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「あー、面白かったー」
あずさの機嫌の良い声に、私は呆れてため息しか出て来ない。
あれだけ渋っていたあずさは、試写会と聞いてあっさりと行く方向に決めたらしい。
満面の笑みで、私に「続編ないかな?」という無邪気な妹。
岡崎には警戒心を持ちながらも、試写会に行くことは前向きになったからか、さっくりと行く時間や待ち合わせ場所などを決めた。
私のコーディネートは、何故か妹がしていた。
気が付いたらいつの間にか、洋服から持ち物まで細かく決まっていたという。
待ち合わせで岡崎に『可愛い』と言われたのは、もう耳に慣れたフレーズ過ぎて照れるだけに留めた。
私にとってはドキドキも、これから来る映画の時間でかき消されたけれども…。
あくまで、今日のメインは映画であり、お出かけは二の次である。
そう、初デートなのに何で拷問のような映画を観なければいけないのか…。
初デート。
あっさりと行くことが決まったのに、今になってもなんだかしっくりこない。
だって、私が観たい映画ではないんだから。
…まぁ、想像通りの結果。
一言で言えば、絶望。
映画館に漂うあの何とも言えないガッカリ感。
回りでは、まだ恐怖や絶望感に項垂れている人が多いのに。
そう、今回の『呪い神2』でも圧倒的に人間が不幸だった。
その展開も、結末も何もかも。
見ていて、ただただ追い詰められていく。
何かがゴリゴリと削られて行ったのは確かだろう。
その結果、初デートなんてとっくに忘れた、が正しいだろう。
前作との絡みも何もない始まり。
なのに、“続いている”という呪い。
続いていないはずなのに、そこには確実に前作からの連鎖が感じられた。
そう、脈絡も何もないはずなのに、前回を上回る絶望のレパートリー。
なのに、あずさは軽快な声で言ったのだ。
『面白い』と。
何の躊躇いもなく、清々しいほどの笑顔で。
ほら、周りの人が不思議な顔をしている。
私とあずさを奇妙な顔で見ている。
でもそれは、私にも見られる原因があった。
映画館で、特に大きな悲鳴を出したのが私だけだったから。
暗い映画館の中に、私の悲鳴が幾度となく響いた。
私だって、出したくて出したわけじゃない。
だけど、出てしまうものはもう仕方ない。
みんな怖がっていたはずなのに、私以上に大きな声の人がいないことであちこちで悲鳴があがり始めた。
後半はもうみんな気にすることもなく、私の悲鳴もセットで映画が進んでいった。
私だって、出来るなら悲鳴なんて出したくなかった。
両手でしっかりと口を塞ぎたかった。
ただ、声を抑えることが出来ない状況だったから仕方がないだけ。
私を真ん中にして、あずさと岡崎が座った。
そこまでは良かった。
右手を岡崎に、左手をあずさに握られた私は色んな意味で結果的に疲れた。
2人とも驚異の握力で、私の手なんてびくともしなかった。
震えていても、離してもらえず。
汗をふきたくてもそのままで…。
ただの恐怖体験だったのは言うまでもないと思う。
私の手って、私の自由にならないものなの?
自由になりたくて、あずさにも岡崎に何回も言った。
『手を離して』と。
小声で、時には悲鳴と共に。
なのに、2人ともエンドロールまで頑なに手を離してくれなかった。
どういうこと?
これっていじめ?
私に対する嫌がらせ?
映画館が明るくなって、ようやくあずさは手を離してくれた。
涙と汗と、鼻水と…。
え、本当に私にとってはトラウマなんですけど。
明るくなりきる前に、慌ててハンカチを探し顔を拭った。
それこそ、お化粧なんてどこかに吹き飛ぶ勢いで。
いや、ずっとは長すぎない?
