至宝のオメガ

夜乃すてら

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本編 第一部

53. 使徒の奇跡

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 光がやむと、僕は慌てて周りを確認する。

「今のはいったい!? 何が起きたんですか?」

 焦る僕に、御者が礼を言った。

「ありがとうございます、ディル様。痛みがだいぶましになりました」
「え? どういうことですか」

 またもや御者に感激されてしまい、僕は首を傾げる。

「使徒の奇跡ですよ。使徒様も治癒魔法をお使いになることがあるんですね。しかも広範囲にかけてしまわれるとは、驚きました。完治とはまいりませんが、怪我の程度がいくらか軽くなったようです。これなら添え木をすれば動けます」

 御者が折れた車軸を拾って、上着を巻き付けて足を固定した。あちらこちらで神官兵が身じろぎをして、うめき声が上がる。
 さっきの光がそうなんだろうか。僕が何かしたという実感がないので、戸惑うばかりだ。

「どちらにしろ、すぐに動けるのは僕だけのようなので、救援を呼びに行ってきます」

 ありがたいことに、さっきの光で、倒れてぐったりしていた馬が元気を取り戻した。僕は馬と馬車をつないでいる固定部分に行って、革のベルトを外す。すると、馬は自力で起き上がって、よたよたと歩いた。

「動けそう?」

 僕が馬に聞いてみたところで、返事はない。代わりに、御者が馬の状態を見てくれた。

「足に問題はなさそうなので、大丈夫かと思います。私もお供します」
「いえ、他の方を助けてください。さっきの魔獣が戻ってきては全滅します。時間が惜しいので、僕は行きます。大丈夫、来る時に通った町でしょう? 一本道だからすぐに分かります」

「しかし、お一人で馬に乗れ……るんですね」

 助走をつけ、くらの無い馬に飛び乗った僕に、御者はあ然とする。

「ええ、まあ」

 王太子妃の教育に、馬術も入っている。前の世界で、王の妃に求められるのは、子を産むことと、いざという時に王や王子を守ることだ。僕がいた時代は平和だったが、それより前は戦乱が激しかったので、そんな考えが浸透していた。一人で馬にも乗れないのでは、何かあった時に逃げられずに足手まといになる。

(ディルレクシアは乗れないけど)

 御者は信じられないと呟く。

「鞍無しで乗るのは難しいのに」
「緊急事態ですから、やむをえません。とにかく、すぐに戻りますから、それまで持ちこたえてください。あ、そうだ。護身用の魔導具です」

 そういえば上着の裏に、小型の魔導具を持たされていたのだと思い出して、僕は一つずつ取り出して御者に放り投げる。

「岩が飛び出るもの、相手を吹っ飛ばすもの、それから水が飛び出すもの。この辺りなら良いでしょう」
「うわ、ちょっ、わっ」

 御者は慌てて受け取り、ほうっと息をつく。

「落とさずに済んで良かった……」
「では、行ってきま」
「ディル様!」

 御者が悲鳴のような声を上げた。
 まだ遠いものの、狼らしき獣の群れがゆっくりと近づいてくるのが見える。

(おとりになって、彼らから引き離すべきか。でも、弱っている動物は、狼にとって格好の獲物ですからね。僕が離れすぎたら、あきらめてこちらに戻るかも)

 僕は迷った。さすがにこの広範囲を一人でどうにかできると思えない。魔導具を使って、魔獣の気を引いて誘導するのが、僕にできる最大限だ。

「どうかそのままお逃げください!」

 御者が決死の表情で、道を指さす。先ほど、気が付いた神官兵の何人かも、僕に行くように言う。

「行ってください」
「使徒様はお守りせねば……」

 そんな彼らを見て、僕はため息をついた。
 魔獣の相手なんて怖いが、こんな時、ディルレクシアならなんて言うだろうとふと考える。
 守られて当然だと逃げるだろうか? いや、あのひねくれ者は間違いなくこう返す。

「お断りします」
「はい!?」

 できるだけ傲岸不遜に見えるように、強気に笑う。

「お前達は僕のものだろう。あんな獣ごときに、奪われることを許すとでも?」

 絶句。御者は息をのみ、その顔が赤らんでいく。

「使徒様……!」

 感激してもらっているところを申し訳ないが、これははったりだ。怪我をして心が弱っている者ばかりで、魔獣が現れては抵抗する気力もわかないだろう。しかし、そのマイナス思考が、重傷者をあっさりと死に追い落とすものである。
 王族はいつだって堂々と胸を張り、希望というまやかしを見せなければいけない。弱気を見せれば、士気が落ちる。王太子妃だろうと、王族の妻になるならば同じことだった。

(ディルレクシアなら、単に負けず嫌いでこう言うんだろうけど)

 それが勝手に、功を奏するタイプな気がする。

(さっきみたいに、雷を落とせれば)

 魔導具は至近距離でなければ効果が半減する。
 落雷でおどかして、魔獣が退散すればそれでいい。

(確か、強い感情が天変地異を引き起こすんだっけ?)

