ローザタニア王国物語

月城美伶

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Artémis des larmes ~アルテミスの涙~

第23話

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 靴音にコウが後ろを振り返ると、明かりに照らされて浮かび上がった人物、ロマンスグレーの髪をオールバックにし、口ひげをたくわえた男性―――…ローザタニアの執事長であるセバスチャンの姿がそこにはありました。

「そろそろお遊びは終わりにしましょう、黒豹ヘイボウ殿」
「…セバスチャン殿…」

セバスチャンは燕尾服のジャケットの中に手を差し入れて中から暗器の小型のナイフの様なものを取り出すと、初老の男性とは思えぬ速さでコウに向かって行きます。
コウはナイフの太刀筋を読んでいるのか見事にかわして行き、薄ら笑いを浮かべながら口を開きます。

「お姿が見えないと思ったら…お仲間を見捨てて先回りされていたんですか」
「見捨ててなどおりません。彼ならきっと何があっても大丈夫だと確信しておりますから」
「ほぅ…」

セバスチャンのナイフがコウの顔を掠り、頬に一筋の赤い線を描きました。
一瞬コウは細い目を開いて驚いた様な顔をしましたが、すぐに元の表情に戻り、セバスチャンに蹴りをお見舞いしました。セバスチャンは体をひねって直撃をかわしましたが、それでもコウの蹴りの衝撃を受けて数メートル吹っ飛ばされてしまいました。

「ぐ…っ!」
「動くと辛いですよ。肋骨が多分2、3本折れているはずですから。まぁお歳の割にはなかなか…。ですがもう終わりにしましょうか」

コウが不敵な笑みを浮かべて、蹴りを喰らって膝をついているセバスチャンに近づいていくと、ガタンッと大きな音が階段からしてきました。
黒豹ヘイボウ―――…コウがそちらに視線をやると、そこにはヨロヨロとして壁に掴りながらも呼吸荒く必死に会談を登ってくるヴィンセントの姿がありました。

「…姫様返せって言ってるでしょうが…っ」
「すさまじい精神力ですね。…あぁ…ご自分で脚を…」

よく見るとヴィンセントの右脚の太ももに小さいナイフのようなものが刺さっており、そこから白い制服を赤い血が染めて行っておりました。眠気に打ち勝つためヴィンセントは自分で自分の脚を刺しているようです。

「…言ったでしょ、命を懸けて守らなきゃいけない存在だって」
「あはははは…!それはそれはご立派なことです」
「それくらい大事なモノなんですよ…っ!」
「そうですか…。あははははは…あぁ…反吐が出るくらい素敵な忠誠心ですね。このか弱くて儚いプリンセスのために命を懸ける…。立派な大儀だ!」

ハッとコウは眠気と痛みに耐えているヴィンセントを見て馬鹿にしたように嘲笑を投げかけました。
ヴィンセントは剣の柄に手を置き、いつでも取り出せるように構えます。

「…さて黒豹殿。私も、我が国の大切なプリンセスをお返しいただきたく存じます」
「嫌だって何度も申しあげているじゃないですか」
「それは困ります」
「それを言われたら私も困ります。でも私マフィアだから…欲しいものはどんな手を使ってでも手に入れるんですよ」
「でも貴方…今挟み撃ちの状態ですよ…?逃げ切れるとでも?」
「貴方方満身創痍ですがまぁそうですねぇ。どうせ下にも兵士やトランプたちがいるんでしょう?四面楚歌ってやつですよね。でもまぁそんな状況でも何とかしちゃうのが、この私なんです」
「…黒豹殿、この様なテロみたいなことをされてまでも…本当にその『アルテミスの涙』を手に入れたかったのですか…っ?正直褒めたくはありませんが…貴方ほどの人ならこのような大がかりな事をされずとも盗むことぐらい朝飯前でしょう?」
「セバスチャン殿に褒められるなんて光栄ですね。えぇそうですね、こんな宝石を盗むくらい私には一瞬で出来ますよ」
「では…何故?」

黒豹―――…コウはグッと息を飲み込み、少し眉をひそめて何とも言えない笑みを浮かべてヴィンセントとセバスチャンを見つめます。そしてゆっくりと口を開き低い声で二人を睨みつけるような目で見据えました。

