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第三話:賢者の慧眼
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コンラートとフロリアにとって、地獄は翌朝から本格的に始まった。
二人は昨夜の出来事以来、互いに距離を置こうと試みたが、それは物理的に不可能だった。まるで透明な鎖で繋がれているかのように、一方が動けばもう一方も引きずられる。気まずい沈黙が流れる朝食の席で、彼らは侍従たちの手前、無理に微笑み合い、仲睦まじい夫婦を演じなければならなかった。
その日の午後、コンラートは騎士団の訓練に参加した。彼は愛馬に跨り、馬上槍試合の練習をしようとしたが、常に半径五メートル以内にいるフロリアが邪魔で、馬を全力で走らせることができない。
「危ないから下がっていろと言っているだろう!」
「下がれないのです! あなたこそ、私を振り回さないでくださいまし!」
馬上で怒鳴る王子と、その傍でドレスの裾を抑えながら悲鳴を上げる聖女。その滑稽な光景に、屈強な騎士たちは必死に笑いをこらえていた。コンラートの権威は、面白いほどに失墜していく。
一方のフロリアもまた、孤立を深めていた。彼女が友人たちと開いたお茶会では、令嬢だけの秘密の話に花を咲かせたいのに、常にコンラートが仏頂面で同席している。友人たちは気味悪がって早々に退散し、かつて彼女を囲んでいた華やかな輪は、もうどこにもなかった。
その夜、二人はついに堪忍袋の緒が切れ、互いを罵り合った。
「全てお前のせいだ! あの偽聖女を挑発するから!」
「まあ、酷い! 悪いのは祝福を受け入れたコンラート様でしょう!?」
醜い責任のなすりつけ合いの末、二人の意見は一つにまとまった。
「「あの偽聖女め…! 我らを呪ったな!!」」
翌日、コンラートは国中から高名な魔術師や神官を緊急招集し、この忌まわしい「呪い」を解くよう厳命した。しかし、診断した者たちは誰もが青ざめた顔で首を横に振るばかり。
代表の老神官が、震える声で告げた。
「王子、これは呪いなどではございません。あまりに強力で、あまりに純粋な『祝福』の魔力でございます」
「祝福だと!? ならば解けるだろう!」
「いえ…。これを人の手で解くことは、神の御業を否定するに等しい行い…。我々には、不可能です」
祝福であるからこそ、解除できない。
自分たちが民衆の前で歓喜して受け入れたものが、解除不能の呪いであったという事実に、コンラートとフロリアは血の気を失い、その場にへたり込んだ。
◇
その頃、私を乗せた荷馬車は、数日かけて隣国との国境検問所に到着していた。追放者である私の身分では、入国は困難を極めるだろう。私が固唾をのんで待っていると、そこに一人の青年が穏やかな物腰で近づいてきた。
柔らかな栗色の髪に、知性を感じさせる優しい瞳。彼は護衛もつけずに一人で現れると、私に向かって微笑んだ。
「お待ちしておりました、クラリス様。私はアシェルと申します」
彼こそが、この国の王子でありながら、政治よりも研究を好む『賢者』として知られるアシェルだった。
彼は私の追放の噂を聞き、私の起こしてきたという数々の「災い」の記録を古文書で調べていたのだという。
「あなたに深い興味がありまして。もしよろしければ、少しお話を伺えませんか?」
アシェルは私を自身の研究塔へと案内した。そこは天井まで届くほどの本棚に囲まれた、静かで落ち着く場所だった。彼は私に、これまでの祝福が起こした「災い」について、一つ一つ丁寧に尋ねた。
私が恐る恐る、干ばつを終わらせるために豪雨を呼んでしまったこと、敵国の王を失脚させて戦争を回避したことなどを語ると、アシェルは感嘆の声を漏らした。
「なるほど…! なんて素晴らしい。君の力は、願いの本質を最短ルートで、最も効率的に叶える力なのですね」
「え…? でも、それで多くの混乱が…」
「それは結果に至る過程が、常人の理解を超えていただけのこと。君の力は災いなどではない。ただ、誰もその本当の価値を理解していなかった。それだけです」
初めてだった。自分の力を、誰かに肯定されたのは。
戸惑う私に、アシェルは優しく手を差し伸べた。
「ここで一緒に、その素晴らしい力の使い方を学んでみませんか? 君ならきっと、この国を、いいえ、世界を救うことだってできる」
その真っ直ぐな瞳と、温かい手に、私の目からぽろぽろと涙がこぼれ落ちた。それは絶望の淵から差し伸べられた、一筋の光だった。
