ローザタニア王国物語

月城美伶

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Jardin secret ~秘密の花園~

第35話

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 死臭と血の臭いの混ざったような吸血鬼の臭いに誘われるかのように、カルロ伯爵は一心不乱に一人森の中を歩き続けます。森の中を掻き分け進み続けると、目の前には古びた小さな納屋がポツンと佇んでおりました。
伯爵は辺りを見回し、誰の気配もないことを確認するといつでも剣を抜けるようにと剣柄に手を置き納屋の扉をゆっくりと引きました。ギギギ…と古めかしい音を立ててドアが開き明かりもついていない真っ暗な納屋の中に伯爵は足を踏み入れます。
納屋にはスコップやハサミと言った刃物はあるもののガーデニング用品が整然としまってあるだけで、特にこれと言って変わった物はなく、ごくありふれた空間でした。カルロ伯爵は意識を集中させてるように瞳を閉じ、スゥ…っと大きく息を吸い込みました。そして金色に輝く瞳をゆっくりと開けると、足元にある絨毯の方に視線をやりました。

「…この下だ」

そう呟かれるとおもむろに絨毯を引き剥がします。すると頑丈な鉄の扉で出来た地下室への入り口が姿を現しました。その扉が目に入ってきた瞬間、カルロ伯爵の目は大きく見開いてキッと睨みつけるかのようにその扉を凝視しております。

「…この下から…バラの香りと共にたくさんの血の匂いと薄汚い獣の臭いが漂っている…」

カルロ伯爵は扉の取っ手を持ちグッと力を込めて開けようとすると、鍵が開いており思いのほか扉は簡単に開きました。
扉の下には石造りの階段が真っ暗な先まで長く続いており、下から吹いてくるヒンヤリした風に乗ってむせ返るほどの甘ったるいバラのお香の香りが広がってきました。

「く…っ」

鼻腔に広がる何とも言えない香りに顔をしかめながら、伯爵は恐る恐る階段を降りて行きます。
所々、階段を照らす松明がユラユラと揺れて薄暗い足元を照らしてはおりますが、暗くて見通しが悪く、伯爵は警戒しながらそっと壁に手を添えて長い階段を降りて行き細長い廊下へと辿りつきました。
伯爵はキョロキョロと左右前後を見回しますが薄暗い空間にはただ壁だけがあり、他に何もありませんでした。
そのまま道なりに歩いていると、左右に別れた道へと出くわしました。伯爵はスゥ…と大きく息を吸うと、左側から血生臭い臭いが漂っており、伯爵はう…っとなりながらそちらの方へと歩みを進めて行きます。
すると徐々に道が開けてきて、アーチ状の柱が何本も建つ広い空間へと出てきました。カルロ伯爵は左右に目をやり吸血鬼の気配を探しましたが、ただピチョン…ピチョン…と天井のどこかから水が落ちて跳ね返る音だけしか聞こえてきませんでした。

「これは…?」

石造りの壁の中にはアーチ状の模様が組み込まれており、よく見るとそれは聖書の中の逸話をレリーフにしたものでした。伯爵はそのレリーフをジッと見つめると、右の端にある女性が神の声を聴き、神の子を宿したという逸話が描かれたレリーフにそっと手を添えました。
添わせている指が神の声を聴いて法悦している女性に触れると、壁が動きだし伯爵はそのままくるっと壁の反対側へと入り込みました。

「…っ!」

勢いに弾き飛ばされ、伯爵は2、3歩よろめきます。壁の反対側はさらに薄暗く、伯爵は目を凝らしながら辺りの様子を伺います。そして鼻の奥を通り頭の中まで侵入してくるさらに強烈な臭いに思いきり顔をしかめ、暗闇になれてきた金色に光る瞳をこらしてゆっくりとお顔を上げると、目の前の風景に伯爵は思わず息を飲み込み驚愕してしました。

・・・・・・・・

 背後からガサガサと大きな音を立てて何かが近づいてきたのに気が付き、ウィリアム様とヴィンセントが振り返ると、そこには手に木の棒を持っているバードリー神父が震えながら立っておりました。

「…神父殿っ!」
「…ウィリアム…陛下…っ!」
「無事だったのか…!シャルを…妹を連れた貴方が行方不明になったと聞いていてもたっても居られなかった…っ!」
「申し訳ございません陛下…。敵の目を欺くために…シャルロット様を確実にお守りするために陛下にお知らせできずにいたことをお許しください」