今までにない妹の行動に、違うパニックが産まれた。
なのに、岡崎もそれに便乗した。
パニックの連鎖、その上恐怖の上乗せ。
私だけが疲れたのは間違いないだろう。
「このパンフレットも、貴重だね」
あずさが手にするパンフレットも試写会用のものだった。
「パンフレットって初めて見たかも」
すごく機嫌が良い。
そうだろう。
観たかった映画が、公開前に観られたんだから。
「家で一緒に観て思い出そうね、お姉ちゃん」
結構です。
それでも、力なく頷く私。
「じゃあ、俺も混ぜて」
ようやく口を挟んだ岡崎に、あずさが私を見る。
「何?」
「映画、終わったんですけど?」
「うん、でもかなえが疲れているから」
いまだに繋がれた私の右手に、岡崎は笑顔で答えた。
妹は何も言わなかった。
年頃なのも忘れて、『お化粧直しに』なんて言葉は出てこなかった。
ただただ疲れた。
すぐにでも休みたい。
「甘いものでも食べに行く?」
岡崎の言葉にも、力なく頷いた。
もう2人は切り替えたの?
私だけ?こんなに疲れているの。
「ここの近くに、おいしいケーキのお店があるらしいから」
岡崎の言葉に、あずさは私を見る。
「おねえちゃんが行くなら」
回復したい私は、とても素直に頷いた。
「で、こういう感じかぁ」
あずさの言葉に首を傾げる。
丸いテーブルで、ここでも私は真ん中だった。
可愛い空間に座り、少しだけ回復した。
そして余裕が生まれた。
妹が何で落胆しているのか不思議だ。
あずさだって、可愛い物は好きなはずなのに。
回復していく私とは反対に、元気がない様子の妹。
「どういうこと?」
「ここじゃ私、お邪魔虫じゃん」
おじゃまむし?
何それ?
「この空間が」
妹の言葉に、回りを見る。
確かに、回りはあきらかに“デート中”という雰囲気の2人組が多かった。
それ以外は、女子グループがいくつか。
私達の後ろにも、数人の女子がカシャカシャと音を立てながら可愛いくて色とりどりのスウィーツを撮っていた。
デート。
さっき吹き飛んだはずの意識が少しだけ戻って来る。
だけど、取り繕う気持ちなんて湧いてこなかった。
だって、もう私には“オシャレ”な要素なんて何も残っていない。
力を入れて座ったせいで、お尻部分がしわくちゃのワンピース。
落ちてしまった可愛い系メイク。
何より、生気を削られてしまった表情。
岡崎は、そんな彼女を連れていて恥ずかしくないのかな?
違う疑問が湧いてくる。
「そんなことないよ、あずさちゃん?」
岡崎の言葉に、妹は『はーい』と軽く受け流してメニューを手にした。
今日はご機嫌なお母さんがお小遣いをしっかりとくれた。
だから、あずさも気にしないでメニューを眺めているんだろう。
いつもは、お小遣いと相談して食べる物も買う物も一緒に相談するのに。
「ショートケーキっぽいの2つある。どっちの方がおいしいかな?おねえちゃん一緒に頼まない?」
気にしないように、あずさがそう言った。
「……えー、私もチョコが良い」
疲れているから、余計に好きなものを食べたい。
「…じゃあさ、また今度来よ!次にまた頼むから」
それは魅力的。
メニューに釘付けになったまま、私の思考は美味しいものにつられた。
あずさの言葉に目を輝かせてしまう。
「…良いよね?おねえちゃん」
あずさの言葉にこくこくと頷く。
「ふうん」
岡崎の相槌?に私もメニューから顔を上げる。
横にいた岡崎は、私を見ていた。
「何?」
「じゃあ、今度はチョコケーキの美味しいお店にデートしに来よう」
岡崎の言葉に、答えに困る。
『デート』と言う言葉を気軽に使える岡崎に、私がついていけないだけ。
きっと元カノとかとも、デートなんていっぱいしたんだろう。
あれ、これって嫉妬?
「…デート?」
私が言うよりも先に、妹が反応した。
「そう、付き合ってるんだから、おかしくないよね?」
岡崎の言葉に、今度はあずさが曖昧な返事をした。
私を真ん中にして、2人が話し始める。
メニューを持っていた私は思わず後ろに引いてしまった。
あずさは岡崎を見ないようにしていたのに、どうしたんだろう?
