ローザタニア王国物語

月城美伶

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Soupir d'amour 恋の溜息

第1話

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 ずっと傍にいられるって思ってた。
これから先も同じ方向を見て、同じ歩幅でゆっくりと一緒に歩いて行けるって思っていた。
でもそうじゃなかった。
君はいつからか俺と同じ道じゃなくって違う方向を見始めた。
そんな君の横顔はとても綺麗で…俺には眩しすぎたんだ―――…

・・・・・・・・

 「だから…姫様からのお世話は結構です、と何度も何度も申しあげているじゃないですか」
「だって私のせいでヴィー怪我したんだもの。せめてものお礼でちょっとくらいお世話くらいさせてよ」

さて、あの事件から十日ほどたった頃でしょうか。
お城のプライベートエリアでは今日も賑やかな声が響き渡っております。
最上階のウィリアム様とシャルロット様のお部屋の間にあるお部屋で、広いベッドの上にたくさんの書類や資料を置いたヴィンセントは寝間着にガウンを羽織った状態で起き上がり書類の束に目を通しておりました。
するとコンコンコンっとノックするやいなや、返事も聞かずにドアが開くとクラシカルなメイドっぽいいでたちのエプロンをつけたシャルロット様がタオルと桶を片手にお部屋に入って来られました。
また来た…と呆れた顔と溜息のセットでヴィンセントはシャルロット様のお顔を見ながら返しますが、シャルロット様には全然届いていないようです。

「ある程度もう自分で動けるんで大丈夫ですってば」
「あら、でもお医者様はまだ絶対安静って仰っていたじゃない!大人しくしていないと駄目よ!!」
「いやいや…全然大丈夫ですから」
「ほらほら!仕事なんかしちゃ駄目よ!」
「いや…仕事めっちゃ溜まっていますから」
「んもぅ!」
「あっ!コラッ姫様っ!!返しなさい!!」

お医者さまから『1ヶ月は絶対安静!!』と言い渡されておりましたが、全く聞く耳持たずのヴィンセントの態度にシャルロット様は怒りだし、ヴィンセントの手に持っている書類の束をがばっと素早く掴み奪います。
ヴィンセントはスッと腕を伸ばしましたが、運動神経の良いシャルロット様のことです。サッとその腕をかわして避けて得意げな勝ち誇った顔でニヤリと笑います。
ちょっとカチンときたヴィンセントは油断して隙だらけで立っているシャルロット様の腰に腕を回しグイッと引っ張り寄せました。驚いたシャルロット様はベッドの端に尻餅をつく様に座ってしまいました。

「きゃ…っ!」
「…あんまり悪戯が過ぎると怒りますよ?」
「ヴィーったら…っ!!離してよぉ!」
「捕獲してるんです。離すわけないでしょ」
「んもぅ!」
「とりあえずその手に持っている書類返してください。大事な書類なんです」
「分かったわよぉ!だからヴィーこそ離して」
「書類が先です」
「離すのが先よ」
「書類が先です」
「まーた今日もお前たちは何やってんだ」

お二人が顔を見合わせいがみ合っていると、開けっ放しだったドアの方からコンコンコンとノックの音と共に呆れつつ笑っているウィリアム様がお部屋に入って来られました。

「お兄様!」
「陛下…」
「お前たちは本当にいつも仲良いなぁ」
「仲良くなんかありませんよ。陛下、目が疲れていらっしゃるのでは?」
「そうよ!お兄様の目はお疲れの様だわ!」
「ほら、同じこと言うじゃないか。なんやかんやでお前たちは息が合うんだよ」

シャルロット様とヴィンセントはお互い顔を見合わせてゲッと嫌そうな顔を見せあいました。
その様子をご覧になっているウィリアム様はホラ、と笑いながらお二人の仲良しさ加減に呆れつつ感心しております。

「…で?そう言う陛下こそ何しに来られたんですか?」
「お前たちの賑やかな声につられてやって来たんだよ」
「…そうですか」
「というかヴィー、いい加減離してよ」
「…書類返してください」
「離すのが先よぉ!」
「返すのが先です」

