頭良すぎてバカになる

さとう たなか

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第1章

11 大雨、のちに晴れ

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中学のとき幼馴染にキスされたことを思い出した。
あいつが自分にどんな気持ちを持っていて、
何を言いたかったのか、今すごくわかる。
すごく、すごく、辛かったと思う。
毎日、毎日、辛かったと思う。
いつも、喉を締められてるみたいで。
言いたいことが喉の上までこみあげているのに、言いたくない。こんな気持ちをずっとあいつは抱えていたのかな。美空はずっとそんなことを考えていた。
今日もいつの間にか授業が終わっていた。
授業終了のチャイムが鳴って、起立、礼、着席。
文化祭が終わり、二学期のイベントは全て終え、後は冬休みを迎えるまで退屈しのぎに学校に通うだけだった。
美空が窓の外を見ると、天気は曇り空だった。灰色。傘は持ってきてない。早めに帰ろう。
授業後の掃除が始まる。美空はいつもの定位置である黒板の掃除を始める。黒板消しを持って、腕を上げて、上下に動かす。
頭が重たい。ぼーっとする。曇りの日っていつもより頭が回らない事が多い、だから仕方ない。黒板がきれいになっているのかもよくわからない。
美空は黒板消しを両手に持ってベランダに出る。両方の黒板消しを合わせて叩く。
粉がもわもわ舞っていく。今日は風が吹いていないから、消えるのが遅い。美空の視界に映る校舎前の校庭が白い霧に包まれていくように見えた。その霧はもやっとしていて、心地よくは見えない。
「みーう」
我に帰った美空が手を止めて声のした方を振り返ると、ベランダに出た風馬がほうきの持ち手の先を手で持ってその上に顎を乗せてこちらを見ていた。
「なに?」
いつもの面倒くさそうな顔ではなくて、少し不機嫌そうな顔を彼はしていたので、美空は首を傾げた。
「思ったんだけど、それさ、機械でやればよくない?」
風馬が顎で教室の中を指すと、美空は黒板の横に黒板消しの粉をきれいにする機械があるのを思い出した。
「あっ、そうだね」
言われてみればそうだと、美空は苦笑い。
「今気づいたのかよ」
風馬は鼻で笑う。
「でも今は、これでやっちゃう」
美空はまた黒板消しを二つ合わせて叩き始める。すると、横から風馬が美空の顔を覗き込んできた。びっくりして美空は身を引く。
「な、なに?」
じっと美空の顔を見つめる風馬の顔は未だに不機嫌そうだった。今、何か態度が悪かったかなと美空は記憶を巻き戻し再生する。
「ぼーっとしてる、美空」
図星を言われて目が泳ぐ美空。
「いつもどおりだよ」
「ふーん」
唇を尖らせる風馬。美空は風馬に粉がかからないように弱めに黒板消しを叩く。
「いいよ、そんなにやらなくて」
風馬が美空の手首をつかんで止めてくる。風馬に言われなくても、黒板消しから粉が出なくなっていたことを美空はわかっていたが、話したい気分もなく、今は何かに当たりたい気分だったから手が勝手に動いてしまった。
手首をつかんでいた風馬の手が美空の顔の前に来る。そしてそのまま頬をむにっと掴まれる。
「にゃに…」
おちょぼ口になる美空。その顔が面白かったのかクスクス笑う風馬。
「ふふっ、…なんだお前、恋煩いか?」
バカにするような言い方で言う風馬。風馬の手を振り払う美空。
「違う!」
断固否定と強く言い放つ美空、少し罪悪感を感じる。
「あらそう?」
疑うような言い方をする風馬。
「可愛い顔して悩むなよ」
頭をポリポリ掻く風馬。可愛いと言われてバカにされてると思った美空は顔をむくれさせる。そんな美空の顔を見て風馬はまた笑った。