「今日は、私がいるのにデートですか?」
「そうだよ?かなえと一緒に出掛けるんだから、デートだよね?」
「3人でもデートって成立するんですか?」
「するんじゃないかな?当人たちの気持ち次第だからね」
「だってよ?おねえちゃん」
「へぇ~?」
メニューを眺めながら適当な相槌を打ってしまう。
わあぁ、このチョコは生のよう。
口触りがいいんだろうなぁ。
どうにか別の話題に行かないか、現実逃避してしまう。
急に私に振られても、それはこういう返事になりますよね。
てか、2人してデートデート連呼しすぎじゃない?
ほら回りの人に変に思われてる。
今まで普通だったのに、空気が変な感じになってる。
ここでも疲れる。
だけど、お得意のスルースキルで知らないフリだ。
メニューに没頭する私。
このチョコチップが乗ったのも食感が良いだろうなぁ。
だけど、ラズベリーが入っているのは目で見ても鮮やかで楽しい。
カスタードクリームは味的に間違いがないでしょ。
1人で、くふくふしている。
幸せ。
頼んでもないのに。
「可愛い」
岡崎の声に反応しそうになって、だけど顔を上げずにそのままメニューを見続ける。
「おねえちゃん!」
「…何?」
「決まった?もう注文したいんだけど」
私もマイペースだけど、妹もかなりマイペースだなぁ。
「え、ちょっと待って。このチョコレートスペシャルも良いし、期間限定の生チョコも捨てがたい」
「じゃあさ、2つとも頼んで半分こにしよ?」
岡崎の笑顔に、頷きかけて首をフルフルする。
これは、罠だ。
確定でイチャイチャするしかない罠になる。
妹の目の前で。
何の罰ゲーム?
こんな他の人もいる空間で、半分こなんて絶対に嫌だ。
お高いケーキなんだし、どれを頼んでも間違いないはず。
「というか、岡崎は決まったの?」
隣にいる岡崎に聞くと『うん』とあっさりと返事が返って来る。
「何頼むの?」
「かなえが頼まなかった方」
予想外の返答だった。
「…へー」
「好きな物食べたら?」
私の言葉にも『うん』とすぐに返事が来る。
「だって、かなえが好きな物なら俺も好きな物になるだろうし」
「???」
言っている意味が分からない。
あれ、岡崎ってどんな性格だったっけ?
「これとか、岡崎好きじゃない?」
そこまで詳しくないけれど、確か去年彼女さんに手作りのマドレーヌだかフィナンシェだかもらってなかったっけ?
「嫌いじゃないけど、今はいらないかな」
笑顔の岡崎。
「そう?」
「うん、かなえのこと疲れさせちゃったから、そのお詫びも含めて…ね?」
確かに。
それはそうだ。
「じゃあ、飲み物だけでも良いんじゃない?」
妥協。
岡崎と半分この儀式なんてしたくないから。
「うーん、少し甘い物が食べたいんだよね?かなえが分けてくれるなら、それでも良いけど…」
ちらりと見てくる岡崎に、敗北したのは言うまでもないだろう。
結局、勝ち目なんてないんだし。
岡崎と半分こにするのは、確定なんだ。
岡崎の中では。
「お姉ちゃん!もう頼んでも良い?」
えぇー。
妹は、姉が彼氏に疲れさせられても良いって?
薄情だなぁ。
「あずさは、もう決まったの?」
「うん、期間限定の方のショートにした」
そうだよね、決まったら早いよね。
あっという間に注文を決め、目の前には素晴らしい夢の空間が広がった。
「幸せ」
こういうのを、理想郷と言うのだろうか?
ツヤツヤなチョコレートが私を呼んでいる。
生チョコのケーキにした私。
岡崎は定番のスペシャルにしていた。
「可愛いなぁ」
岡崎?カメラはケーキに向けてほしいかな。
「何で、お姉ちゃんが良いんですか?」
ショートケーキを口に運びながら、あずさが問いかける。
岡崎の方を見ないまま。
失礼じゃない?
