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4幕 家守の鏡
3-2 ※加筆部分
日が落ちて邸内が寝静まったのを見計らい、碧玉は羽織を頭から被り顔を隠して離れを出た。
碧玉が天祐の執務室の前まで来ると、扉を守る衛士が碧玉に向けてさっと拱手をしてから、中へと声をかける。
「宗主様、銀嶺様がおいでです」
「何?」
中からガタンと椅子が鳴る音がして、バタバタと騒がしい足音が続く。衛士が扉を開ける前に、内側から扉が開かれた。すでに役人が帰宅した時間帯なせいか天祐は気を抜いているらしく、若干着崩した格好をしている。
「何か問題でもあったのですか? こちらまで足を運ばれずとも、私を呼びつけてくださればよろしいのに」
「たまには私がこちらに来てもいいだろう」
心配をあらわにする天祐に、碧玉はそう返す。ずっと離れにいるのも退屈なのだ。
それから懐から呪符を取り出して、依り代にフッと息を吹きかけて印を結び、衛士の姿をした式神を呼び出す。碧玉は式神に命じる。
「何かあれば扉を叩くように。そなたは下がって休むがよい」
「はっ。ありがたき幸せ」
衛士は礼をして、扉の前を離れた。入れ替わりに、式神が守りにつく。
天祐は小声で碧玉を呼ぶ。
「兄上」
「なんだ、私が衛士を下がらせたのが気に食わぬか?」
天祐の傍近くにいる家臣は古参ばかりなので、碧玉の正体についても知っている。だから先ほどの衛士は天祐の命令ではないのに、一つ返事で従ったのだ。
天祐は首を横に振った。
「そうではありませんよ。はあ、しかたがありませんね。ひとまず中にお入りください」
「邪魔するぞ」
「お邪魔なことがありますか」
天祐はすぐさま言い返し、碧玉の手を引いて中へと招き入れる。そして扉を閉めて内側から鍵をかけると、呪を唱えて扉に結界術をかけた。
「これでいいですね、防音にもなります」
「人払いならば済ませたが」
「念のためですよ。兄上の正体を知らない使用人もいるんですから」
「そんな新参者では、宗主の執務室に近づけるとは思えぬが」
だいたいにして使用人というのは、主家の人間を畏れてむやみに近づかないものだ。それに加えて、宗主に近づける立場の使用人は限られる。
碧玉は執務室を見回した。
「この部屋も久しぶりだな」
碧玉の実父である白青炎に続いて、碧玉も使っていた執務室だ。あくまで仕事部屋なので、宗主の居室は別にある。天祐は子どもの頃に使っていた黒雲室を風呂場用に改装し、その後に住んでいた白月室は碧玉の離れに改装したので、今は宗主の居室を使っていた。
「内装には手をつけておりませんよ、椅子を変えたくらいです。私には高さが合わなかったもので」
家具に手を加えたことが気まずいのだろうか、天祐は言い訳をするようにつぶやいて、卓のほうへ向かう。水差しから、焼き物の杯へと水を注いだ。
「家具など好きに変えればいい。今の部屋の主人はお前だ」
「そうは言っても、私にはまるで聖域を侵害しているようでいたたまれないんですよ。ところで兄上、申し訳ありませんが、使用人は先に休ませたので水しかありませんよ。茶が良ければ青鈴を起こしましょうか」
「必要ない。水で構わぬ」
碧玉は特に水もいらないが、天祐の気遣いを受け取った。
「私のことは気にするな。飲みたければ勝手に飲む。資料を見るぞ」
「ええ、お好きにどうぞ」
碧玉は羽織を手近な椅子の背に引っかけると、書棚に向かい、他世家の情報をまとめている書類を選ぶ。桃家の記録を数本抜き出した。最新情報の書類は、宗主の執務室にしか置いていないので、散策ついでに読みに来たというわけだ。
天祐は碧玉の手元を見て、首を傾げた。
「これをお探しだったんですか。資料ならば、灰炎殿に言付けてくだされば離れに運ばせますのに……」
「我が家に帰宅した日くらい、お前と共に過ごそうかと思っただけだ」
「まさか……寂しくていらっしゃるのですか?」
「旅の間は四六時中隣にいただろう。急に一人になると、どうも変な感じがするのでな」
「兄上!」
天祐は感極まった声を出して、水の杯を卓に置くなり、碧玉を後ろから抱きしめた。
「うれしいです。そんな気持ちを察せず申し訳ございません。この天祐、喜んで一緒におりますとも!」