シャルロット様とヴィンセントはまた先程と同じようにお顔を見合いながら言い争いをしていると、ウィリアム様はシャルロット様の手から書類の束をスッと抜き取りました。

「あっ!」
「お互い一歩も譲らずに埒が明かないなぁ」
「陛下ありがとうございます」
「お前に返すとは言っていない」
「…は?」

ウィリアム様の前に手を差出し書類を受け取ろうとしていたヴィンセントは不躾な態度でウィリアム様を睨むように見つめます。ウィリアム様ははぁ…と呆れたように溜息をつかれると、ベッドに腰掛けて腕組みをしてヴィンセントのお顔をチラッと覗き込みます。

「確かにお前はあの怪我から約十日、医者の言うことをちゃんと聞いてベッドの上から動くことはしていない」
「当たり前じゃないですか。絶対安静と厳しく言われたんですから」
「でも怪我から三日後にはもうすっかりいつも通りの勢いで仕事してると秘書官バルトから報告されたぞ」
「だって仕事が溜まっているんですから当たり前じゃないですか。書類だって朝夕と2回、ここに入る特別許可されているバルトが持って来てくれていますから動き回っていないし別に問題ないでしょう?」
「…ヴィンセント、お前絶対安静って言葉の意味分かるか?」
「えぇ。トイレとお風呂以外はここから動いておりませんけど?」
「…仕事をするなってことだよ」
「は?じゃあ誰があの書類の束を捌くんですか?」
「それは皆協力してやってくれるさ」
「いやいやいや…。私が医務室にいる間、仕事は全然捌き切れておらずにむしろ倍に増えておりましたよ」
「まぁあんな騒ぎがあったんだから仕事は増えて当然だろう」
「…仕事をしていないと落ち着かないんですよ」
「完全に仕事中毒ね。ねぇ、ヴィーって仕事以外何か好きな事あるの?」
「…好きな事…。まぁ女性と戯れるのは好きですけど?」

頭上で流れるウィリアム様とヴィンセントのやり取りを目で追っていたシャルロット様でしたが、少し首を傾げて純真無垢な瞳で上目づかいでヴィンセントを見上げます。
ヴィンセントは少しうーん…と考えた後、シャルロット様の頭の上に自分の顎を乗せて真面目なトーンで返します。

「やだ!ヴィーったらもう最低!!」
「だって姫様が好きな事って聞くからでしょう」
「…んもぅ!それ以外は?ないの?」
「酒と煙草ですかね」
「身体に悪すぎるわ!」
「別に姫様には関係ないでしょう?」
「そうだけど…でもヴィーは煙草吸い過ぎよ!お医者様にもいい機会だから禁煙してくださいって言われたでしょ?」
「…姫様のお世話でストレスが毎日溜まっているから吸いたくなるんですよ」
「んもぅ!人のせいにしないでよ!」
「あぁ…姫様が煙草の話されるから吸いたくなってきたじゃないですか」
「ダメよ!せっかくここ最近ヴィーから煙草の臭いしなくなって爽やかな石鹸の香りしかしなくなって来たんだから!」
「…私の煙草の香り、好きなくせに」
「す…好きなんかじゃないわよっ!煙草の臭いなんか嫌いよ!!」
「そうですか?」
「そうよ!」
「ふーん…」

なによぉ~!とぷんすかしているシャルロット様を横目に、ヴィンセントは少しニヤニヤ笑いながらシャルロット様を見つめます。そして暴れようとしているシャルロット様の腕を取り、さらにギュッと押さえつけるようにシャルロット様を強く抱き込みます。

「んもぅ…!いい加減離してよ!」
「離したら暴れるでしょ?」
「暴れないわよ!」
「はいはい…」

ヴィンセントはパッとシャルロット様を抱き込めている腕を離します。解放されたシャルロット様はウィリアム様の方にパパっと身を寄せてお膝の上に乗り、ギュッと抱きつきながらヴィンセントを睨みます。

「んもぅ!お兄様ぁ~!!」
「はいはい…。本当にお前たちは仲がいいなぁ」
「良くないです」
「うん、仲良いことは良いことだな。そう言えばヴィー、お前宛てに手紙を預かったぞ」
「手紙ですか…?」
「あぁ」

ウィリアム様はゴソゴソとポケットからシンプルな白い封筒に入れられた手紙を取出し、ヴィンセントの前に差しだしました。ん?と訝しげな顔でヴィンセントは手紙を受け取ると差出人の名前と、封のため押されている印を見てあ…と一言漏らしました。
シャルロット様はキョトンと小首を傾げてヴィンセントとウィリアム様のお顔を交互に見ております。