「え?理由いるかな?」
「特にない?ってことですか?」
岡崎が、チョコレートケーキをフォークで掬う。
「おいしいよ?」
食べてもいないのに、私に向けてくる。
誘惑だ。
これは、絶対に引っかかってはいけない罠だ。
私は、目の前の冷え冷えの生チョコを…。
「お姉ちゃん…」
呆れた様子のあずさ。
私の輝くフォークは、生チョコに刺さってもいない。
右手に握られたままだ。
「本当に、かなえは可愛いなぁ」
誘惑に負けてはいけない。
…負けては。
負け…。
ちらりと見た私に岡崎がふふっと笑った。
頬杖をついた岡崎の表情は、“楽しい”だろう。
私が口を開けるまで、この状態が続くと。
後ろにいる女子グループがこっちを見ているのが分かる。
こそこそと、何で『食べないんだろう?』なんて言っているのが聞こえてくる。
きゃあきゃあと、声を潜めながら上がる歓声。
「早く食べれば良いのに」
こういう時だけ、我関せずの妹。
他人事のようなことを言う。
隣で起きているのに。
「かなえ?」
『ん?』と言いながら、チョコレートケーキを掲げないで。
食べたい。
だけど、それは負けを意味する。
負け。
何に?
あれ、私は何をしているんだっけ?
「かなえの生チョコも溶けちゃうよ?」
岡崎の言葉に、目の前のお皿を見ると少しだけ柔らかそうな見た目の生チョコケーキが。
気温で溶けてきちゃった?
あぁ、勿体ない。
慌てて手に持ったままのフォークを動かす。
ちょびっとだけと思ったのに、スッとフォークが刺さった。
柔らかい…。
最高。
何でこんなに素敵な食べ物が世の中にあるんだろう。
もう良いや。
好きな物は好きなんだし。
気にしないで口に運ぶ。
言葉に出来ない、甘みや苦みとても良いバランスのチョコレート。
「ほら、かなえ?」
岡崎の言葉に、自然と口を開けてしまう。
「どう?」
「おいしい、好き」
私の返答に岡崎が満足そうに笑った。
「良かった。俺も好き」
いや、その好きじゃない。
ん?どの好き?
分からないや。
だけど、これも1つの好きの気持ちか。
「あーぁ。はいはい、末永くお幸せに…」
あずさの他人事のような言葉がぽつりと響く。
「ありがとう、あずさちゃん」
岡崎の嬉しそうな声に、まぁ良いかと幸せを噛み締める私。
色んなスキがあるんだし、これもこれで良いのかな。
好きの形は色々で、スキの気持ちも色々なんだから。
あずさの機嫌の良い声に、私は呆れてため息しか出て来ない。
あれだけ渋っていたあずさは、試写会と聞いてあっさりと行く方向に決めたらしい。
満面の笑みで、私に「続編ないかな?」という無邪気な妹。
岡崎には警戒心を持ちながらも、試写会に行くことは前向きになったからか、さっくりと行く時間や待ち合わせ場所などを決めた。
私のコーディネートは、何故か妹がしていた。
気が付いたらいつの間にか、洋服から持ち物まで細かく決まっていたという。
待ち合わせで岡崎に『可愛い』と言われたのは、もう耳に慣れたフレーズ過ぎて照れるだけに留めた。
私にとってはドキドキも、これから来る映画の時間でかき消されたけれども…。
あくまで、今日のメインは映画であり、お出かけは二の次である。
そう、初デートなのに何で拷問のような映画を観なければいけないのか…。
初デート。
あっさりと行くことが決まったのに、今になってもなんだかしっくりこない。
だって、私が観たい映画ではないんだから。
…まぁ、想像通りの結果。
一言で言えば、絶望。
映画館に漂うあの何とも言えないガッカリ感。
回りでは、まだ恐怖や絶望感に項垂れている人が多いのに。
そう、今回の『呪い神2』でも圧倒的に人間が不幸だった。
その展開も、結末も何もかも。
見ていて、ただただ追い詰められていく。
何かがゴリゴリと削られて行ったのは確かだろう。
その結果、初デートなんてとっくに忘れた、が正しいだろう。
前作との絡みも何もない始まり。
なのに、“続いている”という呪い。
続いていないはずなのに、そこには確実に前作からの連鎖が感じられた。
そう、脈絡も何もないはずなのに、前回を上回る絶望のレパートリー。
なのに、あずさは軽快な声で言ったのだ。
『面白い』と。
何の躊躇いもなく、清々しいほどの笑顔で。
ほら、周りの人が不思議な顔をしている。
私とあずさを奇妙な顔で見ている。
でもそれは、私にも見られる原因があった。
映画館で、特に大きな悲鳴を出したのが私だけだったから。
暗い映画館の中に、私の悲鳴が幾度となく響いた。
私だって、出したくて出したわけじゃない。
だけど、出てしまうものはもう仕方ない。
みんな怖がっていたはずなのに、私以上に大きな声の人がいないことであちこちで悲鳴があがり始めた。
後半はもうみんな気にすることもなく、私の悲鳴もセットで映画が進んでいった。
私だって、出来るなら悲鳴なんて出したくなかった。
両手でしっかりと口を塞ぎたかった。
ただ、声を抑えることが出来ない状況だったから仕方がないだけ。
私を真ん中にして、あずさと岡崎が座った。
そこまでは良かった。
右手を岡崎に、左手をあずさに握られた私は色んな意味で結果的に疲れた。
2人とも驚異の握力で、私の手なんてびくともしなかった。
震えていても、離してもらえず。
汗をふきたくてもそのままで…。
ただの恐怖体験だったのは言うまでもないと思う。
私の手って、私の自由にならないものなの?
