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4.瓦解
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ーーしばらく君とは会えない。中途半端になってすまないが、君の周囲には多くの味方がいるから、その人たちを頼ってトラヴィスと向き合って欲しい。
ベッドの中で頬の痛みを思い出したボクは、リアに手紙を送った。
少し罪悪感はあるけれど、きっとこれでいいのだ。
翌日は、朝からかなりの雨だった。暗雲立ち込める様が薄ら寒い。
陰鬱な気分で仕事をしていると、下級官吏が困惑しながらやってきた。
「エーダ様、すみません。お客様がお見えです。リアと言えば分かるとおっしゃっていますが……」
「なんだって? あ、いや、仕事中だし、断ってくれないか? せめて出直して欲しいと……」
「そう言われましても……。リア様は雨のせいでとても濡れてしまってまして。女性職員が付き添っていますが、そんなご婦人をそのままにするのもどうかと……」
「……分かった」
客間に入ると、濡髪のリアがボクに駆け寄ってきた。その手にはボクからの手紙が握られている。
「どうしてここまで来たんだい? もう君とは会えないと手紙に書いたよね?」
ポロポロと涙をこぼしながら、リアはボクの袖に縋った。
「読んだわ。どうしてこんなことを言うの? 私には貴方しかいないのに……。やっぱりグレンダさんに何か言われたの?」
「いや、グレンダに言われたとかじゃなくて……」
「言われたのね。グレンダさんってば、私にも言ってきたもの。エドガーに近づかないでって。凄く怖い顔だったわ」
殴られるかと思った。と、リアは震えた。
「グレンダが?」
まさか。彼女はいちいちそんなことをするような人じゃない。
「もちろん、本当に殴ったりなんてしないわ。でも腕を高く挙げるの。そのたびに私ってばブルブル震えてしまって、グレンダさんに笑われてしまったわ。……まるで学生の頃みたいに」
学生だったリアは、よく他の令嬢から虐められいた。その中にグレンダがいたという話は聞いたことがないのだが。
「グレンダさんは頭がいいから……。トラヴィスみたいに」
「リア、落ち着いて。何か温かい物でも飲もうか。用意するよ」
「待って。ブランデーなら持っているの。これでないと気分が悪くなっちゃうから。許してね?」
紅茶にリアが鞄から出したブランデーを垂らし、ソファに座らせたリアに手渡す。
リアに付き添っていたという女性職員はすぐにいなくなった。ここは屋敷と違って常に側にいる使用人などいないから、リアと二人きりだ。
この状況は少しマズいかも知れない。しかし雨はまだ土砂降りだ。リアは侯爵家の馬車は使えずに辻馬車を使ったという。帰りまでそうさせる訳にはいかないだろう。
そこまで考えていたら、リアがカップをもう一つ出してきた。
「私だけだと悪いわ。エドガーもどうぞ?」
「ああ、有難う……」
勧められるがままに、紅茶に口をつける。
ふと、視線に気づいて目を向けると、リアが笑っていた。
いつもの儚い、守ってあげたくなる笑みではなくて、まるでこれは……餌を前にした肉食獣のよう……
そこでボクの意識は暗転した。
どうしてこんなことになってしまったのだろう?
ボクことエドガー・エーダは、何度もそう思う。
どこかで凄い音がした。
バタバタと何人もの足音が近づき、ボクは強引に引きずり起こされる。
「エーダ様! なんてことを……!」
耳に馴染んだ下級官吏の悲鳴じみた声。
一体なんなんだ? 頭が痛い……
「ひどい……あんまりよ……」
リアが泣いている。可哀想なリア。ボクは彼女の方に手を伸ばした。しかし、すぐに叩き落とされる。
どうして拒絶するんだ? ボクを求めたのは君の方じゃないか……
「目を覚ましなさい、エドガー・エーダ!」
頬を張られた。首がよじれる程の勢いと痛みが炸裂して、ボクは堪らずはね起きた。
「え!? こ、ここは!?」
場所は変わらず、職場の客間だ。しかし驚くほど様子が違っていた。
ボクを呼びに来た下級官吏と、警備員が数名。リアは泣き腫らした顔で胸元を押さえ、こちらに恐怖の眼差しを向けている。
そして何より、グレンダ。
わずかに髪を乱したグレンダがボクの目の前に立ちはだかっている。
「え? グレンダがどうして?」
グレンダの琥珀色の瞳は炎そのものだった。昨日の冷たい怒りではない、全てを焼き尽くすそれだ。
「たまたま近くに寄ったら、貴方が職場でユノライト侯爵夫人を襲っているらしいと聞いて、飛んできたの。これでも一応はまだ貴方の婚約者だからって」
「一応……まだ……」
呟きながら、もう一度部屋の中を見回す。
部屋の中にいる人々はみんな、ボクに敵意ある視線を向けている。
ボクを頼ったリアさえも。
「ボクがリアを襲ったって?」
まさか。そんな思いで呟くと、リアがワッとソファに突っ伏して大泣きをはじめた。
「エーダ様がいきなり……! 私は嫌だと精一杯抵抗したのに……!」
なんだって!? そんな馬鹿な!
