77 / 142
本編 第一部
75. 反撃
しおりを挟むマクレガー医師が診断書をでっちあげるのを聞き終える。
いくら冷静でいるように教育された僕でも、彼の言葉を大人しく聞いているのは難しく、膝の上で握り込んだ手が痛みをうったえた。本当は大声で制止して、割り込みたかった。だが、そんなことをしたら、アルフレッド達の「精神的にまいっている」という根拠を差し出すだけだと分かっている。
ふと横を見ると、マリアンが口を手で覆って、今にも泣き出しそうだった。
ちょうどマクレガー医師が、こんな話をしているところだ。
「被告人は魔獣の血を浴びた毒のせいで、被告人は被害者を無理矢理襲ったようです。暴行の痕があります。例えば、肌が赤くはれあがり……」
それはたぶん、鬱血痕のことだ。キスマーク。
「悲鳴を上げすぎて、のどは枯れ……」
確かに、シオンに翻弄されて嬌声は出したが、そのことを言っているのだろうか?
「腰には手形がつき……」
シオンが僕の腰をつかんで、薄っすら痕がついたことを言っているのだろうか。あちらの都合の良い言葉への言い直しがひどいし、僕はベッドでのことを赤裸々に表現されるしで、気分は最悪だ。
(診察してないくせに、なんで知ってるんですかね)
想像で言っているはずなのに、ゾッとする。
僕は疑問を込めて、険しい顔をしているタルボのほうを見た。タルボはすぐに気づいて、僕のほうへ身を寄せてささやく。
「恐らく、廊下で聞いていたんじゃないですか? それでだいたいを察した」
「……気持ち悪いんですが、いったい誰が」
僕のつぶやきの答えは、マクレガー医師が下がった後、証人台に上がった神官を見て分かった。
「私はレイブン領の小神殿に勤務しています。あの日、領民に呼び出され、ディル様のお世話に上がりました」
「犯人は彼ですね」
神官が言い終える前に、タルボが断言した。
(そういうことか……)
きっとあの神官は、神の使徒を守る使命感から、ベッドでの激しい情事を心配したのかもしれない。
(最悪)
僕はこれみよがしに頭を抱えて、天をあおぎたいのをぐっとこらえた。
恐らくあの神官は、善意で証言している。アルフレッドやアカシアがたくみに説き伏せたのかもしれない。
(それで、スパイはベアズですよね。何かしら、連絡手段があったんでしょうけど)
鳥でやりとりしていたようだとは、ベアズを監視していたリードから報告されている。
(元々はどういうつもりだったんでしょうか。シオンが魔獣の血の毒にやられたのは偶然だった。最初はスタンピードの責任をとらせるつもりだったと考えたほうが合理的だ)
王家はレイブン家を嫌っているから、レイブン領について詳しく調べただろう。魔獣について知っていただろうし、やろうと思えば人為的にスタンピードを引き起こせると分かったはずだ。
(僕達が帰る頃合いを見はからっていたとして、ある程度の予定は知っていないといけない。神殿にもスパイがいると考えたほうがいいのかな。ううん、護衛としてついてきた誰かなら、予定を知っているか)
怒りから気持ちをそらすために、ぐるぐると考え込む。
(誤算だったとするなら、僕がおとりになって飛び出していって死にかけたことかな。見ようによっては、護衛隊が残って、僕を逃がしたように見える。彼らは責任を果たした)
しかも死にかけた僕を、シオンが救った。
あれで、レイブン家も情状酌量の余地ができたはずだ。
(レイブン家を完全につぶすために、やむなくこちらを利用した、とか?)