自由になりたくて、あずさにも岡崎に何回も言った。
『手を離して』と。
小声で、時には悲鳴と共に。
なのに、2人ともエンドロールまで頑なに手を離してくれなかった。
どういうこと?
これっていじめ?
私に対する嫌がらせ?
映画館が明るくなって、ようやくあずさは手を離してくれた。
涙と汗と、鼻水と…。
え、本当に私にとってはトラウマなんですけど。
明るくなりきる前に、慌ててハンカチを探し顔を拭った。
それこそ、お化粧なんてどこかに吹き飛ぶ勢いで。
いや、ずっとは長すぎない?
今までにない妹の行動に、違うパニックが産まれた。
なのに、岡崎もそれに便乗した。
パニックの連鎖、その上恐怖の上乗せ。
私だけが疲れたのは間違いないだろう。
「このパンフレットも、貴重だね」
あずさが手にするパンフレットも試写会用のものだった。
「パンフレットって初めて見たかも」
すごく機嫌が良い。
そうだろう。
観たかった映画が、公開前に観られたんだから。
「家で一緒に観て思い出そうね、お姉ちゃん」
結構です。
それでも、力なく頷く私。
「じゃあ、俺も混ぜて」
ようやく口を挟んだ岡崎に、あずさが私を見る。
「何?」
「映画、終わったんですけど?」
「うん、でもかなえが疲れているから」
いまだに繋がれた私の右手に、岡崎は笑顔で答えた。
妹は何も言わなかった。
年頃なのも忘れて、『お化粧直しに』なんて言葉は出てこなかった。
ただただ疲れた。
すぐにでも休みたい。
「甘いものでも食べに行く?」
岡崎の言葉にも、力なく頷いた。
もう2人は切り替えたの?
私だけ?こんなに疲れているの。
「ここの近くに、おいしいケーキのお店があるらしいから」
岡崎の言葉に、あずさは私を見る。
「おねえちゃんが行くなら」
回復したい私は、とても素直に頷いた。
「で、こういう感じかぁ」
あずさの言葉に首を傾げる。
丸いテーブルで、ここでも私は真ん中だった。
可愛い空間に座り、少しだけ回復した。
そして余裕が生まれた。
妹が何で落胆しているのか不思議だ。
あずさだって、可愛い物は好きなはずなのに。
回復していく私とは反対に、元気がない様子の妹。
「どういうこと?」
「ここじゃ私、お邪魔虫じゃん」
おじゃまむし?
何それ?
「この空間が」
妹の言葉に、回りを見る。
確かに、回りはあきらかに“デート中”という雰囲気の2人組が多かった。
それ以外は、女子グループがいくつか。
私達の後ろにも、数人の女子がカシャカシャと音を立てながら可愛いくて色とりどりのスウィーツを撮っていた。
デート。
さっき吹き飛んだはずの意識が少しだけ戻って来る。
だけど、取り繕う気持ちなんて湧いてこなかった。
だって、もう私には“オシャレ”な要素なんて何も残っていない。
力を入れて座ったせいで、お尻部分がしわくちゃのワンピース。
落ちてしまった可愛い系メイク。
何より、生気を削られてしまった表情。
岡崎は、そんな彼女を連れていて恥ずかしくないのかな?