「お前、エレナに全く連絡してなかっただろう」
「…忙しくて忘れていました。お父上のブリダンヌ侯爵から預かって来られたんですね」
「まったくその通りだ」
「…後で返事を書きましょう」
「今読まないの?」

封筒の表裏をチラチラ見ながらヴィンセントはふぅ…と溜息のように息を吐くと、手紙をそのまま横に置きました。すると間髪入れずにシャルロット様は無邪気にヴィンセントに問いかけます。

「今は読む気はないんですよ」
「ふーん…」
「何ですか?」
「ヴィーって結構ドライなのね」
「は?」
「だって恋人の手紙でしょ?嬉しくないの?すぐ読みたくならないの?」
「…別に」
「おかしな人ね、ヴィーって」
「姫様に言われたくありません」
「何よ失礼ね!」
「こらこら二人とも!そろそろそれくらいにしておきなさい。あ、シャル、すまないが少し席を外してくれないか?」

距離をとってもお互いいがみ合うお二人にウィリアム様はほとほと呆れだし始めたのか、少しだけ声を大きくしてお二人を諌めます。でも…と言う目で訴えかけてくるシャルロット様に、ウィリアム様は髪を撫でながら優しくしょうがないなぁといった顔で見つめ返して話しかけます。

「…どうして?」
「ここからは大人の会話―――…仕事の話をちょっとしたいんだ」
「お仕事の話?ヴィーには休めって言ったくせに?」
「おや」
「お兄様、それって矛盾ってやつじゃないの?」
「よく気が付いたな、シャル。まぁそうだけど、ちょっと二人っきりで秘密の話をしたいんだ」
「…分かったわ」
「いい子だ」
「あ、終わったら声掛けてね?まだ今日は何もヴィーのお世話していないもの!」
「分かったよ」
「約束よ!」
「あぁ」

珍しく空気を読んだシャルロット様は、ウィリアム様から頬にキスをもらうとお膝からピョンッと飛び降りました。そして軽やかな足取りで入口の方まで向かいましたが、チラッともう一度お二人の方を振り返りビシッとそう伝えると、静かにドアを閉めて出て行かれました。

「…勝手に約束しないでくださいよ」
「ん?だってお前、シャルに世話してもらってるの意外と嫌じゃないだろ?」
「…え、陛下目玉腐ってます?」
「安心しろ、両目とも視力は良好だ」
「…昨日は私の身体を拭こうとして持ってきた桶を豪快にベッドの上にぶちまけ私はずぶ濡れになりました。その前は何故か床で豪快に滑って洗濯物を思い切りぶちまけて、もう一回洗濯しなおさないと駄目になりましたねぇ」
「そう言えばそうだったな」
「その前は書類の束を間違って捨てそうになってましたし…姫様がここに来られたらハプニングしか起こりません」
「でもそれが意外と面白くて嫌じゃないんだろ?」
「…迷惑しています」
「本心か?」
「…まぁ一生懸命何かされようとしているのはいじらしいですけどね」
「だろ?」
「まぁ…小動物が何やらちょこまか動き回っている感じですけどね」
「あながち間違いではないな」

あははは…とお二人は顔を見合わせて笑い合いました。きっと今頃ご自分のお部屋に戻られたシャルロット様はくしゃみをされていることでしょう。
ウィリアム様とヴィンセントはひとしきり笑い終わった後、ウィリアム様ははぁ…と一つ息を吐いてヴィンセントの方を見つめます。

「…まぁそれくらいの興味を他の女エレナに対しても持ってあげてもいいんじゃないか?」
「別に興味ないわけじゃないですよ?ただ忙しさに忙殺されていただけです」
「そうか?お前が医務室からプライベートルームこちらに移って以来、彼女には何の連絡もしていないだろ?彼女はここには入れないから様子も分からないし心配し過ぎてかなり憔悴しているようだとお父上であるブリダンヌ侯が言っていたぞ?」
「…え、まだたったの十日ほどのことじゃないですか」
「生死の縁を彷徨ったんだ。心配するだろう」
「…でもまぁ仕事溜まっているんで、正直エレナに構っている時間無いんですよね」
「お前はアレだなぁ…。シャルも言っていたがかなりドライだな」
「離れている時も相手を思っていられるほどの余裕はないですね」
「それじゃあエレナも不安になるわけだ」

