災嵐回記 ―世界を救わなかった救世主は、すべてを忘れて繰りかえす―

牛飼山羊

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第四章

「死なせてくれ」

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六年前。
瀕死の重傷を負ったカイはレオンのケタリングによってたて穴に運ばれた。
シェルティとアフィーはカイを逃がすための囮となり、南都に残った。
疲弊した身の二人では、百名の暴徒を相手に到底太刀打ちはできない。
だが幸いなことに、南都は災嵐で被災した後、廃都として捨てられていた。
ケタリングによって破壊の限りを尽くされた都市は瓦礫の荒野と化しており、隠れるところはいくらでもあった。
二人は瓦礫を活用することでどうにか持ちこたえていた。
這いずるように間隙を縫い、時おりオーガンジーや小刀で応戦しながら、南都を脱出する方法を模索していた。
しかし夜明けが近づき、二人は追い詰められてしまう。
南都一帯は見晴らしの良い瓦礫の荒野と化している。
宵闇に紛れることができなければ、誰にも見つからず脱出することは不可能だ。
ここまでか、と二人が半ばあきらめかけたとき、レオンが戻ってきた。
ケタリングは再び暴徒を蹴散らし、シェルティとアフィーをその口内に収めた。
一瞬の救出劇だった。
レオンは息つく暇もなくたて穴へと引き返した。
彼はカイがもう長くないことを悟っていた。
今際の際に間に合うようにと、全力で空を駆けた。
けれど、あと一歩、遅かった。
彼らは間に合わなかった。
たて穴の底で、カイとラウラは倒れていた。
カイはすでに事切れ、無残な骸と化していた。
ラウラは気を失っていた。その腕には古びた筵が抱えられていた。
筵はラウラが南都へ向かう道中で寒風避けにまとい、今日まで脱ぐことを忘れていた代物だ。
筵には木炭のようなもので細かな字が書きつけられていた。
三人はラウラの残した遺言を読んだ。
そして知った。
ラウラが身命を賭してカイを救ったことを。
三人はすぐさま、カイを連れて西方霊堂へ向かった。
無我夢中だった。
嘆くことも悲しむことも忘れていた。
ラウラが繋いだカイの命を、途切れさせるわけにはいかない。
ただそれだけの想いが、三人を突き動かした。



霊術の研究、開発、また技師の養成を行う霊堂は、エレヴァン内に五つある。
朝廷の管理下にある五大霊堂は、基本的に各都市の中心に設置されている。
都市の中心にそびえる、守護霊術の要である鐘のない鍾塔。その土台部分が霊堂として機能しているのだ。
しかし西方と北方の霊堂に限り、本堂は都市の外に置かれている。
西都、北都にも鍾塔はあるが、西は霊術の実験が、北はケタリングの研究が盛んであり、都市の鍾塔では手狭だったのだ。
そのため西方、北方の二か所の霊堂は都市から離れた場所に本堂を設置していた。
災嵐時、ケタリングの研究施設であった北方霊堂は、まるで恨みを晴らさんとばかりに、ケタリングによって徹底的に破壊された。
それに比べれば西方霊堂はほとんど無視されたも同然だった。
襲来したケタリングは数えるほどだった。
充分な脅威ではあるが、まだ抵抗の余地があった。
堂内に残っていた技師たちは果敢に戦った。
西方霊堂は都市の守護霊術の簡易版を備えており、また在籍する技師も霊術の扱いに長けた者が多かった。
彼らは命をかけて、災嵐から西方霊堂を、千年間築きあげてきたエレヴァンの霊技術を守ろうとした。
彼らの挺身によって、西方霊堂は壊滅を免れた。
少なからず被害はあったが、他四か所のように、致命的なものではない。
生存者たちはその偉業を誇った。
西方霊堂を守るために犠牲になった数多の技師、同志の魂に報いるため、すぐさま復興に取り掛かろうとしていた。

そんな人びとの手から、三人は霊堂を取り上げた。

彼らはなりふりかまわなかなかった。
レオンはケタリングで脅しをかけ、堂内の生存者を外に叩きだした。
その後、ラウラの書付けにあったとおり、封鎖されていたカーリーの研究室を暴いた。
霊堂の地下、演習場は踏み抜かれたように潰されてしまっていたが、そのさらに下にある地下空間はほとんど無傷で残っていた。
迷宮のように入り組んだ地下には、さまざまな実験場や研究室があった。
それらはすべて、縮地と、降魂術に関するものだった。
そのうちのひとつに、カーリーの研究室があった。
カーリーの死後もそのままの形で残された研究室には、降魂術に関するさまざまな資料が山と積まれていた。
三人が術後の処置に関する記述を見つけるのには、そう時間はかからなかった。
カーリーの研究室は資料や実験機材であふれていたが、きちんと整理され、掃除も行き届いた状態だったからだ。
カーリーの死後も、この研究室は誰かの手で入念に管理されていたのだろう。
それが誰なのか、三人に考えている余裕はなかった。

三人はカーリーの研究室に残されていた記録に則り、カイを眠らせた。
地下迷宮の一角に睡花の群生地があった。
そこに横たえられたカイは、降魂直後の半覚醒状態から、ほどなくして昏睡状態に陥った。
三人は、待った。
カイの魂がラウラの身体に落ち着くのを、ただひたすら祈り、待ち続けた。
波が寄せては引きながら、すこしずつ潮が満ちていくように、カイの瞳は揺らいでいった。
夕焼けに夜空が次第に飲み込まれていくように、ラウラの橙色から、カイの紫へと、移り変わっていた。
災嵐が明けてから、およそ四か月後、ラウラの身体は完全にカイのものとなった。
年が明けて間もなくのことだった。
カイの瞳の色は、カーリーの身体にあったときより少し薄くなっていた。
紫紺色から葡萄色へと変わったカイの瞳には、しかしラウラの橙色はわずかにも残っていなかった。
ラウラの身体に、カイの魂が定着した証拠だった。
カイはそこではじめて睡花の寝座を降ろされた。

目を覚ましたカイにあったのは、絶望だけだった。

生き延びてしまったことに。
ラウラが犠牲になったことに。
カイは耐えきれず、半狂乱のまま、舌を嚙みちぎろうとした。
三人がいくら止めようと、死なせてくれと、泣き叫ぶばかりだった。
もとに戻してくれ。
この身体はラウラのものだ、と。
しかしどれだけもがこうと、それはもうカイの身体だった。
柔らかいくせ毛も、全身を覆う瘢痕文身も、小指と薬指のない左手も、紫色の瞳も。
鈴の音が鳴るような声も、すべて、カイのものとなってしまった。
カイはやがて、声も出さなくなってしまった。
自分の耳に入る声はラウラのものにしか聞こえなかった。
自分が発しているものとはいえ、ラウラの声による慟哭など、耳に入れたくなかったのだ。
カイは食事も、水を飲むことも、眠ることさえ拒否した。
生きることすべてを放棄してしまった。
カイの心は壊れてしまった。
三人がなにを言っても、なにをしても、カイに届けることはできなかった。
苦渋の決断だった。
そのときのシェルティの頭にあったのは、カイを生かす、ただそれだけだった。

すべてをなかったことにすればいい。
耐えきれないのであれば、取り除いてしまえばいいのだ。
そうすれば、カイは生きていける。
ここでの人生をやり直せる。

そしてシェルティは、カイの頭から記憶を消した。
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