ローザタニア王国物語

月城美伶

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Jardin secret ~秘密の花園~

第15話

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 「…あっ!」

動揺してしまったのかシャルロット様はご自分のドレスの裾に足を引っかけてしまい、膝から崩れ落ちるようにしゃがみこんでしまいました。
たくさん走ったかのような気でおりましたがそんなことはなく、実際は少しテラスを走って角を曲がっただけの距離しか離れておりませんでした。
足に違和感を感じて振り返ると少し後ろにキラキラと輝く靴が転がっております。

「…やだ…靴が…」

シャルロット様は靴を取ろうと立ち上がろうとしましたが、動揺しているのか上手く立ち上がれずにその場に座り込んだまま動くことが出来ませんでした。

「ヴィー…」

先ほどのヴィンセントから自分に向けられた冷たい視線と、それと対照的に今まで見たことも無いような熱い視線で女性を見つめる顔が頭の中に交差し、シャルロット様は胸をキュッと押さえてうずくまっておりました。

「やだ…何で私…泣いているの…?」

何故か涙ぐんでいることに気が付き、シャルロット様は慌てて涙が出てこないようにスンッと上を向いて目を瞑ります。

「…やっぱり言った通りじゃない…自分だってそうやって遊んでいるくせに…っ!ヴィーなんて嫌いよ…」

ポツリポツリと自分に言い聞かせるようにそう呟き、さらに小さく蹲りまってしまいました。
すると後方から優しい温かい声がそっと降ってきました。

「シャルロット様…!」

塞ぎ込んでいたシャルロット様がお顔を上げると、そこには心配そうなお顔をしたカルロ伯爵がスッと跪いてシャルロット様のお顔を覗き込んでおりました。

「大丈夫ですか?シャルロット様…。大分顔色が優れないようにお見受けいたしますが…」
「カルロ様…」
「…シャルロット様…泣いていらっしゃったのですか…?」
「…っ!」

泣き顔を見せたくないのかシャルロット様はパッと下を向いてお顔を隠しました。カルロ伯爵はそんな少し震えているシャルロット様の肩をそっと抱き寄せてそのまま包み込むように抱きしめました。

「そんな悲しそうなお顔をなされないでくださいシャルロット様…」
「カルロ様…」
「大丈夫です…この胸の中なら誰にも貴女のその涙は見られない…」
「…っ」
「シャルロット様…」

ギュッとカルロ伯爵に抱きしめられ、シャルロット様はその胸に縋りつく様にお顔を埋めると小さく肩を揺らしておりました。カルロ伯爵はその小さくて華奢な肩を愛おしそうに抱きしめて、背中を優しく撫でて気持ちを落ち着かせようとしてくれておりました。シャルロット様のお顔の前に、カルロ伯爵の甘くてそして濃厚な香水の香りがフッとよぎります。その香りを嗅ぐたびにシャルロット様は段々と頭がぼんやりとして来てカルロ伯爵のジャケットを握りしめる力が弱くなっていきます。

「カルロ様…私…何だかよく分からないの…。苦しくって…辛くって…」
「…」
「もうどうしたらいいのか分からなくて…なんだか悲しくなってきちゃったの…」
「そう…ですか…」
「カルロ様…私…私―――…」
「大丈夫ですよ、シャルロット様…。見たくないものがあるなら見なければいい―――…」
「…え?」

カルロ伯爵のグレーの瞳が金色に光ったかのように優しく輝きだしました。パッとお顔を上げて目が合ったシャルロット様はそのままカルロ伯爵のその瞳に囚われて目をそらす事が出来なくなってしまい、ジッと見つめたまま虚ろな表情でカルロ伯爵を見つめております。

「シャルロット様―――…」

カルロ伯爵はニコッと微笑むとゆっくりとシャルロット様の首筋に顔を近づけてスゥ…と息を吸ってそのまま首筋にゆっくりと唇を這わせました。虚ろな表情のままぼんやりと空を見つめているシャルロット様はなされるがまま微動だにしません。カルロ伯爵はもう一度スゥ…っと息を吸い、シャルロット様の白くて細い首筋をゆっくりと触れるか触れないかの微妙なタッチで唇を這わせております。
シャルロット様の瞳が一度大きく見開き、頬を赤く染めてん…と小さく息を吐いて首をのけ反りました。
その様子を見たカルロ伯爵はフッと微笑むと、そのまま唇をツーッと滑らしてシャルロット様のお顔の近くへと移動させました。顎の輪郭をなぞりゆっくりと瑞々しいピンク色の艶やかな唇の手前までやってくると、そっとシャルロット様のお顔に手を当ててそのお顔を覗き込みます。