 僕が受けてきた教育は、いつでも冷静でいることだ。感情を見せるのは、貴族にとっては恥ずかしいこととされている。理性があるからこそ、感情を制するべきだ、と。

(難しい。感情的になるってどうすれば……? さっきはどうやったっけ)

 御者が死にそうで、駄目だと思ったのだ。
 魔獣の影がだいぶ近づいた。気持ちだけが焦る。

(ここにはタルボやレフもいるんです。なんとかしなければ)

 一度、死を選んだせいか、僕は僕自身の死では何も感じない。だが、親切にしてくれた人が傷つくのは見たくない。

(駄目なら、この魔導具で吹っ飛ばそう)

 護身用の魔導具を手に取り、僕がぐっと握りしめる。
 僕が落雷を落とすのに成功する前に、空気中をパリッと光の線が走り、魔獣の群れを光の爆発が襲った。
 光の玉が連鎖的に弾けて、群れに蔦のようにからまりつく。

「何……?」

 どう見ても魔法と思える現象だが、僕は攻撃魔法に詳しくない。

「しびれてしばらく動けませんよ」
「ネル?」
「まったく、負けん気だけは強い、無謀な方ですねえ」

 声に驚いて振り返ると、左腕を押さえたネルヴィスがすたすたと歩いてくるところだった。彼の私兵も怪我をしつつも無事だったようで、四人がついてくる。それぞれの手に宝石箱サイズの魔導具が握られていた。

「あの害獣のせいで、腕が折れましたよ。気に入らない」

 ネルヴィスが不機嫌丸出しなのは、痛みのせいなのか。

「生きていて良かったです」
「あなたこそ。見る限り、お怪我はなさそうですね。素晴らしい」
「タルボがかばってくれたんです」
「さすが、傍仕えの鑑ですね。私には目の上のたんこぶですが」

 こんな時でも皮肉を忘れないネルヴィスと話していると、僕も落ち着いてきた。

「あの頭数なら、魔導具と魔法でどうにかします。ところで、レイブン卿は?」
「いえ、見ていません」
「魔獣の波に巻き込まれてくれていたら、私はライバルが減ってありがたいんですけど。ああ、そう心配そうにしないでくださいよ。問題児の騎士達を半年でまとめたような男が、簡単にくたばるわけないでしょ」

 互いにライバル視しながらも、シオンとネルヴィスは奇妙な信頼関係を築いているようだ。

「まったく、次から次へとわらわら湧いてきて、うっとうしい」

 ネルヴィスは先ほどの魔獣の群れより、さらに奥を見て、目をすがめる。僕はハッと息をのむ。馬上だから、ずっと遠くまで見渡せた。草原を黒々と埋め尽くす獣の群れが、来た時のように、地響きを立てて駆けてくるところだった。

「魔獣達が戻ってきた……!」

 おそらく、あの魔獣達は森で起きた爆発から逃げ惑ううちにここまで来たのだろうが、我に返って、森に戻ろうとしているのかもしれない。僕達はその進路上に、たまたまいたせいで巻き込まれたと考えると納得できる。
 ネルヴィスは右手を上げ、ろうろうとした声で指示を出す。

「動ける者は、ディル様の馬車まで集まれ! 結界の魔導具で保護するが、馬車二台分の幅しかとれない。死にものぐるいで、動け!」

 ネルヴィスの声はよく響いた。その命令を聞くだけで、勝手に従ってしまうような声だ。
 動ける者は怪我人を支えて移動し、僕の馬車の傍に集まる。その中には、ぐったりとしているレフもいた。
 その姿を目にした途端、僕の心に火がついた。

(レフ……! あの魔獣達のせいで……。いや、森で爆発を起こした誰かのせいで、こんなことに。絶対に無事に戻って、原因追及する!)

 すると、さっきは念じても何も起きなかったのに、落雷が魔獣の群れの真ん前に落ちる。
 ドォン! という轟音にたじろいで、群れの勢いが減り、落雷の痕を避けるように二つに分かれた。ちょうど、馬車を避けるように。

「よし!」

 思わずという調子で、後ろで数名が声を上げる。
 だが、それでも状況はかんばしくない。
 ふと、僕は気づいた。

(弱っている怪我人を狙うと思ったのは、僕じゃないか。そういうことなら!)

 僕はネルヴィスのほうに手を出す。

「誰か、ナイフを貸してください!」
「え? は、はい」

 勢いにつられるように、兵士がナイフを渡してくれる。僕はその刃を、ためらいなく左腕に滑らせた。

「ひっ!」
「なんて真似をするんですか!」

 悲鳴とネルヴィスの怒鳴り声が同時に響いたが、僕は構わずナイフを地面に落とす。

「数を減らして、被害を少なくするようにします。そのまま救援を呼んできますから、がんばって持ちこたえてくださいね」

 ネルヴィスに止められる前に、僕は馬の腹を蹴って、群れの前に飛び出した。

「ディル様! こら、ディル! あなた、戻ったら覚えておきなさいよ!」

 身動きのとれないネルヴィスが、後ろから大きな声で警告する。

(戻るのが怖くなるじゃないですか)

 そう思ったが、僕は間違ったことをしていないと確信している。
 狼の魔獣の前で、僕は血に濡れた左腕をかかげる。

「こっちだ! 獣ども!」

 これだけ動いていたら、さぞかし腹を空かせていることだろう。血のにおいに惹かれるのを予想して、僕は馬を走らせる。このまま町に逃げこめれば、僕の勝ちだ。
 目論見通り、僕につられて、群れがこちらへと曲がって追いかけてくる。
 同じ怪我をした者なら、仲間から外れた一匹と、大勢で固まって反撃しようとしている数匹ならば、一匹を選ぶだろう。

「そのままついてこい!」

 僕は街道をたどるようにして、馬を走らせた。



※※※※※※※※※※※※※※※※

 6/28~7/4 休止
 7/5 日曜から再開。

 この間からの体調不良で、ストックがゼロになりまして。
 それから、この辺りは時間と手間がかかるシーンが多く、ちゃんと書きたいのでまたお休みします。 
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