「…平和なこの国が憎い」
「…」
「どういう意味ですか」
「…この言葉の通りです。平和なこの国が…貴方方が私は憎くて憎くて仕方がないんです」
「黒豹殿…?」
「だから壊す。ただそれだけだ」
「意味が分からないですね」
「分かってもらわなくても結構です」
「この国を守る者として…そのような事見過ごすわけにはいかないのですよ!」

ヴィンセントは剣を抜き、コウの方へと走り出しました。しかし自分で刺した脚が痛みだしクッと顔をゆがめるとコウはそれを見逃しませんでした。迫ってきたヴィンセントの剣先を避けると、ヴィンセントの右脚に刺さったままのナイフをさらにグッと押し込みました。

「…っ!!」
「あぁ…良い表情ですね!もっとその表情が見たい…っ!」
「このど変態が…っ!」
「…あははははは…っ!!そう言う貴方もね!」

コウはナイフをもう一度ぐりっと深く押し込むと思いっきり抜き取りました。赤い血がパッと辺りに散らばり、ヴィンセントの白い制服を赤く染めて行きました。

「…っ!」
「良い目だ。貴方のその紫の瞳…実に珍しく美しいですねぇ」
「…」
「あぁ…私を睨みつけるその水晶のような鋭い瞳…。永遠に見ていたい」
「永遠に貴方だけを見つめるなんて最悪ですね…。出来れば…ナイスバディ―の美女だけを見つめていたいものです」
「あはははは…大丈夫ですよ。その目をくり抜いて…ホルマリンに漬けて大事に飾っておいてあげますから」
「グロテスクですねぇ…。やっぱり貴方変態ですね」
「最高の誉め言葉です」

ヴィンセントは吐き捨てるようにコウを罵倒します。コウは喜んでにっこりと微笑み、ヴィンセントの足から抜き取ったナイフに付いた血をペロッと舐めました。そしてナイフをシャルロット様のお顔に沿わせます。
キッとヴィンセントはコウを睨み、シャルロット様を奪い返そうと向かっていきます。ですが力を込めた際に足から血がボタボタと流れ落ち、ク…ッと顔歪めたのをコウは見逃しませんでした。サッと涼しい顔で太刀筋を読んで避け、その反動を利用してヴィンセントを思いっきり蹴り飛ばしました。
受け身を取れなかったヴィンセントは数メートル先のテラスの壁に吹っ飛ばされてしまいます。

「おや?もう終わりですか?案外あっけないですね」
「…」

コウがニヤッと笑いながらヴィンセントにとどめを刺そうと近づきます。壁に吹っ飛ばされたヴィンセントはク…っと小さく呻き必死に立ち上がろうともがきます。
コツコツ…とコウの靴音がヴィンセントに近づいていきます。とその時、コウは首筋に冷たい感触を再び感じました。セバスチャンが小さい暗器のナイフを手にコウの後ろから首を掻っ切ろうと構えております。

「動くのも辛いのに…よく動きますね」
「…当たり前でしょう。私は執事なのですから…。主人を助けるためには命を張ります…」

ガラ…っと石が砕ける音がしました。
コウが瞳を動かすと、ヴィンセントが息も絶え絶えに立ち上がっております。下で待機していた兵士やトランプたちも数名屋上へと駆け上がって来ました。

「…よくまぁ諦めませんね」
「何度でも…立ち上がってみせますよっ」
「あぁ…実に素晴らしい忠誠心だ!腹が立って仕方がない!」
「…姫様を…返してもらいましょうか。もう逃げられませんよ」
「そうですねぇ。でも…なんとかしちゃうって言ったでしょう?」

コウがにっこりと微笑んでスッと懐に手を突っ込み、何かのスイッチを取り出しました。そしてカチッとそのスイッチのボタンを押すと地面が爆発を起こしました。
皆、爆風に煽られてよろめきます。

「うわぁ!」

悲鳴が飛び交う中、コウはあはははは…と笑いながらその様子を見ておりました。そして合図をするかのように空を見上げると、遠くの空の方から大きな音が近づいてきました。
バリバリバリッと爆音が鳴り響き出し別の風が頭上から吹きつけます。風が辺りを包み込むように上がっていた土埃が巻き上げて視界が晴れてくると、西の空から小型の飛行船が屋上の真上にやって来て降ろされた梯子目がけてコウはフワッと飛んで捉まりました。
するとすぐに飛行船がその場を離れようと動き出します。
耳元の爆音でシャルロット様は手放していた意識を取り戻しました。そして自分が宙に浮いており、眼下に広がる脚から血を流し満身創痍のヴィンセントとセバスチャンの姿を見て悲鳴を上げます。