「シャルロット様…」

甘い声でシャルロット様の名前を呼び、そのまま金色に光る瞳をゆっくりと閉じて二人の唇が触れようとしたその瞬間―――…

「だから…っウチの姫様に手を出さないでもらえます?」
「おや…」
「ヴィーっ!」

ガッとカルロ伯爵の肩を掴んで後ろに引っ張ってシャルロット様との間に、ゼーハ―荒い息を吐きながらヴィンセントは割って入りこみました。

「またしても騎士ナイトの登場ですね」
「遊びなら他の尻の軽い女で満足してもらえません?」
「…唇にルージュが付いてますよ?」

フッとカルロ伯爵は余裕の笑みを見せて肩に置かれたヴィンセントの手をそっと取って除けました。指摘されたヴィンセントはその払い除けられた手でグッと唇に付いた赤いルージュの残骸を拭い取り、カルロ伯爵を睨み続けました。

「…遊びではなく本気ですよ、私は」
「貴方のような紳士なお方がウチのお転婆でまだまだ子供の姫様を本気で好きになります?」
「あははは…そんなことありませんよ。シャルロット様はもうすでに素敵なレディーです」
「どうだか」
「…今夜のところはこれで失礼いたしましす。それではシャルロット様…また」

伯爵は二人のやり取りを不安そうに見つめていたシャルロット様の手をゆっくりと取ってニコッと微笑むと、そっとその手にキスをして耳元で何か囁いて踵を返して去っていきました。

「…ったく油断も隙もあったもんじゃない…」
「カルロ様…」
「姫様?」

ヴィンセントはカルロ伯爵の後姿を見送りふぅ…っと聞こえよがしに大きく溜息をついていると、シャルロット様は名残惜しそうにカルロ伯爵の帰っていった先を見つめていました。その様子を見たヴィンセントはえっ?っとビックリした表情でそんなシャルロット様を見返りました。

「…私助けてなんて言っていないわ」
「え…今姫様、貞操の危機だったんですけど」

俯いてボソッとシャルロット様は呟くと、ヴィンセントは呆れたと言った表情に変わってシャルロット様を見ております。

「…ただキスしようとしてただけじゃない。大袈裟よ」
「…あのね、姫様―――…」
「自分こそ…女の人と遊んでいたんじゃなかったの?」
「…貴女のことが心配になったから追いかけてきたんですよ」
「私頼んでないわ」
「…そうですか」
「ヴィーいつも自分で私の世話係じゃないって言ってるじゃない。だったらもう私に構ってないで遊べばいいじゃない」

プイッとご自分を見つめてくるヴィンセントから顔を背けて、少しイライラしたような口調で、シャルロット様はつんけんした態度になっております。ヴィンセントは呆れているのか、いつもよりも断然冷たい視線をシャルロット様に送りました。

「…」
「何…?…っ!きゃっ!」

ヴィセントはシャルロット様の細い手を掴んでグイッと自分の方に引き寄せると、そのままバッと顔を近づけてシャルロット様のお顔に覆いかぶさりました。
シャルロット様はギュッと瞳を閉じて顔を思いっきり背けて何とかヴィンセントから逃げようとしておりますが、ヴィンセントは強引にそのまま身体を押して壁際にシャルロット様を追いやって逃げられないようにロックすると、思いっきり顔を近づけシャルロット様の花のように瑞々しい唇の1センチほど手前までの距離に自分の唇を持ってきました。

「…こんなに隙だらけなのに…?」
「…っ!」
「このまま貴女の唇を奪ってもいいんですよ?」
「…やだ…」
「昔は自分からしてきたくせに…」
「…小さい時の話でしょ」
「今もたいして変わりません」
「離して…ヴィー…」
「自分で逃げられるんでしょ?さっきそう言ってましたよね?…ほら…早くしないと姫様の唇と私の唇…重なっちゃいますよ?」
「や…」
「…そういう拒み方…余計に男を燃え上がらせるだけですから」

壁に背面を押し付けられて身動きの取れなくなったシャルロット様は何とかヴィンセントから逃げようと身を捩ろうと試みますが、そうすると唇が触れてしまいそうだと思われたのか顔を背けようと小刻みに震えながら顔を背けようとしていました。ヴィンセントはそれさえも許さずにどんどんとシャルロット様を追い詰めていきます。

「ほら…姫様…」
「やめて…」

ヴィンセントの冷たい唇がシャルロット様の唇の上にフワッと一瞬通り過ぎ、そのままゆっくりと上がっていって伏せられた長い睫にそっと触れました。

「…何で泣いているんですか…」
「泣いてなんか…っ」
「嘘。濡れてるじゃないですか…」
「…っ!」

指でそっと滲んでいる涙をすくい、ヴィンセントは頑なに顔を背けてシャルロット様のお顔を覗き込みます。そしてまた再びシャルロット様の華奢な身体に覆いかぶさるように身体を寄せると、唇をゆっくりとデコルテラインに沿わせてなぞりました。