「なんでもいいからさ、もとのお前に戻ってくれな」
そう言った風馬の顔はどこか寂しそうに美空には見えた。風馬は美空の頭に手をポンと置くと「机運ぶぞ」と言って教室に入って行ったので、美空も後に付いて行った。
帰りのホームルームも終わり、風馬が美空の机の前にやってくる。
「みーう」
「ちょっと待って」
美空はまだ帰りの用意を終えていなかった。風馬が来て待たせてはいけないと急いでリュックに筆記用具をしまう。
「いや。俺今日町に用事あるんだけど、行く?」
「まち?」
窓の外を見る美空。変わらずの曇り空。
「…いや、雨降りそうだから、先に帰るね」
風馬は「そ」と理解したように言って「じゃ、明日な」と手を振って教室を出て行った。
教室にはまだ美空含めて生徒が数人いたのだが、一人ぼっちの気分だった。
美空は帰り支度を整えて教室を後にする。
下駄箱の前に来ると昇降口のガラス戸に見覚えのある背中が見えた。
睦だ。
心臓を誰かに蹴り上げられたみたいに痛くなった。
いつも通りにしなきゃ。
小さく深呼吸して。
美空は出入口を出て睦の方を見た。
美空の視界には睦の後ろ姿とそれ越しに植草花菜子の姿があった。二人は何やら話している様子だ。
美空が無意識に2人から目を離せずにいると、花菜子が美空の方をちらりと見た。
「あ、後呂くん」
声を掛けられてどきっとする美空。
花菜子の言葉に睦も振り返ってくる。
「あ!うしろ」
美空に気付いた睦は嬉しそうな顔をする。
「どうも」
なんて他人行儀な返事をして、美空はその場から逃げるように駐輪場に向かった。
自転車を押して帰り道を歩く美空。
足元のコンクリートの歩道の色は灰色。美空の耳には自転車のタイヤの音しか聞こえない。帰り道ってこんなに静かだったのか、しばらく忘れていた。
先ほどの睦と花菜子の姿が頭に浮かんだ。話をしていて彼女は楽しそうだった。たぶん、睦も楽しかったんじゃないかな。なんでこんなに寂しがってるんだろ。わからない。睦に会えなくなるとか、そんなんじゃないのに。花菜子と睦の姿を思い出すと、もう睦に会えないんじゃないかって勝手に思ってしまう。心臓が押しつぶされる。
キスされたあとの幼馴染の顔を思い出した。
あいつは、すごく、嬉しそうに、でも今にも泣きだしそうな顔をしてて。
あいつとは、あの時以来、会っていない。
あいつとはずっと、話せると思ってた。
どんなことがあっても。
なにがあってもあいつは俺の友達だったから。
家も隣だから、会えたはずなのに。
なんでもう一度会ってくれなかったんだろ。
なんであいつに会いに行ってやれなかったんだろ。
俺の事が好きだった事なんてどうでも良かったのに。
なんで会えなくなっちゃったんだろ。
…会えなくなるのかな。睦とも。
美空の髪に冷たい水がしみ込んできた。何箇所も何か所も。そのうちザーっと大きな音を立てて雨が降り出してきた。
「わっ、」
少し走ると風馬とよく寄り道するスーパーにたどり付ける。美空は自転車に跨り急いでペダルをこぎ出した。




美空はスーパーの屋根の下に自転車を止めた。
濡れた顔をシャツの袖でふき取り袖をまくる。濡れたシャツが肌に張り付いて気持ち悪いと、美空はシャツを引っ張る。
屋根下から空を覗き込むと先ほどよりも雨は強く振っていた。スーパーの出入口から、買い物袋を下げた人が折りたたみ傘を広げて駐車場に向かう姿がちらほら見えた。
12月なのに雨なんか降りやがって、と美空は雨模様の空をにらみつけた。良くない事続きで嫌になる、と美空は嫌な気持ちを飛ばすように強めにため息を吐いた。
頭をブンブンふる。髪の毛が張り付く。ポケットからハンカチを取り出して顔を拭く、少し湿っていて心もとない。
