至宝のオメガ

夜乃すてら

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本編 第一部

75. 反撃

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 マクレガー医師が診断書をでっちあげるのを聞き終える。
 いくら冷静でいるように教育された僕でも、彼の言葉を大人しく聞いているのは難しく、膝の上で握り込んだ手が痛みをうったえた。本当は大声で制止して、割り込みたかった。だが、そんなことをしたら、アルフレッド達の「精神的にまいっている」という根拠を差し出すだけだと分かっている。
 ふと横を見ると、マリアンが口を手で覆って、今にも泣き出しそうだった。
 ちょうどマクレガー医師が、こんな話をしているところだ。

「被告人は魔獣の血を浴びた毒のせいで、被告人は被害者を無理矢理襲ったようです。暴行の痕があります。例えば、肌が赤くはれあがり……」

 それはたぶん、鬱血痕のことだ。キスマーク。

「悲鳴を上げすぎて、のどは枯れ……」

 確かに、シオンに翻弄されて嬌声きょうせいは出したが、そのことを言っているのだろうか?

「腰には手形がつき……」

 シオンが僕の腰をつかんで、薄っすら痕がついたことを言っているのだろうか。あちらの都合の良い言葉への言い直しがひどいし、僕はベッドでのことを赤裸々に表現されるしで、気分は最悪だ。

(診察してないくせに、なんで知ってるんですかね)

 想像で言っているはずなのに、ゾッとする。
 僕は疑問を込めて、険しい顔をしているタルボのほうを見た。タルボはすぐに気づいて、僕のほうへ身を寄せてささやく。

「恐らく、廊下で聞いていたんじゃないですか? それでだいたいを察した」
「……気持ち悪いんですが、いったい誰が」

 僕のつぶやきの答えは、マクレガー医師が下がった後、証人台に上がった神官を見て分かった。

「私はレイブン領の小神殿に勤務しています。あの日、領民に呼び出され、ディル様のお世話に上がりました」
「犯人は彼ですね」

 神官が言い終える前に、タルボが断言した。

(そういうことか……)

 きっとあの神官は、神の使徒を守る使命感から、ベッドでの激しい情事を心配したのかもしれない。

(最悪)

 僕はこれみよがしに頭を抱えて、天をあおぎたいのをぐっとこらえた。
 恐らくあの神官は、善意で証言している。アルフレッドやアカシアがたくみに説き伏せたのかもしれない。

(それで、スパイはベアズですよね。何かしら、連絡手段があったんでしょうけど)

 鳥でやりとりしていたようだとは、ベアズを監視していたリードから報告されている。

(元々はどういうつもりだったんでしょうか。シオンが魔獣の血の毒にやられたのは偶然だった。最初はスタンピードの責任をとらせるつもりだったと考えたほうが合理的だ)

 王家はレイブン家を嫌っているから、レイブン領について詳しく調べただろう。魔獣について知っていただろうし、やろうと思えば人為的にスタンピードを引き起こせると分かったはずだ。

(僕達が帰る頃合いを見はからっていたとして、ある程度の予定は知っていないといけない。神殿にもスパイがいると考えたほうがいいのかな。ううん、護衛としてついてきた誰かなら、予定を知っているか)

 怒りから気持ちをそらすために、ぐるぐると考え込む。

(誤算だったとするなら、僕がおとりになって飛び出していって死にかけたことかな。見ようによっては、護衛隊が残って、僕を逃がしたように見える。彼らは責任を果たした)

 しかも死にかけた僕を、シオンが救った。
 あれで、レイブン家も情状酌量の余地ができたはずだ。

(レイブン家を完全につぶすために、やむなくこちらを利用した、とか?)

 マクレガー医師の診断書なんて、付け焼刃だ。証拠としてはお粗末である。

(王家の圧力でどうとでもなると思ってるのかもしれない)

 もし前世のアルフレッドと似た性格なら、彼の考えそうなことだ。
 そうこうするうちに、証人が話し終えた。

「被告人の弁護人は前へ!」

 ドナスが居丈高に言った。
 弁護人の席についていたネルヴィスがすっと立ち上がる。前へ出ると、あいさつした。

「ネルヴィス・ロア・フェルナンドです。レイブン氏の弁護を担当いたします」
「……フェルナンド? もう一人の婚約者候補ではなかったか」

 ドナスは疑問をこぼし、補佐官のほうを見る。補佐官は困惑した様子で、アルフレッドを見た。王子とつながっていますと宣言したも同じだ。

「そうですよ、婚約者候補です。それが何か?」
「ふぅん、ああ、そういうことか」

 ドナスは急に訳知り顔になって、意地悪に口端を引き上げた。あの表情を見るに、この機に乗じて、ライバルを消すつもりだと勘違いした様子である。レイブン領の領民達はざわついた。同じことを思ったに違いない。
 シオンはネルヴィスの真意を確かめるように、彼をじっと見つめる。
 ネルヴィスはというと、周りの視線などまったく気に留めず、淡々と切り出した。

「私はレイブン氏の無罪を主張いたします」
「は?」

 ドナスがぽかんとした。

「裁判官、何か?」
「い、いや、だって……」
「論理的な会話をお願いします」

 ネルヴィスがぴしゃりと返すと、法廷のあちこちで忍び笑いが起きた。ドナスには無理だという意味が込められているのだと、僕でも分かる。

「論理的……だと」

 多少頭が良ければ理解できるだろうが、ドナスは何を言われたのか分からないようだった。突然、水をかけられたみたいにあ然としている。どういう意味かと補佐官に視線を向けると、補佐官もうんざりした顔をする。

「何もないようなので、続けます。そちらの証人は魔獣の毒により、レイブン氏がサフィール氏を襲ったと主張しています。しかし、それでは心神喪失状態にあったという理屈が通るはずです」

 サフィール氏というのが僕のことだと理解するのに、少し時間がかかった。あまり家名で呼ばれないせいだ。

「しんしん……そうしつ」

 ドナスがつぶやく。
 どう考えても、彼を裁判官に選んだのはミスだ。

「例えそうでなかったとしても、私が無罪だと主張する理由はあります。まずは事件にいたるまでの流れをおさらいしましょう」

 ネルヴィスはドナスを置き去りにして、事件の発端となったスタンピードから、アルフレッドらが現れるまでを説明した。

「サフィール氏はいざとなると、自己主張が激しい方です。私が止めるのも聞かずに、馬で飛び出していったことからも、勇敢な方だと分かります。一方、レイブン氏は毒を受けて倒れ、暴走しないようにとベッドに縛られていました」

 アカシアの顔色が変わった。アルフレッドの眉がピクリと動く。

「そこに、サフィール氏はやって来て、レイブン氏が出て行くように言ったにもかかわらず、看病を名乗り出たのです。この時点で、同意を得たという主張が真実だと分かるでしょう。では、レイブン氏をベッドに縛りつけた証人を呼びましたので、証言をお願いします」

「はい!」

 レイブン領の領民が立ち上がる。
 法廷の流れが目に見えて変わった。

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