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二章「憧れの裏世界」
35.証明
しおりを挟む「セイス! どこまで行く気だ!」
背後から、自分を呼ぶ声がする。非難を含んだ語気の強い口調、咎められていることは分かるが、今のセイスにはそれに応じられるだけの余裕がなかった。
セイスは走っていた。突如として掴んだリアの腕を引いたまま、詳しくもない道筋を駆け抜ける。
シロツキに向け、「リアを借ります!」と一言、返事も待たずにあの場を離れた。受け入れられたのか、はたまた撒いてしまったのかは分からないが、誰かが追い掛けて来ている気配はない。文句を言いつつも、リアは大人しくついて来てくれている。が、王宮敷地内の正面広場から門を出て直ぐ、彼を遠くに連れ出すのはまずいだろうとセイスは思い直した。それから王宮の塀沿いを行き、出来るだけ人気のない辺りを探し、やっとのことで立ち止まる。
不自然な間を置いて振り返ると、普段と変わらぬ無愛想がそこに居た。何だか少しほっとしたのも束の間、セイスはリアに、率直に頼み事をする。
「リア、あれやって」
「は?」
「魔法! あれなら誰かに話を聞かれることとかないだろ!?」
「何だ貴様は……」
そんな不躾な頼みを前にし、リアは訳が分からないといった顔でセイスを見る。けれどセイスの顔から必死さを読み取ったようで、直ぐ様手隙になっている片手で中空を掃うようなモーションを取った。
刹那、セイスの耳に聞こえていた辺りの環境音が、くぐもって聞こえるようになる。まるで水中に居るかのようなこの感覚は間違いない、あの水の膜に覆われていた時と同じ。自分が今、隠匿魔法の中に居ることを察して、セイスはリアの腕から手を放した。
「これで良いのか?」
「ああ、ごめん、さんきゅ。……ちょっと、話さなきゃいけないことが出来た気がして」
「あの女のことなら、僕は無理に聞くつもりはないぞ」
「それもだけど、それじゃない方」
「?」
やはりリアは、セイスがミルフィのことを知っている……ということを知っていた。あれだけ敵意剥き出しで向かっていったセイスを目の当たりにしているのだから当然だが、無理に話さなくて良いなんて、彼はどこまでもお人好しが過ぎる。
けれど今セイスが話したかったことはその話ではない。此度の騒動を思えばその話を先にすべきであるが、物事は視野を広げて見る必要がある。
具体的にいえば四次元、時間の概念を超越した先にある。
いわばそれはセイス自身の存在証明。この時代に存在しない自分を証明する為の話だ。
「リア、未来の話を少しだけして良いか?」
今までずっと黙ってきた話をセイスは持ち出し、真面目な表情を崩さずリアを見た。するとリアはぴくりと眉を潜め、その真意を見極めるようにじっと見つめ返す。琥珀色から一転、魔力の色に染めた青色の双眸で、セイスの表情を窺った。
「……あまり感心しないが、貴様は僕が感心しないと知りながら話したいと言っているのだろう?」
その問いに対してセイスは、間髪入れずに首肯した。リアが王家の人間である以上、そう思うことは百も承知だった。
レイソルトの血を継ぐ王家の者は皆、歴史書に描かれた“時の残酷さ”を幼き頃より教えられてきている。時を渡るということ、未来を知るという行為がどれだけ素晴らしく――それでいてどれだけ業深きことであるのか。
一人の魔術師から世界を救った男の血族達は、その歴史を真摯に受け止めていた。
「多分、それが証明になると思うんだ」
「証明?」
「俺が未来から来たっていう証明。俺が本当に未来から来たってことと、俺が戻らなきゃいけないってこと。ちゃんと理解してもらえる気がする」
