あるクズ人間の奇譚

ひいらぎ

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フリーター編 其の壱

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 緊張の糸が切れ、平穏な日々が訪れていた。

 父は何もすることのない僕に仕事をくれた。自分の仕事を手伝わせることで。これも普段感情をあまり表に出さない父なりの、僕への罰と優しさだったに違いない。僕が腐ってしまわないように気持ちを込めて水やりをしてくれたのだ。

 母も同様だった。平日は生活の為に毎日働きに出てくれている母。僕にアルバイトをたくさん勧めてくれた。実家という監視された環境では断ることもできず、勧められたアルバイトのうちの一つを始めることにした。

 それはとある塾だった。家から車で15分ほどの、住宅街の中の塾。そこのアルバイトに応募することにした。月曜日と木曜日の週二回、15時頃から18時頃までの塾の採点スタッフ。そう難しくはないアルバイトだった。

 面接当日。細い道に車を停めて、住宅街の中の木造の温かみのある小屋の扉を開いた。天井が高く広々としていてモデルルームのようだった。正面に本棚があって、奥からメガネをかけた女性の先生が出てきた。ここの塾長だった。履歴書を渡し、教育学部に入っていたことを強く推して話をした。時間もかからずにその日は終わり、後日合否を教えてくれるとのことだった。

 結果はその後すぐ届いた。合格だった。すごいことではないが、喜んでしまうものだ。

 アルバイトすることになる塾には、大きい教室が一つだけあって、通っている生徒は2、30人ぐらい。下は幼稚園生から、上は高校1年生までの幅広い層。学校が終わり次第、各々の都合の良い時間で教室に入室する。入室と同時にやってきた宿題を提出して、その日の課題に取り掛かる。その宿題を採点して生徒に返し、分からないところは、生徒が自分で分かるようヒントをあげる。といった感じ。

 初めて塾の椅子に座って子供達を待っているとき、もう一人面接に来た人がいたことを塾長から聞いた。だがその人ではなく僕を選んだのは、単純に気になったかららしい。大学を辞めて、塾でのアルバイトをしたい男の子とは一体どんな子なのか。どこに向かっているのか。実際の僕はそんなに期待されるような人間ではない。

 男の先生は僕しかいないらしく、塾長はお子さんが来るのを楽しみにしていた。僕の顔を見てどんなリアクションをするのか。

 一人目にやってきた子はA君だった。教室に入ると本棚の影から顔を覗かせ、課題の最中も僕の方をしきりに何度も何度も見ていた。純粋に気になっているようだった。その反応が今も忘れられない。

 そうして、少しずつ塾に馴染んでいくのだった。

 塾ともう一つ通っている場所がこの時あった。病院だった。高校を辞めた時に通っていた理由と同じだった。

 極度の緊張に、動かなくなる体。大人数の場所に入っていくことができないといった症状の緩和だった。最終的に、回避性パーソナリティ障害の症状で腑に落ちたのだが、ADHD、発達障害、など疑われるものは多々あった。

 カウンセリングを受けて回復に努めていたが、自然と意識せずその症状が苦痛に感じなくなってきて、気づけば病院に通うことはしなくなった。めんどうだっただけだろう。

 通っていたといえば、小さい頃からなのだが、よく母方のおばあちゃんの家に泊まりに行っていた。一人暮らしであまり顔を見せに行けなかった分、泊まりに行く機会が多くなった。小さい頃に、同居している父方の両親がなくなって、祖父母と触れ合う時間が少なかった為たくさんかわいがってもらっていた。

 元々おばあちゃん家ではトランプの七並べで遊ぶのが定番化していたが、この頃から麻雀をよくするようになった。

 だが遊びに行っても大学を辞めたなんて言えるわけがなかった。期待して応援してくれていた二人だったから。まるで他人事だが、それを裏切ったのは、一体どこの誰なのか。

 毎日は本当に平穏に過ぎていった。父の農業の手伝い。家事は、皿洗いや炊飯、洗濯物を混むだけ。週に二回のアルバイト。たまに泊まるおばあちゃんの家。そんな楽すぎる毎日。がんばりが足りないとそう誰しも思う。

 うちで飼っている犬の散歩も欠かさなかった。小学校3年生のときからずっと一緒にいた相棒だ。毎日田んぼ道を散歩しながら、大声で歌を歌っていた。そのうち、相棒が体調を崩して立てなくなってしまうほどに衰えてしまった時は本当に焦ったが、薬で元気になった。

 年末にさしかかってきて、塾の先生方との食事会があった。塾長と、母ほどの年齢の歴が長い先生と、高校生のアルバイトの子二人との食事会だった。

 塾には問題が山積みだった。問題のある児童への対応の方法。子供達のやる気を引き出す声の掛け方や、力を引き出すヒントの上げ方や教え方。それを一通り話しながら食事を楽しんだ。

 その年の初めの憂鬱が嘘のように、ゆっくりとした時間が流れていた。

 気づけば成人していた。両親が飲まないこともあって、お酒に一切の興味関心がなく、成人しても飲もうという気持ちは全くなかった。タバコも同様だった。興味関心がないのが、本当に勿体無いと自分でも思う。

 そしてあっという間に年末年始がやってきた。高校時代の友達、もりきょうからのお願いによって、飲食チェーンの福袋の販売の手伝いを、年末年始にすることになっていた。

 悟もそこでアルバイトをしていたのだが、大学を辞めたあたりから、僕への悟の態度がかなり冷たいものに変わってしまっていた。学生時代にあれだけ長く一緒にいて、親友とも言えるほどだったのに。なぜだか会って教えてほしい。きっともう二度と知ることはできない。

 大晦日の前日から福袋の前売りの手伝いをしていたのだが、やはり緊張と楽しさが絡み合ってほどけそうになかった。やりたいのかやりたくないのか、よく分からないぐちゃぐちゃな感情だった。

 大晦日は相変わらず毎年恒例のおばあちゃんの家での年越しだった。10時前には就寝。意味が分からない。キレそうになる気持ちを抑える他なかった。

 落差の激しい年は終わった。夏にはもう今年は終わっていたのかもしれない。それほどまでに、平凡で刺激のない日常を送っていた。新しい塾でのバイトで、多少の気持ちの高ぶりはあったものの。

 年が明ければすぐに、ずっと目標にしていた成人式が来てしまう。成人式の時に恥ずかしいかっこ悪い自分でいないように。自信を持って小学校の同級生に顔を見せられる自分でいられるように。自信を持って近況を話せる自分でいられるように。そうずっと願っていたし、それを目標に頑張ろうと思えたときもあった。

 タイムカプセルをみんなで開ける時、どんな懐かしい話ができるだろうか。みんなはどう変わっているのだろうか。さくらさんはどう変わっていてくれているのだろうか。一つの節目がこれから来ることには間違いなかった。なのにどう考えても準備が整っていない。見た目も中身も。まだまだ未熟そのものだった。今更もう遅い。取り繕えるのは見た目だけだ。大人なフリをするのは得意のはずだ。今までだってそうだっただろ?

 夏までに丸焦げになり、燃え尽きた体を冷ますような癒すような後半の半年だったように思えてならない。
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