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第七話:葛藤の国境線
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アシェルの執務室は、夜が更けてもなお、緊張に満ちていた。集まった宰相や将軍たちは、地図の上に広げられたガルドラ帝国の進軍路を睨みつけ、重い沈黙を続けている。
「報告によれば、帝国軍は古代の魔導兵器を使用しているとのこと。抵抗する都市は、女子供の区別なく焼き払われていると…」
老将軍の苦々しい声が、室内に響く。帝国のやり方は、単なる侵略ではなく、恐怖による支配そのものだった。
「我らはどう動くべきか。旧王国との同盟はすでに無効。下手に介入すれば、帝国の次の標的は我らシルヴァリアとなるぞ」
「しかし、このまま静観していれば、いずれ帝国は国境を越えてくる。その前に叩くべきでは?」
「聖女クラリス様のお力があれば…」
議論は、必ずその一点に行き着いた。
私の存在。
アシェルは、議論が熱を帯びるのを冷静な一言で制した。
「クラリスの力は、戦争の道具ではない。彼女の意志を無視した議論は無意味だ」
その時、新たな伝令が駆け込んできた。
「申し上げます! 旧王国からの難民が、東の国境検問所に殺到しております! その数、すでに数千…!」
◇
数日後、私はアシェルと共に、東の国境に設営された難民キャンプを訪れていた。
目の前に広がる光景は、地獄のようだった。ぼろ布をまとった人々は、地面に座り込み、虚ろな目で空を見上げている。怪我人のうめき声と、親を呼んで泣き叫ぶ子供の声が、冷たい風に乗って聞こえてきた。
スープの配給に並ぶ列の中に、見覚えのある顔を見つけた。かつて王都で、私を『災いの聖女』と嘲笑っていた貴族の夫人だった。彼女は高価なドレスの代わりに汚れたローブをまとい、痩せこけた顔で、ただ無心に前を見つめている。目が合うと、彼女はバツが悪そうに顔を背けた。
別の場所では、かつて私の祝福を「災いだ」と罵った商人たちが、シルヴァリアの衛兵に「我らを助けろ、聖女がいる国なのだろう!」と詰め寄っていた。
胸の中に、冷たくて苦い感情が渦巻く。
自業自得ではないか。
あなたたちは、私を石もて追いやった。コンラート殿下が私を追放した時、誰も助けてはくれなかった。
なのに、今さら…。
そんな冷たい声が、頭の中で響く。
けれど同時に、飢えで泣く幼子の姿が、私の心を締め付けた。あの子に、一体どんな罪があるというのだろう。
「…私には、わかりません」
思わず、隣に立つアシェルに弱音をこぼしていた。
「彼らを憎む気持ちと、見過ごせない気持ちが…どうすればいいのか…」
アシェルは、私の葛藤を見透かすように、静かな声で言った。
「無理に答えを出す必要はないよ。君がどんな決断をしても、私は君の味方だ。だが、忘れないでほしい。君が心を壊してまで、救わなければならない義務など、どこにもない」
彼の言葉は、私の心を縛り付けていた「聖女でなければ」という重圧を、ふっと軽くしてくれた。憎んでもいい。見捨ててもいい。その上で、私がどうしたいのか。
私はもう一度、キャンプを見渡した。
その時、一人の少女が、母親の亡骸のそばで、ただ静かに涙をこぼしているのが目に入った。誰にも気づかれず、声も上げずに、ただ小さな肩を震わせている。
私は、吸い寄せられるようにその子のそばへ行き、そっとその小さな体を抱きしめた。温もりを求めるように、少女は私の胸に顔をうずめ、初めて声を上げて泣き始めた。
ああ、そうか。
国とか、過去の恨みとか、そんな大きな話ではないのだ。
ただ、目の前で泣いている、この小さな命を救いたい。
私の心は、驚くほど静かに、そして単純な答えにたどり着いていた。
私は少女を衛兵に預けると、アシェルの元へ戻り、彼の目をまっすぐに見つめた。
「アシェル様、私は行きます」
その瞳には、もう迷いの色はなかった。
「私を捨てた国のためではありません。今、この瞬間も、助けを求めている人々のために。私の力を、使わせてください」
