊長が叫び、タルボがすぐさまその通りにする。それから、僕の隣に移動した。
「ディル様、お隣に失礼します。大丈夫ですよ、何があっても、お守りしますからね」
「はいっ」
僕は返事をしたが、森に向けて駆けていく黒衣の騎士団を目で追っていた。
※※※※※※※※※※※※
五十話まで来ましたね。ありがとうございます。
すみませんが、体調不良のせいでストック切れにつき、三日お休みします。
応援ありがとうございます!
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