ローザタニア王国物語

月城美伶

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Artémis des larmes ~アルテミスの涙~

第19話

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 「さてメグ…。そろそろ貴女も持ち場に戻らないと…」
「…もっとアナタと一緒にいたいわ」
「また今度…。楽しみは分けた方が良いでしょう?」
「それもそうね」
「えぇ」

時計の長い針が90度動いたかどうかくらいの時間が過ぎ、黒豹は懐から葉巻を取出して火をつけました。メグは乱れてしまった髪を一度ほどいて手櫛で整えます。そしてブラウスを綺麗に引っ張って、ぐしゃぐしゃになったメイド服を着直しました。

「それじゃあメグ…」

黒豹はもう一度メグと熱い口づけを交わします。
幸せそうな顔をしてメグは微笑み、名残惜しそうに黒豹の腕の中で頬を赤く染めたました。
ですがさすがにもう持ち場に戻らないと、と思ったのかメグはもう一度服装と髪の乱れがないかをチェックして駆け足でドアの方へと向かいます。扉を開けると、メグは振り返って黒豹にキスを投げ、じゃあね❤と小さい声で告げて手を振って出て行きました。
黒豹もにっこりとほほ笑んでメグを見送っておりましたが、彼女の足音が遠くなって聞こえなくなるとスッと顔から笑顔を消し、ルージュの付いた唇を手でグイッと拭いました。

「とんだ尻軽だな。ちょっと甘い声を掛ければすぐに身体を許す…。まぁこういうのにはああいう馬鹿な女が一番役立つ…」

葉巻の煙を深く吸いふぅ…と吐き出すと黒豹は窓に映る自分の姿を見てフッと蔑んだような笑いを零しました。

「同じ穴の貉だな…」

そしてメグとの甘い戯れで少し乱れた衣類を直そうとすると、ふと『蒼龍国』の民族衣装を少しアレンジしたシルクのジャケットにメグのルージュが少しついてしまっているのを見つけました。
黒豹は顔をしかめてその汚れをパパッと手で払いますが、なかなか取れそうになく黒豹は舌打ちをしてもう一度葉巻を深く吸いました。
そしてフワ…ッとその煙を燻らせていると、窓ガラス越しにセバスチャンが扉のところに立っているのを見つけます。

「覗き見だなんて…無粋ですね」
「申し訳ございませんがこちらは禁煙となっております」
「…失敬」
「そしてこちらは関係者以外立ち入り禁止となっております」
「あははは…すぐに出ましょう」

黒豹は葉巻をセバスチャンの差しだした灰皿に押し付けて消すと、さっさと歩きだしました。入口から出た時にセバスチャンはパーティー会場はあちらです…と静かに声をかけます。
チラッと振り向きざま肩越しに黒豹はセバスチャンを見つめました。静かに瞳を伏せ、セバスチャンは背筋を伸ばしてすっと指を差しております。

「あぁ…方向が分からなくなってしまっていました。ありがとうございます」
「…ご案内いたしましょうか?」
「いえ結構。一人で戻れます。それにどうせ貴方の部下もその辺で見張っているでしょう?」
「至極」
「…嫌なジジイですね。人の情事を盗み見したり」
「お言葉ですが、このような場所で致すからでございましょう?」
「あはははは…!そう言われてしまったらぐうの音も無い。それでは今度こそ失礼しますよ」

黒豹は乾いた笑いをセバスチャンに投げつけると、ポケットに手を突っ込み去って行きました。
セバスチャンは静かに背中越しで黒豹を見送ります。そしてふぅ…と溜息を吐くと換気のため少しだけ窓を開けます。眼下には静かな夜が広がっており、風に乗ってパーティー会場の華やかな音楽が流れてきました。
セバスチャンはそっと辺りを見回し、何も変わったところはないかチェックし終えると窓をそっと閉めました。そして静かに扉を閉めて部屋をあとにしたのでした。

・・・・・・・・

 さて、未だ音楽鳴りやまぬパーティー会場では多くの人々がワルツを楽しんでおられました。
シャルロット様とゲルハルト王子はずっと和気あいあいとした雰囲気のままワルツを踊り続けております。ヴィンセントとエレナもテラスから戻ってきて、二人も広間の片隅で見つめ合いながら手を固くギュッと握りワルツを楽しまれておりました。
そんな様子をウィリアム様は主賓席から見守るように眺めており、時おりシャンパンで喉を潤しておりました。
いつの間にか黒豹も広間に戻ってきており、立っていたボーイからシャンパンをもらうと壁にもたれながら和やかなパーティの雰囲気を見ております。
そしてセバスチャンの部下は給仕係に紛れながら黒豹を見張っております。

