「妹の方が聖女に相応しい」と婚約破棄され、魔の塔に捨てられましたが、住んでいた魔帝様の胃袋を掴んだので幸せです。

希羽

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第3話 塔の中が最高級ホテル並みになった件

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 翌朝。私が目を覚ますと、そこは天国だった。

「……あれ? 私、死にました?」

 思わず呟いてしまったのも無理はない。
 昨日までカビと湿気に支配されていた『奈落の塔』の最下層が、劇的ビフォーアフターを遂げていたのだから。
 私が寝ていたのは、石の床ではなく、天蓋付きの巨大なベッドだった。
 布団は最高級の羽毛――いや、これは伝説の幻獣ペガサスのダウンだろうか。驚くほど軽くて暖かい。
 薄暗かった室内には、壁に埋め込まれた『精霊石』が柔らかな暖色の光を投げかけている。
 さらに驚くべきは、空気だ。
 あれほど充満していた腐敗臭は消え失せ、代わりに森林浴をしているかのような清浄な空気が循環している。温度も湿度も完璧だ。

「……起きたか、ハンナ」

 ベッドの脇から、低い声がした。
 見れば、昨日まで薄汚れたボロ布をまとっていた魔帝ゼノ様が、漆黒のシルクのローブを身にまとい、優雅に椅子に腰掛けている。
 長い脚を組み、本を読んでいるその姿は、まさに絵画から抜け出てきたような美しさ――。

「ど、どうだ……? 俺の『空間再構築魔法』と『環境固定結界』の出来栄えは……」

 ――だと思いきや、彼は本を持つ指を小刻みに震わせながら、上目遣いにこちらの顔色を窺っていた。

「が、頑張ったんだぞ……。お前が寝ている間に、魔界の宝物庫から家具を転送して、空調結界を張り直して、害虫駆除の結界も三重に……」

 彼は本を放り出し、私のベッドの縁にずいっと身を乗り出した。
 その瞳は雄弁に語っている。『褒めて』と。
 私は思わず笑みがこぼれた。

「素晴らしいですわ、ゼノ様。王城の貴賓室より快適です。おかげで昨夜は、生まれて初めて泥のように熟睡できました」
「ほ、本当か!?」
「ええ。貴方は魔法の天才ですね」

 私が頭を撫でてあげると、ゼノ様は「へへっ……」と頬を緩ませた。
 世界を滅ぼす魔帝が、頭を撫でられただけで尻尾を振る(幻覚が見える)ようになるとは。
 チョロい。あまりにもチョロすぎる。

「よし、じゃあ約束の報酬だ」

 ゼノ様はそう言うと、当然のような顔をして私の膝の上に頭を乗せてきた。
 ゴロリ。
 いきなりの膝枕である。

「……あの、ゼノ様?」
「疲れたんだ。魔力を使いすぎた。充電させろ」

 彼は私の太ももに頬をすり寄せ、幸せそうに目を閉じた。
 その顔は無防備そのものだ。

「ハンナはいい匂いがするな……。プリンみたいな匂いだ」
「それは昨日プリンを作ったからでしょう」
「違う。もっと安心する……日向みたいな匂いだ。ここにいると、魔力の暴走が収まるんだ……」

 呟きながら、彼は私の腰に腕を回し、ギュッとしがみついてくる。
 まるで、二度と離さないと主張するかのように。

(……王城では、誰も私に触れようとはしなかったわね)

 『呪われた娘』『地味な女』。
 そう呼ばれ、遠巻きに仕事を押し付けられるだけだった日々。
 こんな風に、誰かに必要とされ、温もりを求められたことなど一度もなかった。
 私は彼のサラサラとした黒髪に指を通し、優しく梳いた。
 ゼノ様の喉が、猫のようにゴロゴロと鳴る。

「……悪くありませんね、こういうのも」

 ◇

 それからの生活は、まさに『堕落』の一言だった。
 塔の外は魔物が跋扈ばっこする危険地帯だが、塔の中は最高級ホテル並みの設備が整っている。
 食事は私が作るが、それ以外の家事はゼノ様の魔法が火を噴いた。

「ゼノ様、あそこの高い窓の汚れが気になります」
「ん? 任せろ」

 ゼノ様が指をパチンと鳴らす。

重力グラビティ崩壊クラッシュ

 ズオォォォン……!
 窓の表面に付着していた汚れだけが、局所的な重力魔法によって原子レベルで粉砕・消滅した。

「……窓拭きに使う魔法ではありませんわよ、それ」
「綺麗になっただろう?」
「ええ、ピカピカですけど。あと、お風呂のお湯加減もお願いできますか?」
「お安い御用だ」
紅蓮インフェルノ地獄ヒート

 ボッ!

 浴槽の水が、瞬時に適温の41度に調整された。一歩間違えば塔ごと蒸発する火力を、湯沸かしに使う器用さよ。
 こうして、私の『お世話係』としてのスキルと、ゼノ様の『無駄に強すぎる魔法』が融合した結果、奈落の塔は地上で最も快適な引きこもり空間へと進化したのである。
 お昼過ぎ。
 ふかふかのソファで、ゼノ様に膝枕をしながら紅茶を飲んでいた私は、ふと窓の外を見上げた。

「そういえばゼノ様。ここ、誰か他の人は入ってこられませんの?」
「ああん?」

 私の腹部におでこをグリグリと押し付けていたゼノ様が、気怠げに片目を開ける。

「来れるわけがないだろう。塔の周囲には、俺の配下である『古代竜のゴーレム』を配置した。もし人間が侵入しようとしたら――」

 彼の瞳が、一瞬だけゾッとするほど冷たい光を宿した。

「――骨も残さず消し炭にする設定にしてある」
「あら、頼もしい」
「だろ? 俺たちの時間を邪魔する奴は全員敵だ。たとえ王軍が来ようが、勇者が来ようが、指一本触れさせない」

 彼は再び甘えるように私の手に頬ずりをした。

「だからハンナは、一生ここで俺の頭を撫でていればいいんだ……」

 その独占欲の強さに、私は苦笑する。
 けれど、不思議と恐怖はなかった。
 彼の殺意は、すべて「私を守るため」だけに向けられていると分かっていたから。

(地上では今頃、リリアやアルフレッド様がどうしているかしら)

 美味しい紅茶を啜りながら、私はぼんやりと考える。
 私が管理していた結界や公務。あれらを彼らが引き継げるとは到底思えない。

「まあ、私には関係のないことですわね」

 私は考えるのをやめ、膝の上の甘えん坊魔帝様の頭を撫でる作業に戻った。
 ここには美味しいご飯と、快適な部屋と、私を全肯定してくれる可愛い同居人がいる。
 戻る理由など、何一つないのだから。

 ――この時の私はまだ知らなかった。
 私が消えたことによって、地上の王国が既に『滅亡』のカウントダウンを始めていたことを。
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