遠春

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帰宅して

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家に着くと、玄関の灯りがすでに点いている。
父はたいてい、六時前には帰ってくる。

ただいま、と声をかける前に、台所から湯気が立ちのぼっているのが見えた。

「おかえり」
父が短く言う。
エプロンなどつけてはいないが、鍋の前に立っている姿はどこか不器用だった。

「お父さん・・また煮物?」

「・・あゝうん・・ちょっと味が濃いかもしれん」

「いつも通りじゃないですか」
美代子は笑いながら、上着をハンガーにかける。

台所の小さな窓の外では、洗濯物が風に揺れていた。
昼間の心配とは裏腹に、雨は降らなかったようだ。
「ああ、よかった・・あのね・・お父さん先に帰ったら洗濯物をしまって下さいね」

誰に聞かせるでもなく、美代子は呟く。

夕食は、煮物と味噌汁と、朝の残りの焼き鮭。

特別なものはないが、食卓に並べてみると、それなりに温かみがあった。

「今日は・・図書館、どうだった?」
父が箸を動かしながら聞く。

「いつもと同じですよ・・あゝ館長が、お父さんのこと聞いてましたよ」

「・・なんて?」とヒョイと顔を上げた父。

「変わりないかって」

「そうか」・・それ以上、父は何も言わなかった。

ふたりは黙って夕食を食べる。
ラジオをつけた。

畳に置かれた小さなちゃぶ台の上で、湯気だけがふわりと揺れる。

食事が終わると、美代子は静かに食器を洗い始める。

父は湯呑みに番茶を注ぎ、少しだけ背筋を伸ばしてから、新聞を広げた。

ページをめくる音が、台所の水音の合間にぽつり、ぽつりと響く。

「・・明日、晴れるといいなぁ」
美代子が独り言のように言うと!

父は新聞から目を離さずに・・・
「天気ばかり気にしてるな」
と小さく笑う。

「洗濯物がありますからね」

「まあ、そうだな」
それだけのやり取りで、ふたりの夜はまた静かに進んでいく。

時計の針が九時を回るころ、父が布団の方へ立ち上がる。

「・・じゃあ・・そろそろ寝るぞ」

「はい、おやすみなさい」
美代子は父の背中を見送り、流しの水を止める。

台所の電気をひとつずつ消すと、部屋はふわりと暗くなる。
小さな家の中に、冬の夜の冷たい空気がしんと落ち着いた。

その静けさの中、美代子はふと思う。

「あぁゝ~今日もまた、変わらない一日だったわ」

けれど、その「変わらない」が、今の自分を支えてくれているようにも美代子は思えた。

美代子もまた部屋に戻り、布団にもぐり込む。

遠くで電車の音が微かに響き、やがてそれも消えていく。

こうして、美代子の夜は静かに更けていき・・1日が終わる。

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