私の決意に、アシェルは何も言わず、ただ静かに、そして力強く頷いた。
国境線に吹く風が、私の決意を後押しするように、シルヴァリアの旗を力強くはためかせていた。
「報告によれば、帝国軍は古代の魔導兵器を使用しているとのこと。抵抗する都市は、女子供の区別なく焼き払われていると…」
老将軍の苦々しい声が、室内に響く。帝国のやり方は、単なる侵略ではなく、恐怖による支配そのものだった。
「我らはどう動くべきか。旧王国との同盟はすでに無効。下手に介入すれば、帝国の次の標的は我らシルヴァリアとなるぞ」
「しかし、このまま静観していれば、いずれ帝国は国境を越えてくる。その前に叩くべきでは?」
「聖女クラリス様のお力があれば…」
議論は、必ずその一点に行き着いた。
私の存在。
アシェルは、議論が熱を帯びるのを冷静な一言で制した。
「クラリスの力は、戦争の道具ではない。彼女の意志を無視した議論は無意味だ」
その時、新たな伝令が駆け込んできた。
「申し上げます! 旧王国からの難民が、東の国境検問所に殺到しております! その数、すでに数千…!」
◇
数日後、私はアシェルと共に、東の国境に設営された難民キャンプを訪れていた。
目の前に広がる光景は、地獄のようだった。ぼろ布をまとった人々は、地面に座り込み、虚ろな目で空を見上げている。怪我人のうめき声と、親を呼んで泣き叫ぶ子供の声が、冷たい風に乗って聞こえてきた。
スープの配給に並ぶ列の中に、見覚えのある顔を見つけた。かつて王都で、私を『災いの聖女』と嘲笑っていた貴族の夫人だった。彼女は高価なドレスの代わりに汚れたローブをまとい、痩せこけた顔で、ただ無心に前を見つめている。目が合うと、彼女はバツが悪そうに顔を背けた。
別の場所では、かつて私の祝福を「災いだ」と罵った商人たちが、シルヴァリアの衛兵に「我らを助けろ、聖女がいる国なのだろう!」と詰め寄っていた。
胸の中に、冷たくて苦い感情が渦巻く。
自業自得ではないか。
あなたたちは、私を石もて追いやった。コンラート殿下が私を追放した時、誰も助けてはくれなかった。
なのに、今さら…。
そんな冷たい声が、頭の中で響く。
けれど同時に、飢えで泣く幼子の姿が、私の心を締め付けた。あの子に、一体どんな罪があるというのだろう。
「…私には、わかりません」
思わず、隣に立つアシェルに弱音をこぼしていた。
「彼らを憎む気持ちと、見過ごせない気持ちが…どうすればいいのか…」
アシェルは、私の葛藤を見透かすように、静かな声で言った。
「無理に答えを出す必要はないよ。君がどんな決断をしても、私は君の味方だ。だが、忘れないでほしい。君が心を壊してまで、救わなければならない義務など、どこにもない」
彼の言葉は、私の心を縛り付けていた「聖女でなければ」という重圧を、ふっと軽くしてくれた。憎んでもいい。見捨ててもいい。その上で、私がどうしたいのか。
私はもう一度、キャンプを見渡した。
その時、一人の少女が、母親の亡骸のそばで、ただ静かに涙をこぼしているのが目に入った。誰にも気づかれず、声も上げずに、ただ小さな肩を震わせている。
私は、吸い寄せられるようにその子のそばへ行き、そっとその小さな体を抱きしめた。温もりを求めるように、少女は私の胸に顔をうずめ、初めて声を上げて泣き始めた。
ああ、そうか。
国とか、過去の恨みとか、そんな大きな話ではないのだ。
ただ、目の前で泣いている、この小さな命を救いたい。
私の心は、驚くほど静かに、そして単純な答えにたどり着いていた。
私は少女を衛兵に預けると、アシェルの元へ戻り、彼の目をまっすぐに見つめた。
「アシェル様、私は行きます」
その瞳には、もう迷いの色はなかった。
「私を捨てた国のためではありません。今、この瞬間も、助けを求めている人々のために。私の力を、使わせてください」
私の決意に、アシェルは何も言わず、ただ静かに、そして力強く頷いた。
国境線に吹く風が、私の決意を後押しするように、シルヴァリアの旗を力強くはためかせていた。
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