天祐はそう言うと、碧玉が大声を出すなと注意する前に、碧玉を腕に抱え上げた。碧玉は竹簡を落とさないように、急いで抱えなおす。
「おい、突然抱き上げるな。驚くだろう」
「すみません」
碧玉の文句に、天祐は謝ったが、笑顔のままで声は弾んでいる。そのまま執務用の椅子に腰かけ、碧玉を膝の上に横向きに座らせた。
「読むだけなら、これでも大丈夫でしょう? 本来ならすぐにでも離れまでお連れしたいところですが……。私の力量ではもう少し仕事を片付けないと出立までに間に合いません」
「責任を持って仕事をするのはよいことだ」
天祐が自分で仕事を配分してこなしているなら、碧玉が手を貸しすぎるのは良くない。領地運営の実力を伸ばすには、場数をこなすしかないのだ。
(しかし、このように睡眠を削るのは体に悪い。灰炎に命じて、いくばくか書類を持ってこさせるか)
特に天祐が苦手としているのは、金銭関係の取り扱いだ。手本を示すという言い訳で、碧玉が少しくらい量を減らしても、天祐の経験にはつながるだろう。灰炎ならば「十分に甘やかしてますよ」と言うだろうことを、碧玉は考えた。
それにしても、天祐に比べれば細身とはいえ、碧玉もそれなりに背はあるほうなのだが、天祐はこんな姿勢で仕事をしづらくないのだろうか。
碧玉は書類から視線をずらし、天祐の書類のほうを見た。天祐は真剣に読んでいるようなので、碧玉のせいで読みにくいということはなさそうだ。
「なんだ、裁判か?」
「ええ。農地関係の小競り合いですよ。放っておくと流血沙汰になりやすいので、早めに片付けておきたいんです」
宗主には領地においての裁判官という顔もある。宗主のもとに来るような問題事だと、下位では判断に困った内容となる。今回のような土地の境界線でのもめごとは、税収にも関わるので、宗主まで来る場合が多い。
碧玉は書類を一瞥して、答えを出す。
「ふむ。土砂崩れが起きて、田の境があいまいになりもめているのか。役人を派遣して、測量させよ。それぞれの土地の大きさは税の書類に記録があるから、それを元に分割しなおせばいい」
「えっ、それぞれが主張する土地の境界目印は気にしなくていいんですか?」
「ああ。つまりは土地の大きさが、元と同じであれば問題ないのだ。あくまで推測だが、このもめごとの大本の原因は、水利の利便性によるかもしれぬな。役人にその点の便宜をそれぞれにはかるように言っておけ」
「ああ、下流側が上流側に不満を抱きやすいからですね。なるほど」
天祐の声が明るい調子になり、さらさらと筆で書き記していく。きちんと教育を受けさせただけあって、天祐の字は力強く読みやすい。道士は呪符を扱うため、文字の間違いが術の不発につながるので厳しく教えこまれるから、面倒くさがって崩し字を書くと叱責されるのだ。他世家に比べれば、白家には字が上手い者が多いだろう。
碧玉は綺麗な字が素早く書き足されていくのを眺めていたが、ふと執務机の上を見た。筆掛けの傍に、碧玉が天祐に贈った香袋が引っかかっている。玉房結びの飾りがついた、白絹の袋だ。緑の糸で柳の葉が刺繍されている。
「おい、天祐。その……それはなんだ」
碧玉の動揺が声に出た。
こうして改めて見ると、自分の刺繍の拙さが、急にいたたまれなくなってきたのだ。
天祐はいったん筆置きに筆を置いた。それから碧玉が示すほうを見る。
「これはもちろん、兄上がくださった香袋ですよ」
「どうしてそんな所に置いている?」
「外出の時はもちろん身に着けておりますが、執務中はそこに掛けているんです。視界に入るだけで励まされますので!」
天祐は嬉々として答えた。
「今は本物の兄上が傍にいるので、さらに元気が出ますよ」
「……いや、そんなことは聞いていないが」
贈り物を大事にしてくれるのはうれしいが、それが自分の作品だと思うと直視しづらい。気まずそうに眉間にしわを刻む碧玉に、天祐は不思議そうに問う。
「何かご不興を買いましたか? 墨で汚さないように気を付けておりますが……」
「そうではない。こうして見ると、もう少し練習してから贈ればよかったと、後悔してしまうのだ」
「何をおっしゃいますか。裁縫など自分の仕事ではないとおっしゃる兄上が、わざわざ作ってくださったのですから、それがいいのではありませんか」
天祐はふうと息をつく。
