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第五話:濁流の証明と、民の声
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ギデオンの剣の切っ先が、私の喉元まであと数寸というところで静止していた。彼の蒼い瞳には、命令を遂行しようとする騎士の義務と、目の前の現実に対するわずかな混乱が浮かんでいる。
私は、微動だにしなかった。恐怖はなかった。私の背後には、一夜を共にした仲間たちがいる。そして、私たちが成し遂げた仕事への絶対的な確信があった。
「罪を問う前に、その目で真実を見極めてはいかがです、騎士団長」
私が静かに告げた、その時だった。
ゴオオオォォッ!
地を揺るがすような轟音が、川の上流から響き渡った。春の雪解け水が溜め込んでいた最大の力が、巨大な波となって牙を剥いたのだ。騎士たちの馬が恐怖に嘶き、誰もが息を呑んで、迫り来る濁流の壁を見つめた。
「「危ない!」」
騎士の一人が叫ぶ。しかし、もう遅い。茶色い津波が、私たちが築いたばかりの防衛線──「竜の喉笛」に叩きつけられた。
杭が軋み、大地が震える。凄まじい水圧が、一夜漬けの工作物を粉砕しようと襲い掛かる。だが、ヴァレリウスが設計した杭は、その衝撃を正面から受け止めるのではなく、巧みに受け流し、流れの向きを変えていく。激流は、まるで意思を持ったかのように川の中央へと導かれ、岸辺に立つ我々には、水しぶきがかかるだけだった。
轟音が過ぎ去り、川面が少しずつ落ち着きを取り戻すと、そこには信じがたい光景が広がっていた。あれほどの奔流に耐え、岸辺は確かに守られたのだ。
騎士たちは、言葉を失ってその光景をただ見つめていた。ギデオンの剣を握る手も、わずかに力が緩んでいる。
その静寂を破ったのは、新たな喧騒だった。川の咆哮を聞きつけ、最悪の事態を覚悟して家を飛び出してきた町の人々が、丘の上からこちらへ駆け下りてきたのだ。彼らは、無傷の堤防と、その前に立つ泥まみれの私たち、そして、私たちに剣を向ける騎士たちを交互に見て、すぐに状況を理解した。
「おい、騎士様! 一体どういうつもりだ! この人たちは、俺たちの恩人だ! あんたたちが首都で祈ってる間に、この人たちは命を張って俺たちの町を救ってくれたんだぞ!」
一人の男の声を皮切りに、人々が次々と叫び始める。
「そうだ、そうだ! 恩人に剣を向けるとは何事だ!」
「聖女様もありがたいが、俺たちの家を守ってくれたのは、ヴァレリウス様だ!」
民衆は、いつのまにか私たちと騎士団の間に壁を作るように立ち塞がっていた。武器を持たない、ただの民。しかし、その一人一人の瞳には、自分たちの未来を守り抜くという、何よりも強い意志が宿っていた。
ギデオンは、その光景に唇を噛み締めた。彼は騎士として、民を守ることを誓ったはずだ。その民が、今、彼の剣の前に立ちはだかっている。彼の正義が、根底から揺らいでいた。私の『鑑定眼』には、彼のオーラを覆っていた盲目的な忠誠の色に、深い混乱の亀裂が走るのが見えた。
しばらくの逡巡の後、ギデオンは、苦々しい表情のまま、ゆっくりと剣を鞘に納めた。
「……この件は、私の判断で裁くことはできん」
彼は、絞り出すような声で言った。
「見たままの事実を、首都に報告する。それまで、貴様たちの行動を『監視』させてもらう。勝手な真似はするな」
それは、敗北宣言にも似た、苦渋の選択だった。彼は私たちを逮捕することも、認めることもできず、ただ「監視」という名目で、現状を黙認するしかなかったのだ。
ギデオンが部隊を率いて丘の上へと後退していく。それを見届けると、民衆から大きな歓声が上がった。彼らは、泥だらけの私たちやヴァレリウスを英雄のように迎え、その肩を叩き、感謝の言葉を口々に述べた。
私は、朝日の中で誇らしげに立つヴァレリウスの横顔を見た。彼を覆っていた諦観の塵はすっかりと洗い流され、そこには、職人としての自信に満ちた、堂々たる花崗岩の輝きだけがあった。
最初の戦いは、終わった。私たちは、一夜にして、町と、一人の男の誇りを守り抜いたのだ。
私は、騎士団が陣を張る丘の向こう──遠い首都の空を見据える。この小さな勝利の報は、すぐに偽りの聖女の耳にも届くだろう。
本当の戦いは、まだ始まったばかりだ。
私は、微動だにしなかった。恐怖はなかった。私の背後には、一夜を共にした仲間たちがいる。そして、私たちが成し遂げた仕事への絶対的な確信があった。
「罪を問う前に、その目で真実を見極めてはいかがです、騎士団長」
私が静かに告げた、その時だった。
ゴオオオォォッ!