それを考えてしまえば、本来ここに居てはいけない自分だけれど。だからこそ、自分が居るべき時代へと早く戻りたい。そして元の時代に戻る為には誰かの助けが必要不可欠で、ここまでも散々助けてくれた彼には隠し事ひとつ無く、伝えておかなければならないと思った。
「短いから聞いて欲しい。直ぐに終わる。お前には、伝えとかないといけないんだ」
それをリアが良しとしないことも理解した上で、セイスはリアに伝えると決めた。
やっと見つけた、――リア自身も無関係ではない、自分の存在証明を。
「俺、未来でシロツキさんに会ったことがある。俺が暮らす村に……多分だけど一度だけ来て、母さんと話をしてたんだ」
「シロツキが?」
「母さん、シロツキさんと知り合いでさ。小さかった俺に紹介してくれたよ、シロツキさんっていうんだって」
「……村」
ぽつりとリアが呟く。引っ掛かったのは、村……というその一言だけ。
「それと、これは別の話だけど。母さんって、昔は王都に住んでたんだって。母さんのお母さんの身体が弱くて、少しの間療養の為に“アウルム”の村に来て、母さんは結婚したから一人だけ村に残ったんだって」
「……そういうことか」
考え込むように視線を落としていたリアの手に、力が篭る。
どこかで聞いたような話をつらつらと話すセイスの言いたいことが、手に取るように分かってしまったのだろう。故に最後にその確認をしたのは、既に確信を得た状態のリアの方。
セイスの中には何度もあった。もやもやと渦巻く複数の違和感が、違和感のまま形作られなかった不思議な感覚。
けれど答えはやっと見つかった。こんなにも近くに存在した。
「セイス、貴様は、」
『セイス、この人ね――』
セイスが未来から来たという明確な証拠は、いつだって目の前にあったのだ。
「――シフォンの息子か」
『――お母さんのお兄ちゃんよ。シロツキさん、っていうの』
己を助けた、恩人の中に。
どの時代にも必ず、王制廃止を訴える者が居る。かつてはそういった危険因子により王家の跡継ぎが暗殺されてしまうことも多く、現在のような秘匿形式を取るようになった。その代に直系の血を継ぐ者が存在するのかすら国民達には知らされず、他の王族達と共に過ごす。それが、ブライド王家が存続する為に見出した道だった。
その直系の血を受け継ぐルクセルドの姉――アスティナ=シフォン・ブライドも、幼い頃はただの王族の者として過ごしてきた。けれど今、そんな彼女が王都から遠く離れた小さな農村で呑気に暮らしていることなど、誰も知りやしない。王妃の療養場所も、娘のシフォンがそれについて行ったことも、全てが秘密裏に行われたこと。
だからシフォンが直系であることなど、誰にも分かる筈がなかったのだ。
ましてや彼女が今どこで、誰とどう暮らしているかなんて以ての外。
それこそ――この時代に未だ居る筈のない彼女の“身内”以外は、知る由もない筈だった。
「セイス、ひとつだけ確認して良いか」
「まだ何か信用ならないか?」
何時の間やら二人して地べたに座り込み、腰を据えて話し込んでいた。
セイスは自分が如何に母を知っているか、母がどんな人物かを説明したが、リアの表情は一向に優れない。お前は本当に王子か? と言いたくなる無作法な形で座り込み――所謂胡坐だ――、口元に手を置いてじっとセイスを見つめ続けている。セイスの方はというと、必死を体現し過ぎており寧ろこちらが正座だった。石で出来た硬い地面は痛いが、そんなことを気にする余裕などなく、背筋もピンと伸ばしている。
自分がただの頭のネジが一本飛んでしまったおかしい人間でないことを証明したい、セイスは割と真剣に、自分という存在をリアに信じて欲しいだけだった。
「未来のことを尋ねるのは良くないことだと認識しているが、どうしてもひとつだけ聞きたい」
「別に良いけど……」
一体何を聞かれるのか、胸中を吐露すれば全く以て別に良くなかったが。けれどそれを聞かない訳にもいかず、セイスは心してリアの言葉を待った。