違う疑問が湧いてくる。
「そんなことないよ、あずさちゃん?」
岡崎の言葉に、妹は『はーい』と軽く受け流してメニューを手にした。
今日はご機嫌なお母さんがお小遣いをしっかりとくれた。
だから、あずさも気にしないでメニューを眺めているんだろう。
いつもは、お小遣いと相談して食べる物も買う物も一緒に相談するのに。
「ショートケーキっぽいの2つある。どっちの方がおいしいかな?おねえちゃん一緒に頼まない?」
気にしないように、あずさがそう言った。
「……えー、私もチョコが良い」
疲れているから、余計に好きなものを食べたい。
「…じゃあさ、また今度来よ!次にまた頼むから」
それは魅力的。
メニューに釘付けになったまま、私の思考は美味しいものにつられた。
あずさの言葉に目を輝かせてしまう。
「…良いよね?おねえちゃん」
あずさの言葉にこくこくと頷く。
「ふうん」
岡崎の相槌?に私もメニューから顔を上げる。
横にいた岡崎は、私を見ていた。
「何?」
「じゃあ、今度はチョコケーキの美味しいお店にデートしに来よう」
岡崎の言葉に、答えに困る。
『デート』と言う言葉を気軽に使える岡崎に、私がついていけないだけ。
きっと元カノとかとも、デートなんていっぱいしたんだろう。
あれ、これって嫉妬?
「…デート?」
私が言うよりも先に、妹が反応した。
「そう、付き合ってるんだから、おかしくないよね?」
岡崎の言葉に、今度はあずさが曖昧な返事をした。
私を真ん中にして、2人が話し始める。
メニューを持っていた私は思わず後ろに引いてしまった。
あずさは岡崎を見ないようにしていたのに、どうしたんだろう?
「今日は、私がいるのにデートですか?」
「そうだよ?かなえと一緒に出掛けるんだから、デートだよね?」
「3人でもデートって成立するんですか?」
「するんじゃないかな?当人たちの気持ち次第だからね」
「だってよ?おねえちゃん」
「へぇ~?」
メニューを眺めながら適当な相槌を打ってしまう。
わあぁ、このチョコは生のよう。
口触りがいいんだろうなぁ。
どうにか別の話題に行かないか、現実逃避してしまう。
急に私に振られても、それはこういう返事になりますよね。
てか、2人してデートデート連呼しすぎじゃない?
ほら回りの人に変に思われてる。
今まで普通だったのに、空気が変な感じになってる。
ここでも疲れる。
だけど、お得意のスルースキルで知らないフリだ。
メニューに没頭する私。
このチョコチップが乗ったのも食感が良いだろうなぁ。
だけど、ラズベリーが入っているのは目で見ても鮮やかで楽しい。
カスタードクリームは味的に間違いがないでしょ。
1人で、くふくふしている。
幸せ。
頼んでもないのに。
「可愛い」
岡崎の声に反応しそうになって、だけど顔を上げずにそのままメニューを見続ける。
「おねえちゃん!」
「…何?」
「決まった?もう注文したいんだけど」
私もマイペースだけど、妹もかなりマイペースだなぁ。
「え、ちょっと待って。このチョコレートスペシャルも良いし、期間限定の生チョコも捨てがたい」
「じゃあさ、2つとも頼んで半分こにしよ?」
岡崎の笑顔に、頷きかけて首をフルフルする。
これは、罠だ。
確定でイチャイチャするしかない罠になる。
妹の目の前で。
何の罰ゲーム?
こんな他の人もいる空間で、半分こなんて絶対に嫌だ。
お高いケーキなんだし、どれを頼んでも間違いないはず。
「というか、岡崎は決まったの?」
隣にいる岡崎に聞くと『うん』とあっさりと返事が返って来る。
「何頼むの?」
「かなえが頼まなかった方」
予想外の返答だった。
「…へー」
「好きな物食べたら?」
私の言葉にも『うん』とすぐに返事が来る。
「だって、かなえが好きな物なら俺も好きな物になるだろうし」
「???」
言っている意味が分からない。
あれ、岡崎ってどんな性格だったっけ?