スッとバードリー神父は膝を折ってかしこまったお辞儀をウィリアム様にされました。そしてそのまま、神妙な面持ちで声を潜めて話しはじめます。

「…陛下、やはりあのカルロ伯爵と言う男が…200年前にここグララスで吸血鬼事件を起こした吸血鬼と同一人物の様です」
「…だがあの時の犯人は―――…」
「陛下、あの男の話は全くのデタラメです!お耳を貸さぬよう…」
「だが教会の総本山アルカディアの焼印が…」
「…あれは偽物です」
「だがしかし…」
「陛下や我々を欺くためにあの男が偽装したのです」
「…教会の総本山アルカディアの鷲をモチーフにした紋章が胸にあったぞ?」
「…本当にあの教会の総本山アルカディアの紋章でしたか?」
「…」
「私の胸に刻まれている紋章こそが本物です」

そうバードリー神父は告げると、スッと立ち上がりキャソックと中のシャツを脱ぎ、意外と筋肉質で逞しい胸を露出されると、その胸の左側に刻まれている焼印をウィリアム様とヴィンセントに見せました。
そこには先ほどカルロ伯爵に見せてもらった焼印と似たような焼印が押されておりました。

「…どこがどう違うのかがいまいち分からないのですが…」
「おそらく一瞬しかご覧になっていらっしゃらないかと存じます。ですが…私のこの胸に刻まれている紋章こそ本物なのです」
「…」
「…陛下、化け物の戯言に耳を傾けてはなりません。私こそが教会の総本山アルカディアから派遣された本物の使者です」
「…では…あれは全て演技なのか…?」
「確実に陛下を騙すために…手の込んだ芝居をしているのでしょう」
「…」
「あの男は狂言を言って陛下を騙し、あわよくば陛下をも己の歯牙に掛けようとしているのです。訳の分からないことを言って陛下を混乱させて、本物の教会の総本山アルカディアの使者である私の目を欺き高貴で美しい魂をお持ちの貴方方からエネルギーを奪おうとしているのです」
「…本当にそうなのか…?」
「陛下、教会の神父である私こそが真の使いです…」
「まぁ正体不明の伯爵よりかは信ぴょう性はありますよね」
「ヴィンセント殿…!」

バードリー神父は一瞬自分の言っていることに同意してくれたヴィンセントに対してキラキラした瞳で見つめ、今にも抱きつかんばかりの勢いで近寄ってこようとしました。ヴィンセントはサッとバードリー神父の目の前に手を突き出してその動きを制止します。
猪突猛進と言わんばかりの勢いだったので、バードリー神父はキュッと飛び上がるように止まり、バランスを崩して思わずずっこけてしまいました。ヴィンセントは呆れながら手を差しだしてバードリー神父を起こし、声を掛けます。

「まぁ私自分の目で見たことしか信じないので、神父殿、貴方の仰っていることもまだ疑心暗鬼ですが。…それで神父殿、姫様はどちらに?姫様がちゃんと安全に保護されているのをこの目で確認できれば神父殿、貴方を信用いたしましょう」
「あぁ…お手をすみません。実は…シャルロット様はお疲れの様でして、より安全な地下のシェルターに身を移してお休みになっております。ご案内いたします」
「えぇ、早い所お願いします」
「…バラの香り…」
「あ…先ほどバラの植え込みのところを突っ切って参りましたので…」
「なるほど」
「あのバラは…何だかとても頭がクラクラしてしまいそうなほど濃厚な甘い香りですよね。とても好きな香りです。お茶やお菓子に入れたりしていただくのも好きなんですよ」
「そうですか」
「落ち着いたら是非ご馳走いたしましょう」

立ち上がりパッパと服に着いた砂を落とすとふんわりとバードリー神父から甘い香りが漂ってきました。ヴィンセントはこの香りが嫌なのか、バードリー神父の申し出に眉をひそめて嫌そうな顔をして無言で返事をしております。
あはは…と笑いながらバードリー神父はお二人を先導するように歩き始め森の中を進み始めます。
もうすっかり暗くなり、空には星が瞬き始めました。霧も晴れて今夜は星がよく瞬いているのか、たくさんの星が煌々と輝いております。
ふと、ヴィンセントは空を見上げました。キラキラと輝く光をジッとしばらく無言で遠くを見つめておりましたが、ヴィンセントの名を呼ぶウィリアム様の声に視線を戻し、バードリー神父の案内の元、暗い森の中を再び歩いて行ったのでした。
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