「実を言うと、兄上からこうして香袋をいただくまで、家族の手仕事に真心を感じるという言葉の意味が、私にはよく分かっておりませんでした。実の母は私を産んだ時に亡くなりましたから、家族の真心を感じられそうなものは、母が縫ってくれたという産着くらいしかありませんでしたからね」
「そうだったのか」
天祐から遺品の話を聞くのは初めてだ。元々、天祐はあまり実の両親について話さない。
「母のものはそれくらいですが、父の遺品や財はいくつかありますよ。櫃に一つ分くらいでしょうか」
白家はこの国の七大世家の一つだ。その家の直系に生まれた次男が家を継げないからと、財産を与えずに放り出されるわけもない。碧玉はふと、白家の財産目録を思い浮かべた。自分の両親が亡くなった時に見た覚えがある。
「そういえば叔父上の屋敷や畑は、お前のものだったか」
「ええ。私が白家に引き取られた時に、青炎様が管理人を決めてくださったので、そのままにしています。管理代であまり利益は残りませんが、年に数回の報告は受けていますよ」
つまり碧玉の祖父は、叔父が家を出る際に、暮らすには困らない程度の財を分けたということだ。大世家の次男としては財産分与が少ないほうだが、恐らく下女との婚姻でもめたのではないだろうか。普通ならば、裕福な家と縁づくために政略婚をさせられるものだ。
(祖父母は私が二歳なる頃には亡くなっていたそうだから、私も叔父とのあれこれは詳しく知らぬのだよな。父上はたまに叔父を家に呼んで、楽しそうにお茶をしていたし……)
青炎と青祥という兄弟の仲は良かったが、下女との婚姻は貴族家ではさぞもめただろうということは、碧玉の実母である緑翠花が天祐をあからさまに嫌っていた態度で分かる。
他家ならば縁を切って追い出すくらいはしそうだが、叔父が少なくとも財産を分けてもらえたのは、白家の血縁者だからだろう。白家の霊力の高さは血で受け継がれるもので、直系のほうが強いのだ。それについては、天祐が証明している。追放するのは、貴重な戦力を手放すのと同じ意味になるからだ。
「そなた、叔父の屋敷でそのまま育つほうが良かったのではないか?」
「そうですね、引き取られたばかりの頃は、慣れ親しんだ家を離れるのが嫌でそう思っておりましたが、今は感謝しております。あの家にいれば最低限の生活はできたでしょうが、幼い子どもが家主では、早々に賊に入られて殺されていたかもしれません。この世がいかに物騒か、今の私はよく知っていますからね。それに……」
「なんだ?」
「おかげ様で兄上とはこうして香袋をいただけるまでになれましたから。それもこれも、白家の直系に入れてもらったからです」
天祐は目尻を緩ませて、温かく微笑んだ。今は幸せだというのが、一目で分かる。
「……そうか」
なんだか碧玉は気恥ずかしさを覚えた。天祐の肩にもたれかかることで、顔が天祐から見えないようにした。
「しかし、話を聞いていると、お前の乳母は大した仕事をしていなかったようだな」
前世で読んだ小説『白天祐の凱旋』では、天祐にとって乳母は大きな存在だったはずなのにと、碧玉は不思議に思う。
「身の回りの世話はしてくれていましたけど、乳母は人の目がないところでは、実子を優先しておりましたからね」
天祐が暮らしていた黒雲室の手入れの雑さを思い出すと、乳母のその態度も、叔父の立場の弱さをあらわしていたのかもしれない。
「はあ、情けない。私はお前の財など気にしたこともなかった」
「ですが、私自身のことは気にかけてくださっていたでしょう? もちろん青炎様が管理人の手配をしてくださったのはありがたいですが、寒さに震えていた日に届いた炭の恩は忘れておりませんよ。奥様と対立してでも私に手を差し伸べてくださった慈悲こそ、子どもの私には必要なものでした」
天祐はそう言うと身を屈めて、碧玉の額に口づけを落とす。そして、深いため息をついた。
「はあ、駄目だ。仕事はここで切り上げます」
天祐は碧玉の手から竹簡を取り上げ、執務机に置く。
「もう少し仕事をするのではなかったのか」
「こんな話をしていたら、兄上への感謝と愛おしさがこみあげてきて、それどころではありません」
「……私も邪魔をした自覚はある。後で書類をいくつか、私に回しなさい」
碧玉の言葉に返事する代わりに、天祐は碧玉の口を塞いだ。
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