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4幕 家守の鏡
20 “彼”の回想
「お前はこの桃家を守護する鏡だ。この家をよくよく守りなさい」
銀髪の道士がそう命じたのが、“彼”の最初の記憶だった。道士は鏡を掲げ、覗きこむようにして話しかける。
「よいか。お前はそこの虎……白眉との契約の楔である」
そこの虎というのは、屋敷の門前で道士に足蹴にされている虎のことだろう。美しい黄色の毛並みをした虎だが、眉だけが白い。
「ぐぬぬ。何も踏まずともよいであろうがっ。この腹黒道士!」
「文句があるなら、私に調伏されたお前の弱さを呪うのだな。我が親友を困らせて、この一帯の王などと息巻いておる様は見るに堪えぬものであった。子どもが一度はかかる青春期の病のようでな」
道士はわざとらしく笑った。白眉が怒って、尾で地面をビタンビタンと叩く。
「鏡よ、お前と白眉は契約により、神通力で会話することができる。もし桃家に問題が起きれば、この虎を呼びつけて使役してやるがよい」
「崇高なる獣の王を奴隷扱いしおって~!」
「はあ、うるさいぞ、白眉。私との勝負に負けたのはお前だ。勝者こそが正義であり、敗者は奴隷になる。殺さずにいてやったのだから、ずいぶんと温情をかけたと思うが?」
道士はこれみよがしに、剣を鞘から抜いて、ぶんぶんと振ってみせた。途端に白眉は体を強張らせ、口を閉ざす。
「それでよい。何も誰も喰うなとは言っていない。謎かけをして、答えられなかった者は食べていいと条件をつけただろう? 人を喰わぬのがもっともよいが、お前には桃領を荒らそうとする賊を片付けてもらいたいのでな」
「ふん。今代の桃家の宗主は、凡庸な小男ではないか。あれの何が良くて、そこまでするのだろうな」
白眉はぼそぼそとした声でぼやいた。
「わかっておらぬな、白眉よ。あのような凡庸さこそ、得難い資質よ。それに加え、白領で病が流行った時に助けられた恩がある。白家の人間は、必ず恩を返すのだ」
「良いことを言いながら、我を踏むのをやめよ!」
白眉は毛を逆立てて怒るが、道士ににらまれるとすぐに地に伏せた。獰猛な猛獣が、飼いならされた子猫のようである。
「そうだ。お前の名は、白家が作った鏡からとって、白明鏡としよう。さて、これにて契約の完成だ」
この言葉を合図に、“彼”は自分に与えられた領域が広がったのを感じた。
それから道士と白眉はそれぞれの場所へと去り、“彼”は桃家の屋敷の一角で丁重に祀られることになった。
桃家の屋敷は、“彼”の結界で特に手厚く守られ、妖邪の類は近づけない。桃領の外敵が現れれば、白眉に連絡をして追い払わせた。
そして数百年が過ぎ、“彼”はあの小さな愛おしい子と会った。
「やもりしゃま」
赤家から嫁いできた夫人に抱かれた赤子は、舌足らずに呼んで、きゃははと明るく笑う。
“彼”は純粋に光り輝く魂を持つ赤子に、すっかり魅せられた。
(そういえば、いつからか桃家の者は、私を「家守様」と呼ぶようになったな)
桃家の人間からすれば、家を守る鏡だから「家守様」だ。安直な名づけだったが、不思議なことにその名は力を持ち、“彼”は契約の力を介することで、新しい力を得た。
ヤモリを呼び寄せたり自由に操ったりができるようになったのだ。まるで白眉が支配下の獣や妖怪を扱うのに似ていた。
良いこともあった。ヤモリへ意識を移らせることで、“彼”はヤモリの視界を借りられるようになったのだ。
そもそも“彼”は桃領内のことならばなんとなくわかるのだが、別の者の視界というのは面白かった。
“彼”はその子どもが――桃如花が鏡にあいさつに来るのを楽しみに待ちながら、時にはヤモリとなって会いに行った。
その日も、“彼”は如花を見守っていた。そんな折、如花の泣き声が響いた。
「うわあああん」
「うるさい!」
幼子が泣いているのに、その兄である安はいらだちを隠さず、如花の頭を叩いた。より一層、如花の泣き声が激しくなる。
「何をしているのです、安! 幼い妹に手を上げるとは、兄として恥ずかしいことですよ」
夫人が駆けつけて、安をたしなめる。
「ちょっと手が当たっただけなのに、如花が大げさすぎるんだ。私は悪くない!」
「こら、待ちなさい、安!」