ボクはリアの力になろうとしただけで、襲うつもりなど何もない!
ガクガク震えながら、ボクはグレンダと警備員たちに釈明する。これは何かの間違いだ!
グレンダが手を振り上げた。そしてもう一度、ボクの頬を張った。
「いい加減になさい! この状況で何を言っても説得力なんてないわ!」
リアは胸元を押さえたまま。ボクは意識がなかったと言っても、リアに否定されたらそれを覆すことは不可能だろう。
ただ、グレンダが信じてくれたら……
「無理よ。もうお終いにしましょう。婚約は解消します。エーダ様は心置きなくユノライト侯爵夫人と付き合えばいいでしょうを私はもう止めません」
「そんな!? 昨日話し合おうって言ったばかりじゃないか!」
グレンダは額に手を当てて溜息をついた。怒りの炎は消えていた。その顔がやけに疲れているように見えて、ギョッとする。
「私は許してきたわ。学生時代から何度も。でももう、いいの。どうせ貴方は変わらない。ユノライト侯爵夫人が泣きつけば、私のことなんて放っておいて飛んでいくのよ。これからもずっと」
「そんなことは……」
「貴方は信じて欲しいと言うけれど、この状況を見て、どこを信じればいいの?」
「ボクはリアと関係を持ってはいない。薬で眠っていた!」
「貴方たちが肉体関係を結んでいようといまいと、どうでもいいの。それ以前の問題なのよ」
正式な書類は後日作成しましょう。そう言って、グレンダは出て行った。
後に残されたのは、惨めなボクと、戸惑う警備員たち。そして、白けたような眼差しを向けてくるリア。
気まずそうに警備員たちが去っていくと、リアはあくびをした。
「ねえ、馬車をまわしてくれない? 私、疲れてしまったわ」
……どうして……こんな……
ベッドの中で頬の痛みを思い出したボクは、リアに手紙を送った。
少し罪悪感はあるけれど、きっとこれでいいのだ。
翌日は、朝からかなりの雨だった。暗雲立ち込める様が薄ら寒い。
陰鬱な気分で仕事をしていると、下級官吏が困惑しながらやってきた。
「エーダ様、すみません。お客様がお見えです。リアと言えば分かるとおっしゃっていますが……」
「なんだって? あ、いや、仕事中だし、断ってくれないか? せめて出直して欲しいと……」
「そう言われましても……。リア様は雨のせいでとても濡れてしまってまして。女性職員が付き添っていますが、そんなご婦人をそのままにするのもどうかと……」
「……分かった」
客間に入ると、濡髪のリアがボクに駆け寄ってきた。その手にはボクからの手紙が握られている。
「どうしてここまで来たんだい? もう君とは会えないと手紙に書いたよね?」
ポロポロと涙をこぼしながら、リアはボクの袖に縋った。
「読んだわ。どうしてこんなことを言うの? 私には貴方しかいないのに……。やっぱりグレンダさんに何か言われたの?」
「いや、グレンダに言われたとかじゃなくて……」
「言われたのね。グレンダさんってば、私にも言ってきたもの。エドガーに近づかないでって。凄く怖い顔だったわ」
殴られるかと思った。と、リアは震えた。
「グレンダが?」
まさか。彼女はいちいちそんなことをするような人じゃない。
「もちろん、本当に殴ったりなんてしないわ。でも腕を高く挙げるの。そのたびに私ってばブルブル震えてしまって、グレンダさんに笑われてしまったわ。……まるで学生の頃みたいに」
学生だったリアは、よく他の令嬢から虐められいた。その中にグレンダがいたという話は聞いたことがないのだが。
「グレンダさんは頭がいいから……。トラヴィスみたいに」
「リア、落ち着いて。何か温かい物でも飲もうか。用意するよ」
「待って。ブランデーなら持っているの。これでないと気分が悪くなっちゃうから。許してね?」
紅茶にリアが鞄から出したブランデーを垂らし、ソファに座らせたリアに手渡す。
リアに付き添っていたという女性職員はすぐにいなくなった。ここは屋敷と違って常に側にいる使用人などいないから、リアと二人きりだ。
この状況は少しマズいかも知れない。しかし雨はまだ土砂降りだ。リアは侯爵家の馬車は使えずに辻馬車を使ったという。帰りまでそうさせる訳にはいかないだろう。
そこまで考えていたら、リアがカップをもう一つ出してきた。
「私だけだと悪いわ。エドガーもどうぞ?」
「ああ、有難う……」
勧められるがままに、紅茶に口をつける。
ふと、視線に気づいて目を向けると、リアが笑っていた。
いつもの儚い、守ってあげたくなる笑みではなくて、まるでこれは……餌を前にした肉食獣のよう……
そこでボクの意識は暗転した。
どうしてこんなことになってしまったのだろう?