地を揺るがすような轟音が、川の上流から響き渡った。春の雪解け水が溜め込んでいた最大の力が、巨大な波となって牙を剥いたのだ。騎士たちの馬が恐怖に嘶き、誰もが息を呑んで、迫り来る濁流の壁を見つめた。
「「危ない!」」
騎士の一人が叫ぶ。しかし、もう遅い。茶色い津波が、私たちが築いたばかりの防衛線──「竜の喉笛」に叩きつけられた。
杭が軋み、大地が震える。凄まじい水圧が、一夜漬けの工作物を粉砕しようと襲い掛かる。だが、ヴァレリウスが設計した杭は、その衝撃を正面から受け止めるのではなく、巧みに受け流し、流れの向きを変えていく。激流は、まるで意思を持ったかのように川の中央へと導かれ、岸辺に立つ我々には、水しぶきがかかるだけだった。
轟音が過ぎ去り、川面が少しずつ落ち着きを取り戻すと、そこには信じがたい光景が広がっていた。あれほどの奔流に耐え、岸辺は確かに守られたのだ。
騎士たちは、言葉を失ってその光景をただ見つめていた。ギデオンの剣を握る手も、わずかに力が緩んでいる。
その静寂を破ったのは、新たな喧騒だった。川の咆哮を聞きつけ、最悪の事態を覚悟して家を飛び出してきた町の人々が、丘の上からこちらへ駆け下りてきたのだ。彼らは、無傷の堤防と、その前に立つ泥まみれの私たち、そして、私たちに剣を向ける騎士たちを交互に見て、すぐに状況を理解した。
「おい、騎士様! 一体どういうつもりだ! この人たちは、俺たちの恩人だ! あんたたちが首都で祈ってる間に、この人たちは命を張って俺たちの町を救ってくれたんだぞ!」
一人の男の声を皮切りに、人々が次々と叫び始める。
「そうだ、そうだ! 恩人に剣を向けるとは何事だ!」
「聖女様もありがたいが、俺たちの家を守ってくれたのは、ヴァレリウス様だ!」
民衆は、いつのまにか私たちと騎士団の間に壁を作るように立ち塞がっていた。武器を持たない、ただの民。しかし、その一人一人の瞳には、自分たちの未来を守り抜くという、何よりも強い意志が宿っていた。
ギデオンは、その光景に唇を噛み締めた。彼は騎士として、民を守ることを誓ったはずだ。その民が、今、彼の剣の前に立ちはだかっている。彼の正義が、根底から揺らいでいた。私の『鑑定眼』には、彼のオーラを覆っていた盲目的な忠誠の色に、深い混乱の亀裂が走るのが見えた。
しばらくの逡巡の後、ギデオンは、苦々しい表情のまま、ゆっくりと剣を鞘に納めた。
「……この件は、私の判断で裁くことはできん」
彼は、絞り出すような声で言った。
「見たままの事実を、首都に報告する。それまで、貴様たちの行動を『監視』させてもらう。勝手な真似はするな」
それは、敗北宣言にも似た、苦渋の選択だった。彼は私たちを逮捕することも、認めることもできず、ただ「監視」という名目で、現状を黙認するしかなかったのだ。
ギデオンが部隊を率いて丘の上へと後退していく。それを見届けると、民衆から大きな歓声が上がった。彼らは、泥だらけの私たちやヴァレリウスを英雄のように迎え、その肩を叩き、感謝の言葉を口々に述べた。
私は、朝日の中で誇らしげに立つヴァレリウスの横顔を見た。彼を覆っていた諦観の塵はすっかりと洗い流され、そこには、職人としての自信に満ちた、堂々たる花崗岩の輝きだけがあった。
最初の戦いは、終わった。私たちは、一夜にして、町と、一人の男の誇りを守り抜いたのだ。
私は、騎士団が陣を張る丘の向こう──遠い首都の空を見据える。この小さな勝利の報は、すぐに偽りの聖女の耳にも届くだろう。
本当の戦いは、まだ始まったばかりだ。
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