夫人が呼び止めるのも聞かず、安は部屋を飛び出していく。
痛いと訴えて泣く如花の小さな腕は、ちょっと手が当たったにしては赤く腫れていた。そこへ桃宗主が騒ぎを聞いて現れ、如花の手当てをする。
「安はいったいどうしたのだ。こんな幼い妹を叩くなんて」
「弟妹ができると幼い子に戻ると聞きます。そのせいではありませんか」
「私達が体の弱い妹ばかり気にかけていたせいで、精神的に不安なのだろうか。安と話をするが、しばらく様子を見守ろう」
桃宗主は安を叱りつけたが、暴力を振るう真似はしていない。夫人も武人ではあるが、子どもにしつけと言って折檻することもなく、対話を重視していた。
しかし、安は両親の話をまったく聞き入れず、日に日に乱暴になっていく。
安は如花を嫌っているようで、少しでも目につくと、怒鳴ったり意地悪を言ったり、時には暴力を振るった。
桃宗主と夫人がそろって留守にした時など、如花に食事をとらせずに部屋に閉じ込めるという虐待までする始末。ただでさえ体が弱い如花は、三日も食事抜きだったせいで、その後は数日寝込むはめになった。
(ああ、どうしてこの兄は、妹につらく当たるのだろう! 私があの子を守らなくては!)
ここにいたって、“彼”は重大な問題に気づいたのだ。
(何もできない。まさか、この邪悪な者を結界の外に追い出すこともできないのか? ――桃家の人間だから?)
“彼”が与えられた役目は、桃家を守ることだ。
これまで桃家の家内の問題になど、“彼”は目もくれなかった。外敵から守ることが、“彼”の仕事だったから。
初めて如花という存在に肩入れをしたことで、桃家の人間が悪い場合、“彼”には何もできないという問題に気づいてしまった。
(どうする? どうすればいい。ああ、道士様。このままではあの子が殺されてしまう!)
白眉に神通力で助けを求めてみたが、白眉は契約により桃家の直系には手を出せない。
“彼”を作った道士も、まさかそんな落とし穴があるとは思わなかったのだろう。
“彼”はどうにかしようと、ヤモリの体を借り、桃家の書庫で書物を読み漁った。気を静める処方を見つけては、桃宗主の目につくように書物を落とす小細工をした。
桃宗主も悩んでいたため、薬を作っては飲ませていたが、一向に改善しない。
状況は日に日に悪化し、夫人が桃宗主に泣きついた。
「あなた、どうしましょう。安が小鳥に毒餌を与えて殺していたの! それに、ネズミに小刀を刺していたわ。我が家は武家ですから、狩猟はします。しかし、あんな風に無暗に殺しはしないのですよ。我が子ながら恐ろしくてなりません!」
「ああ、本当に。最近では使用人をひどく折檻して、怪我を負わせたそうじゃないか。どうしたらいいのだ」
桃宗主夫妻は、いっそのこと赤家に相談して軍で預かってもらおうかと話していた。
「厄介者は追い払おうというのだな!」
それを聞いていた安は怒り、ますます手がつけられなくなった。
桃家の人々がすっかり頭を抱えていた時、“彼”は急に思い出した。
(そうだ。道士様が私を作った時、鏡に魂をこめるために薬草を使っていたではないか。確か……清星草だったか)
まだ生まれたての意識だったが、“彼”は道士とその親友との会話を聞いていたのだ。清星草なんて何に使うのだと問う親友に、道士が入魂の儀に必要だと話していた。霊力がなければなんの意味もない草だが、霊力を加えれば、魂を封じ込める法具を作れるとも言っていた。
“彼”は元々は風の合間を漂う力の弱い精霊だったのに、道士に捕まえられて、鏡に封じ込められたのだと、突然思い至った。自分が何者かなど、気にしたこともなかったせいだ。
(魂を封じこめる……か)
“彼”は親友と道士の言葉を思い返した。
「なあ、君。まさか人間の魂も封じ込められるのではないだろうね」
「はは、やはり気になるか。お前は悪用せぬと信じられるから教えるが、この草を煮た薬に霊力を加えると、霊薬となる。これを飲み、自分の意思で魂を移したいと願えば、他人の死体を乗っ取ることも可能だ。だが、そんなことはありえない」
「どうして?」
「いったいどこに、死体に自分の魂を移して、そのまま死にたい馬鹿がいるというんだ?」
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