「これとか、岡崎好きじゃない?」
そこまで詳しくないけれど、確か去年彼女さんに手作りのマドレーヌだかフィナンシェだかもらってなかったっけ?
「嫌いじゃないけど、今はいらないかな」
笑顔の岡崎。
「そう?」
「うん、かなえのこと疲れさせちゃったから、そのお詫びも含めて…ね?」
確かに。
それはそうだ。
「じゃあ、飲み物だけでも良いんじゃない?」
妥協。
岡崎と半分この儀式なんてしたくないから。
「うーん、少し甘い物が食べたいんだよね?かなえが分けてくれるなら、それでも良いけど…」
ちらりと見てくる岡崎に、敗北したのは言うまでもないだろう。
結局、勝ち目なんてないんだし。
岡崎と半分こにするのは、確定なんだ。
岡崎の中では。
「お姉ちゃん!もう頼んでも良い?」
えぇー。
妹は、姉が彼氏に疲れさせられても良いって?
薄情だなぁ。
「あずさは、もう決まったの?」
「うん、期間限定の方のショートにした」
そうだよね、決まったら早いよね。
あっという間に注文を決め、目の前には素晴らしい夢の空間が広がった。
「幸せ」
こういうのを、理想郷と言うのだろうか?
ツヤツヤなチョコレートが私を呼んでいる。
生チョコのケーキにした私。
岡崎は定番のスペシャルにしていた。
「可愛いなぁ」
岡崎?カメラはケーキに向けてほしいかな。
「何で、お姉ちゃんが良いんですか?」
ショートケーキを口に運びながら、あずさが問いかける。
岡崎の方を見ないまま。
失礼じゃない?
「え?理由いるかな?」
「特にない?ってことですか?」
岡崎が、チョコレートケーキをフォークで掬う。
「おいしいよ?」
食べてもいないのに、私に向けてくる。
誘惑だ。
これは、絶対に引っかかってはいけない罠だ。
私は、目の前の冷え冷えの生チョコを…。
「お姉ちゃん…」
呆れた様子のあずさ。
私の輝くフォークは、生チョコに刺さってもいない。
右手に握られたままだ。
「本当に、かなえは可愛いなぁ」
誘惑に負けてはいけない。
…負けては。
負け…。
ちらりと見た私に岡崎がふふっと笑った。
頬杖をついた岡崎の表情は、“楽しい”だろう。
私が口を開けるまで、この状態が続くと。
後ろにいる女子グループがこっちを見ているのが分かる。
こそこそと、何で『食べないんだろう?』なんて言っているのが聞こえてくる。
きゃあきゃあと、声を潜めながら上がる歓声。
「早く食べれば良いのに」
こういう時だけ、我関せずの妹。
他人事のようなことを言う。
隣で起きているのに。
「かなえ?」
『ん?』と言いながら、チョコレートケーキを掲げないで。
食べたい。
だけど、それは負けを意味する。
負け。
何に?
あれ、私は何をしているんだっけ?
「かなえの生チョコも溶けちゃうよ?」
岡崎の言葉に、目の前のお皿を見ると少しだけ柔らかそうな見た目の生チョコケーキが。
気温で溶けてきちゃった?
あぁ、勿体ない。
慌てて手に持ったままのフォークを動かす。
ちょびっとだけと思ったのに、スッとフォークが刺さった。
柔らかい…。
最高。
何でこんなに素敵な食べ物が世の中にあるんだろう。
もう良いや。
好きな物は好きなんだし。
気にしないで口に運ぶ。
言葉に出来ない、甘みや苦みとても良いバランスのチョコレート。
「ほら、かなえ?」
岡崎の言葉に、自然と口を開けてしまう。
「どう?」
「おいしい、好き」
私の返答に岡崎が満足そうに笑った。
「良かった。俺も好き」
いや、その好きじゃない。
ん?どの好き?
分からないや。
だけど、これも1つの好きの気持ちか。
「あーぁ。はいはい、末永くお幸せに…」
あずさの他人事のような言葉がぽつりと響く。
「ありがとう、あずさちゃん」
岡崎の嬉しそうな声に、まぁ良いかと幸せを噛み締める私。
色んなスキがあるんだし、これもこれで良いのかな。
好きの形は色々で、スキの気持ちも色々なんだから。
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