ボクことエドガー・エーダは、何度もそう思う。
どこかで凄い音がした。
バタバタと何人もの足音が近づき、ボクは強引に引きずり起こされる。
「エーダ様! なんてことを……!」
耳に馴染んだ下級官吏の悲鳴じみた声。
一体なんなんだ? 頭が痛い……
「ひどい……あんまりよ……」
リアが泣いている。可哀想なリア。ボクは彼女の方に手を伸ばした。しかし、すぐに叩き落とされる。
どうして拒絶するんだ? ボクを求めたのは君の方じゃないか……
「目を覚ましなさい、エドガー・エーダ!」
頬を張られた。首がよじれる程の勢いと痛みが炸裂して、ボクは堪らずはね起きた。
「え!? こ、ここは!?」
場所は変わらず、職場の客間だ。しかし驚くほど様子が違っていた。
ボクを呼びに来た下級官吏と、警備員が数名。リアは泣き腫らした顔で胸元を押さえ、こちらに恐怖の眼差しを向けている。
そして何より、グレンダ。
わずかに髪を乱したグレンダがボクの目の前に立ちはだかっている。
「え? グレンダがどうして?」
グレンダの琥珀色の瞳は炎そのものだった。昨日の冷たい怒りではない、全てを焼き尽くすそれだ。
「たまたま近くに寄ったら、貴方が職場でユノライト侯爵夫人を襲っているらしいと聞いて、飛んできたの。これでも一応はまだ貴方の婚約者だからって」
「一応……まだ……」
呟きながら、もう一度部屋の中を見回す。
部屋の中にいる人々はみんな、ボクに敵意ある視線を向けている。
ボクを頼ったリアさえも。
「ボクがリアを襲ったって?」
まさか。そんな思いで呟くと、リアがワッとソファに突っ伏して大泣きをはじめた。
「エーダ様がいきなり……! 私は嫌だと精一杯抵抗したのに……!」
なんだって!? そんな馬鹿な!
ボクはリアの力になろうとしただけで、襲うつもりなど何もない!
ガクガク震えながら、ボクはグレンダと警備員たちに釈明する。これは何かの間違いだ!
グレンダが手を振り上げた。そしてもう一度、ボクの頬を張った。
「いい加減になさい! この状況で何を言っても説得力なんてないわ!」
リアは胸元を押さえたまま。ボクは意識がなかったと言っても、リアに否定されたらそれを覆すことは不可能だろう。
ただ、グレンダが信じてくれたら……
「無理よ。もうお終いにしましょう。婚約は解消します。エーダ様は心置きなくユノライト侯爵夫人と付き合えばいいでしょうを私はもう止めません」
「そんな!? 昨日話し合おうって言ったばかりじゃないか!」
グレンダは額に手を当てて溜息をついた。怒りの炎は消えていた。その顔がやけに疲れているように見えて、ギョッとする。
「私は許してきたわ。学生時代から何度も。でももう、いいの。どうせ貴方は変わらない。ユノライト侯爵夫人が泣きつけば、私のことなんて放っておいて飛んでいくのよ。これからもずっと」
「そんなことは……」
「貴方は信じて欲しいと言うけれど、この状況を見て、どこを信じればいいの?」
「ボクはリアと関係を持ってはいない。薬で眠っていた!」
「貴方たちが肉体関係を結んでいようといまいと、どうでもいいの。それ以前の問題なのよ」
正式な書類は後日作成しましょう。そう言って、グレンダは出て行った。
後に残されたのは、惨めなボクと、戸惑う警備員たち。そして、白けたような眼差しを向けてくるリア。
気まずそうに警備員たちが去っていくと、リアはあくびをした。
「ねえ、馬車をまわしてくれない? 私、疲れてしまったわ」
……どうして……こんな……
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