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第三話:困惑の翌日と、優しい噂
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あの悪夢のような夜会から一夜が明けた。
私は自室のベッドの上で目を覚まし、まず最初に自分のこめかみにそっと触れた。昨夜ぶつけた場所の痛みはもうない。そして何より、あの不快な耳鳴りのような雑音も、今はすっかり消え失せていた。
「…よかった。やっぱり、昨夜のは夢だったんだわ」
そう呟き、私はほっと胸をなでおろした。
疲れていたせいで、おかしな夢を見てしまったのだろう。氷の公爵様の心の声が聞こえるだなんて、冷静に考えればあり得ないことだ。
朝食の席で、父様と母様に昨夜の夜会について尋ねられたけれど、「少し疲れてしまったので、早めに失礼いたしました」とだけ答えておいた。まさか、人の心の声が聞こえただなんて言えるはずもない。
「そうか。エメリアは人混みが得意ではないからな。無理はしなくていい」
優しい父様の言葉に、私はこくりと頷いた。
そうだ、きっと疲れていただけ。もう、あの奇妙な現象に悩まされることはないはずだ。
その日の午後、私は友人である子爵令嬢のマーサ様のお茶会に招かれていた。
ラプレース家とマーサ様の家は昔から親交が深く、私と彼女は気心の知れた仲だった。彼女の明るく朗らかな性格は、いつも私の心を和ませてくれる。
「エメリア様! こちらよ!」
庭園のガゼボで、マーサ様がぱっと顔を輝かせて手を振ってくれた。
テーブルには色とりどりのマカロンと、淹れたての紅茶の良い香りが立ち上っている。
「エメリア様、昨夜の夜会にいらしていたのね? 私、お姿をお見かけできなかったわ」
席に着くなり、マーサ様が少し残念そうに言った。
「ええ。少しだけ…」
「そうだったの! なら、ご存じないかしら? 昨夜、アイゼンブルグ公爵様の、それはそれは珍しいお姿が目撃されたのよ!」
「えっ?」
公爵様の名前が出た瞬間、私の心臓が小さく跳ねた。
マーサ様は声を潜め、秘密を打ち明けるように身を乗り出す。
「夜会の終盤、公爵様がご自分の護衛騎士を呼びつけて、何やら指示を出されていたらしいの。その騎士が向かった先にいたのが…なんと、足を滑らせて転んでしまったご令嬢だったんですって!」
「!」
「そのご令嬢、幸いにもお怪我はなかったようなのだけれど、公爵様は心配だったのかしら。騎士に命じて、その方が無事に家路につくまで、影から見守るようにと…! あの氷の公爵様が、よ?」
マーサ様は「信じられる?」とでも言うように、目をきらきらと輝かせている。
けれど、私の顔はきっと、みるみるうちに青ざめていったに違いない。
だって、その「転んでしまったご令嬢」というのは、紛れもなく私のことなのだから。
(昨夜のは、夢じゃなかった…?)
