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その花の名は

花弁を追って

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さざめく葉音、鼓動の高鳴り、青い産声。

日を帯びた朝露は双葉を伝い稚魚となる。

優々と流水に任せて泳ぐ稚魚は辺りを共に泳ぐ成魚たちに支えられながら海原を目指した。

稚魚はヒレをちぎられようと鱗を削がれようと海原を目指す。

その果てに『夢』がある事を知っているから。

河口に着いた稚魚は稚魚にあらず、生傷も多く片眼など潰れているが稚魚は成魚と成ったのだ。

海原では入り乱れた波に呑まれそうになるが懸命にヒレを動かす。

先頭を泳ぐ友が異変に気付いた。

には針金やら糸やらが絡み付いていた。

取ってやろうと近づくとは押し退けて拒んだんだ。

無視してやろうと横を通り過ぎた時に思った。

似ていると、何にとは言わないが似ていると思った。

魚は拒むのを無理矢理に引きちぎった。

は大いに暴れ、ついには動かなくなった。

光を失い黒ずんでいくは深海の闇へと消えていった。

魚はに絡まっていた糸に自身も絡まってしまった。

だが取ろうともせずむしろ気に入っているようだ。

魚はそのまま海原を泳いで行った。

アオイは目を覚ました。いつの間にか寝ていたようだ。何か夢を見ていたようだが思い出せない。それ程重要ではないはず、重要ならそのうち思い出すだろう。
アオイは縮こまった背中と両手を伸ばした。何故こんな何もない白い迷路で一夜を過ごすハメになったのか、それはただ単に迷ったからだ。アマタツ街特有の白い粘土の壁、その壁に何やら絵が描き込まれている。小さな普通なら見逃すような落書き。
赤い絵具でが入ったような絵。他にもいくつか見つけることが出来た。くの字、一本の線から六本の短い線が伸びている絵、この計三つの絵を見つける事ができた。最初はくの字が方向を示しているのかと思ったがその順番に統一性はない。そんな訳で整理がてら休んでいたら夜が明けて今に至る。
「おはようございます。熟睡できたようで何よりです。」
「寝てたのか、ごめん先に休んじゃって。」
まだ眠たい目蓋を擦って眠気を紛らわせる。
「問題ありません。私は睡眠も食事も通常必要ありませんから。」
そうなのか、と寝ぼけた脳みそが半ば半分に聞いていて、ふと思い出した。
「早くここを脱けないとだった。」
無闇に歩き回ってもかえってややこしくなるだけ、こんな時こそ頭を使う時、決して馬鹿にはならない。
「まずは解読からですね。」
「そうだね。少し落ち着こう。」
一息吐いて心を落ち着かせる。こうすると全身の力がいい具合に抜ける。
「見つけた絵は丸にひびが入った絵と、くの字と、線に六本の枝のある絵。この三つだけど、ニナはどう思う?」
自信がない訳ではないが、自分の意見だけでは見落としがある可能性もある。やはりニナの存在があるのだから意見を聞いてからでも遅くはないはずだ。
「やはり、これはでしょうか?」
良かった。これで迷いなくすすめる。
実はアオイには少し思い当たる事があったのだが、やはりニナの意見を聞いて正解だった。
「だよね。卵の殻とくちばし、それと羽根。」
「同意見です。恐らくこれは鳥の成長を表しているのでしょう。順に卵の殻→くちばし→羽根で進めばいいはずです。」
順路は決まった。あとは進むのみ。いくつか分岐点で絵が描かれていない場所もあったが、先を見て来て違っていれば引き返し、合っていれば進む。その繰り返しだった。そして丁度、昼頃だろう。二枚の引き扉が見えた。その扉にはそれぞれ異なる絵が描いてある。右が筒状に巻かれた紙、左は葉が生い茂る大樹。この二択は何を示しているのか。
「どっちだと思う?」
またアオイはニナに相談を持ちかける。恐らくもう癖になっている。対してニナは黙ったまま、腰の短剣に模したニナは赤い光を走らせている。どうやらニナは思考し悩む時は光を点滅させるらしい。数秒黙った後、ニナは答えを出した。
「今までの傾向からに関係している事なのは間違い無いかと。その上で右が伝書、左が止まり木だと推測します。」
「だとしたら左かな。」
「その心は?」
「ラベンはここを教えるときに口調を強めて釘を刺した。それはここがそれだけ覚悟のいる場所だと思っていたけど、違った。覚悟がいるのはこの先、何故こんな迷路の奥に住んでいるのか。その人物の性格は疑り深くて馬鹿はお断りって事だと思う。馬鹿かどうかの判断はこの迷路が、何が欲しいのかはこの扉が判断するって事だと思う。」
アオイはこの迷路の意味と何故鳥なのかをずっと考えていた。その答えは結局この扉の前に来ても分からず仕舞いだった。
「だからどっちかはハズレって事は無いと思う。それを踏まえて、って事を考えると左かなって。」
ラベンに対してアオイが提示した条件は情報が集まる場所、奥にいる人物の傾向からして絵自体に深い意味はない。ならばという理由でニナが提示した止まり木という表現からアオイは左を選択した。この選択にニナも異論はないようだ。扉自体は古い物だが使い込まれていて錆びているという事はなかった。扉の先には地下に続く垂直の縦穴が丸い円盤で蓋をされている状態だった。人一人がやっと入れるほどの隙間しかなく、バックパックを前に回して降りていくことにした。
