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第8話:招かれざる訪問
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静かな朝だった。
夜会の喧騒は遠い夢のように過ぎ、館にはいつも通りの朝食と、控えめな陽の光が差し込んでいた。
けれど、私の身体は、まだ夢の続きを引きずっていた。
呼吸が浅い。頭の奥に霞がかかったように、少し思考が鈍る。
右腕に感じる微かな熱は、まだ残っていた。
(視た回数は、たった一回なのに……どうして、こんなに重いのだろう)
原因はわからない。ただ、あの夜視えた未来が、それだけ強く、深く、私の中に刺さっていたのかもしれない。
“燃える王宮”と“血の香り”。あの光景の残像が、まだ瞼の裏に焼きついていた。
「お嬢様、王宮から使者です。……第一王子殿下より、私的なご面会の申し出とのことです」
侍女の声に、私は顔を上げた。
ついに来たか、という思いと、喉の奥に小さく棘が刺さるような予感。
「母様は?」
「すでに応対を。今、面会室を整えておられます」
私は立ち上がる。痛みはある。けれど、見せるわけにはいかない。
---
応接の間に入ると、彼はそこにいた。
王子、リオネル・セレヴィス。
絹と金で装飾された礼装のまま、背もたれに寄りかかって脚を組み、私を見ることもなく天井を見上げていた。
「……よく来てくださいました」
「ふん。礼など要らん。俺はお前の力を見に来ただけだ」
ようやく視線が下りてくる。
鋭い金の眼差し。けれど、冷たい。
「昨夜、面白いものを見せてくれたな。……給仕の動きが変わったのは、お前の指示だろう?」
「どうして、そう思われたのですか?」
「直感だ。……それに、あの場で“あれ”に気づけた者はほとんどいない。だが、お前だけは……なぜか動いた」
王子は立ち上がり、ゆっくりと私の正面に歩み寄ってくる。
息を飲むほど整った顔立ち。けれど、その美しさの奥には、他人の痛みを顧みない冷ややかさがあった。
「お前の力を見せろ」
そう言い放った声音には、命令の色しかなかった。
尊重も、配慮も、何もない。ただ“見せろ”と。
まるで、見世物でもねだるかのように。
私は扇を開いたまま、静かに答えた。
「今、必要な未来は、ありません」
リオネルの眉がぴくりと動いた。
「必要かどうかを決めるのは俺だろう」
「いえ。――占うかどうかは、私が決めます」
しばしの沈黙が落ちた。
やがてリオネルは口の端をわずかに上げる。
それは笑みというよりも、獣が獲物を見定めたときの嗤いだった。
「……なるほど。思っていたより、生意気だな」
その目は、私の全てを値踏みするようだった。
けれど、その視線に私は一歩も引かなかった。
「せいぜい、俺の役に立てるよう振る舞え」
それだけを言い残し、リオネルは振り返る。
扉を開けるのは、従者の手ではなく王子自身の手だった。
そして彼は、何も言わず、何も振り返らずに部屋を出ていった。
静寂が落ちる。
私は扇を閉じ、ゆっくりと息を吐いた。
胸の奥が、静かに疼いていた。
夜会の喧騒は遠い夢のように過ぎ、館にはいつも通りの朝食と、控えめな陽の光が差し込んでいた。
けれど、私の身体は、まだ夢の続きを引きずっていた。
呼吸が浅い。頭の奥に霞がかかったように、少し思考が鈍る。
右腕に感じる微かな熱は、まだ残っていた。
(視た回数は、たった一回なのに……どうして、こんなに重いのだろう)
原因はわからない。ただ、あの夜視えた未来が、それだけ強く、深く、私の中に刺さっていたのかもしれない。
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「お嬢様、王宮から使者です。……第一王子殿下より、私的なご面会の申し出とのことです」
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「母様は?」
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私は立ち上がる。痛みはある。けれど、見せるわけにはいかない。
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応接の間に入ると、彼はそこにいた。
王子、リオネル・セレヴィス。
絹と金で装飾された礼装のまま、背もたれに寄りかかって脚を組み、私を見ることもなく天井を見上げていた。
「……よく来てくださいました」
「ふん。礼など要らん。俺はお前の力を見に来ただけだ」
ようやく視線が下りてくる。
鋭い金の眼差し。けれど、冷たい。
「昨夜、面白いものを見せてくれたな。……給仕の動きが変わったのは、お前の指示だろう?」
「どうして、そう思われたのですか?」
「直感だ。……それに、あの場で“あれ”に気づけた者はほとんどいない。だが、お前だけは……なぜか動いた」
王子は立ち上がり、ゆっくりと私の正面に歩み寄ってくる。
息を飲むほど整った顔立ち。けれど、その美しさの奥には、他人の痛みを顧みない冷ややかさがあった。
「お前の力を見せろ」
そう言い放った声音には、命令の色しかなかった。
尊重も、配慮も、何もない。ただ“見せろ”と。
まるで、見世物でもねだるかのように。
私は扇を開いたまま、静かに答えた。
「今、必要な未来は、ありません」
リオネルの眉がぴくりと動いた。
「必要かどうかを決めるのは俺だろう」
「いえ。――占うかどうかは、私が決めます」
しばしの沈黙が落ちた。
やがてリオネルは口の端をわずかに上げる。
それは笑みというよりも、獣が獲物を見定めたときの嗤いだった。
「……なるほど。思っていたより、生意気だな」
その目は、私の全てを値踏みするようだった。
けれど、その視線に私は一歩も引かなかった。
「せいぜい、俺の役に立てるよう振る舞え」
それだけを言い残し、リオネルは振り返る。
扉を開けるのは、従者の手ではなく王子自身の手だった。
そして彼は、何も言わず、何も振り返らずに部屋を出ていった。
静寂が落ちる。
私は扇を閉じ、ゆっくりと息を吐いた。
胸の奥が、静かに疼いていた。
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