混乱する私の頭に、昨夜最後に聞いた彼の心の声が蘇る。
あの心の声は、本物だったのだ。
そして彼は、本当に護衛の騎士に、私のことを見守るように命じていたのだ。
「一体、どこの幸運なご令嬢なのかしらね? 公爵様にあんな風に気遣われるなんて! きっと、息をのむような絶世の美女に違いありませんわ!」
マーサ様の無邪気な言葉が、ぐさぐさと私の胸に突き刺さる。
絶世の美女だなんて、とんでもない。ただの平凡な伯爵令嬢なのに。
「…そう、ですわね…」
相槌を打つ私の声は、自分でも分かるほどにか細く、震えていた。
もう、認めざるを得ない。
私には、人の心が読める。
そして、あの氷の仮面の下に隠された、カイル・フォン・アイゼンブルグ公爵の、あまりにも優しく、そして心配性な本当の姿を、私だけが知ってしまったのだ。
その事実は、甘い蜜のようでありながら、同時に私を苛む鋭い毒のようでもあった。
これから先、私はどうすればいいのだろう。
紅茶の味も、マカロンの甘さも、もう何も感じられなくなっていた。
私は自室のベッドの上で目を覚まし、まず最初に自分のこめかみにそっと触れた。昨夜ぶつけた場所の痛みはもうない。そして何より、あの不快な耳鳴りのような雑音も、今はすっかり消え失せていた。
「…よかった。やっぱり、昨夜のは夢だったんだわ」
そう呟き、私はほっと胸をなでおろした。
疲れていたせいで、おかしな夢を見てしまったのだろう。氷の公爵様の心の声が聞こえるだなんて、冷静に考えればあり得ないことだ。
朝食の席で、父様と母様に昨夜の夜会について尋ねられたけれど、「少し疲れてしまったので、早めに失礼いたしました」とだけ答えておいた。まさか、人の心の声が聞こえただなんて言えるはずもない。
「そうか。エメリアは人混みが得意ではないからな。無理はしなくていい」
優しい父様の言葉に、私はこくりと頷いた。
そうだ、きっと疲れていただけ。もう、あの奇妙な現象に悩まされることはないはずだ。
その日の午後、私は友人である子爵令嬢のマーサ様のお茶会に招かれていた。
ラプレース家とマーサ様の家は昔から親交が深く、私と彼女は気心の知れた仲だった。彼女の明るく朗らかな性格は、いつも私の心を和ませてくれる。
「エメリア様! こちらよ!」
庭園のガゼボで、マーサ様がぱっと顔を輝かせて手を振ってくれた。
テーブルには色とりどりのマカロンと、淹れたての紅茶の良い香りが立ち上っている。
「エメリア様、昨夜の夜会にいらしていたのね? 私、お姿をお見かけできなかったわ」
席に着くなり、マーサ様が少し残念そうに言った。
「ええ。少しだけ…」
「そうだったの! なら、ご存じないかしら? 昨夜、アイゼンブルグ公爵様の、それはそれは珍しいお姿が目撃されたのよ!」
「えっ?」
公爵様の名前が出た瞬間、私の心臓が小さく跳ねた。
マーサ様は声を潜め、秘密を打ち明けるように身を乗り出す。
「夜会の終盤、公爵様がご自分の護衛騎士を呼びつけて、何やら指示を出されていたらしいの。その騎士が向かった先にいたのが…なんと、足を滑らせて転んでしまったご令嬢だったんですって!」
「!」
「そのご令嬢、幸いにもお怪我はなかったようなのだけれど、公爵様は心配だったのかしら。騎士に命じて、その方が無事に家路につくまで、影から見守るようにと…! あの氷の公爵様が、よ?」
マーサ様は「信じられる?」とでも言うように、目をきらきらと輝かせている。
けれど、私の顔はきっと、みるみるうちに青ざめていったに違いない。
だって、その「転んでしまったご令嬢」というのは、紛れもなく私のことなのだから。
(昨夜のは、夢じゃなかった…?)
混乱する私の頭に、昨夜最後に聞いた彼の心の声が蘇る。
あの心の声は、本物だったのだ。
そして彼は、本当に護衛の騎士に、私のことを見守るように命じていたのだ。
「一体、どこの幸運なご令嬢なのかしらね? 公爵様にあんな風に気遣われるなんて! きっと、息をのむような絶世の美女に違いありませんわ!」
マーサ様の無邪気な言葉が、ぐさぐさと私の胸に突き刺さる。
絶世の美女だなんて、とんでもない。ただの平凡な伯爵令嬢なのに。
「…そう、ですわね…」
相槌を打つ私の声は、自分でも分かるほどにか細く、震えていた。
もう、認めざるを得ない。
私には、人の心が読める。
そして、あの氷の仮面の下に隠された、カイル・フォン・アイゼンブルグ公爵の、あまりにも優しく、そして心配性な本当の姿を、私だけが知ってしまったのだ。
その事実は、甘い蜜のようでありながら、同時に私を苛む鋭い毒のようでもあった。
これから先、私はどうすればいいのだろう。
紅茶の味も、マカロンの甘さも、もう何も感じられなくなっていた。
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