私は涙を拭うと、しっかりと頷いた。
二人は昨夜の出来事以来、互いに距離を置こうと試みたが、それは物理的に不可能だった。まるで透明な鎖で繋がれているかのように、一方が動けばもう一方も引きずられる。気まずい沈黙が流れる朝食の席で、彼らは侍従たちの手前、無理に微笑み合い、仲睦まじい夫婦を演じなければならなかった。
その日の午後、コンラートは騎士団の訓練に参加した。彼は愛馬に跨り、馬上槍試合の練習をしようとしたが、常に半径五メートル以内にいるフロリアが邪魔で、馬を全力で走らせることができない。
「危ないから下がっていろと言っているだろう!」
「下がれないのです! あなたこそ、私を振り回さないでくださいまし!」
馬上で怒鳴る王子と、その傍でドレスの裾を抑えながら悲鳴を上げる聖女。その滑稽な光景に、屈強な騎士たちは必死に笑いをこらえていた。コンラートの権威は、面白いほどに失墜していく。
一方のフロリアもまた、孤立を深めていた。彼女が友人たちと開いたお茶会では、令嬢だけの秘密の話に花を咲かせたいのに、常にコンラートが仏頂面で同席している。友人たちは気味悪がって早々に退散し、かつて彼女を囲んでいた華やかな輪は、もうどこにもなかった。
その夜、二人はついに堪忍袋の緒が切れ、互いを罵り合った。
「全てお前のせいだ! あの偽聖女を挑発するから!」
「まあ、酷い! 悪いのは祝福を受け入れたコンラート様でしょう!?」
醜い責任のなすりつけ合いの末、二人の意見は一つにまとまった。
「「あの偽聖女め…! 我らを呪ったな!!」」
翌日、コンラートは国中から高名な魔術師や神官を緊急招集し、この忌まわしい「呪い」を解くよう厳命した。しかし、診断した者たちは誰もが青ざめた顔で首を横に振るばかり。
代表の老神官が、震える声で告げた。
「王子、これは呪いなどではございません。あまりに強力で、あまりに純粋な『祝福』の魔力でございます」
「祝福だと!? ならば解けるだろう!」
「いえ…。これを人の手で解くことは、神の御業を否定するに等しい行い…。我々には、不可能です」
祝福であるからこそ、解除できない。
自分たちが民衆の前で歓喜して受け入れたものが、解除不能の呪いであったという事実に、コンラートとフロリアは血の気を失い、その場にへたり込んだ。
◇
その頃、私を乗せた荷馬車は、数日かけて隣国との国境検問所に到着していた。追放者である私の身分では、入国は困難を極めるだろう。私が固唾をのんで待っていると、そこに一人の青年が穏やかな物腰で近づいてきた。
柔らかな栗色の髪に、知性を感じさせる優しい瞳。彼は護衛もつけずに一人で現れると、私に向かって微笑んだ。
「お待ちしておりました、クラリス様。私はアシェルと申します」
彼こそが、この国の王子でありながら、政治よりも研究を好む『賢者』として知られるアシェルだった。
彼は私の追放の噂を聞き、私の起こしてきたという数々の「災い」の記録を古文書で調べていたのだという。
「あなたに深い興味がありまして。もしよろしければ、少しお話を伺えませんか?」
アシェルは私を自身の研究塔へと案内した。そこは天井まで届くほどの本棚に囲まれた、静かで落ち着く場所だった。彼は私に、これまでの祝福が起こした「災い」について、一つ一つ丁寧に尋ねた。
私が恐る恐る、干ばつを終わらせるために豪雨を呼んでしまったこと、敵国の王を失脚させて戦争を回避したことなどを語ると、アシェルは感嘆の声を漏らした。
「なるほど…! なんて素晴らしい。君の力は、願いの本質を最短ルートで、最も効率的に叶える力なのですね」
「え…? でも、それで多くの混乱が…」
「それは結果に至る過程が、常人の理解を超えていただけのこと。君の力は災いなどではない。ただ、誰もその本当の価値を理解していなかった。それだけです」
初めてだった。自分の力を、誰かに肯定されたのは。
戸惑う私に、アシェルは優しく手を差し伸べた。
「ここで一緒に、その素晴らしい力の使い方を学んでみませんか? 君ならきっと、この国を、いいえ、世界を救うことだってできる」
その真っ直ぐな瞳と、温かい手に、私の目からぽろぽろと涙がこぼれ落ちた。それは絶望の淵から差し伸べられた、一筋の光だった。
私は涙を拭うと、しっかりと頷いた。
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