マクレガー医師の診断書なんて、付け焼刃だ。証拠としてはお粗末である。
(王家の圧力でどうとでもなると思ってるのかもしれない)
もし前世のアルフレッドと似た性格なら、彼の考えそうなことだ。
そうこうするうちに、証人が話し終えた。
「被告人の弁護人は前へ!」
ドナスが居丈高に言った。
弁護人の席についていたネルヴィスがすっと立ち上がる。前へ出ると、あいさつした。
「ネルヴィス・ロア・フェルナンドです。レイブン氏の弁護を担当いたします」
「……フェルナンド? もう一人の婚約者候補ではなかったか」
ドナスは疑問をこぼし、補佐官のほうを見る。補佐官は困惑した様子で、アルフレッドを見た。王子とつながっていますと宣言したも同じだ。
「そうですよ、婚約者候補です。それが何か?」
「ふぅん、ああ、そういうことか」
ドナスは急に訳知り顔になって、意地悪に口端を引き上げた。あの表情を見るに、この機に乗じて、ライバルを消すつもりだと勘違いした様子である。レイブン領の領民達はざわついた。同じことを思ったに違いない。
シオンはネルヴィスの真意を確かめるように、彼をじっと見つめる。
ネルヴィスはというと、周りの視線などまったく気に留めず、淡々と切り出した。
「私はレイブン氏の無罪を主張いたします」
「は?」
ドナスがぽかんとした。
「裁判官、何か?」
「い、いや、だって……」
「論理的な会話をお願いします」
ネルヴィスがぴしゃりと返すと、法廷のあちこちで忍び笑いが起きた。ドナスには無理だという意味が込められているのだと、僕でも分かる。
「論理的……だと」
多少頭が良ければ理解できるだろうが、ドナスは何を言われたのか分からないようだった。突然、水をかけられたみたいにあ然としている。どういう意味かと補佐官に視線を向けると、補佐官もうんざりした顔をする。
「何もないようなので、続けます。そちらの証人は魔獣の毒により、レイブン氏がサフィール氏を襲ったと主張しています。しかし、それでは心神喪失状態にあったという理屈が通るはずです」
サフィール氏というのが僕のことだと理解するのに、少し時間がかかった。あまり家名で呼ばれないせいだ。
「しんしん……そうしつ」
ドナスがつぶやく。
どう考えても、彼を裁判官に選んだのはミスだ。
「例えそうでなかったとしても、私が無罪だと主張する理由はあります。まずは事件にいたるまでの流れをおさらいしましょう」
ネルヴィスはドナスを置き去りにして、事件の発端となったスタンピードから、アルフレッドらが現れるまでを説明した。
「サフィール氏はいざとなると、自己主張が激しい方です。私が止めるのも聞かずに、馬で飛び出していったことからも、勇敢な方だと分かります。一方、レイブン氏は毒を受けて倒れ、暴走しないようにとベッドに縛られていました」
アカシアの顔色が変わった。アルフレッドの眉がピクリと動く。
「そこに、サフィール氏はやって来て、レイブン氏が出て行くように言ったにもかかわらず、看病を名乗り出たのです。この時点で、同意を得たという主張が真実だと分かるでしょう。では、レイブン氏をベッドに縛りつけた証人を呼びましたので、証言をお願いします」
「はい!」
レイブン領の領民が立ち上がる。
法廷の流れが目に見えて変わった。
23
あなたにおすすめの小説
【完結済】あの日、王子の隣を去った俺は、いまもあなたを想っている
キノア9g
BL
かつて、誰よりも大切だった人と別れた――それが、すべての始まりだった。
今はただ、冒険者として任務をこなす日々。けれどある日、思いがけず「彼」と再び顔を合わせることになる。
魔法と剣が支配するリオセルト大陸。
平和を取り戻しつつあるこの世界で、心に火種を抱えたふたりが、交差する。
過去を捨てたはずの男と、捨てきれなかった男。
すれ違った時間の中に、まだ消えていない想いがある。
――これは、「終わったはずの恋」に、もう一度立ち向かう物語。
切なくも温かい、“再会”から始まるファンタジーBL。
全8話
お題『復縁/元恋人と3年後に再会/主人公は冒険者/身を引いた形』設定担当AI /c
【完結】愛されたかった僕の人生
Kanade
BL
✯オメガバース
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
お見合いから一年半の交際を経て、結婚(番婚)をして3年。
今日も《夫》は帰らない。
《夫》には僕以外の『番』がいる。
ねぇ、どうしてなの?
一目惚れだって言ったじゃない。
愛してるって言ってくれたじゃないか。
ねぇ、僕はもう要らないの…?
独りで過ごす『発情期』は辛いよ…。
「自由に生きていい」と言われたので冒険者になりましたが、なぜか旦那様が激怒して連れ戻しに来ました。
キノア9g
BL
「君に義務は求めない」=ニート生活推奨!? ポジティブ転生者と、言葉足らずで愛が重い氷の伯爵様の、全力すれ違い新婚ラブコメディ!
あらすじ
「君に求める義務はない。屋敷で自由に過ごしていい」
貧乏男爵家の次男・ルシアン(前世は男子高校生)は、政略結婚した若き天才当主・オルドリンからそう告げられた。
冷徹で無表情な旦那様の言葉を、「俺に興味がないんだな! ラッキー、衣食住保証付きのニート生活だ!」とポジティブに解釈したルシアン。
彼はこっそり屋敷を抜け出し、偽名を使って憧れの冒険者ライフを満喫し始める。
「旦那様は俺に無関心」
そう信じて、半年間ものんきに遊び回っていたルシアンだったが、ある日クエスト中に怪我をしてしまう。
バレたら怒られるかな……とビクビクしていた彼の元に現れたのは、顔面蒼白で息を切らした旦那様で――!?