ヴィンセントがシレッと悪びれずに申し上げますと、ウィリアム様はこれでもかと言わんばかりの大きな溜息をついてがっくりと肩を落としました。
いまいちウィリアム様の仰っていることが分かっていないのか、ヴィンセントもちょっと小首を傾げ、眉間にしわを寄せてどこかちょっとムッとした様子でウィリアム様を見返します。

「どこが不安になるんですか?」
「お前の気持ちが見えないってことだよ」
「は?めちゃめちゃストレートに愛を投げていますけど?」
「…お前の愛は分かりにくいんだよ」
「そうですか?二人きりの時は最上級に愛を注いでおりますけどね」
「女はいついかなる時でも、例え遠く離れていたとしても愛を注いでほしい生き物なんだよ」
「ワガママですねぇ」
「根本的に男と女は違う生物だと認識しておいた方が良いぞ」
「あぁ…めんどくさいですね」

はぁ…と溜息をついてヴィンセントは頭を抱え込みました。そしてウィリアム様の手から書類を奪い返し、サラサラとサインを書いてウィリアム様に書類を突き返します。受け取ったウィリアム様はサッと書類に目を通してうんうん、と頷くと書類を整えてました。

「まぁお前は昔からそうだよな。なかなか自分のテリトリーに他人を入れさせないもんな」
「ある一定の距離感は大事だと思いますので。それなのに陛下と姫様は土足で入って来られて土足で踏み荒らしていきますからね。特に姫様は」
「嫌じゃないくせに」
「…兄妹で同じこと言わないでください」
「早くエレナもその枠に入ることを願うよ」
「…ご命令ならそうします」
「そうだな。心から彼女を愛してやってくれ」
「…仰せの通りに」

ウィリアム様は肘でヴィンセントの小脇を突き、何やら困ったような笑顔でヴィンセントを見つめます。何ですか?と言いかけたその時、フワッと窓から柔らかい風がお部屋の中を吹き抜けました。

「まぁとにかく早い所お前の怪我が早く治ることを願うよ。来月にはドミニクウチの叔父上の結婚式があるしな」
「あぁすっかり忘れていました」
「それにエレナを帯同させてやってくれ」
「言われなくてもそうするつもりです」
「そうか。今日明日にでも、彼女に返事を書いてやるんだな」
「はいはい」
「ハイは一回だろ?」
「…ハイ」
「よし。では私もお暇しようかな」
「早く出てってください。仕事の邪魔です」
「分かったよ。じゃあシャルとバトンタッチだ」
「陛下!」
「なんだよ。私だってシャルに看病されたいんだ。見たか?あのエプロン姿。なかなかレアだぞ?ちょっとクラシカルナース風で可愛いじゃないか。そんなシャルに献身的に看病なんかされて狡いぞ、ヴィー」
「…まぁ可愛いっちゃー可愛いですけど」
「だろ?ウチの妹は何でもに合うなぁ」
「…シスコンですね」
「可愛い妹を可愛いと言って何が悪い」
「…」
「まぁとにかく早く彼女の機嫌を取ってやれ」
「…ショウチイタシマシタ」

シスコンのウィリアム様に呆れているのか、それとも別の感情なのか真顔でウィリアム様を見上げてヴィンセントは機械的にそう答えました。
スッとウィリアム様は立ち上がりポンッとヴィンセントの方を叩きます。ちゃんとやれよ、と一言そう伝えると手をひらひらさせながらヴィンセントのお部屋を出て行かれました。
パタン…と静かにドアが閉まると、ヴィンセントは溜息のように一つ大きく息を吐きました。
そして横に置いていたエレナからの手紙に手を伸ばそうとしたその時、扉をノックする音が聞こえてきました。
返事をする前にドアが開くと、そこにはヴィンセントの世話をしようと好奇心旺盛な子猫のように瞳を輝かせて様子を伺っているシャルロット様のお姿がありました。
プッと吹き出すと、なによぉ~!と怒りだしながら近づいてきます。
ヴィンセントは仕方ないなぁと言った顔をしてシャルロット様のお顔を優しく見ておりました。
そしてその後、このまま穏やかな雰囲気のままかと申し上げますと、いつも通りヴィンセントの厭味に満ちた迷惑そうな声とシャルロット様のそれに負けじとキャーキャー騒ぐ声がお城中に響き渡った…と言ういつも通りの展開が流れていたのでした―――…。
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