「やめ…」
「どうしたんですか?こんなのを阻止できないようじゃ男たちの餌食になりますよ?自分で何とかできるんでしょ?」
「…っ!」
「睨んだところで誰もやめてくれませんから。そんなん扇情的なオプションにしかなりませんからね」
「ヴィー…っ」
「ほら、跳ね除けないと…もっと進みますよ」
「~っ!!」

だんだんとヴィンセントの手がシャルロット様の身体に触れ出してドレスの肩のラインを少し下げようと手を外した時、シャルロット様は思いっきり自分の力を振り絞りその手を跳ね除けるとその流れでヴィンセントの顔を叩きました。

「…っ」
「なんでこんな…意地悪するのっ!?ヴィーなんか大っ嫌い…っ!!」

シャルロット様は肩で息をするくらいの荒い呼吸になりながらヴィンセントに向かってそう叫ぶと、叩かれて少し身体を離したその隙間から走り抜けて行かれました。
ヴィンセントは無言のまま、少し打ちひしがれたように顔を下に背けて遠くなっていくシャルロット様の後姿を見送りっています。初夏の夜の少し涼しい風が叩かれて少し熱を帯びて熱くなった頬を通り抜けました。

「…やだヴィンセント様…あんな無粋なの…シャルロット様も怒って当然ですわ!」
「…マリア居たのか。覗き見とは良い御身分だな」

廊下の角からひょっこりとマリアが顔を出してスススススス…っとヴィンセントの近くに寄ってきてものすごくガーリーなレースのハンカチを差しだしました。それを受け取ると、ヴィンセントは口の中を切ったのか唇の端に滲んでいる血を拭いました。

「見回りの途中でしたのよ!そしたらなんか言い争う声が聞こえたので、何事かと思って来てみたらまぁ…っ!シャルロット様がヴィンセント様に襲われているじゃないですかっ!!」
「襲ってなんかいませんよ。ただちょっとあまりにも姫様の危機管理能力が低くて腹が立ったので…ちょっとからかってみただけです」
「んまっ!ヤキモチですわねッ!!」
「は?」
「やだヴィンセント様ったら!子どもなのはどちらでしょうっ!」
「…」
「…マリアならいつでも大歓迎ですわよ?さぁヴィンセント様…❤」
「ふざけるな」

マリアはキスをねだるようにん~っとヴィンセントの顔の前に思いっきり唇を突き出して瞳を閉じました。顔中に青筋を立てて冷たい瞳でヴィンセントはマリアを見つめ、その顔に指がめり込むくらいの力を込めて思いっきり掴んでそのまま遠くへと投げやりました。

「あんっ❤冷たいお方…っ!」

倒れ込んだマリアはドレスに入った深いスリットから筋肉質ながっしりとした脚をヴィンセントに見せつけます。そして脚線美を見せつけるかのようにスッと上に突き出して仰々しく立ち上がるとこれまた素早い動きでヴィンセントの傍に寄ってきてぴとっとくっ付きました。

「クールに見えて意外と熱い男ですわね、ヴィンセント様って」
「…うるさい」
「まぁそう言うところがマリアは好きですわっ❤」
「…お前見回りの途中だろうが。サボってないで早く仕事しろ」
「…んもぅっ!つれないお方ですわねぇ~!」

背中を思いっきり蹴られてマリアをぴょーんと遠くへ追いやると、ヴィンセントはさらに不機嫌モードになってポケットから煙草を出して吸い出しました。あ、禁煙です!っとマリアに突っ込まれましたが、そんなことお構いなしにヴィンセントは煙草の煙を大きく吸うとため息交じりに吐き出しました。

「んもぅ!とにかく、シャルロット様に早急に謝られた方が良いですわよ!じゃあ私はまだ見回りの仕事してきますから~っ!!」

今これ以上言っても無駄だとヒールをカツンカツンと大きく音を立てて、マリアは大股で歩いて去っていきました。
その後ろ姿を横目で見つめながらヴィンセントは煙草の煙を燻らしました。朧げなオレンジ色の照明が煙でさらにぼんやりと霞んで辺りを包みます。

「まったく…どいつもこいつも…」

溜息のような大きな息を吐きヴィンセントはふと視線をまた別の所へと動かすと、廊下の片隅にキラキラと光るシャルロット様の靴が転がっているのを発見しました。

「…マジか」

スッとその靴を拾いに行ってヴィンセントはしばらくまるでガラスの靴のように光るその靴を見つめておりましたが、少し何かを考え込んだ後、咥えていた煙草を消してマントをバサッと翻して静かにその廊下をあとにしました。
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