ハンカチで顔を拭いていた美空のすぐ左側に誰かが駆け込んできた。視界にちらっと同じ高校の制服姿が目に入ったのはわかっていたが美空は気づいていないふりをした。
隣から息遣いが聞こえる。
気になってハンカチの隙間から横目で覗き込む。
睦だった。
美空は咄嗟にハンカチで顔を覆った。
睦はハアハアと息を切らしてシャツの右袖で顔を押し付けるようにして雨を拭う。次に睦が右肩で顔を拭ったとき彼の視線がハンカチで顔を覆う美空の方に向いた。
「あれ?うしろ?」
気づかれた。
美空はゆっくり、ハンカチを下げて、目をのぞかせた。
「やっぱりうしろだ!」
睦は昇降口で会った時と同じように嬉しそうな顔をする。
「もー、なんで先に帰っちゃうんだよー」
睦は美空に肩を当ててくる。
「いや、なんか邪魔かなって、」
睦はどうして?と首を傾げる。
「何が?」
「その、…お話していたから、」
花菜子の顔を浮かべるのが辛い。
美空は無理やり口角を上げた。
「ああ、話かけられたから、話てたの」
睦は困った顔をして頭を掻く。花菜子に対して何もわかっていなさそうな顔をしていて美空は嬉しく思った。心臓はぽかぽか温かい、でも頭の中には嫌悪感が滲み出ていてすごく今苦しい。
「俺うしろのこと待ってたのに、いなくなるんだもん」
「えっ」
睦は口を尖らせる。
「追いかけたかったんだけど、あの子と話を終わらせられなくて、雨が降ってくれてラッキー」
ウヘヘと睦は笑う。
「はっ、こんなこと言ったら女の子に失礼か…。今の内緒ね」
じゃあ、まさか、睦は追いかけてきたのか?美空は思った。
喉が熱くなった。息が詰まる。話せない。苦しい。美空は下を俯いた。今の自分の状態を睦に知られたくなかった。
「どうしたの?うしろ」
「いや、なんでも、」
雨で冷えた両手で顔を覆う美空。
スーパーの駐輪場には車が3台止まっている程度でこの時間では珍しく人が少ないからかもしれないが、美空の耳には睦の声しか聞こえてこない。
「ねーねーうしろ」
心配そうに美空に聞いてくる睦。「あっ」と何か閃いてリュックの中をあさり始めた。美空は何が始まるのかと気になって、少し顔を上げたとき、バサリとタオルを頭の上にかけられた。
「なに、」
戸惑う美空に構わず睦はタオルで美空の顔を覆ってごしごし拭き始める。
「頭びしょびしょ。これ使ってないやつだから安心して」
タオル越しに睦の手が美空の顔に触れてくる。強めに拭いてくる。痛いくらいだった。顔じゅうじんわり痛くなって、熱くなる。
痛い。
痛いよ、先輩。
痛くて、目の奥が熱い。
「痛い…」
美空がボソリとつぶやく。
「あ、ごめん、」
睦が美空に被せていたタオルを取りながら手を離すと、目を赤く滲ませた美空の顔が露わになった。
「あわわ…!うしろ、ご、ごめん…、ほんとごめん!」
おろおろと手を動かす睦。
「ちがう…、」
首を振る美空。
美空の目から涙がとめどなく溢れていく。
泣いてるのがバレた。
ああ、見られた、
「ちがう、」
こぼれる涙を拭きながら首を振る美空。
「…どうしたの?」
変わらず美空の顔を覗き込む睦。
「なんかあったの?」
「違くて…、」
唇を噛みしめる美空。
言いたくない、言いたくない。
「先輩が…」
「え!俺なんかした!?」
違うよ、先輩。
「えっあっ、なんだ、なにしたっけ、えっ、ごめんうしろ、」と睦がごちゃごちゃ言う。この人全然わかってない、あ、そりゃそうだ、何も言っていないもん。
美空の頭に、前川の好きな人を聞いてきて、そう言ってきた植草花菜子の姿が浮かんだ。
ざまあみろ、睦はこっちに来てくれたぞ。
美空はそう思ってしまった。
…短い間に性格悪くなったかな。
…もう、いいや。