暗い、灯りはなくランタンに火を落とすのに少し時間がかかった。そこは地下水道だった。あちこちに苔やひびがある事からだいぶ前のものだとも分かる。暗闇に微かな炎の灯と一人と一機の軌跡だけが残った。
「なんだこれ?」
目に止まったのは見知らぬ文字と矢印。何を書いてあるかはアオイには分かりかねたが、ニナはそうでもなかった。
「これは旧暦時代の文字、意味は立入禁止。」
冷めて元々熱のこもっていないニナの声が異様に不気味に聞こえた。アオイは矢印に従い真っ直ぐ進む。すると少しして何かの鳴き声が聞こえてくる。
「鳥…ですかね。」
「そうだね。」
息を呑み慎重に足を進める。鳴き声は次第に大きくハッキリと聞こえてくるようになった。そこは楕円に広がる部屋で、外からの空気を取り込むための通気口らしきものがあった。鳥一匹がやっと通れる程度のトンネルが地上に続いているようだ。外からの潮風が微かに感じる。暗がりで確かには見えないが、数羽、数十羽の鳥があちこちにいるのが分かった。
突然、カッッと吊るしてあったランタンに火が灯った。そして驚いたことにランタンに火を灯したのは鳥だったのだ。数匹の鳥が役割を分担して器用に事を運ばせている。そしてその要領で机の上に置いてあった黒い長方形の箱をいじり出した。
まず小ぶりな茶色の奴が何かのスイッチを起動させると、灰色の中位の奴がくちばしでダイヤルか何かを回している。そして一番大きくて白い奴が足で押さえつけてくちばしでアンテナを摘み上げて立てた。灰色の奴はまだダイヤルを回して調整している。その愚鈍さからか一番小ぶりな茶色の奴が灰色の奴に早くしろ!と急かすように足でキックをした。だが我介せずといった具合に灰色の奴は無心になってダイヤルを回している。それでも茶色の奴はキックを辞めない。それを見て一番大きい白い奴がソワソワと落ち着かないようにしている。
「何あれ。」
アオイは先程から驚かされてばかりで少し頭を痛めていた。
ヂィッヂヂヂヂ,ヂィーーヂ もしもし。
黒い箱が異音と人の声を発した。知らなければ大層驚いただろう。だがアオイにとってはそうではない。聞き覚えがある機械を通してから聞こえて来る声、声の主はここには居ない。きっとどこか遠くに居るのだろう。
「ご苦労様です。チョコ、ベリー、シュガー休んでいいですよ。」
その声に反応して三羽は退散していった。
「さて、どこのどなたか知りませんが何用でしょうか?」
色気のある低い声、変な汗が頬を伝う。本人はここには居ないのに緊張する。質問の内容は決まっていたはずなのに声が出ない。出そうと試みるも口を開けたまま声にならない声を上げるばかり。
「落ち着いてくださいマスター。深呼吸です。」
そうだ深呼吸。
「ヒッヒッフーヒッヒッフー」
マスターそれは出産時に妊婦が胎児に十分な酸素送る事や痛みを抑える事などに使われる呼吸法の一つであるラマーズ法です。」
落ち着け落ち着けと、アオイは胸に手を当てて深く深呼吸する。
「もう大丈夫、ありがとうニナ。」
アオイは黒い箱を見据えて前に進み出る。
「聞きたい事があって来ました。」
息を呑む。
「この回線から話してくる人は大体そうだけどね。いいけど、その代わり君にはやって貰いたい事がある。何事にも代金は必要だろ。」
当たり前だ。対価なくして得られるものなどこの世にはそうないだろう。問題はその対価だが、突然一羽の小鳥が黒い箱まで飛んで行ってさえずり始めた。アオイにはあの小鳥に身に覚えがあった。
「あっ…!」
そうだ。あのときラベンと初めて会った海岸で漁業網に引っかかっていた小鳥だ。
「気が変わった。なくてもいいよ。何が知りたいの?家族の恩人だ。出来る限りを尽くそう。」
アオイは今回の試験について、写真の人物についての全てを話した。特に写真については念入りに説明した。
「どうですか、この人について何か知ってますか?」
「知っている。」
!!
「だが申し訳ない。」
?!
「その件については全てを語る事は出来ない。」
「何で!」
静寂が続く。
「すまない。」
相手からの謝罪の一言でアオイは自身が随分と焦っていた事、血が上っていた事に気がついた。
「いえ、こちらこそ怒鳴ってすみません。」
アオイはその先にいるであろう人物に対して黒い箱の前で頭を下げる。だとしても歯痒さを感じる。ここで何も手にできなければそこで終わりタイムアップだ。
「何で教えてくれないんですか?」
理由を聞こう。せめてそうすれば言い訳も出来る。自分に言い聞かせられる。しょうがないよね、と。
「そのから情報の制限をかけられている。」
制限、そんな事も出来るのかと感心しているとアオイはまた自身の馬鹿さ加減に呆れる。
「さっきもとかとか。全く話せない訳じゃないんだ。なら話せるだけの事を話して下さい。」

紅い夜ブラットナイトと呼ばれるように夜に活動している。
俊敏な動きと柔軟な動きであらゆるトラップを掻い潜る事ができる。
その人物はよくここを利用して次のターゲットを決めている。
ターゲットの一つの基準として金が重要視されている。
その人物の性別は
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