「きゃあ…っ!」
「おや…起きてしまいましたか?」
「…コウ…貴方っ!!」
「怒らないでプリンセス…。せっかくの可愛いい顔が台無しです」
「…離してよっ!!」
「離したら落ちて死にますよ?」
「…ヴィーっ!」
「姫様…っ!!」

シャルロット様は自分の名前を呼ぶ息も絶え絶えなヴィンセントの姿を見つめ必死に手を伸ばします。ヴィンセントはグッと痛む身体を奮い立たせ立ちあがります。

「逃すか…っ!」

シャルロット様を奪い返そうとヴィンセントが傷口が開き血を流しながらもバネの様に飛び、コウの元へと向かいました。しかし飛行船は思いのほかスピードが速くヴィンセントの伸ばした手は届かずに宙を掴み、ヴィンセントはそのまま力なく地面へと落ちていきます。
そんな姿をあざ笑うかのようにバリバリと大きな音を立てて空へと飛んでいきました。
セバスチャンも同じくコウの方へと向かって飛んでいきますが、コウに蹴落とされ地面へと落下していきます。

「きゃああああっ!!ヴィーっ!!セバスチャンっ!!」
「姫様…っ!」
「酷い…コウ、貴方…っ!」
「…」
「許せない…大っ嫌いよ!」
「あはははは…痛くも痒くもないですね」
『アルテミスの涙』こんなものなんか貴方にくれてやるわ!だからもう…っこれ以上誰も傷つけないで!」

シャルロット様はネックレスを引きちぎりコウに差し出します。
しかしコウは寂しそうな冷たい瞳でシャルロット様のお顔を見つめ、シャルロット様を強引に抱き寄せてお顔を見合わせて唇を寄せてきました。

「私が欲しいのはこんなものじゃない。貴女が欲しいんです」
「…やめて…」
「シャルロット様…」

シャルロット様は思い切り身を捩り、自分を抱き抱えているコウの手を振り解こうとします。
危ないですよ…とコウは耳元で囁きますが、シャルロット様はそんなコウの顔を思い切り叩きました。
不意なシャルロット様の反撃に驚いたコウは思わず抱きしている腕の力を抜いてしまいました。
シャルロット様はその隙を見て、コウの胸をグッと強く押しやり抱きしめられている腕の中からすり抜けるとゆっくりと地面へと落ちて行きます。

「姫様ーっ!!」
「ヴィー…」

ヴィンセントの声が夜の闇に響き渡ります。
シャルロット様は落下しながらヴィンセントに向かって手を伸ばします。ヴィンセントは這ってでもその落下地点に行こうと脚を引きずって動き出しますが、大量に出血しているためか思うように体が動きません。
もうダメなのか…と誰もが思ったその時です。
一陣の風が一瞬でヴィンセントの横を通り過ぎました。驚いたヴィンセントがパッと顔を上げると、黒い人影が尋常ではない脚力で跳び上がりシャルロット様をキャッチしました。
そしてコウ目掛けて何かを投げつけます。
コウはすぐにその人影の方に視線をやりましたが、予想外のことに驚いて一瞬動きに間があったのか、その人影の攻撃を避けることができませんでした。

「…っ!」

不意の攻撃を受けたコウは少しよろめきましたが、飛行船の梯子を強く掴みなおし落下を免れます。
その人影はしっかりとシャルロット様を捕まえてしっかりと抱きかかえるとクルンッと身を翻して近くの中庭の木を目がけて落ちていきます。
飛行船は高度を上げて早いスピードで進んでいきます。目的物シャルロット様を失ったコウはクソッと呟き、空からヴィンセントの顔を睨んでおりました。

「…今回のところは痛み分けにしていてあげます!ですが次は…必ず貴方方を地獄に引きずり落してやりますよ!!」

バリバリバリ…と大きな音を立てて飛行船は月に吸い込まれていくように飛んで行ってしまいました。ヴィンセントは静かに鋭い視線で飛行船を睨むように見つめております。
飛行船の音が遠くなっていくのを確認すると、ヴィンセントは力を振り絞って立ち上がります。近くの兵士が布で脚の止血をしてくれておりましたが、手当もそこそこ脚を引きずって歩き出しました。
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