「君が怪我をしたと聞いて、気が狂いそうだった……!」
怒鳴られるかと思いきや、折れるほど強く抱きしめられて困惑。
えっ、放置してたんじゃなかったの? なんでそんなに必死なの?
実は旦那様は冷徹なのではなく、ルシアンが好きすぎて「嫌われないように」と身を引いていただけの、超・奥手な心配性スパダリだった!
「君を守れるなら、森ごと消し飛ばすが?」
「過保護すぎて冒険になりません!!」
Fランク冒険者ののんきな妻(夫)×国宝級魔法使いの激重旦那様。
すれ違っていた二人が、甘々な「週末冒険者夫婦」になるまでの、勘違いと溺愛のハッピーエンドBL。
番解除した僕等の末路【完結済・短編】
藍生らぱん
BL
都市伝説だと思っていた「運命の番」に出逢った。
番になって数日後、「番解除」された事を悟った。
「番解除」されたΩは、二度と他のαと番になることができない。
けれど余命宣告を受けていた僕にとっては都合が良かった。
希少なΩだと隠して生きてきた薬師は、視察に来た冷徹なα騎士団長に一瞬で見抜かれ「お前は俺の番だ」と帝都に連れ去られてしまう
水凪しおん
BL
「君は、今日から俺のものだ」
辺境の村で薬師として静かに暮らす青年カイリ。彼には誰にも言えない秘密があった。それは希少なΩ(オメガ)でありながら、その性を偽りβ(ベータ)として生きていること。
ある日、村を訪れたのは『帝国の氷盾』と畏れられる冷徹な騎士団総長、リアム。彼は最上級のα(アルファ)であり、カイリが必死に隠してきたΩの資質をいとも簡単に見抜いてしまう。
「お前のその特異な力を、帝国のために使え」
強引に帝都へ連れ去られ、リアムの屋敷で“偽りの主従関係”を結ぶことになったカイリ。冷たい命令とは裏腹に、リアムが時折見せる不器用な優しさと孤独を秘めた瞳に、カイリの心は次第に揺らいでいく。
しかし、カイリの持つ特別なフェロモンは帝国の覇権を揺るがす甘美な毒。やがて二人は、宮廷を渦巻く巨大な陰謀に巻き込まれていく――。
運命の番(つがい)に抗う不遇のΩと、愛を知らない最強α騎士。
偽りの関係から始まる、甘く切ない身分差ファンタジー・ラブ!
やっと退場できるはずだったβの悪役令息。ワンナイトしたらΩになりました。
毒島醜女
BL
目が覚めると、妻であるヒロインを虐げた挙句に彼女の運命の番である皇帝に断罪される最低最低なモラハラDV常習犯の悪役夫、イライ・ロザリンドに転生した。
そんな最期は絶対に避けたいイライはヒーローとヒロインの仲を結ばせつつ、ヒロインと円満に別れる為に策を練った。
彼の努力は実り、主人公たちは結ばれ、イライはお役御免となった。
「これでやっと安心して退場できる」
これまでの自分の努力を労うように酒場で飲んでいたイライは、いい薫りを漂わせる男と意気投合し、彼と一夜を共にしてしまう。
目が覚めると罪悪感に襲われ、すぐさま宿を去っていく。
「これじゃあ原作のイライと変わらないじゃん!」
その後体調不良を訴え、医師に診てもらうととんでもない事を言われたのだった。
「あなた……Ωになっていますよ」
「へ?」
そしてワンナイトをした男がまさかの国の英雄で、まさかまさか求愛し公開プロポーズまでして来て――
オメガバースの世界で運命に導かれる、強引な俺様α×頑張り屋な元悪役令息の元βのΩのラブストーリー。
【完結済】極上アルファを嵌めた俺の話
降魔 鬼灯
BL
ピアニスト志望の悠理は子供の頃、仲の良かったアルファの東郷司にコンクールで敗北した。
両親を早くに亡くしその借金の返済が迫っている悠理にとって未成年最後のこのコンクールの賞金を得る事がラストチャンスだった。
しかし、司に敗北した悠理ははオメガ専用の娼館にいくより他なくなってしまう。
コンサート入賞者を招いたパーティーで司に想い人がいることを知った悠理は地味な自分がオメガだとバレていない事を利用して司を嵌めて慰謝料を奪おうと計画するが……。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる