「妹の方が聖女に相応しい」と婚約破棄され、魔の塔に捨てられましたが、住んでいた魔帝様の胃袋を掴んだので幸せです。

希羽

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第2話 伝説の魔帝様、プリンで陥落する

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 掃除を始めてから二時間後。
 『奈落の塔』の最下層は、見違えるほど綺麗になっていた。
 床を覆っていた分厚い埃は消え失せ、散乱していた本は種類別に積み上げられ、腐海と化していた謎の物体たちは、私が魔法で焼却処分した。

「ふぅ……。とりあえず、人間が住める環境にはなりましたわね」

 私が額の汗を拭うと、部屋の隅――唯一掃除を許されなかった魔帝ゾーン(毛布の山)から、おずおずと声が掛かった。

「お、お前……何者なんだ……。俺の結界術式が刻まれた床を、雑巾がけだけでピカピカにするなんて……」
「ただの伯爵令嬢です。実家の屋敷が広すぎて使用人が足りなかったので、掃除スキルが磨かれただけですわ」

 私は腰に手を当てて、毛布の塊を見下ろした。

「それより魔帝様。お腹が空きました。食材はありませんか?」
「食い物……?」
「ええ。貴方もお腹が鳴っていますよ?」

 指摘すると、毛布の中で「ぐぅぅ……」という情けない音が響いた。

「俺は魔族だから、食事など数ヶ月に一度でいいんだ……。それに、ここには『魔界の保存食』しかないぞ」
「見せてください」

 彼がしぶしぶと魔法で空間の裂け目から取り出したのは、見たこともない食材の山だった。
 虹色に輝く巨大な卵。
 黄金の蜜が滴る蜂の巣。
 そして、冷気漂う白い牛乳瓶のようなもの。

「これは……『コカトリスの極上卵』に、『天界蜂のハチミツ』、それに『千年雪牛のミルク』ですか?」

 私は目を丸くした。
 どれも市場に出れば金貨の山と交換される、伝説級の高級食材ばかりだ。

「これだけの食材があって、なぜ何も食べていないのですか?」
「……料理ができない」
「は?」
「焼くと黒焦げになるし、煮ると溶けてなくなるんだ……。だから、いつも生のまま齧っていた」

 ……不憫すぎる。
 世界を滅ぼす力がありながら、自炊スキルが壊滅的とは。

「わかりました。私が作りましょう」

 私は腕まくりをした。
 これだけの最高級食材があるのだ。普通に焼くだけでは勿体ない。
 疲れた心と体には、甘くて優しいものが一番だ。

「少し待っていてくださいね」

 ◇

 私が即席のキッチン(瓦礫を魔法で組んだもの)に立ち、調理を始めて数十分。
 部屋の中に、甘く芳醇な香りが漂い始めた。
 バニラに似た『魔香草』の香りと、焦がした砂糖の香ばしい匂い。

 ズルズル……。

 毛布の塊が、匂いに釣られて少しずつ近づいてくる音がする。
 私は鍋の蓋を開け、最後の仕上げを確認した。

「できましたわ」

 私がテーブルに置いたのは、プルプルと震える黄金色の物体。
 『特製・魔界カスタードプリン』である。
 コカトリスの濃厚な卵黄と、コクのある雪牛のミルクをふんだんに使い、天界のハチミツで作ったカラメルソースをたっぷりとかけた一品だ。

「……なんだこれは。黄色いスライムか?」
「プリンです。毒見は私が済ませましたから、どうぞ」

 毛布から真っ白な手が伸びてきて、恐る恐るスプーンを握る。
 そして、震える手つきでプリンをすくい、口へと運んだ。

 パクッ。

 瞬間。
 部屋の空気が止まった。

「…………」

 魔帝様が固まっている。
 お口に合わなかっただろうか? やはり魔族の味覚には、人間の菓子は甘すぎたのかも――。
 そう不安になった時だった。

「……う、まい……」

 震える声が聞こえた。
 バサリ、と頭から被っていた毛布が落ちる。
 そこに現れたのは、この世のものとは思えない美青年だった。
 夜空のような黒髪に、宝石のような紫の瞳。透き通るような白い肌。
 ただし、その美しい瞳からはボロボロと大粒の涙が溢れ出していた。

「なんだこれ……あったかい……甘い……。口の中で溶ける……」
「魔帝様?」
「ずっと……ずっと暗い塔の中で、冷たい肉ばかり食っていた……。こんなに美味いものが、この世にあるなんて……」

 彼はスプーンを握りしめ、子供のように泣きじゃくりながら、ものすごい勢いでプリンを平らげていく。

「うぐっ……ひっく……おいしい……」

 その姿に、かつて災厄と呼ばれた恐怖の面影は微塵もない。
 ただの、お腹を空かせた寂しがり屋の青年にしか見えなかった。

(……可愛いらしい方)

 私は思わず、彼の背中を優しくさすっていた。
 誰からも恐れられ、塔の底に捨てられた孤独な王。
 その境遇は、家族から疎まれ、利用されるだけ利用されて捨てられた私と、どこか似ている気がした。

「おかわり、ありますよ」
「た、食べる……!」

 二つ目のプリンを差し出すと、彼は涙でぐしゃぐしゃの顔を上げて、私を凝視した。
 そして。

 ガシッ!

 彼は私の腰に力強くしがみついた。

「え、あの、魔帝様?」
「……ゼノだ」
「はい?」
「俺の名前だ。……お前、名前は?」
「ハンナですけれど……」

 ゼノ様は、潤んだ瞳で私を見上げ、すがるように叫んだ。

「ハンナ! 行くな! どこにも行くな!」
「ええっと……」
「俺と契約しろ! いや、してくれ! 頼む! 一生ここで俺にプリンを作ってくれぇぇぇ!」

 世界最強の魔帝様が、私のスカートに顔を埋めて駄々をこね始めた。
 その力強すぎる抱擁に、私は苦笑するしかなかった。

「……仕方ありませんね」

 どうせ、地上には帰る場所もない。
 それに、この手のかかる美形の引きこもりを置いていくのも、なんだか寝覚めが悪い。

「わかりました。貴方が私を守ってくださるなら、毎日ご飯を作って差し上げます」

 私がそう告げると、ゼノ様はパァァァッと顔を輝かせた。
 まるで、捨て犬が飼い主を見つけたときのような、全幅の信頼を寄せた笑顔。

「約束だぞ! 絶対だぞ! 嘘をついたら針千本じゃ済まさないからな! 国ごと呪うからな!」
「はいはい」

 こうして私は、奈落の塔の底で、伝説の魔帝様を餌付けすることに成功してしまったのである。
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