「貴様の父親はヨシュアか?」
「そうだよ」
「そうか」
「……え? それだけ?」
パァンと。魔法を解く音と共にリアは立ち上がって、その勢いのままセイスの腕を取った。ぐいと腕を引かれセイスが立ち上がると、その手を放して腕を組む。どうやら、聞きたかったことは本当にそれだけだったらしい。元の色に戻った琥珀が、満足そうに迷いなくセイスを見上げていた。
もう少し込みいった内容を聞かれると思っていたセイスの方が拍子抜けである。
「それだけとは何だ。今は分からない筈の未来を聞いてしまったんだぞ、これはほぼ禁忌に近しい行為だ」
「ん、んー……それもそうか。……それで、信じてくれたのか?」
「ああ、完全にな」
だから一先ず戻ろう。リアに言われて元の道を戻りながら、セイスはリアが自分の言い分を信じてくれのだという事実を噛み締めた。この感情は、安堵と呼ぶに相応しいだろう。やっと地に足が着いた、そんな感覚だ。
けれど今の質問はそんなにも重要だったのだろうか、隣を歩くリアの横顔を不思議そうに眺めながら歩いていると、リアはちらりと、一瞬目を細めてセイスを見る。
「ティーナが選ぶのは、ヨシュア以外有り得ない。ただそれだけだ」
やはり察されてしまった、彼は間違いなくエスパーである。
冗談はさておき。
「母さんが?」
「ティーナの息子だというお前の父親がヨシュアなら、僕はそれを信じると言っている」
不満か? とリア。セイスは直ぐに、首を横に振った。
来た道を戻る為、門を通り、広場へと移動する。この広場は上層区で最も天に近い場所で、陽が出るこの時間帯の広場は、他と比べても非常に明るい。地面に続く白き石の道が、あちらこちらにその光を反射させているからだ。
「お前の素性の全てを聞いてしまった以上、元の時代に戻れるその日まで、お前を面倒看ると誓おう。元よりそのつもりだったがな」
「ん、さんきゅ」
「当たり前だ。あの二人は、僕の大切な家族なんだ」
その光の道こそが、この王宮が“陽凰宮”と呼ばれる所以。
王の歩く陽光の道。その道を歩きながら、
「必ず僕が、二人の元へお前を連れて行く」
リアはそう言って、いっとう優しく笑っていた。
彼は次期国王になる男。その名をルクセルド=リア・ブライドという。
外を出歩く際には兄と同じくゼルミナク姓を名乗り、カストラの町への視察ついでに、姉であるアスティナの元へ赴く。
そんな、家族思いの少年である。
「気付いていないだろうから言うが、貴様は僕の甥ということになるな」
「え? ……うわあ゛ホントだ……!!?」
「随分と嫌そうな声を出すじゃないか」
思わず叫んでしまえば、そんなセイスを見たリアがじとりと湿った視線を寄越す。
「いやって訳じゃなくてな? うわ驚いたわーみたいな」
「頭悪そうなところがヨシュアにそっくりだな」
「父さん頭良いじゃん」
「“悪そう”と言っただろう、実際はともかく頭が悪そうな外見をしている」
「酷い言いようだな!」
それを弁解するセイスはリアが言うように、本当に大切なことを忘れていた。二人の関係性のことではない。彼が母、アスティナの弟であるということを、セイスは本当の意味で理解していなかったのだ。
リアは今十五歳。長いルクセルドという名を縮め、家族には愛称でこう呼ばれている。
――ルカ、と。
『まぁ、あいつが生きてたら――』
『――死んじゃったけどね』
「そう考えるとお前の眼の色、シロツキにそっくりだ」
「え? ……あ!? 俺あの人とも微量ながら血が繋がってる!? お、畏れ多過ぎて吐きそう」
「ほう、僕の時とえらい反応の違いだな」
リアは、セイスの時代では既に亡くなっている。
父に対する暴言を受け、おかしそうに笑うセイスはまだ、そのことに気付いていなかった。
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