「…陛下、そろそろ」
「あぁ…もうそんな時間か」

秘書官のバルトがウィリアム様の後ろからそっと耳打ちをしております。どうやら本日はヴィンセントの代わりでしょうか、秘書官の白い制服姿に気負わされているバルトはちょっと緊張している面持ちでありました。
ウィリアム様は懐から懐中時計を取出し、時間を確認しました。
時計の針は夜の10時前を指しております。

「そうだな、そろそろ未成年たちを返してやらねばならないな」
「そうなんですよ~」
「もう少しシャルのダンスを見ていたんだがな、でも仕方ないな。では始めるとするか」
「はい!」

バルトは笑顔でそう答えると、ウィリアム様が立ち上がるタイミングを見計らってスッと椅子を引きます。ウィリアム様は一つ息を吐いて呼吸を整えると、手をパンパンッと叩いて鳴らします。
会場にいる一同が皆ウィリアム様の方に注目しました。

「皆の者、本日はこのリーヴォニア国のフェアウェルパーティーに集まっていただき、心より感謝を述べる。リーヴォニアとローザタニアの未来が末永く有効であることを願わんばかりである。さて、ここでリーヴィニア国、のアドルフ国王陛下よりお言葉を賜る」

ウィリアム様はどうぞ…とアドルフ陛下に合図をされます。するとアドルフ陛下はシャンパンをまず一口口に含まれて喉を潤すと、立ち上がり手を振ってご挨拶されました。

「えー…この度は我が国、リーヴォニアとローザタニア国との姉妹都市の提携に際し、このような熱い歓迎をしていただいたことを心より御礼申し上げます。我が国は―――…これまでの歴史上、ラドガ大国とリテーリャ国という国に挟まれ、大変苦労を重ねた国であります。他国との関わりもほとんどなく両国に睨まれ小さくなった閉鎖的な国でありました。しかし、このままではいけない、我が愚息ゲルハルトのような将来ある若者のためにも閉ざされたドアを少しずつではありますが開けて行こうと私は決心いたしました。3年ほど前からでしょうか…ローザタニアの先代王、フリードリヒ陛下と書簡を何度かやり取りさせていただき、私の思いを訴えさせていただきました。心優しいフリードリヒ陛下は大変心を寄せてくださり、何とか無事今日を迎えました。…残念ながらフリードリヒ陛下は不慮の事故で亡くなられてしまいましたが…立派なお父上の意思をこちらのウィリアム陛下が継いでくださったことを心より感謝申し上げます―――…」

拙いスピーチではありましたが、大国に挟まれた小さな国の王様の懸命なスピーチに会場にいた者たちは何だか心を揺さぶられ、冷やかす者もほとんどなくきちんと耳を傾けておりました。
ダンスフロアでその父親のスピーチを聞いていたゲルハルト王子は手を固くギュッと握りしめて真っ直ぐ父親であるアドフル陛下を見つめております。

「さて…不躾ながらも先日の歓迎パーティーの際にシャルロット様にお贈りさせていただいた『アルテミスの涙』…。月の女神・アルテミスが好んだというこの不思議な輝きを放つ宝石は500年ほど前に元々我が国の鉱山で取れた石でした。ですが遥か昔の大戦で永らく行方不明になっておりましたが…ひょんなことから我が手元に戻ってきました!…そして未来ある美しいプリンセスにプレゼントさせていただきました。そしてなんと!この石が我が国に戻ったのと同じく、新たな鉱山が発見されました!我々にとってはラッキーストーンであります。そんな宝石が…これからも両国の友好の証として輝き続けることを願わんばかりです。それでは―――…乾杯っ!!」

客人たちは乾杯の音頭の歓声を上げ、アドルフ陛下のご挨拶に拍手を浴びせました。深々とお辞儀をしたアドルフ陛下は、額に浮き出る汗を拭いて一つ息を吐かれました。
シャルロット様は隣に居るゲルハルト王子のお顔をふと見上げました。彼もまた、少し安堵したのか緊張が解かれて穏やかな笑顔を見せて父親に拍手を送っております。
視線に気が付かれたゲルハルト王子は、シャルロット様の方に視線を落とされると、少し照れたように微笑みました。

「…私の留学にもフリードリヒ前国王陛下の口添えをいただいていると、以前父から教えてもらいました」
「そうなの?」
「えぇ…。私の母、カロリーナの祖先がローザタニアの出身だとご存知でして…」
「そうだったのね」
「本当にフリードリヒ前国王陛下にはお世話になりました。お会いできる日を楽しみにしておりましたのにお会いすることも敵わず…。ですがウィリアム様はシャルロット様と言ったとても素敵なお方に出会えた。それだけでも私の財産です」
「ゲルハルト王子…」

ニッコリと優しく微笑むゲルハルト王子の笑顔にシャルロット様もつられて笑顔で返します。
お二人はふふふ…と微笑み合ってなんだか仲睦ましい様子でおりますのを、周りにいる大人たちはにこやかに見守ってくれているのでした。
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