もういいや。
「…先輩が、…好きなんだと思う」
涙が溢れていく美空。
「えっ?」
困惑する睦の声が美空の頭の上から聞こえてきた。顔は上げていないから、彼が今どんな表情をしているのかわからない。
でも、今はそれでいい。
見たくない。
美空は見たくなかった。
止まらない涙を美空は拭う。
「好き、…あの…、なんか、わかんない…、もう、わかんないんですけど…、先輩の事、好きになっちゃった…」
睦は何も言わない。
美空は口を震わせる。
「好きで…、先輩、」
睦は天然だから、ちゃんと言わなきゃ。
「友達で好きとかじゃ、無くて…、その…辛くて、先輩を見ると、話してたくて…だから…、」
なんて言ったらいいのかわからない。
「ごめんなさい…、ごめんなさいごめんなさい…」
涙が止まらない美空。
言ってしまった後悔と、言えてうれしい気持ちがぐちゃぐちゃに交ざって、決壊したダムから水が流れ出ていくように感情が溢れて、出ていく。
しばらく、美空のすすり泣く声と雨が叩きつける音しか聞こえなかった。
その間、睦は何も言わない。
もう、これで、先輩に会えなくなる。
あの時みたいに。
あいつみたいに。
会えなくなる。
美空はそう思った。
「…うしろ、泣かないで、」
睦はさっき使って濡れたタオルで先に美空の鼻水を拭いて次に涙を拭いた。そして、両手で美空の顔を包んでグイっと自分の方に上げた。
泣いて目が真っ赤になった美空の顔。
それを見て睦は愛おしそうに微笑んだ。
「…ウへへ」
そして嬉しそうに笑うとくしゃくしゃくしゃっと睦は美空の顔を撫でまわした。
「…可愛すぎかうしろっ、」
嬉しそうに言う睦。
予想外の反応にされるがままの美空。
頭の整理がつかない。
「えっ、あっ…あの…」
「…えっ?じゃあ、うしろ、前から俺の事好きだったの?」
美空が首を縦に振ると睦がパアッと日が差したみたいに表情を明るくする。
気が付いたときにはもう美空は睦に抱きしめられていた。
美空は目を見開く。
「俺今好きになった!うしろのこと」
明るい睦の声が響く。
「うしろありがと!うれしい!」
抱きしめられて睦の肩に美空の顔が埋もれる。睦の匂いが、鼻いっぱいに入り込む。
「…ふがっ、」
美空は一旦冷静になって睦を突き飛ばすようにして体を離した。
「ちょっ、ちょっとタイム…!」
睦が首を傾げる。
「あの、えっと…、」
言葉に困る美空。今生の別れのつもりで言ったのに、結果睦から好きと言われてしまった。予定と違う、こうなった時のプランは考えていない。
「これからは好き同士だな」
睦は嬉しそうに言う。
好き同士?そうなのか?そうなったのか?と自問する美空。
「あれ?うしろ、違うの?」
「いや!違くない違くない違くない!」
急いで否定する美空。
「そうです!好き同士です!」
往年のギャグみたいな返しになってしまった美空。
それに気づいて自分で照れ笑いする。
「ウへへ、うしろが笑ってる」
お母さんの顔見て喜んでる子供に、今の睦の顔は似ていた。
嘘の無い笑顔。
信じていいのかな。
睦の顔に日が差したのが見えて美空が空を見上げると雨はすでに止んで、曇り空からまだ沈んでいなかった太陽が顔をのぞかせていた。
「あっ!晴れた!」
睦が屋根の下からぴょんと飛び出す。
屋根から落ちる雨のしずくがキラキラ輝く。
雨上がりの太陽の日差しはなんで白いんだろう。
睦が屋根の下に立つ美空に振り返る。
「うしろ、帰る?」
「あっ、はい」
「じゃあ、途中まで、一緒に帰ろう?」
そう言いながらまたウへへと笑う睦に美空は何の迷いもない笑顔を返した。
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